ありえんだろう、というのが正直なところだ。 しかしあれよあれよという間に奥方様は言葉を重ねた。 「、其方は齢に似合わず大変賢い。また、村のために我が身を犠牲とする勇気も見事です。この松寿丸は、安芸国毛利広元が次男。いずれお家を支えるこの子の脇にぜひとも控えてもらいたい」 「いやいやいや……」 ちょ、待って待って待って。 わっちが賢いって? 勇気? 違う違う。 この頭の中身が武家の知識とは別物だから、奥方様はそれを賢さと取り違えているだけなのだ。それからわっちは勇敢なのではなくて、単にもう死んでもいいやと思っているだけ。乱世で地獄を見るよりは、さくっと逝った方が楽だろう。今なら天涯孤独、人生のどん底。これ以上辛酸を舐める前に、これ以上の死に時があろうか。武家の子息は思い切りが肝心だ。武士道とは死ぬことと見つけたり。 「奥方様、色々と勘違いはございますがまず一つ。命を救っていただいてありがとうございます、でもわっちはこの通り乞喰です」 お礼は言っておかねばなるまい。特に望んではいなかったが一応礼儀だ。度胸と愛嬌は組み合わさってこそ最強だと思うのだが如何。 わっちは綺麗な身形の松寿丸様をちらりと顧みる。松寿丸様は湖面のように静かな表情で、どことなく「それみたことか」と言っているような気もした。あ、なんか腹立つ。 「……松寿丸様の従者に浮浪者なんぞが混じっていては、松寿丸様の威厳に関ります」 「威厳など、犬に喰わせてしまいなされ」 かくん、と顎が落ちた。奥方様? 思いもよらぬ言葉を聞いたが、これはいわば実力主義の武家社会の入り口だったらしい。 奥方様こと杉の大方様は、悔しげに血で血を洗う勢力争いとその結果みなしごになった松寿丸様の身の上を語った。曰く、母が死に父が死に、家臣に所領を横領され、ついには城から追い出されてこれから野で雌伏するなどなど。お家は長兄が継いだらしいが、それすら主君の大内義興に付き従って領国を離れているのだとか。ははあ、また義興かい。将軍後見人は意気盛んなことだ。 松寿丸様を不憫に思った継母・杉の大方様が彼を引き取ったらしいが、それにしてもなんたる困窮。そんな中でわっちを買う金などもったいないにもほどがあろう。そうまでして救ってくれ、しかも今後の面倒まで看てやろうとの申し出は胡散臭いほどありがたい。しかしいかんせん胡散臭い。更にこれ以上苦労する気のないわっちに妙な期待をかけられても、齢十にして後追い自殺志願なわっちには困惑するしか道はない。 「今更体面など取り繕ってもどうにもなりませぬ。わたくしたちには、実力のある者こそ必要なのです」 「や、ですからそれは勘違いだと」 「やかましいぞ、お前」 振り向くと、凍えるような凶眼で松寿丸様がわっちを睨んでいた。怖ぇ。絶対子供のする目じゃない。 「つべこべ言うのならば、杉の大方様が払った金子を返せ」 「そんな無茶な」 「ならば文句を並べるな。百姓娘でもわかる理屈だ、買われた分の働きをしろ」 「これ、松寿!」 成程そうきたか。なるほど、それなら購われたわっちに決定権はないわなあ。 身を縛っていた縄は切られたが、わっちには代価という縄が新たにかけられたのだ。その縄の先は松寿丸様が握り、更に杉の大方様が握っている。 先方が良いと言っているから遠慮はいるまい。続く未来は中々過酷そうだが。 やれやれ。 「松寿丸様、杉の大方様」 杉の大方様にお叱りを受けている松寿丸様の足下に跪いた。武家の作法なぞ知らんけど、微かな記憶を掘り起こすように自分でも怪しげな作法で頭を下げる。 流石由緒ある若様らしく、松寿丸様は傅かれることに慣れた空気でわっちの覚束ない臣下の礼を受けた。 「下賤の身なれど、この、命の大恩に報うべく松寿丸様にお仕えします」 完全に死ぬ気でいた今はほとんど実感がわかないが、いつか生きてて良かったと夕日に向かって疾走する日が来るかもしれない。 それまでは、買ってくれた杉の大方様のために値段分の働きはしようではないか。できるかどうかはわからんが。 わっちはその時、松寿丸様の目の奥に微かに走った機微に気付かずにいた。 フィクサー |
十歳の思考じゃないことには目を瞑ってくださいorz 091213 J |
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