やめてくれ、と舌の付け根まで出かかった。 小十郎は名実ともに伊達軍のナンバー2なのだ。傷ついた体で、政宗を相手に一歩の引けも取らぬあの幸村の陣に突撃するなど、自殺行為以外の何物でもない。 そんな死亡率ばかりが高い仕事は、小十郎のすることではない。彼には生きて貰わなければ困るのだ。 我に返った途端食ってかかろうとした宗時を、小十郎の眼光が制した。 「今、お前以外に政宗様を守れる奴はいねぇんだ」 「けっ…けど、オレに……お、オレの方が、怪我もねぇし突撃には向いてるっスよ!」 「阿呆。だからこそ、お前に政宗様を託すんだ」 宗時が、死地に突っ込むも同義の役目を与えてくれと懇願したのを、小十郎は嬉しく思った。 彼が恐れているのは死ではない、責任でもない。そんなものどもは既に覚悟を完了している。若い芽は、小十郎という柱石をみすみす死地に送りこむことを嫌がっている。 「真田も、猿飛も、俺の顔を知っている……俺が突っ込めば、奴らを思い切り混乱させられる。俺が真田隊を引きつけている間に、お前は政宗様を奥州にお連れするんだ。万一追手がかかっても、万全のお前なら振り切ることができるだろう」 「けど…っ!」 「安心しろ、宗時」 小十郎は、昏々と眠る政宗を思い浮かべた。 そのたった一つ残った目が内包する、荒涼とした砂漠、蹲った子供、王の器、そして未だ正体の分からぬ竜の片鱗。 「俺は死を恐れねえ。だが、死のうと思ったことは一度もねえ」 今までも、これからも。 必ず、小十郎は主のもとに帰るのだ。 1 / 2 のクラウン! Ottanta : vassal before dawn U 「オレは帰る!」 急使の口上を聞くや、成実は蒼白になって宣言した。傍らの地図を握りつぶさんばかりに動揺している。 元信は歯を食いしばって衝撃をやりすごした。使者の剣幕が尋常でなかったから、悪い予感はしたのだ。人払いをすませておいて本当に良かった。対最上軍の総大将を任された成実の動揺が聞こえたら、いとも簡単に末端まで影響してしまう。 政宗と小十郎が人取橋に向かう時、成実は対最上軍の指揮官を命じられた。補佐は鈴木元信。彼は成実と違い刀ではなく文筆でもって、むしろソロバンでもって政宗に忠誠を捧げている。 だからかもしれないが、成実は元信が苦手だった。 毛色そのものが違うのである。 例えば成実が血と戦塵に塗れて陣に帰ってくると、兵糧輸送部隊についてきた元信は自分の家来衆に言い含めて、物資調達やら行軍やらで新たな商売を作り上げたりしている。 それは兵糧が減るとか、陣に迷惑をかけるとかではなく、むしろ軍用路の整備を公共事業化してその周辺に成立した商売から税を取る、というようなもので、しかも己の家来衆で行っていたのだから口出しはできなかった。ちなみに整備した軍用路は、その後商用路やら農地の開墾を進めるための基幹道路になったりと無駄が無い。 工事の人足や連雀商人として諜者が入り込むかと思いきや、そこは子飼いの家来たち(どいつもこいつも金の動きに敏感なので、不審な輩は金の流れの視点からすぐ見つける)が厳しく取り締まっていた。 成実からすれば、なんとなく納得いかない。 収まりが悪いにもほどがあるのだ。 なので、元信と最上軍に当たるのは嫌だった。 しかし政宗の命令とあれば、わがままばかりを言うわけにはいかない。 戦なのである。 思惑入り乱れて戦意が纏まらぬならともかくも、成実も元信も同じく政宗を信奉する者同士。戦意自体は高いのだ。元信が気に入らぬという、成実の個人的な感情で和を乱してはならない。 (でも、所詮は文官、戦自体はオレの仕事だ) 財政のことは成実には分からない。 それと同じに、元信には戦の駆け引きはわかるまい。 成実はそのように考えていた。 しかし、戦は中々始まらない。 腹を探るような小競り合いを繰り返すばかりで、成実は苛立ちを隠せずにいた。 ただでさえ、不満がたまっているのである。 (殿が決めたんならしかたないけどさあ……あんな女狐、オレならむしろ殺してる!) そんなところに、政宗の危急の知らせである。 最上側にやる気が無いとしか思えない膠着状態では、成実が撤退を言いだすのも無理はなかった。 「殿を迎えに行くぞ! 小十郎や宗時がいるとはいえ、負けちまったんなら落ち武者狩りが」 「成実殿」 「おめーら集まれ! とっとと殿を決めて…」 「成実殿!」 「ンだよ元信!」 荒々しく振り返った成実の目が、水鏡のように揺れのない元信を映す。 彼は戦将の迫力に一瞬気圧されたように顎を引いたが、やはり、温度の低い声で言った。 「少し落ち着きなさい」 だが、その冷静さは逆に成実の神経を逆撫でした。 油を注がれた火のように、成実は己より随分と頼りない体格の男を掴み上げて叫ぶ。 「殿が一大事だっつってんだろ!」 「落ちつきなさい、伊達成実! 自分の立場を忘れたか!」 「うるせえ、戦のいろはも知らねえ文官が知った口を叩くな!」 元信には分かるまい。 最上は戦をする気がないのだ。政宗が扇動した一揆が領内で荒れ狂い、伊達の隙を衝こうとしたのに戦力を集めきることができず、雪解けの足音が聞こえてきた今となっては集まった兵たちも田んぼのことが気になり始めた。軍と言ったところで、専業の武士などほんのわずかだ。多くは農業と戦事を兼業する足軽で、徴収に応じて槍を持ったに過ぎない。 それがだらだらと対陣すれば、広大な土地を統べる伊達に比べて財政基盤の弱い最上がそれ以上の決戦を望む力はない。 今の最上は、士気の低い軍隊だ。 政宗の危機が伝わらないうちに和睦を結び、適度にいなしつつ帰れば危険はないと成実は思う。 しかし元信は、そうは思わなかったらしい。 普段は帳面ばかりに向けられる厳しい眼差しで、元信は成実に相対した。 「今動けば、最上軍は必ず追ってきます」 「何を根拠に」 「対陣している間に、最上領内と旧北条領の商人たちの動向と米の流れを探りました。人取橋の不逞者と最上は繋がっています」 松永からの脅迫状が来た時、元信はその場にいなかった。しかし、彼は独自の手段でそこに辿り着いたのだ。 確信を得た元信は使者に政宗たちを追わせたが、政宗たちはそのことを既に了承していた。最上と松永が連動するだろうことを予測したため、武事に優れた成実を前線に残したのだ。 だが、成実には、その謀略を理解しきれていなかったらしい。 散発的な最上軍の攻撃を無気力故ととらえ、更に頭に血が上った成実は、完全に尊敬する従兄の安否しか頭に無かった。 尚も追撃の不安を一蹴する成実に、元信はついにそれ以上の説得を諦めた。 「よろしい! ならば、成実殿は帰還なさるがよろしかろう! ただし、鬼庭殿を残していってください」 「鬼庭殿に殿を任せるほどの相手じゃねぇよ。もっと別の…」 「いいえ、他の方では役者不足です」 「まだ言うのか! 最上の追撃はねえよ。殿は」 「殿は!」 己を掴み上げている太い腕を逆に強く握り、元信は己の生涯で最も激しいであろう申し出をした。 「殿は、私が仕ります」 |
20100810 J |
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