青少年のわくわくそわそわした緊張感が、時間まで急かしたように日は過ぎた。
 校舎のそこかしこで忍び笑いと期待の目が咲き、あちこちでラッピングされた気持ちが贈り贈られ広がっていく。夏目が席に掛けると、待ち構えていたようにクラスの女子が近寄ってきた。

 「夏目くん夏目くん、チョコあげるー」
 「あ、私からもこれ」

 甘い匂いのする指先が、夏目の手に一口サイズのチョコをばらばら落とし、セロファンや包装紙で包まれたそれらの可愛らしさに夏目は目を瞬いた。ちくしょー夏目ばっかり! と西村が騒ぎ、女子が人徳の差よバカ村、と言い返す。そういう西村も落ちついた黄色のリボンが掛けられた箱を持っていて、なんだかんだ貰っているらしい。夏目にチョコをくれた何人かも、西村をからかいつつも彼にチョコを渡していた。女子たちはきゃあきゃあさざめきながら次のチョコを渡すために去っていく。女の子は元気だ。

 「夏目、大漁だな。……何呆けてるんだ」

 朝から少し疲れた感じの北本が顔を出し、呆然と動かない夏目を覗きこんだ。早速貰ったばかりの包みを開いた西村が、これ結構うまいぞと嬉しがる。

 「いや……なんていうか、すごく驚いた」
 「何言ってんだ、さんからオファー貰ってるくせに」
 「そういやは? もう貰ったのか?」
 「まだだけど」

 そう言った時教室の戸が開き、噂のが入ってきた。思わず心臓が跳ねた夏目の視線を髪の先に絡めながらは伊織の席に向かう。今日は、いつもの通学鞄ともう一つ手提げ袋を提げている。どこかの店名が印字されたそれに手を入れて、は小さな茶色の袋を引き出した。伊織がきゃあっと甲高い歓声を上げてに抱きつく。は宝塚の男役のごとくその抱擁を受けとめた。かっこいい。
 交換のように伊織から箱を受け取ったは、奉るような大仰な仕草をしたあと今度は逆に伊織に抱きついた。彼女らはそう身長差があるわけでもないのに、が抱きつく姿は大型犬がじゃれているのを思わせる。思わず吹き出した夏目の横で、北本が「女子の付き合いはわからん…」と呆気にとられた感想を述べた。西村は「さんは女子にモテそうだよな」と言い、そしてそれは事実である。は席に辿り着くまでで7個のチョコを獲得した。

 「やあやあ本日の獲物たち、狩られる首尾はいかが?」
 「物騒なこと言うなオイ」
 「だってほんとのことじゃん。女性誌の特集ページとかすごいよ、めっちゃ可愛くて鬼気迫る」
 「見たくねえ……!」

 が近付くにつれて緊張していく夏目に代わり、北本と西村が挨拶を返す。はあの手提げ袋を提げている。爽やかに笑った彼女は、夏目の手中のチョコを見て、「モテるねえ。セカンドバック持ってきた?」と何でもないように問いかけた。思わず言葉に詰まった夏目に、事前の想像力の欠如を悟ったのか、は「あとで購買にでも行っといで」とアドバイスする。きっと購買部のおばちゃんの温かい笑顔に迎えられるだろうから、と言われてはなんとなく行く気もなくすのだけど。

 「さて夏目。ハイ、これわたしから。友情を込めて」
 「あ…」

 ひょい、と渡されたのは色気も素っ気もない茶色の紙袋で、辛うじて可愛らしさを見出せるかもしれないリボンの色は落ちついた深緑色だった。北本はお前もうちょっとなんかないのかと思ったし、西村は期待しすぎて拍子抜けしている。かくいう夏目も、あまりにあっけない渡され方に面食らってしまったのだが、それよりも『友情を込めて』という言葉が彼の思考を止めていた。
 友情を込めて。彼の友人たちがやきもきしているのを尻目に、との友人関係に不安を覚えていた夏目にはやっと息をつけたような心地がした。我ながら、単純だとは思ったが。

 「あと北本と西村にも」
 「え…すまん、ありがとう」
 「マジで! さん、ありがとう!」

 はひょひょい、とリボンの色まで同じものを北本と西村にも贈り、彼らからそれぞれ驚愕と感謝を貰っている。ホワイトデー期待してる、なんて常套句を魔女の微笑と共に吐いたので、友人二人はすぐに引き攣り顔に変わったが。
 チャイムが鳴る前に多軌と田沼に渡しに行くから、と離れようとするを、夏目は慌てて引きとめる。

 「! ……ありがとう。大事に食うよ」
 「どういたしまして、色男」

 ぱちーんとわざとらしいウインクを残して、は教室を出ていった。ちなみにその道すがら更に2個のチョコを獲得である。
 スカートの端が廊下に出ていくのを見送った夏目の背中に、西村がどかんと絡みついた。

 「良かったなあ、夏目! 見ろよこれ、手作りっぽいぞ!」
 「クッキーだな。結構いけるぞ」
 「ああ、はクッキー作るの上手いから」
 「いつの間に知ったんだそんなこと!」

 西村はひとしきり騒いで、でもおれたちまで貰うのはなんか悪いなあと呟いた。すまなそうな彼の表情を、夏目は完全に読み違える。

 「いいんじゃないのか? 友情を込めて、って言ってたし」
 「………おれはそこでもの凄く嬉しそうな顔をするお前を尊敬するよ………」
 「?」

 わかっていない夏目は、北本に励まされる西村を横目に包みを開ける。ふわり、と香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
 取り出したチョコチップクッキーをひと口齧り、ほのかな甘さに頬を弛める。ここ最近の不安の種だったの笑顔を思い浮かべると、それは、とても柔らかくて、温かなもののように思えた。





 夕暮れ、帰宅した夏目を迎えに出た塔子は、何やらやけに疲れた養い子に出会う。力無く、それでも普段のように笑ってただいまを言う夏目はビニール袋を2つも提げていて、そのそれぞれから可愛らしいラッピングが覗いている。今日が何の日かを思い浮かべればそれらの正体は言うまでもない。塔子だって、棚に夏目用と滋用のチョコを準備してある。

 「あらあら貴志くん、まあ、まあ、まあ!」

 夏目の収穫が、塔子は我がことのように嬉しくて、お茶淹れましょうか? という言葉が端から歓声に変わってしまう。やっぱり皆、貴志くんの優しさがわかっているのね。
 塔子も夏目も知らないことだが、普段近寄りがたい相手にも、バレンタインと義理チョコというコンボ攻撃を仕掛ければ話しかけるきっかけができる! との計算高い計画が学校のそこら中で渦巻いていた。というわけで、帰り際会った田沼も目を白黒させる羽目になっていた。ちなみには計画云々をすっ飛ばして、持参のどでかい袋にいっぱいのチョコを貰い呵々大笑である。先輩後輩同級生関係なくチョコを集めるその姿に、夏目も北本も西村も田沼も他の男子も唖然とした。女子の世界ってわからねえ。
 こうしてバレンタインは、つつがなく暮れていった。





 





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