すり鉢のような関ヶ原の、中心に据えられた鍋、その周りに、ほらいる、独眼竜と太陽。お前の崖っぷち。照りつける日差しと埃にふらふらしているの横、三成と吉継が戦場となる底辺を見下ろしている。子供は鍋の櫓、坊主はさあ、どこだろう。
「お膳立ては済ませた。あとは好きにやれ」
「感謝する」
吉継に礼を言う三成は、一心にその目を崖っぷちに注いでいた。いつでも抜刀できるよう柄にかけた掌、全身が抜き身のような彼は、背後に率いる軍などこれっぽっちも心を砕いてなかったので、突撃を始めるや直ちに斬り合うつもりでいる。彼の、生きても死んでも最後だろうその立ち姿の無機的な具合を、が狂喜しながら眺めている。
ふいに三成が振り向き、その視界にを収めた。
「、貴様の働きにも。養生して長命を保て」
「は」
は、顔の筋肉が海綿になってしまったような表情の残骸で、粛々とした三成を見返した。三成は遺言は済んだとばかりに、夜叉となって斜面を駆け下り始めていたので、彼の突進に斬られた空気が遅れての睫毛を嬲る。どこからか湧いた天海が、見事な景色ですねえ、それにしてもあの巨大な怪魚、どこから獲って来たんですと言うのを、吉継の声帯が壊れたような高笑いを、は片耳で聞き流す。なあお前なんて言ったの? 眼下で全国の武将たちが大戦を始めている。あ、毛利軍。思った通り軍勢は少なめ。きっと今頃、国元を残った兵が奪還している。ほら、ほら、大混乱の中、三成は政宗と斬り結んだ。ほら! なんてうつくしいひと。それでこそ。三成は彼岸ばっかり見ていて、死人のために殺すのだ。だから三成は生きている気配がしない。
だから、俺を見るなんて、そんなのお前じゃあねーんだよ。
三成と政宗の死闘が混沌を深める頃、戦場に異変が起こった。黒い手が熱気の渦を席巻し、戦場に迸る生死が喰い漁られていく。そうして「魔の妹、お市様」なんて天海が得意気に呼びかけた女が、何か、得体のしれないものを呼びだして、あ、ああ、あ、戦場が。佐吉の崖が。
まるで花のように、死を啜って咲き誇った岩塊の頂上で、巫に呼ばれた魔王が嬉々としている。は彼の声を聞いたことが無い、けれども、ざ、ざざ、と、全身の血が憎悪に染まった。佐吉の道を邪魔しやがって。白熱するような怒り。
文字通り飛んで行った吉継を、力を持たないは羨ましく見送る。
「さて、私も参りましょうか」
彼の目的はこっちだったのだろう、鎖鎌を手にうっそり笑う天海に、は連れて行ってくれと一言頼んだ。は力を持たないが、天海は、人を殺す術を知っている。
「貴方を連れて行って、何か役に立つとでも?」
「立たねぇなァ。でも、少なくともあんたの邪魔はしねぇぜ」
の興味が三成のみで、その標的の、政宗と家康の確保にしか頭を使わないことは、天海はよく知っている。三成が袋叩きにされないように、元就を呼び寄せ、混乱を助長したほどだ。
天海は口許に手をやって考えるそぶりをした。を置いて行っても、ここで殺してもなんら支障はない。彼を連れて行っても、この虚弱な兵站将校に今更できることがあるとは思えなかった。事態は既に力が支配している。
「まあ、構いませんよ」
面倒そうに彼は許可した。所詮にできることなど何もないのだから。
は、にや、と、あの引き攣るような笑顔を浮かべ、天海について歩き出す。鎌を携えた白装束の天海と、彼に付き従う餓鬼のようなは、正しく地獄絵図とでも言うべき戦場に誂えたように似合う。死んでいく、叫びとか、斬れ飛んだ手、とか、そんなものに、は興味の欠片すらひかれずに、転がる死体を邪魔そうに跨いでは岩塊を見上げて、一歩、一歩。ふらついているのが常の、笑えるほど体力の無いは、天海の予想を裏切って岩の転がる道にも付いてくる。流石に息は切れていた。
「おや、お市様。こんなところにいらしたんですか」
前方に見覚えのある女を見つけ、天海が歩みを止める。あ、あれかァとは申し訳程度の短刀に手をかけた。あの女がこの岩塊を呼んだんだな、あの女が、佐吉の、邪魔をしたのか、さあホラ、早く佐吉の崖を返せよォ。ここまできた理由を見つけ、は、ほとんど抜いたこともない刀を抜く、と、その、顔を斜めに生温かな飛沫。
あれ、と動きを止めたの前方で、天海がぐらりと傾いだ、違う、ずれた。
「あ、あれ……あの、私…ずれてます?」
「えぇ…」
幽かな、あのこ特有の音がするりと喉から漏れてきて、彼女は長い睫毛の瞬き一つ。手に、見たことの無い直刃の刀。ああーあ、これじゃあ、刺す前に刺されっちまう。突き落とした方がいいかなこの高さならきっと死ぬし、でもそれじゃあちゃぁんと死んだか判断つかねェ。三成がちゃんと、彼の戦いを締めくくるのに、邪魔な横槍を排除したい。この岩塊を呼んだ市を、殺せばきっと全て元に戻ると、は思う。
戸惑った声を上げながら天海がそれこそまっさかさまに落下していくのを、平然と見送って、は市の視線を受けとめる。
「貴方も……市を、殺したいのね……」
「わかる?」
「えぇ……大丈夫よ、市…贖うもの……そしたら貴方、好きにしたらいいわ……」
奇妙な叫びが鼓膜を揺らす、市はカランと音を立てて剣を落とした。は、あ、今なら刺せる、と思ったけれど、市が自分と同じような足取りで頂上を目指したので、同じように足を上げた。
刑部、と、佐吉の嘆きが降っている。
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