盛大に足が笑う。一度尻をついたらもう立ち上がることはできなそうだったので、は死に損ないの動作でずるずると足を動かし、吉継の遺骸に躓いて転んだ。先に進んだ市が、黄泉返った魔王を宥め、二人して境界の向こう側に沈んでいく。彼女は幸せそうだった。やっと、望む場所に行けるからだろう。長い睫毛を伏せて、その目が、最後に見た空が、誰を思わせたかは知らない。は、冷えた体の上を這いずって、少しでも進もうとする。吉継の満足そうな目許に気付いた。あんた絶対そんな顔することなんかないと思ってたけど。
呆然と、吹き飛ばされたままの武将たちは岩塊の中央、沈んでいく二人に釘付け。は獲物を狙う猫のように確認した。三成も、政宗も、家康も生きている。よかった。三成の復讐は、ちゃんと実行することができそうだった。安堵のため息を吐くと、地面にぴしり、と罅が入る。訝しく思う前に足場が砕けた。
落
ち
て
ゆ
く
、
さ
き
ち、
佐
吉
。
何度か岩に叩きつけられながら、はこの戦の前に彼が手配した鍋の中に落下して、他の武将たちと一緒に、地面に吐き出された。西日が目に染みて痛い。枯れ木のような彼の体は、どこかがぽっきり折れていても何の不思議もない、幸い折れてはいないようだったが使いものにならないくらい全身が痛んだ。いっそ意識を飛ばしてしまえたらきっと楽だ。は、四肢を地面に縫い止められたまま、首だけを動かして武将たちを見つけた。円形に放り出された彼らは、さすが武将というべきか、などよりよほど意識がしっかりしているらしく、ぽつぽつ、ぽつと、途切れがちながら会話をしている。よしよし三成と政宗と家康は生きている、
「前田慶次。……いつか、私の知らない秀吉様の話を、聞かせてくれ」
生きている、の、に。
あれ、おかしいじゃねぇか今喋ったの誰、は頭を、ざりりと土に擦り、ぼんやりと視界を翳らせていた瞼を大きく開ける。細かな砂が柔らかな目に入り、酷く痛んだけれども、それよりも、自分の耳が信じられない。朱色の光に目が眩む。強すぎる光の中、濃い陰影の武将たちは、妙に弛緩した、まるで何かやり遂げた後みたいな様子で、は反射的に胃の腑がうずいて噎せ込んだ。満足の輪の中にあいつがいる、佐吉!
「Ah,なんだ、妙な奴がいるぜ」
「……、か?」
咳に気付いた三成が体を起こす。ろくにものを食べないせいで、胃液を吐いていたは彼の視線に晒されて、それこそ悲鳴を上げそうだった。誰だ、誰だおまえ。佐吉はそんな目はしねぇしそんな気の抜けた表情なんか見たことねぇし、なあおまえ何で崖に行かねえの?
むくり、むくりと起き上がっていく男たちから、は逃げてしまいたい。体が意のままにならないことを恨んだ。近付いてくる、よく知っていたはずの、心底うつくしいと思っていた男の足を、は逃げることもできずに待ち受ける。半身を起こした家康が、穏やかな目で彼らを見ていた。助け起こされたの顔を、彼は見ただろうか。裏切られたひとのぜつぼうを。
「、お前が生きていてくれて、良かった。話したいことがたくさんある。お前の話も聞いてみたい。考えてみれば、私たちは深く話をしたことがなかった」
「………、」
三成はの、目を、見ただろうか。いつだって彼は、彼の神を見ている。今、神様を失くした三成と、がいて、三成はちゃんと、を見ただろうか?
は浅い呼吸を繰り返す。虚弱な肺が焼けるよう。いくら吸っても、吸っても、酸素が取り込めている気がしない。常から悪い顔色は、夕陽の朱色に染まって見分けがつきにくかったが、紙のような白から青く変わりつつある。
「………」
「、何だ?」
喘鳴の合間に漏れる言葉を聞き取ろうと、三成がの口許にかがみこむ。はカチカチと歯を鳴らす。
「……なァ、お前、誰。佐吉、あのうつくしいひとはどこに行った?……」
「、」
意味を掴み損ねて訝しむ三成の肩越しに、異変を感じ取ったのか、家康や、政宗が、緊張しきれない顔のまま彼らに目を注ぐ。なあ佐吉、どこ行ったァ。あんな、氷長石の、研ぎ澄まされた、いのちのにおいのしないひと。虚無へ身投げする覚悟を決めたあのうつくしいひとは。今ここにいるこいつはいのちのにおいがする、崖が見えない、ただのにんげんじゃないか。
は、零れそうに見開いた眼球に三成と、肩に手をかけて覗きこむようにした家康を映す。あ、憎悪。神様を失くして追い詰められたの中に、一筋、憎悪がたなびいた。ぜつぼうの底で、憎悪に縋るのは、たやすい。
「……てめぇの、せいだ」
彼の手は骨に皮が張っているだけの、著しく痩せ衰えた手だったが、幸いにも折れていなかったので、動かすことに支障はなかった。
「、ッ!?」
「っふく、ぐぅッ」
短刀を腹に突き立てて、は、こぷ、と血を唇の端から溢れさせ、あは、あははははははははと絶叫する。あまりの事態に蒼白となった三成と家康と、政宗たちが、口々に彼を罵倒して薄い体から刀を引き抜いた。適当な布で止血をするが、が笑い続けるために腹筋から血が零れて仕方が無い。耳の穢れるような、正気の消え失せた笑い声に耐えきれず、幸村が耳を塞いで頭を振った。政宗が「石田、てめぇそいつを黙らせろ!」と叫んで忘我の三成をけしかける。三成が何も出来ないでいるうちに、元々体力の無いはとっとと意識を失って、死人のように黙り込んだ。
清々しささえあった空気は霧散して、不吉な沈黙が重苦しく広がる。
「……手当を、受けさせなければ……」
ふらり、と立ち上がった三成は、ぐったりとしたを背負い、「勝手に死ぬのは許可しない」と弱弱しく呟いた。目の、奥が、怯えている。彼は先程、吉継を亡くしたばかりであったと、その場の誰もが思い至った。彼ら三人の関係は、知る由もなかったが。
「三成、ワシも手伝おう」
「結構だ」
家康の申し出を素気無く断る三成の、目を、一瞬捉え、家康は墨の滲み出すような不安に心が侵されていくのを感じた。突然の拒絶、『てめぇのせいだ』、と、あの意味不明の言葉と目の前で行われた自刃。三成、この純粋で、どこまでも猪突する男が、呵責の矛先を探しながら混乱しているのが手に取るようだった。その矛先がどこに向かうのか、否、どこに向かおうと、きっと三成はまた崖を自身の前に置く。が再び目を開けても、開けなくても。ぱっと白い怒りを、暗渠の縁に立ったに覚える。お前奪うのか、どうあってもお前は三成を突き落とす。
「三成…!」
友を助けようとする、幼く、うつくしいひとを呼ぶ。制止を含んだ言葉は届かなかった。振り返らない背中に不吉な予感が押し寄せる。太陽は沈もうとしていた。いのちのにおいが、濃く、噎せ返るようで、死を、連想した。
了
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