人取橋に母は居るまい。 その点において、政宗と小十郎の見解は一致していた。 いくら脅迫状が最上の方を人質としたことを匂わせていても、それだけの智謀を持つならば尚更、戦場に彼女を引き立てる可能性は皆無に近い。 最上の方は、確執があれど政宗の母であり、最上義光の妹だ。 戦場などに連れてきて、万が一があってはならない。 だというのに、政宗は馬を返さない。 彼は、人質に取られた部下を助けるためだと宣言した。 人格者としては立派だが、為政者としては立派に非難の的である。末端の兵士のために軍が動くことは許されない。為政者は常に全体の利益のために動かなければならない。 それでも政宗は軍を動かし、小十郎はそれを認めている。 成実は二人に異を唱えたが、政宗は「人質を助けるため」と彼を封じた。一見、全く道理に合わない。 しかし、政宗と小十郎は理解している。これは政治だ。 政治はデモンストレーションだ。目的のために最も効果的な方法で相手を、あるいは身内を牽制し、影響を及ぼして、目的を達する。 最上と対陣しているというデリケートな状況で、第三者にさらわれた最上の方は重要なキーパーソンである。彼女のために起こす行動は最上との戦に、更にはその後に大きな影響を与える。 だからこそ、最上の方の不在が明確であるにも関わらず、「行動を起こした」事実のために政宗は人取橋へ馬を向け、小十郎はそれに賛同したのだ。 たかが斥候たちだけが人質とされていたならば、危険を推して助けに来るはずがない。支配者階級の女子供に自由は無いが価値はある。政略結婚など好例だ。政略結婚さえできなかった最上の方は、望んでやまなかった自身の価値を、皮肉な形で手に入れた。 「政宗様、無茶はなさいますな」 合戦に臨んで、小十郎は念を押した。 人取橋に最上の方は居るまい。この合戦は全てが茶番だ。デモンストレーションで全力を出すことはない。 蔦紋の軍旗を遠望していた政宗は、その言葉を受けたのが右側だったこともあって表情がわかりにくい。 小十郎は迷わなかった。 以前の彼ならば、口では同じことを言っても斥候たちを助けようと動いただろう。 しかし、政宗に遠ざけられ、成実に殴られ、覚悟を取り戻した今は違う。 (政宗様は天下を獲ると仰った) 奥州筆頭を日ノ本の主に押し上げるためならば、小十郎は最早迷わぬ。 人倫も、修羅道も、まず第一は主君のために。民や兵に慈悲を及ぼすのは、それが主君のためになるからだ。 だからこそ政宗には、彼の民のために領地を治め、戦勝を重ね、天下を目指してもらわねばならない。 余計なことに目を逸らすようであれば、命を懸けて彼を正そう。 政宗は玉座に座らねばならない。椿の向こうに母と弟を見つめて天下を呟いた、その最初の動機がなんであったとしても、決意を固めたからには今更投げ出させはしない。 例えそれが、政宗という青年の心を殺すことになっても。 (修羅道、餓鬼道、上等だ。オレは、この繊細なこどもを殺す。孤独を押し付けて、意思を奪って、玉座に縛り付ける。オレは惨く、生きていく) (ああ、上等だ! 死して地獄へ落ちるだろう!) キングメーカーが力強く橋に足をかけると同時、政宗もまた、彼の愛刀を抜き放った。 1 / 2 のクラウン! Settantadue : Rapunzel in the dark U あの蔦紋の軍旗の下に母は居るまい。 けれども、斥候たちはいるだろう。 は、いるだろうか。 母と違い、に戦略上の価値はない。 あの道化師のことだから、口八丁で何がしかの価値をでっちあげているかもしれないが、所詮それはでまかせだ。最上の方のように安全圏に留め置かれるか、斥候たちのように捕虜として引き立てられるかでは後者の公算の方が強い。 しかしそれにしたって、本当のの価値はトカゲの尻尾のような斥候たちにさえ及ばないのだから、交換条件どころか、心理的な効果を期待できるかどうかさえ怪しいのだ。 政宗は雑兵を斬り伏せながら道を進む。 この道は、道化師のために進む道ではない。 最上の方という言い分がなければ、ここに来たかすら怪しい。 松永はそれを読んで彼女の名前をちらつかせたのだろうが、それは政宗からしてみれば願ったり叶ったりだった。 示し合わせた茶番劇を遂行する役者の一人として、政宗は舞台に上がっている。小十郎が彼の失った右側の視界を補い、死角から飛び出してくる槍の穂を叩き斬る。 彼に言っていないことが一つある。 (『守ってやるよ』) 約束をした。こちらの助けなんか、ハナから期待していないような奴と。 奴は、俺の助けなど求めない。誰の助けも求めない。優しささえも求めない。自分の中だけで全てを終わらせて、外の世界には調子のいい笑顔一つ向けるだけで関ろうとすらしない人でなし。 鉄壁の仮面の裏側に、無防備な柔らかさを隠したこども。 俺はあいつを守りたい。 守る価値など無いのはわかっている。彼が差しだされる手に怯えることも知っている。 は政宗を必要としない。王者である政宗が誰かを必要としてはいけないように、もまた、彼のアイデンティティを保つために全力で己の孤独を守る。 けれども、政宗は思い出すのだ。 小さな微笑。 頭を撫でた手の下で、仄かに綻んだ無防備な表情。 お前は奥州の王者たれと警告の嵐が響く中、その微かな感情の剥片は、消え入りそうになりながら政宗の心に染みていった。 砂漠のように渇いたが、一滴、政宗に透明な温水を与えた。 厳格な境界線を引いて他人を排除し、自らもまたその線から出ることのないは、政宗の気持ちを忖度することなど無い。 しかしそれが故に、同じ穴の貉である二人は、触れ合わない互いの微かな温もりを、代え難いものとして互いの心に根付かせたのかもしれない。 陣中深く、氷穴に駆け込んだ。万年氷の放つ冷気が暗い氷穴を並以上に凍えさせ、その埃っぽい空気は人の恐れを表すようだ。 そこかしこに雑兵がひしめく。 喚声を上げた。紫電を纏った刀が氷穴に凶悪な迸りを木霊させる。その攻撃的な鳴動に反して、氷塊に蒼く散る光は儚いほどに淡かった。頼りない光を溢れさせて、政宗は敵を斬り進む。小十郎が隣にいる。背中を守る右目の存在を感じても、彼の方を振り返れない。 (ああ、そうだ、怖いんだ!) 政宗は支配者という立場にありながら、望むことに慣れていない。 凛とした背が、最高の教育を与える期待が、彼に甘えることを躊躇わせ、縋るように伸ばした手は悲鳴とともに振り払われた。 整えられた環境の中、自分の言葉一つで人の一生が変わることを早々に自覚した子供は、滅多なことで傅く大人に近寄らない。恭しく下げられた顔が、隠れてどんな表情を浮かべているかを知ってからは尚更。 子供は、必死で自分を取り繕った。甘えられないなら褒めてほしかった。裏でどんなに顔を歪めていてもいい。認めてほしかった。そのためなら、望まれるままに、天下さえも窺おう! そうして政宗は、示された王者の道を選び取ったのだ。その道が、どんなに孤独かを知りながら。 それでも褒めてほしかった。 頭を撫でてほしかった。 政宗といつきは同類だ。ただ政宗は、その道を自分で選び取り、もう引き返す気すらない。 けれどもそんな、真冬の夜道に似た道行に、近く遠く瞬く灯火を見た。決して寄り添わない灯火に、しかしどれだけの安堵を覚えたかは言葉にできるものではない。 だからこそ政宗は、小十郎の望む王者の道を誤魔化してまでここにいる。 一見道理に則った行為の中に本音を隠蔽して、小十郎を誤魔化すのは、筆頭として為すべきでない無駄を行うのは恐ろしい。 だが、ようやく見つけた灯火が、知らぬところで掻き消されるのは耐え難かった。 やっと、小さく息を吐けたのに。 氷塊に刀を叩きこんだ。ぴしり。透明な障害物は、鍛えられた力の負荷に耐えきれず罅を広げる。 蜘蛛の巣のような罅の中心に繰り返し打撃を加えると、ついに冷気の源は砕け散り、刀が発する仄かな光の中でその粒をきらきらと煌めかせた。 氷片の舞う中を、怯えを振り切るように力強く踏み出すと、剥き出しの頬を古い冷気が撫でる。記憶の底さえも撫でた。父と、母と、弟と、椿を眺めた雪の日の寒さ。伸ばした手を振り払われた日の、じんと痺れた冷たさ。血にまみれた父を雪から掘り返した日の寒さ。 そして、雪と血の真ん中で、はがれた仮面から覗いた柔和な。 「来たか」 「仕方ない」 かちゃりと鎧のこすれる音を立て、見覚えのある鎧武者が統率された動きで政宗の進路を塞ぐ。 死神という呼称に相応しく、どこか厭世じみた雰囲気を滲ませる平坦な口調は、あがく人の姿を斜に見るようで気に障る。 「鋭く、素早く終わらせよう」 政宗は凄絶に笑った。竜の瞳が、圧倒的な覇気でもってぎらりと輝く。 竜は敵に容赦をしない。宝を奪おうとするなら、尚更。 「あァ、同感だ。Go ahead! I have lots to do after you, guys! (さっさと来やがれ! テメェらと遊んでる暇は無ぇんだよ!)」 |
セリフや登場シーンは一部変えてあります 捏造万歳 筆頭がずっと怖がりだったら悶えます 091109 J |
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