「、あんたって子は、もう、もう、ほんとにもう」 チョコレートの饗宴から一夜明け、糖分の過剰摂取でおでこにコンニチハしたニキビを気にしながら教室に入ると、最初からクライマックスの伊織が突撃してきた。ぐええ、絞まる絞まる。朝からテンションの高い伊織は、波止場で恋人と再会した娘のようにわたしを抱きしめ、大好きよ大好きよと繰り返す。なんだ伊織、あんたやっぱり新しい世界の扉を開けたのか。唖然と停止したクラスメイトたちの視線を一身に集めながら、わたしはとりあえず彼女の体を引き離して目尻に滲んだ涙を拭う。 「かわいい顔が台無しだよ、マイフェアレディ」 「…!」 すげーとか宝塚とか諸々の感想があっちこっちで呟かれて、どういうわけか廊下に後輩が鈴なりになっていたけれど、とりあえず優先すべきは彼らではなくて我が無二の親友伊織である。 ほらこれで涙をお拭きとハンカチを手渡せば、花粉症のせいで鼻かみたいからティッシュは無いかと至極冷静に返された。さてはその涙も花粉症かちくしょう。感動を返せ! バレンタイン用の買い物をしたとき駅で貰って、鞄にいれっぱなしになっていたポケットティッシュを手渡すと、ぐしぐし鼻をかんでから伊織はがっしとわたしの手を取った。 「ごめん、あんたに羞恥心は無いものと思ってた」 「何その謝罪。ぐれるぞこの野郎」 「ぐれたって友情は変わらないわ、大好きよ」 「喜んで良いのかどうか微妙な言い回しだけど、素敵な告白ありがとう」 にここここーとわたしたちは鏡合わせに微笑みあった。教室のひそひそ声はノンストップ、視線はまるでスポットライトのように注がれる。 伊織が伝えたかったことはそれだけのようで、あっさり手を離した彼女と別れて席に鞄を置きに行く。よっこいしょーと通学鞄を机に乗せてふと見ると、夏目とばっちり目があった。彼の周りには、いつものように北本と西村がいる。 「おはよう、夏目、北本、西村」 「お、おはよう」 「おっす」 「はよー、さん」 彼らは何か言いたげで、お前言えよいやお前がと無言の押し付け合いが勃発しているのがわかる。ああ聞きたいことわかるわーと思いながら見ていると、意外にも夏目が口火を切った。えらく真剣な表情だ。はは、さては伊織とのやりとり、ドン引きつつ見てたなお前。 「あの…斎田さんとは、友達なんだよな?」 (ばっか夏目、よりにもよってそんな聞き方あるか!) (いや西村、あんまりうがった見方するとどんな答えが返ってくるかわからんぞ!) ひそひそ声で両側からつつかれて、夏目は盛大に困惑している。言い方間違えたか、と顔に大書きしてあるが、間違ったことは聞いてないよなとわたしは思う。その証拠に、クラスの耳目が集まっているのがわかった。伊織に直接聞きに行っている女子もいるが、わたしに近い位置にいる連中は夏目に全てを託したらしい。 「友達よう。喜ばしいことに」 「そう…か」 あのやりとりで、と夏目はまだまだ不満そうだ。周りも収まっちゃいない。もっとつつけ夏目、と聞こえない声が叫んでいる。 「夏目、あんたも大事な友達よ」 「!」 夏目はぽんっと嬉しそうな色に顔を染め、ぎこちなくも柔らかく目許を緩ませる。ああこいつきれいに笑うなあ。見ている方が嬉しくなる笑い方だ。なんていうか、なつかない野良猫がやっとちょっと寄ってきてくれたような。 「おれも、のこと、大事な友人だと思っているよ」 「嬉しいなあ! じゃあこれからは、伊織みたいに宝塚しましょうか」 「え!? ちょ、ちょっとそれは」 「ふふふ、逃げなくていいのよ」 ひぃっと叫んだ夏目の両側から北本と西村が退避した。夏目くん逃げてぇーとかやっちまえーとか外野の声が賑やかだけど、ぷるぷる震える夏目を見てたらヅカ調笑顔も保てなかった。ぷっと吹き出して、たちまち爆笑に変わってしまう。ああやばいツボに入った! 今度はわたしがぷるぷる震えて机を叩き始めたのと対照に、震えを収めた夏目が疲れ切ったように脱力する。救護班北本が大丈夫か夏目と声を掛けている。西村は、こえーこえーさんまじこえーとやかましい。それでも夏目とわたしの間に割り込んだのは、ああ美しき哉友情といっところだろうか。 散々笑ったわたしが顔を上げると、まだ少し警戒したままの友人に庇護されたプリンセス夏目が、「おれ、斎田さんを尊敬する」と複雑な顔でコメントした。 「羨ましい友情でしょう」 「ごめん、なんて言ったらいいか本気で分からない」 「失礼ね夏目くん、美しい友情に向かって」 いつの間にか背後に立っていた伊織が、にこにことわたしの援護に回る。そのままひょいっとわたしの方を向き、「、英語の訳写させて!」なんだ予習せびりに来たのかお前。代わりに古文の訳寄こせ、わたし今日当たるんだ。 伊織は予想していたのか、持参した古文のノートを渡してくれて、わたしの英語のノートと交換する。そのまま予鈴が鳴ったので、伊織は席に戻っていった。 わたしは伊織のノートをペラペラめくる。伊織は字がきれいだしカラーペンを効率的に使うので実に素晴らしいノートを作る。テスト前は高値で取引されるノートの一番新しいページを開くと、小さなカードが挟まっていた。 『ありがとう、あたしの一番大切な、恥ずかしがり屋の友人』 一文だけ、丁寧に書かれたカードに微笑みが零れる。良かった、伊織はわたしを大事な友達と言ってくれた。わたしの気持ちを受け取ってくれた。 シリアス展開に弱いわたしは、伊織に渡したクッキーの紙袋の中に手紙を忍ばせておいたのだ。わたしの一番大事な友人へ、と宛名に書いて。 だって、友達を不安な気持ちにさせたくなんかないから。 伊織の方を向くと、彼女はわたしがカードを見つけるのを窺っていたようで、にっと笑いながら親指を立てた。こちらも同じように返してやる。 カードを手帳に挟んでふと顔をあげると、偶然夏目と目が合った。夏目は、わたしと伊織の以心伝心を理解したわけではないだろうが、まるで慈しむような優しい目を向けてきたので、わたしはなんだかむずむずした。頭を掻きむしりたい。指きりげんまんを見られたような恥ずかしさを感じたのだ。 先生が教室の扉を開ける音を聞きながら、わたしは夏目に、大きなピースをしてやった。 シクラメン |
雪柳<< 早春賦 >>柳 |
110207 J |