砦の最深部まで攻め込まれ、ついに街道を奪われた幸村だが、不思議と悔しさは感じなかった。
 政宗が出てこないことは訝しい。
 しかし、全ての部下を失いながらも、街道占拠を成し遂げた小十郎の気迫と用兵に、幸村はむしろ感服していた。
 小十郎は、兵の心理と幸村の兵の掌握の甘さを巧みに突き、幾段もの構えを崩したのだ。
 このような智勇兼備の将と相まみえた喜びに体が熱く燃える。政宗と相対するのとは、また異なる興奮だ。

 (だが、だからこそ容赦はせぬ!)
 「真田隊金堀衆! 橋を架けよ!」
 「御意!」

 命令を受け、父から引き継いだ攻城部隊がその働きを示す。
 受けて立つ小十郎はたった一人だ。
 彼は押し寄せる新手を防ぐことができるだろうか。

 「橋が架かったぞー!」

 高らかに上がる鬨の声の中、幸村は自らも出陣すべく床几を立った。











 1 / 2 のクラウン! Ottantadue : vassal before dawn W









 街道は、まさに屍山血河の様相である。
 幾度も押し寄せる真田兵をついに凌ぎ切り、小十郎は戦鬼の形相で荒く息をついた。
 頬を伝うものが汗か血かは判別がつかぬ。霞みかけた目を気力でまっすぐに据えると、砦の奥から、燃え滾る若い声が轟いてきた。
 やっと真打登場か。小十郎は引き攣るように口角を上げる。体中の痛みでともすれば意識は遠のきかけるが、忠義と本能が混然となった闘志がその度に彼を現に繋ぎとめた。最早小十郎は限界を超えている。

 「うおおお! この戦、最早ひとつの勝負を残すのみ。最後に立ちあがるのは、貴殿か、この真田源次郎幸村か、どちらか一人!」
 「真田幸村…政宗様が認める男だが…今回はテメェの熱血に付き合う気はねえ」

 幸村相手に小細工が通用するとは思われないが、まともに渡り合えるだけの力は小十郎には残されていない。
 例え死んでも立ちあがるつもりではあっても、最後まで戦うのはどうにかして避けなければならない。弱り切った自分が、この男に勝てる見込みは万に一つもないのだ。

 「テメエには命を賭けて守りたいものがあるか。俺にはある…だからここは通さねえ」

 小十郎は覚悟を決めた。
 幸村に勝つことは困難を極める。
 ならば、可能な限り足止めをするまで。

 幸村は、物見を出していたことからも、近くに政宗がいるのではないかと疑っていた。
 ならば、小十郎たちを殲滅したのち、周辺の捜索を行うに違いない。
 いくら宗時が馬術に長けているとはいえ、重症の怪我人を背負っての道行である。おのずと速度は下がり、行ける距離も縮まるだろう。
 彼らが遠くに逃げられるかは、小十郎がどれだけの時間幸村を足止めできるかにかかっている。

 (オレは死なねぇ。勝てずとも、時間を稼いで、そして逃げ延びる)

 小十郎から発される異様な気迫を、幸村は真摯な目で真正面から受け止めた。

 「何か事情がおありのようだな……その気持ち、しかと受け止めた! 貴殿の全力、見せてくだされ」

 幸村の理解と小十郎の意図は微妙に食い違っているのだが、奇妙な相似を見出して、小十郎は楽しげに若虎を挑発する。

 「妙な奴だ、真田幸村……いいだろう、さあ、かかってきなァ!」





 ところ変わって、常陸の空の下では、人馬のざわめきが雪解け水の流れる沢の近くを移動していた。
 常陸は、旧北条領だ。北条軍の壊滅により、支配構造が崩壊したこの地域には伊達家から監督官が派遣されているはずだったが、いかんせん人手が足りず、目も行き届いてはいなかった。
 それを熟知しているのだろう、一行は天道の下、整備された道を通って隠れもしない。
 幾人かの地元民らしきものたちが、時折彼らの道行を目にはしたが、まだまだ伊達家に懐かず北条家を懐かしむ彼らにとって、一行が竹に雀の旗どころか、いかなる軍旗も掲げていないことは問題ではなかった。
 むしろ、行列の中ほどに彼らの旧主の姿を見つけて額づくものさえいる。彼らにとって伊達家は侵略してきた他所者であり、北条家こそが正当な支配者なのだろう。
 行列の先頭を行く松永は、それを皮肉な思いで見た。
 当の氏政は、最上の方が押し込められた荷車の隣にぴたりとついている。
 大方逃げる相談だろう、と推測できたが放っておいた。どの道最上の方たちは、旧北条領を過ぎれば用済みだ。逃げだそうが、殺そうが、大した違いはない。

 伊達家も最上家も、その支配域は松永が根を張る畿内から随分と遠い。
 松永が彼らの勢力圏から抜ければ、追う術は無いのだ。

 (そうだな。興味を引くこともなくなったことだ、兵たちに生殺与奪を与えてやるとするか)

 松永は特に気負うこともなく、軽くその決断を下した。
 そうとは知らぬ最上の方は、荷車の中で、息子を思い起こさせる鋭い目を大きく見開いていた。
 氏政が語った政宗の生存は、女たちからそれぞれの呼吸を忘れさせた。
 信じられないといった態の彼女らに、氏政はもう一度語りかける。

 「伊達政宗は、生きております」
 「まことに……それは、まことですか…!」
 「風魔という、信頼できる忍からの報告じゃ。家臣たちに守られて奥州へ向かっておるそうな」
 「おお……!」

 最上の方は、糸が切れたようにがくりと項垂れた。埃まみれの床板を、ぽつぽつと滴が叩く。
 しかし、彼女は何かに気づいたようにそれ以上の感傷に浸ることをせず、涙を拭って強い眼差しを氏政に据えた。

 「お心遣い、感謝致します」

 憔悴し、やつれてはいても、凛とした態度だった。
 流石伊達の女よ、と氏政は内心感嘆する。彼は、自身の妻を思い出した。黄梅院と呼ばれた彼女は武田家から迎えた女で、長年の辛苦を共に乗り越えてきた良き理解者である。伊達家に敗れた折、凋落していく北条家から武田家に送り返したが、彼女は何事も無く過ごしているだろうか。氏政が愛した老妻は慎ましく、彼女もまた、芯の強い女だったのだ。

 最上の方の背後では、いつきがの細い肩を揺さぶっていた。
 いつきは、一縷の希望が見出されたような心地で、彼女の睫毛を濡らす涙も拭わずにいる。

 「聞いただか、聞いただか姉ちゃん! 青いお侍、生きてるだよ!」

 嬉しくてたまらなかった。これで、全ての悪循環が止まるような気がした。が意識を取り戻し、彼女らの脱出が叶い、きっともとの暮らしに戻れる。いつきの村は、他の誰でもない政宗に滅ぼされたのだが、そう思わずにはいられなかった。
 いつきが力を込めた分だけ揺れるは静かだった。嬉しさのあまり言葉が見つからないのだろう、いつきはそう思っていたが、彼女の膂力を差し引いても容易く揺れる体が段々と訝しくなってきた。の着物を掴んでいた手から力を抜く。

 「姉ちゃん……?」

 いつきと、違和感に気付いて振り向いた最上の方の視線は、の視線に絡まなかった。
 焦点を失ったままの瞳は、希望を見出すこともなく宙空をさまよう。力ない手足も、薄く開いた唇も、何も変わってはいない。

 「ね、姉ちゃん…なして……!?」

 最上の方は苦々しく、そして痛ましげに呟いた。

 「其方には最早、言葉は届かぬのか……」

 だが、それでも最上の方は、この籠を脱出するそのときは、彼女の手を引いていこうと心に決めた。
 を抜け殻にした科は最上の方にもある。彼女が自分の取るべき道を見失い、松永に付け入る隙を与えたために、は親子の確執と松永の陰謀に巻き込まれてしまったのだ。
 そのために、は坂を転がり落ちるように憔悴していった。
 彼女の心が踏みにじられていくきっかけを作ったのは己だ。最上の方は、そのことを改めて己に刻んだ。

 「その娘は?」

 伊達家先代当主の妻、農民の子供という共通項のない組み合わせである。がどのような位置づけでこの場に居合わせているのかを推測するのは、事情を知らぬ氏政には困難だろう。
 いや、氏政だけではない。
 結局のところ、最上の方も、いつきも、も、それぞれを追い詰めた理由は、自分の分しかわからないのだ。最上の方が、の根幹であり続けた「母親」が崩壊したことを知らないように。

 改めて最上の方はを見遣った。
 彼女のことを知りたいと思う。
 最上の方は、投げ出されたの手に己の手をそっと重ねた。

 「息子の、縁者です」

 この手を引いて、政宗に会わせてやろうと思った。
 そうすればきっとは戻ってくる。
 最上の方が夫を恋うたように、彼女も政宗を、己の光としていたはずだから。


 20100827 J 



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