柿の若葉を橙に彩り、太陽が死んでいく。ネムの木の紅色の向こう、薄い青紫の空に一刷け薄紅色が走り、それは、まるでこの世を知る前の、柔らかく甘いばかりの郷愁のよう。緩やかに、緩やかに、あるはずのない記憶を揺らす。
 淡色の夕暮れを、まるで影に引きずられるようにして歩いている男が一人。西日の黄金色から逃れるようにしていた彼は、行く先に彼の影をかぶってしまった男を見つけて足を止めた。

 「…久しぶりだな」

 西の端に消えた太陽を、その身に宿しているような知己には眉を小さく動かして、それから歩みを再開させた。日が暮れるまでに今夜の宿営地に戻りたい。今日の炊事の差配は既にしてあるが、昼に届いているはずの弾薬が遅れていて、今日は三成が夜襲に出るはずだった。彼は村を襲うのに鉄砲を使わないが、襲撃の最中、何処の大名に襲われるかもしれない。そうなった場合の伏兵を潜ませておくのもの仕事だ。
 通りすぎようとしたの手をそいつは、待ってくれと喚きながら素早くつかみ、隆々たるその武力を荒事の才能のないは振り払うことができない。容易く力の方向に振り回され、子供の持つ人形のように、脱臼寸前の哀れな姿勢で彼は転んだ。こけた頬をこすった小石が、容易く血色の悪い皮膚を破って血が滲む。手の主は、そのことに本人よりも動揺した。

 「だ、大丈夫か!? すまん!」
 「あァ…いつものことだ、気にすんな」

 伸びやかに成長した体を萎縮させ、上目にこちらを伺った彼は、陣営も別離も飛び越えた、いや同じ場所に立っていた頃と同じ口調に、晴れやかな形をした目を綻ばせた。まるで太陽が戻って来たような錯覚。呼吸が鉛を飲んだように重い。宵は既に訪れており、はその青紫を追いかけていた。太陽の光は目を焼き、彼の身にはその燦々とした勢いが苦痛ですらある。鮮やかさは横暴を伴う。
 の様子に気付かない家康は、彼の友に、もう一人の彼の友についての話を振る。

 「三成は、どうしている?」
 「変わらねェなァ。きれいだぜェ」
 「お前は本当に…」

 はは、と家康は眉を下げた。彼にとってのは、友人の一人であったけれど、少し変わった括りに入るにんげんでもあった。ぞっとするほど痩せて、三成を病的に慕っている。
 家康は、そんなだから、三成の先を案じて架け橋になってくれるかもしれないと思ったが、彼がもう少し、彼らの関係を見ていたら、あるいは吉継のようであったら、そんな考えなど浮かばなかったに違いない。三成とは同じものだ。同じたましいは、同じ方向にしか走れない。

 「。お前に頼みたい、お前にしか頼めないんだ。ワシと三成の絆になってほしい。きっと、きっとわかりあえるはずなんだ」

 強い意思を込めた瞳と、真摯な懇願に晒されて、はきょとんとしたあと、盛大に噴き出した。彼の弱い肺腑が悲鳴を上げるまで、は笑いの発作。なんだよこいつ、ぜんっぜん分かってないじゃねぇか、俺は三成に死んでほしくないとなんか思っていない。秀吉サマへの忠義立てもありやしないし、あのひとを敬ったことなんて一度もない。はそれでいいのだ、彼の分まで三成が忠義を尽くすから。は三成にたましいを預け切っている。三成が秀吉に仕えるならも仕える。半兵衛が言った、『君が秀吉に心酔していなくても問題は無いよ。三成君がいるからね』。
 あんな、真っ白に、まっすぐに、誰より純な心を捧げ尽くせるあの男がとてもうつくしい、初めて出会った時から彼はうつくしかった。狂信ゆえに、心に負った傷の治りが笑えるぐらい遅い。それほど透明だからこそ三成はうつくしい、そのうつくしさを、この俺が損ねたりなどするものか!
 中天近くに月が出ている。三成はあの月のようだとは思う。月が月でなくなるのなら、それはもはや月ではなく、月を愛でる者も夜を去る。
 それが彼らだ。

 「悪ぃな、家康。俺ァ、佐吉を墜としたくなんかねぇんだよ」

 秀吉が死んでからの、あの目のうつくしさときたらどうだ。全ての輝石を掌から喪って、怨嗟に硬化し、悲憤によって純化された氷長石! その、ぜつぼうの、ずっと先の道が崖に続いていると知り、躊躇いもなく身を投げて、くらいくらい虚無に沈んでいく覚悟を決めた男の、あれ以上のうつくしさが有ると、誰が思うのか?

 黄昏に飲まれて表情の伺えなくなった魔物は、絶句した太陽を振り返りもせず塒に帰る。そこには彼の、愛しい死が待っている。



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