三成が軍を起こすと宣言した、彼がしたことはたったそれだけだった。
たったそれだけで軍は集められ編成された。吉継が暗躍し、が嬉々として働いた。兵站将校としての彼の腕はなるほど大したもの、夏前の、去年の蓄えが尽き兵糧の集まりにくい季節にも関わらず、兵の腹は常に満たされていた。石田軍に入れば飢えることがないと志願者がねずみ算式に増える。迅速な遠征と襲撃を完璧に支えながら、は評価一つ与えない三成に隙あらば献身の限りを尽くし、将兵からの感謝を糞尿でも投げつけられたかのように顔を顰めて無視をした。骨と皮だけの痩躯は相変わらずだった。
「佐吉ィ、飯だぜぇ」
新たな兵糧が届き、兵どもに行き渡るよう手配して、明日の分と明後日の分とその先の分と、そして刀や鏃や大筒や、そう忘れてはいけない薬や油や日用品や、生活の細々としたものを一手に掌握。漂う炊事の煙、米のにおい、箸の触れる音に吐き気を催す。三成の居室を訪えば、濃い血臭と陰鬱とした空気が肌に圧し掛かる。あ、俺やっぱりこれがいい。
生命の気配の断ち切られた室内で、彼の神様は、そこだけ汀のような危うさで、歩き、振り向き、が二膳、持っていることを確認して腰を下ろす。は、まだしも量の多い方を三成の前に差し出した。三成の潔癖な部分が為せる丁寧さで、血はすすぎ落したはずなのに、彼の指には死と、血と、怨嗟がまとわりついている。素知らぬ指、美しい指。は憧れるような眼差しをする。瞬きの時間も惜しい。
三成は、温かに炊きあがった米も、様々な工夫で実の多く仕上がった汁物も、まるで感動などなく淡々と箸を運ぶ。向かい合わせに座ったは、咎人の課業のような食事を、北辰を臨む船乗りの目のような、満天の輝きを包んだ瞳で見つめている。
食事を楽しむ声が漣のように遠くから響いてくる、その音が憎い。は、凝視を受けながら、義務のように咀嚼と消化を行う男を見、そして彼は静かだった。椀を膳に置く音さえも。
食事を終えると、三成は無言のまま立ち上がり、文机に何処かの地図を広げる。次の犠牲地を選んでいる彼は、自分の中で決定した後に動かせない事実として目的地を伝える。そこに辿り着くまでの経路や補給は、全ての仕事だ。は三成が背を向けてやっと、手つかずの己の膳に手を伸ばす。椀の中身は貧しく、冷えている。一口、米を口に運ぶと、舌に乗った米粒の食感をろくに意識もせず飲み込んだ。口から胃に繋がる器官を滑り落ちていく息苦しさを無視し、次の塊を口内に放る。砂でも噛んでいるように味がしない、いつからか忘れたが何かを美味いと感じた記憶が思い出せないは、食後の幸福感に満ちた顔を見るとその臓腑を引き出して切り刻んでやりたい衝動に駆られる。喉を通過し、胃に溜まっていく塊は彼にとって違和感そのものであり、消化によって維持される体は寂寥だった。摂取しなくて良いのなら彼は喜んで食器を処分する。幾度も夢見たそれを許さない、食事という営みを、彼は非常な屈辱と共にこなしていく。の食事など意識の片隅にもない背中に、はいつだって救われた気分になった。綺麗に食べ尽くされた空の食器と、三成の胃腸で消化されていく米や魚を思う、とろり、とろりと表面から溶けて、やがて形すらなくしてどろどろになって、彼の臓腑を這いずる食物だったものたち。そんな、おぞましい形のものが、この体を這いまわることに、俺たちにんげんだから無縁でなんかいられないのだけれど、俺はどうしても堪え切れず掻きむしって、全て吐き出してしまいたい。にんげんという、いきものの身体構造が憎くってたまらない、どうせ喰って出すだけの管のくせして、御大層にも皮膚やら布やらかぶって、そんな汚いものなんか体のどこにもありませんよという顔しやがって。なあ俺、どうしてこんなもん喰わなきゃいけない。食べることは業だ、常に悲しく惨め。
結局ほとんどの食事を前に、それ以上箸が動かせなくなったは、三成の膳を持って立ち上がる。地図を見る三成の背筋は猫背気味。彼の体内でどろどろに溶けていく食物を思い、拒食症患者はふふっと笑った。食事にさえ生命の気配の無いひと。あなたはうつくしい。
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