バイト帰りにコンビニに寄って、適当な女性誌を一冊買った。この時期はどれもバレンタイン特集をしているから選り取り見取り、しかし問題は部屋で雑誌をめくってからだった。 「だ、だめだ…! どうして世の女性はこれに耐えられるんだ…!」 紙面に躍る、彼・本命・ラブ注入などなどの文字の数々。ピンク全開の女の子ワールドに、思わず雑誌を放り投げてしまった。白状するほどのことでもないが、ピンクもハートもわたしは苦手だ。こっ恥ずかしくて顔から火が出る。似合わないことも承知している。要は女の子なんて柄じゃないのだ。女だけど。 誤魔化すように伊織にメールを送ったら、現在試作中! と写真付きメールが送られてくる。彼女はフォンダンショコラを作るらしい。『の分もばっちり!』という書面にうっは役得、と浮かれる心を抑えきれない。そういえば伊織は誰にチョコを贈るんだろう。まああの子のことだからそつなく作るのだろうけど。 試食をねだるメールを送ってのち、自分の作るものを考えた。雑誌なんかもう見ない。簡単トリュフとか紹介されてたけど絶対嘘だ。 「あ、クッキーでも良かったんだよなあ」 チョコチップとか練り込めば立派なバレンタイン用武器になる。わたしは床でへたっている雑誌を恨めしげに見遣った。そんなチョコチョコしなくてもいいんじゃん。なんでわざわざチョコのレシピを探したわたし。思いこみか。刷り込みか。製菓会社の陰謀は随分強固な先入観に昇華されてしまったようだ。くそう。 わたしはチョコクッキーを贈る相手を数え始める。伊織とー、多軌とー、つらつら友達の名前を連ねていって、最後に残ったのは一人。夏目。 ばた、とわたしは寝返りを打った。メール着信を知らせるランプが光ったような気もしたけど手は伸びない。かわりに布団を抱きよせた。 (あそこまで驚いた顔、しなくてもいいじゃーん) チョコいるか、と聞いたとき、夏目の顔はそりゃあ見物だった。今聞いたことが信じられないとでもいうような、未知の言語で話しかけられたような。なんつー失礼な奴だろう、西村なんぞ2月に入る前からチョコチョコ騒ぎ出したのに。あ、そうだ夏目にあげるなら西村と北本にもあげよう。あいつらいつも一緒にいるし、西村ちょっとかわいそうだし。 あと田沼もあげようか、と最初渋っていたわりにどんどん指が折れていく。チョコクッキーどれくらい作ったらいいかなあと考え始めて、ふとその思考を止めた。 わたしは、チョコを贈りたいわけではない。 生まれてこの方、それなりに気になる相手はいたことあるが、好きだと思った相手は一人もいない。伊織なんかは中学生で初恋をしたと言ってるし、周りの女子もきゃあきゃあ好きな相手のことを話題にしては途切れが無い。はマイペースねえ、まああんたらしいしいいんじゃないと伊織は言った。でもわたしは、好きな相手って、途切れなく見つかるもんじゃないと思う。まあ人によってさまざまだろうし、これはわたしの場合だろうが。 いつか恋をするかもしれない、でも今は特に贈りたい相手はいない。探すつもりもありゃしない。誰かを好きになるなら、多分、それは自分じゃコントロールできない気持ちだろうとわたしは思う。 それで、今の問題は。 (どうして、あの時夏目に問いかけた?) チョコ好き? あれは自分でもびっくりだった。繰り返すが、わたしはチョコを贈るために夏目に聞いたわけではない。わたしはそんなに落魄れちゃいない。贈らないという選択肢に肩身を狭めるような考え方はしていないのだ。 夏目のことは好きだけど、これは、友人として好きなんだと思う。だって夏目にどきどきしないし。小奇麗な顔をしているせいか、時々性別さえも忘れてしまう。 多分あれは、伊織の言葉が効いていたのだ。 『あんたといると、時々、すごく不安になるのよ。』 あれは効いた。今でもわたしを捕えて離さない。我ながらさっぱりした性格だと認めているが、ざっくり刺さることもある。まあ多分、わたしの心臓はガラス製ではないだろうけど。 ともかく伊織の言葉が今もあの時もわたしの耳に生々しく残っていて、だからあんな言葉が飛び出したのだろうと考える。夏目も不安に思ってるのかなって。わたしは夏目も伊織も大事な友達だと思っているし、そのように扱っているつもりだけど、その気持ちが届かないのはやっぱり悲しい。気持ちが届くならちゃんと伝えたいから、義理チョコだって渡そうという気にもなったのだ。 「……あー……」 どうして、気持ちはまっすぐ届かないんだろう。わたしはツンデレでもないし、特殊すぎる嗜好というわけでもない。頑固でもないし、内気でもない。シリアスは苦手だけど、笑顔は絶やしていないつもりなのに。 (もどかしい) どうしたら傷つけずに済むんだろうか。シリアス、ガチンコ、夕陽の河原で殴り合いなんて、勘弁してほしいんだけど。わたしは熱血キャラではないのだ。 人間生きることは悩むことって本当だなあと思いながら布団にもぐりこむ。伊織のメールには適当にもう寝る旨を記しておいた。伊織がメールに執着するタイプでなくて良かった。 そういえば夏目も、悩みが多そうだよなあという思考の欠片がひらりと舞ったが、それはすぐに、眠りの海に溶けていった。 辛夷 |
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110207 J |