惣村の入り口には桜の古木が枝垂れている。 年中泥やら垢やらで汚れた村であるのに、そこばかりは大内氏の都もかくやといわんばかりに絢爛豪華で、わっちはいつも片腹痛い思いがする。 中国の大大名大内義興、その都にもこれほどの桜はあるまいと、悪童どもが胸を張るたびその貧相な胸板と話題の落差がおかしくってしかたない。笑いを噛み殺そうとして失敗し、母者に叩かれたこともある。しかも目端ばかり利く悪童どもに見とがめられた。貧相な乞喰母子と侮られたか、いくつもの泥臭い足がわっちら母子の腹を蹴り上げた。 しかしまあ、それも今はどうでもいい。 不相応極まるものとはいえ、咲き誇った見事な花房に最期を見送られるなど、まるで源平の義経のようではないか。 (不相応はわっちも同じか) 乞喰と一緒にされては、判官殿も敵うまい。 一応、わっちの血は元を辿れば藤原某に辿りつくらしいから、匿った縁で何とか目をつぶってはくれまいか。くれんかな。まあものの見事に他人であろうし、第一母者の寝物語だから話半分、およそ眉唾とみて違いはあるまい。うーん、ならばここは消えゆく武門の子ということで。とはいえ、わっちは刀を持ったことなどないが。 死出の桜ならば静御前の舞の一つも拝みたやなあ、とわっちは薄紅の花衣を見上げていたが、それはどうやら隣の男衆の癪に障ったらしい。 早う歩け、と小突かれて、わっちはととっと足踏みをした。何だ、この世の名残くらい惜しませてくれても構わんだろうに、随分気の短い男なものだ。こちとら十の身空で村の贄になろうというのだぞ! 膨れたわっちをずんずん小突き、男衆はわっちを歩かせ始めた。痛い痛い、そんなにせんでも歩くわい。縄なぞなくても歩くわい。わっちが逃げるとでも思うのだろうか。解死人だからと申し訳程度に整えられた身なりの上に、きつく縄までかけよって。 「もし、其方、何をしております」 その声がかけられたのは、わっちが何度目かの転倒をしようかという時だった。 土臭さの欠片もない、上層階級の喋り方。多くの家司に囲まれて育った姫というのは、そこらの農家の娘とは声の色さえ違うのだ。 一瞬固まった男衆は、バッタのようにぴょんっと道脇に跪いた。わっちは男衆の持つ縄に引っ張られて仰向けに倒れ、貴人に尻を向けてしまう。何ということをしてくれる、今わっちが無礼討ちにされたらまた解死人を選ばにゃならんぞ。 しかし貴人はわっちの無礼など咎めず、眉をそびやかすような声音で男衆に再度何をしているのかと問いかけた。 「へ、へぇっ! わ、わしはただ今、隣の村へ解死人を連れていく最中でして!」 「げしにん…? げしにんとは何です?」 「村の代表者の一種でございますよ」 竦み上がった男衆が何か言う前に、わっちは当たり障りのない言葉で応えた。ちらりと首を動かし、貴人様をこの目に収める。少し年増であるものの、美しいお姫様だ。どこぞの武家の奥方かな。品のいい子供と、数人の侍を連れている。 奥方様は柔らかい目尻をわっちに向けた。賢そうな黒々とした瞳に見つめられる。おお不相応、不相応。 「それならば、何故其方は縛られておるのです」 「逃げると困りますからねえ」 「何故逃げるのです」 「わっちは十の子供でございます故。遊びたい盛りでございます」 犬の仔のように跳ねまわって、イタチのように悪戯するのです。わっちはそう応えたが、奥方様は納得しておられない様子だった。 しかし、解死人の意味など、お姫様にお聞かせして良い類のものではないのだから仕方ない。武家の女ならば血は知れど、地下人の因習など知る必要もなかろうさ。何せ世界が違うのだから。 けれども、奥方様は諦めないようだった。これでは一行の道行にも支障が出ように、根が生えたように動かない。 彼女はしゃがみこんでわっちに視線を合わせると、「本当のことをお言い」と腰を据えた。あーあ。 「村のことなど、貴い方々には関係ございませんよ。奥方様、若様の耳が汚れます」 こら動けお付きの侍。主に妙なことを吹きこむ気か。 わっちの言外の訴えにも彼らは気付かず、というか奥方様から発散される「わたくしは絶対にここを動きませんからね」的圧力に逆らえず、まごつくばかりで埒が明かない。わっちは溜息をついた。あまりの無礼に男衆が口やら手やらを出そうとするが、なんとこちらは若様によって止められた。わっちを押さえつけようと伸びた手を容赦なく踏みつける若様。草鞋が汚れます若様。 「聞いてどうするというのです」 「聞いてから考えます」 「恐れながら、聞く前に考えるのが賢婦かと」 「耳臆病が過ぎれば目が見えても盲います。賢者たらんとすれば、真実に耳を塞ぐは道理ではない」 そこまでして知りたいか。ろくな話でないことくらいわかろうに。 観念して、わっちはようやく口を割った。こうなれば、耳当たりの良い修飾など使うまい。 「……身代わりでございますよ。先日この村の某が隣村と諍いを起こし、相手を殺したので、村同士の紛争が勃発寸前なのです」 隣村は当然犯人の身柄を要求してきたが、こちらの村としても有力者であり戦時には村の戦力の一角となる彼を渡すわけにはいかない。 なので、わっちのような非農民が解死人として隣村に引き渡され、それで犠牲者数はあいこになるから紛争解決。解死人とは早い話が人身御供だ。 珍しい話ではない。どこの村も、こんな時の解決策として、わっちのような浮浪者を扶養している。 「……其方はまだ子供であろう」 「最初は母だったんですがねぇ。直前に病を得て逝ったので、わっちが代わりに」 この村にはわっちら母子の他に乞喰はいない。父もとうに死に、天涯孤独となったわっち以上に、解死人に相応しい者がおろうか。 わっちは気楽に言ったのだが、奥方様にはそうではなかったらしい。ほら、やめといた方がいいとあれほど言ったのに。 唇をわななかせた奥方様は、侍のひとりを呼び寄せると、平伏した男衆と「オトナのハナシ」を始めた。あーあ。 首の後ろで腕を組んだわっちに、奥方様を見ていた若様が鋭い視線を寄こす。綺麗な顔だなあ。奥方様にはあまり似ていない。 「お前、何故そのような顔をしているのだ」 「生まれつきなので仕方のうございます」 「そういう意味ではない」 若様は苦々しげに眉を寄せた。 見たところわっちと同じくらいの齢だろうに、こんな顔ができるとは苦労を重ねているようだ。何しろ若様ときたら、村の悪童たちとは比べ物にならないくらい自然に大人みたいな嫌な顔をするのだ。やれ、早熟だ。 「杉の大方様は、お前を引き取るつもりであろう」 「はあ、やっぱり」 あれ、母御じゃございませんでしたか。女親の血が濃いであろう繊細な顔立ちをしておられるから、もしかしたらとは思っていたが。 まあこの乱世だ、生母と養母が違うなどという話は腐るほどにあろうし。そういえば母者はわっちの実の母御だった、そういう意味ではわっちは運が良いのかも。 若様はぎゅっと眉をしかめた。 「お前、わかっていてそのような態度か」 「そうは言われましてもねえ」 奥方様は子供のわっちを救おうとして下さっているのだろう。あるいは、この若様と同じ年頃であるから、同情してくださったのかもしれない。さしずめ、金を払うからわっちを解放してやってくれといったところか。 けれども、わっちを買えば買ったで問題は残る。 「わっちを買っても、誰かが代わりに解死人になる。奥方様はわっちの命を買って下さるが、そこから先は自力で生きていかねばなるまい。この戦世で子供が一人生きるのと、ここで母者のあとを追うのと、どちらが地獄という話です」 乞喰の子供ひとり、貴い方なら安い買い物かもしれないが、無駄な出費としか言えまいて。 言ったわっちを、若様はぎろりと睨んだ。 「耳が無いのか。我は、杉の大方様はお前を引き取るつもりだろうと言ったぞ」 「はは、そんなまさか」 子供ひとりと侮るな。一時の出費ならば兎も角も、育てるとなれば食わせにゃならん。若様はそこんところがわかっておるまい。所詮若様だ。 どちらにしても早晩死のうなあと、わっちは聞いている侍たちが青褪めるほど無礼な口を利いていた。 早々と自分の最期を思い描くわっちを、若様は見透かすように見ていたが、やがて少し躊躇うように口を開いた、お、 「」 若様の最初の一音を奥方様が上書きした。突然呼ばれた名前に、わっちはぴんっとそちらを向く。ああ、どうやら話はまとまったらしい。相当ぼったのかほくほく顔の男衆を背後に、奥方様がわっちの目前に歩み寄った。侍が脇差しで縄を切る。さあこれでおさらばだ。正しく一期一会だ。 「其方はもう自由です。わたくしは、其方に松寿丸の小姓となってもらいたいのだが、いかがであろう」 「へっ?」 その如月の望月の頃 |
年齢その他捏造お許しくださいorz 元就様のドマイナー時代を書く茨道 091213 J |
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