蛇の口のように黒々とした洞穴の入り口を塞いでいた門の向こうが、にわかに騒がしくなった。 柱に縛り付けられた斥候たちが期待のこもった声を上げ、崖下へと必死に視線を注いでいたが主人を迎える犬のように身を翻す。 赤い衣がたなびくのを、松永は鎖を強く引くことで抑えた。喉を圧迫されたはあぐぅと声をくぐもらせ、バランスを崩して倒れこむ。 せき込む小さな体に向けて、松永はせいぜい優しく囁いた。 「焦らずとも良い。卿はそこで待っていなさい」 その言葉尻にかぶさるように、轟音を立てて門が破られる。 暗闇から吹き出す氷の粒は、ダイヤモンドダストのように煌めいた。 一歩ごとに地の底の闇を払って現れた人の姿を、は瞬きもせずに捉える。 疑問とか、恐怖とか、驚きとか、そんなものが嵐のように心を荒らす。 けれどもその中心には、蝋燭の灯のように小さい、温かな安堵がぽつりとあった。 1 / 2 のクラウン! Settantaquatro : Northern lights 「ひとつ、ふたつ…またひとつ…人は生まれて、壊れることの繰り返しだ」 摂理を蔑むような、憐れむような演説だった。 しんしんと閉ざされていく奥州の遠景を見つめる男の幅の広い肩は、彼が白刃と血溜まりの中に生きる人種であることを示している。 背を向けているというのに、武者らしく隙のない立ち姿だ。政宗に続いて氷穴を抜けた小十郎は、相手の手ごわさを見抜いて緊張の篭った息を吐いた。 しかし、彼の主は彼の敵を見ていない。 筆頭、と、救援を乞う声たちに囲まれて、政宗には悲鳴も演説も届くことはなかった。 赤い、椿模様の着物が、薄く雪を刷いた地に伏している。 裾の袷から、あるいは乱暴に扱われたためか大きく肌蹴た襟元から、痣を残した白い肌。 犬のように首輪から伸びた鎖を掴まれて、しかし主人などここにはいないのだとばかりに、瞳はまっすぐと政宗に据えられていた。 茫然と、表情の一切が抜け落ちている―――政宗は、この貌を知っていた。 かつて雪と鞘鳴りの真ん中で、仮面の奥から臆病な幼子が覗いたように、 (ああ) () ほぅ、と、息を吐いた。 眉が下がる。眉間の間がじわりと温かい。 あんたそこにいたのか。 まだ、俺に微笑ってくれるのか。 交錯した一対の微笑は、どちらも泣き出す寸前のように無様な出来だった。 迷子が浮かべる表情、それに似ている。 それでも、これ以上の安堵を与えてくれるものを、政宗は何一つとして知らない。 「………Sorry, I’m late. But,(悪ィ、遅くなっちまった。でも、)」 「I’m here, to,……」 言葉が見つからず、政宗は途方に暮れた。助けに来たでもない、会うためでもない。 ―――を助けたい、と、そう願っているのは確かだが、と再会したとき心臓から末梢神経に通ったものは、もっと違う言葉であった気がする。 彼のためと言うには遠く、自分のためと言うにも遠い。 体の内壁が引き攣るような安堵は、言葉から最も遠い位置にある。 「あー…構わんかね?」 松永から遠慮がちな水が差され、政宗ははっと我に返った。得意気にダンディズムを発散していた松永が、非常に気まずい顔をしている。 ………よりにもよって松永にそんな顔をさせた! 政宗はがむしゃらに刀を振り回したい衝動に駆られた。竜の青春は非常に過激かつ迷惑である。 生温かい空気が漂う中、咳払いをした松永が仕切り直しを図った。 「やあ、独眼竜とその右目…」 「テメェさっきそれ言ってたじゃねぇかー!」 「巻き戻す気だ、無視されたのをなかったことにする気だ!」 「黙れ虫ケラども!」 柱に縛られた外野からの野次に、松永は宝剣をちらつかせることで応えた。 鋭利な刃が空を切ったついでに命綱を切ればあの世行きは確実だ。斥候たちは野次を悲鳴に切り替えた。 シリアスの無残ななれの果てで部下を殺されてはたまらないので、政宗は「おいおい、それくらいにしてやれよ」と厚顔無恥な発言をかまし、大人げない老人から「貴公に言われる筋合いはない!」と盛大な反論を頂戴した。小十郎もそれに深く頷いている。「ご自分がなされたことをよくわかっていないようですな」。まさむね と は こころ に 10 の ダメージ を おった! 10どころではないダメージを負った松永は再度体勢の立て直しを図る。懲りない爺さんである。ムードを大切にするロマンチストタイプなのかもしれない。 「やあ、独眼竜とその右目」 今度は誰も突っ込まなかった。三度目の正直万歳だ。 「よく来たな、と言いたいところだが…機嫌はあまりよくないようだ」 「自業自得です」 「テメェ小十郎!」 「あー…注目、注目」 段々悲しくなりながら、松永は幼稚園の先生のように手を叩いた。 その拍手の下では真っ赤になっていたが、その瞬間顔色を変えると、首が締まるのも構わず地を蹴った。 案の定伸びきった鎖に行動を制限され地面に這いつくばる羽目になったが、臨戦態勢の猫のように低い姿勢で鎖を握る男を痛いほどに警戒している。 「おや、どうかしたかね?」 「……アンタ、火薬の臭いがする……!」 うなるような指摘に、政宗と小十郎は気を引き締めた。 火薬の粉をかぶるのを避けたに、松永の笑みが深くなる。 「隠していたつもりだが。はは、気付いてくれるとは、私たちの仲も随分深まっていたようだ」 「テメェ……そいつに何しやがった!」 犬歯を剥き出しにした政宗に、松永は嘲るような視線を遣った。 「さて。想像してみるといい」 「………ッ!」 「政宗様、落ちついて下さい!」 刀を握る手に力を込めた政宗を小十郎が制した。 弛緩した空気が殺気を孕み、ぱりぱりと静電気の呟きが耳に触れた。 憤る政宗を見た松永は、飴を含んだような笑い声と共にに話しかけた。 「卿は幸福だね」 彼は、君のために憤っているよ。 いたぶるような松永の言葉は、的確にの仮面を貫いた。小さな唇がひゅっと息を呑む。卿は幸福だね。 「ち、が……俺の、しあわせは、」 「何が違うのかね。卿は随分と独眼竜に心を寄せ、また彼も、どうやら卿を愛しているようではないか」 独眼竜が目前に現れたとき、卿は安心したのだろう。 寂しい場所に、ひとり立たされたとき、卿の心が呟いたのは誰の名前だった。 今、鎖を離そうか。竜の腕に守られて、平穏を噛みしめて泣くといい。 全てが真実であったから、その言葉を撥ね返す術がない。 (おかあさん!) は叫ぶ。その面影に手を伸ばす。 自分の信じるものはそこにしかないのだと。 銀色のナイフを握り締め、必死で自分をあいしてくれたひと。のしあわせはおかあさんと共にあり、だから傷つくこともない。俺のしあわせは奪えない。なんてあたたかで(背筋が冷えて)なんてうつくしい(血塗れの)こうふくな記憶! しあわせな、しあわせな! 誰も入り込む余地のない、誰にも代われない、完璧なしあわせ! 冷えた昂りに沈もうとするを覗きこみ、あと一押しと松永は口を開く。 しかし、そこから続きが発せられることはなかった。 「―――それくらいにしとけ」 底冷えする制止が刃に乗る。 追い詰められた子供と合わせた視線を斬るように差し込まれた見事な乱れ刃に、己の暗い瞳が映っていた。松永は視線をずらし、怒れる竜を見た。 「ひとの心を暴き立てるなんざ、coolじゃねぇぜ」 「それは失敬」 悪びれた様子もなく鎖を手放し、松永はに向き合っていた体を政宗へと向ける。 油断なく刀を下げた小十郎が政宗の隣に並び、松永と伊達主従は向き合う形で立ち会った。濃密な殺気が三人の間に息苦しい場を築く。 図らずも政宗に庇われる格好となったは、砂漠のような瞳を限界まで見開いて、自分の前に立つ蒼い陣羽織の背を見つめた。 『守ってやるよ』 砂漠に、ぽつりと一滴のぬくもり。 おかあさん以外の全てを締め出そうとしていた真白な心がふと気付く。蒼い背中。―――柔らかな、安堵。 触れれば壊れそうな、砂に埋もれそうな、消えてしまいそうな小さな灯火は、しかし手放すには温かすぎた。 ずる賢くも知らないふりをして、大事に大事にしまいこんでいた。目を閉じて。 それでも、くすんだカンテラを通したように弱弱しい明滅は、にぬくもりのかけらを与え続けていた。 染みわたるような、涙の氷を溶かすぬくもり。ようやく目を開けた。―――けれどもそれは、致命的だった。 「ちがう…ちがうんだ……」 温かい。温かい。蒼い背中は、……政宗は、とても温かい。 手は握らない。抱きしめない。愛していると睦言を言うこともないし、理解したいと踏み入ってくることもない。政宗だって、誰も立ち入らせない秘密の部分を持っていて、無防備な彼自身をさらすこともない。 と政宗は近寄らない。お互い遠くにいて、そこから動こうともしない。 それでも不思議と、互いのぬくもりを感じた。 雛のように弱弱しくも、切ないほどの安堵を覚えた。 幸せだと、思ってしまうほどに。 一度それを認めてしまえば、自身の砂漠に気付いてしまう。 寒さを知覚し、寂しさを思い出し、引き裂かれた痛みを、奪われた誇りに気付いてしまう。 俺はしあわせだから、傷つくことはありえない。その言葉で目を覆って、見ないふりをしてきた数多の傷がさらけ出される。ああ、俺は、傷だらけだった。 蔑まれ、弄ばれ、殺されかけて、差し出された手を払いのけて―――ひとりっきりで、膝を抱えていた。 おかあさん(おかあさんは俺を見ない) おかあさん(おかあさんは俺がいらない) おかあさん、ごめんなさい。 |
しあわせの仮面が割れるとき もっと劇的にしようかと思いましたが 流石にくどいかと思いとどまった 091201 J |
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