深度07 : thermocline は天体について話し出すと止まらない。夕飯の席で流星群と彗星の違いを問いかけたら、そのまま朝日を拝むことになった。しゃべり散らしたは二限のある元親が徹夜の覚悟を決める横で、平和に毛布にくるまった。始終観測しているせいか、彼は夜更かしに慣れている。一晩をかけなければほとんど変化のない星空相手によく眠気を感じないものだ、と元親は感心している。 季節を一つ越えて、の部屋は大分片付いているようになった。その代わりものが増えている。バイク雑誌。ヨット雑誌。工学関係の本。洗面所には歯ブラシが二本ある。水切り棚には箸が二種類。マグ。言うまでもなく元親の私物だ。着替えが置いてないだけで、まるで同棲中のようだと時折思う。の世話を焼くうちに、なし崩しで元親の私物が増えていった。も、浸透していく元親の気配に何も言わない。ただしさすがに夜は帰っている。何しろ夜になるとは観測を始める。なので電気をほとんど使えない。徒歩一分だからほとんど不自由はない。 男同士、元親はにバイク雑誌やら音楽雑誌、グラビア雑誌やらを読ませてみたことがある。元親は、世話の掛かるこの男を友人の一人として数えている。テンポも、興味も違う二人だが、今のところ会話は何故か普通に続いている。の口数が少ないことも要因だろう。会話自体が少なければ苛立つこともない。しかしどうせなら共通の話題が欲しいと考えた元親は、手っ取り早く世の男性が親しみやすい話題を振った。の社会復帰も兼ねている。何せの部屋にはテレビがない。ドラマの話もできない。となれば対人コミュニケーションの端緒は卑近な話題を覚えることだ。天文話などマニア以外ついていけない。 「………」 「あっ、、てめえよだれ垂らすな!」 少し目を離した隙にはこっくりこっくり船をこぎ始めた。 「全く。…で、お前どれが好きよ」 「シューメーカー・レヴィ第九彗星。おれロッシュの限界の話が好きなんだ」 「………」 バイクもEカップも星に勝てなかった。印象自体残っていないらしい。嫌がるに、半ば無理矢理グラビアアイドルの好みを選ばせた。は物凄く適当な仕草で、クラゲを模したものを絡ませた女を示した。恐らく、顔も体もろくに見ていない。 「お前、触手好きなのか…」 「別に…。元親はどれが好きなんだよ」 「俺は断然こっちの子さ」 話を続けてはいるものの、のそれは最近覚えた「付き合い」だろう。しかし元親は話を引っ張った。機嫌良くページを繰りかけた指をふと止める。 「そういや、お前どんな女が好み?」 「?」 「惚けんなよ。あるだろ、胸がでかい方がいいとか、尻とか、優しいとか」 「別に…」 こちらも、まるでどうでもいいような言い方だった。ありえねぇ、と元親は騒ぐ。 「んなわけないだろ、ホモってわけじゃあるまいし。俺知ってんだぜ、夏にお前が女とヤってんの」 見たから、と言う寸前で言葉を切った。しまったと思う。まるで覗いていたような言い方だ。そして思い出した。今まで忘れていたのに。それを見た夜、元親はの情事を覗き見た、その興奮で抜いたのだ。青褪めていく元親に、は人間味の薄い表情のまま、首を傾げた。ちらり。グラビア雑誌を垣間見る。 「そういえば最近してないな」 覗き見られたことに、何も思わないらしい。羞恥も。怒りも。優越も。胡坐を組んでいたは、冷や汗を流す元親の手からグラビア雑誌を取る。適当にパラパラめくってみる。うん。何か、納得したようにそれを放りだすと、は元親を覗きこんだ。じっ。生気に乏しい目が元親の独眼を見つめる。黒い。の瞳は黒い。まるで瞳孔の中に、あの星空が映しとられているように。居たたまれない元親から目を離さずに、は滲むように笑う。言った。 「うん。きっと、元親がいてくれてるから、おれは寂しくないんだと思う」 サーモックライン:水温躍進層。温度の違う水の境目。水中の蜃気楼。 |
深度06 深度08 |