入梅からしばらくして、「どうやら奥州出身というのは間違いらしい」と判断されたは、前にもまして自由だった。
 幸村と二人、連れ立って城下に下りては曲芸と女たらしを繰り返す。
 たらしに関しては幸村の倫理的指導や佐助の教育的指導が入るのだが、そんなことでめげる男ではなかった。
 例えば幸村と入った甘味屋で、

 「Scusi!このアンミツもう一杯下さい。こんな夢みたいに甘いジェラートがあるなんて知らなかった。ああでも、お姉さんが食べさせてくれたらもっと甘いだろうな」
 「これはなんていうお菓子?……へえ、ダイフクって言うの?きっと君みたいにきれいなお嬢さんが手渡してくれるから、しあわせになれるんだろうね」
 「このダンゴを作ったのは君なの?だからこのモチはとても柔らかいんだね。君の可愛らしい掌からあいを込めて生み出された芸術だから」

 …………イタリアでは、物心ついた時から男は女を褒めるようになるらしい。
 幸村と比べれば少女のように小柄なの周りには、いつの間にか女たちが群がっていた。
 立て板に水とばかりに褒めまくる彼の言葉には時折異国語が混じったが、そんなことはどうでもいいらしい。
 しかしだからといって街の男たちから恨まれてもいないところが不思議である。彼らはを見つけるとサイコロや花札を片手に寄ってくる。
 賑やかに笑うは幸村にもソツなくちょっかいを出した。

 「混ざりたい?」
 「結構でござる!!」

 真っ赤になって憤る幸村を見て呵呵大笑。するといつの間にか幸村の周りにも男女入り混じった人垣が出来る。
 もともと、幸村は慕われる青年だ。

 「あらぁ幸村様、そんなつれないこと言わないでくださいまし」
 「わわっ!な、何でござるか」
 「ふふ、そんなウブなところもかわいい…」
 「よ、寄るでないぃぃ!」
 「こらユキムラ、お姉様になんてことを言うの。美しい花は愛でるもの。そんな邪険に扱うものではないよ」
 「か、帰るでござるよ殿!」
 「えぇ〜まだ俺お姉様方とお話したい〜。皆とても魅力的なんだもの」
 「こら、オレたちとは遊びたくないってか?」
 「どうせなら麗しき花たちとがいいよ。もちろんお前ら相手も面白くていいけどね?」

 真昼間の甘味屋の光景ではない。
 歓声と嬌声の坩堝から、幸村はほうほうの態で脱出した。そこここに紅の痕がついている。歴戦の猛者が肩で息をしていた。
 首根っこを猫のように掴まれたは呆れた顔で、

 「ユキムラ、本当に男?」

 こちらは息を切らすどころか活き活きしている。
 木の上で見守っていた佐助は苦い笑みを零した。彼にはこの後の展開が予測できたのだ。


 ―――果たして幸村は、佐助の予測通り行水で穢れを払い、槍を持ち出して山に消えた。
 因みにその日の夕食は山菜料理であり、幸村曰く「熊五郎がわけてくれたのだ!」
 熊と友人になったらしかった。











 1 / 2 のクラウン! Otto : 赤い手、二本 T









 「ジュンカイ?」
 「うむ」

 漢字がわからなくて首を傾げるのために、指で畳に書いてやる。
 「ああ!パトロールか」と納得したようなので話を続けた。

 「上田城から半日ほど行ったところに村があるのだが、この数週間、音信不通なのでござる」

 不審に思って忍を飛ばしてみても、その忍すら帰ってこない。
 これは何かある。確信した幸村と佐助は、主だったものを何人か連れて視察に行くことにしたのだ。
 いくら若くとも、幸村は上田城の守将である。
 年貢の徴収、領民の保護などの責任がある。


 明日か明後日には戻ると言って、幸村は厩へ向かった。そろそろ特製弁当を作った佐助が待っている頃である。
 は、黙って立っているだけでも汗をかく陽気の中見送りに来た。
 夏本番を予感させる厳しい陽光に、心なしか青々と茂った木々さえ白んでいる。
 そんな中にすらりと立っている彼は、夏らしく涼しげな色の着物も相まって目に涼しい。

 「Ciao, ユキムラ。熱射病で倒れんじゃねーぞ」

 ただでさえお前子供体温なんだから、それ以上上がったらぶっ倒れる。
 にっと笑ったに笑顔で返し、幸村は馬上の人となる。
 添えられた心配が胸に快い。茹だるような夏の中を半日も進まなければならないのに、幸村は今なら一瞬で件の村へ辿りつけるような気がした。










 「なあ佐助、」
 「何―?」

 暑さのせいか心もち元気の無い忍の声を聞きながらも、幸村は真実その返事を聞いていたわけではなかった。


 (いや、……やはり言えぬ)


 「暑いな」
 「ほーんと!もう嫌になっちゃう。早く着かないもんかねー」

 おかしい。
 幸村は視線を俯かせた。
 馬を走らせる一団はどいつもこいつも熱気で火照った頬をしていたが、幸村の頬は違う理由で一際赤い。


 (何故、殿が頭から離れんのだ!)


 前髪を汗で張り付かせているのに、そんな暑さなど微塵も感じさせない笑顔で送り出してくれた。
 その笑顔が目の前から離れない。こころなしか気分が昂揚している。あの時人にあるまじき速度が出せそうだと感じた思いはまだ続いている。
 決して不快ではない体温の上昇は、しかし何故だか後ろめたさを伴った。
 楽しい時は楽しい、悲しい時は悲しいで気分が統一される幸村としては、処理能力の限界を超える二律背反だ。


 (そもそも今は仕事中だ)


 それも、信玄直々に命じられた守将の義務である。
 余計なことを考えて手を抜くなど、許されることではない。
 それなのに気がつけば脳裏でが笑っている。
 いつの間にか幸村の心の中心に居座ってしまったように、ことあるごとにがちらつく。
 困ったことに、時折例の風呂場の君に姿を変えて。


 「ぬおおおおぉぉおお」
 「だ、旦那?!茹だっちゃった?!」


 佐助は水を飲め、木陰で休めと心配する。
 しかし原因はわかっているのだ。心配に値するような原因ではないのだ。
 こんなところで馬の足を止めるわけにはいかない。
 幸村は切れかけた鼻の血管を気力で治した。人間ではない。


 (そもそも殿は男だ)


 ふしだらな妄想を重ねるのは失礼に過ぎる。

   白状すると、風呂場の君は今だに夢を席巻していた。
 それでどうこうなってしまった朝など死んでしまいたい思いに駆られるし、どんな顔をしてに会えばいいかわからない。
 困り果てた幸村は頭を冷やそうと城内の池に飛び込んだ。
 鯉臭くなって、佐助にしこたま怒られた。
 井戸で行水をして火照りを収めようとした。
 ちまちましたのは性にあわなかったので井戸に飛び込みかけ、すわ自殺未遂かと大騒ぎになった。
 信玄から心配の書状まで頂く始末である。
 原因が原因なだけに、普段なら嬉しい書状も申し訳なくて泣けてくる。

 (申し訳ございませぬお館様)

 破廉恥な妄想に取り付かれて、あまつお館様にまで心配をかけるなど、まだまだ修行が足りぬ。
 意を決して修行に励んでも、が城下に行きたいと言えばほいほいついていってしまう自分がいる。
 こんなことではいけないのに、楽しくてしかたがないのである。
 反省もできない自分を幸村は激しく詰った。

 件の村の話が出たのはそんな頃である。
 そんな頃であったから、幸村はこれ幸いと自ら視察に行くことにした。
 の傍を離れれば反省できると踏んだのである。
 しかしどうしたことか、反省どころかの幻覚まで見える。
 ひらひら振られた手の細かな傷まで思い出せる。

 (ぬぅああああああああ)

 馬上でなければ、転がりまわって身悶えたい。
 ―――真田幸村、人生初の春である。










 しかしそんな華やいだ、別の言葉を使うならばとてももどかしい(何しろ彼の中で恋という単語はついに見つからなかった)気持ちも、最初の村が近付くにつれて潮のように引いていった。

 「旦那、これはちょ〜っとやばいかもね」
 「うむ……!」

 強烈な暑気に、鼻が曲がりそうな臭いが広がっている。
 生物が腐る饐えた臭い。
 死臭だ。

 「全員、気を引き締めよ!」

 武将の精悍な光が幸村の目に宿る。
 逞しい武骨な手が愛用の槍を握る。
 警戒しながら馬を操り、幸村は村に踏み入れた。

 「……これは……っ!」
 「ひどいね」

 村は墓場の静寂の中にあった。
 粗末な壁に凄惨な模様が変色した血で描かれ、あちこちに悪臭のもとが転がっている。
 かつて人だった死体は、人の尊厳などどこにもなく、獣に食い荒らされ無残な骸と化していた。
 羽虫がたかる音が耳障りだ。
 眉をしかめる幸村の隣にいた佐助が、能面のような顔で下馬して死体に近寄った。
 腐った肉を見せ、透明な腐汁をしたたらせる傷口。
 それらの大半は獣によるものだったが、無言で検分していた佐助は、やがて哀れな骸の死因を告げた。

 「刀傷だ。ばっさりやられてるよ」

 あっちのホトケもこっちのホトケもそうだろうね。
 見たところ略奪の跡はないから、山賊盗賊の類いでもない。

 振り返った佐助は、怒りの炎を燃やす目と出会った。
 佐助の言わんとすることを完全に理解した幸村が、血が滾るほどの怒りを抱いている。


 (ああ、この目だ)


 「きっと、俺様たちの目的地も同じ理由で静まり返っちゃったんだろうね」
 「………佐助、」

 蒼穹に吸い込まれる怒りの呟き。
 あまりにも陰惨な最期を迎えたこの場で、なんと美しい怒りだろうと思う。
 血で血を洗うこの乱世、佐助には、幸村の義憤が何よりも眩しい。

 幸村の感情は純粋であるが故に美しい。
 こんな、人を人とも思わぬ鬼の跋扈する世の中なのに、彼は人のために悲しみの涙を落とし怒りの炎を宿すのだ。
 佐助のように浅ましい生き物の上にさえ彼の優しさは降った。
 それは一切の混じりけさえなく、子供の純粋さを、身勝手さを保ったままだから美しかった。
 自分には手にすることのできない、虎の若子の透明さ。
 血塗れになってさえ、いや血塗れにだからこそ、幸村は美しく優しいのだ。

 「佐助、答えろ。この虐殺の目的はなんだ」
 「物盗りではない、愉快犯にしたって規模が大きすぎる、多分これは……旦那への挑発」

 ここは幸村の守るべき土地、守るべき民。
 それを脅かすのは、すなわち幸村への、ひいては信玄への挑戦だ。
 敵の真の目的が何か知らないが、そんなことは関係ない。
 彼らは幸村に刀を向けた。
 佐助が彼らの死を求めるのに、それ以上の理由はいらない。


 「許さん……!」


 幸村の心にあるのはそれだけだった。
 敵は彼への挑戦、ただそれだけで罪もない民を蹂躙したのだ。
 人の尊厳を踏み潰し、命の重ささえ無視して。
 伸び伸びと育った田に突っ込むようにして息絶えた男の骸がある。
 丁寧に世話された青田には血脂が浮いている。さわさわと揺れる葉擦れの音は彼へ向けた哀惜の歌のようだ。
 本来なら、彼は今日もあれらの世話をしていただろうに。


 暑ささえ滾る血が忘れさせた。
 槍を握る手に力が篭る。
 幸村の眦は、武将の凄惨な怒りで彩られていた。


うちの幸村はこんな感じ。中学生上等(笑)
後半、強引な展開と悲惨な描写申し訳ありません。
しばらく続きます
080131 J

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