独白じみた懇願の後、女三人が押し込められた部屋は重苦しい沈黙に沈んだが、夜の帳が下りると、松永からの使いがその静寂に淡々とした命令を割り込ませた。
 夜伽の命令だった。
 最上の方が身を切られるような貌をするのを横目に召し出されて数刻後、外が白々と明け始める頃になっても、の体は熱と布団の波間にあった。

 「……随っ…分、今日は、頑張るね」

 お互い相手の出方を探り、頭脳を駆使して攻防を重ねているため、声には疲労の色が濃い。そうでなくても喉は酷使されるし、執拗に快楽に突き落とそうとする松永の罠を堪え、嵌め返すのは疲れるのだ。体格差やら何やらの様々が体の節々に負担をかけている。
 いい加減解放されたいが、この男の前で意識なんぞ飛ばそうものなら何をされるかわかったものではない。
 緊張の糸を緩められないに、松永は唇を歪めて笑った。こめかみから汗が滴る。

 「今生の別れと、なるかもしれんからね」
 「Accolgo con entusiasmo.(そりゃ嬉しい)…うああっ!」
 「失礼。会話を試みる心がけこそが、人間関係を良好に保つのだよ」
 「ハッ! それは『良好な』関係だけだろ?」

 閉め切られた部屋が徐々に明るくなっていく。洗われたばかりの清浄な光に晒すには生臭い、互いを傷つけることだけを目的としたグロテスクな行為は、それでも尚、終わる気配を見せない。
 その歳で無理すんな、精力絞りつくして枯れ木になるぞ。つーかなればいいのに。俺を解放した後で枯れろ。いい加減くたびれたは、松永が枯れてポックリ逝くことを切に願う。

 松永は、館内の人が起き出したのか、忙しなく動く気配がしてくるまで行為を続けた。は何度も意識を飛ばしそうになったが何とか耐えた。
 一方の松永は疲れてはいるもののよりいくらか余裕がある。年齢的に彼の方が早く限界が来そうだが、普段の鍛え方が違うということか。
 兎にも角にも、結局耐えきった生意気な小娘に、松永は呆れた声をかけた。

 「強情なことだ。眠ってしまっても良かったのだよ?」
 「冗談。そのまま起きられなくなりそうだ」
 「それは困るな」

 松永は何でもないことを言うように、微笑を含んで続けた。

 「昼間は起きていてもらわなければ、感動の再会もできない」

 一瞬、何のことかわからなかった。
 感動できるような再会を期待できる相手など、にはいないも同然だ。

 「……は、」
 「さしずめ私は、竜と姫の恋路を阻んだ横恋慕と言ったところか。ふむ、竜に奪還される前に別れを惜しみたかったということで、多少の無理をさせたことは許してもらえんかね」
 「ちょ、何…竜って、奪還って、」

 理解するにつれ、の顔色がみるみる強張っていく。
 酸素を必死で取り込むようにからからの口を喘がせて、は最悪の仮説を立てた。叫び出したい衝動を堪える。


 (来る、のか…!? 今日、マサムネが…!? ……何でっ…!?)


 力の入らない裸の体を、細い娘の腕が持ち上げる。腕も、小さな胸も、痣こそ無いもののそこら中汗やら白濁液やらで汚らしい。着ていた着物は剥ぎとられたまま布団の隅でぐちゃぐちゃに丸まっていて、汚れや皺を考えるととても再会には適していない。
 松永はの狼狽を楽しそうに眺め、「着替えが要るな」と呟いて長逸を呼んだ。まるで待っていたかのように障子が開き、室内の光景に眉一つ動かさず長逸が漆塗りの箱を差し出す。
 品の良い螺鈿細工の箱を丁寧に扱って、松永は艶やかな赤の打掛を一枚、取り出した。金糸で縫いとられた椿の刺繍が朝日を浴びて場違いに美しく煌めく。
 着物をの薄い肩に羽織らせ、松永は鷹揚に頷いた。

 「これで、気兼ねなく愛しい竜に逢えるだろう」











 1 / 2 のクラウン! Settantadue : Rapunzel in the dark T









 諸々の準備を整えた松永は、足下に人取橋の遠景を収めて目を細めた。
 冬景色の中にぽつりとかかる橋げたは、まるで水墨画のようであり、掌に収まる灰色の閑寂とした世界は古刹の庭を思わせた。兵たちの喧騒が氷穴の中に木霊しているが、松永が相対する景色は、人の喧騒も時の流れも知らぬとばかりにしんとして静かだった。

 「同じ雪景色であっても、違うものだ」

 彼の治める大和も、木々の多い国である。常緑、落葉、様々に入り混じる里山に雪が降りかかる光景は、なんともいえぬ侘びた風情だ。冬の大和では、静かに音が隠れていく。
 しかし、奥州の静寂はその比ではない。奥州の冬には、音が消えるどころか、埋もれ閉じ込められていくような錯覚すら覚える。国中を万年氷が覆うかのようだ。大和には細々と、隠れるような人の気配があるにも関らず、奥州にはそれすらない。
 大和には、万葉の昔から積もった人の痕跡が、そこかしこに染みているのだろう。顔も、存在も知らぬ古人の気配は、雪ごときでは拭えない。そういう意味で、大和は確かに悠久の国であった。奥州に原始から変わらぬものを見つけるように、大和には積み上げられた歴史を見る。共に及びもつかぬ、気の遠くなるような話である。

 松永は、じ、と、太古の面影を見つめていたが、やがて皮肉な微笑を浮かべるとその静寂に背を向けた。空気が殺気を孕み始めている。
 彼が氷穴に足を向けるのと同時、長逸が数人の部下を指図して表に出てきた。兵たちは丸太を、あるいは鎖を手にしている。
 歩を進めるごとに長逸の飛ばす指図が遠くなる。松永は氷穴を悠々と闊歩し、氷柱に隠れるようにして作られた小屋に踏み入った。

 ギャンッ!

 頭を狙って振り下ろされた刃を一瞥もくれずに弾く。思いがけず軽い手ごたえ。ちらりと視界に入った刀に持ち主はおらず、柄にくくられた鎖の先は梁を巡って荷に結ばれている。
 振り子の原理か。感嘆する。急造の罠であろう。よく頭が回るものだ。討ちもらした場合に備えてか、間髪いれず横っ面を襲った荷を軽々と避けて、松永は背後をすり抜けようとした影の二の腕を捕えた。即座に影は転身し、左手に握った小太刀を切りあげる。握っていた刀でそれを弾くと、白い右脚が素晴らしい速度で彼の左腕、即ち彼女を捕える手を狙って蹴りあげてきた。衝撃は軽い。女の一撃など耐えられぬようでは武将ではない。
 しかし彼女はハナから彼の手が離れるほどの効果を期待していたわけではないようで、彼女の足首から伸びるちぎれた鎖を巻きつけるところに本当の目的があった。蛇のように松永の手首に絡んだ鎖は、彼女が勢いよく脚を下ろすことで松永の腕の自由を奪う。
 手が離れた。滑るように松永の腕から絡んだ鎖が解け、自由を得たは一目散に駆け去る、

 一足飛びに彼女の進路を塞いだ。

 は即座に進路を変えようとしたが、今度こそ松永はその痩躯を捕える。今度の拘束を振り切ることは不可能と悟ったのか、はそれ以上の動作を止めた。
 猛獣のような視線が、呆れたような視線と絡む。

 「やれやれ、とんだじゃじゃ馬だね。手枷足枷、更には見張りでもまだ足りんのかね?」
 「おあいにく様。縄抜けは得意なんだ」

 暴行を受けたのか、腫れた右頬がの微笑を歪にした。暴行犯であろう見張りは、小屋の隅で身ぐるみ剥がれて転がっている。首にははっきりと鎖の跡。の鎖が千切れているのを鑑みるに、彼への攻撃と鎖の破壊は同時に行われたのだろう。衣服を剥いでいるのは、邪魔が入らなければ目立つ打掛から着替えて逃亡を図るためか。松永はつくづく呆れた。小娘のすることではない。

 そこらの侍よりよっぽど見事な逃亡未遂劇を演じたではあるが、所詮未遂は未遂である。
 松永は彼女をある葛籠まで引きずっていくと、その葛籠から新たな枷を出した。

 「本来は手枷として使うのだが…」

 巨人兵用の、重く黒光りする鋼鉄が女の細頸にはめられる。
 カチリと音がした。首輪は思いのほかよく似合った。

 「はは、中々似合うではないかね」
 「Pervertito. 変態め」
 「結構。卿はそんな輩に飼われているのだよ」

 が生きているのは、ひとえに松永の気まぐれに他ならない。更に言うなら、は隙を狙いながら媚を売ったり、本気で逃亡を企てたりする態度が松永の気に入るとわかっていてやっている。
 松永は犬を連れだすように、を繋いだ鎖を引いた。










 「見えるかね? 素晴らしいと思わないか」

 まるで異国の物語にある、若君のようだ。
 姫を救いに来たのだよと優しく囁かれて、は眼下の軍勢から目を逸らした。苦虫を噛み潰したような顔。
 少なくとも、彼女は王子様の到来を喜ぶ囚われの姫ではないようだ。政宗のせいで巻き込まれたといえばそうなのだから、当然かもしれないが。

 「そんな顔をするものではないよ。独眼竜は、卿を助けに来たのだ」
 「俺にそんな価値は無いよ」

 どんな嘘をついた?
 言外に問うであるが、大方の見当はついている。最上の方の名をちらつかせたに違いない。一軍の大将を動かせるだけのカードは、松永の手札の中では彼女のみである。

 「私は正直な男だからね。嘘などはつかない」

 懇切丁寧に教えてやった。松永の手元に誰がいるか。政宗の斥候が、が、最上の方が。
 覚束ない足場に繋がれた兵士たちの悲鳴を従えて、松永は楽しげに笑った。
 政宗が、この三者の誰のために動いたのか。一見しては定かではない。

 捕えられた兵士たちは、彼らの筆頭は彼らを助けるために来てくれたと感激した。
 無価値であると自認するは、政宗は政治的・戦略的価値を持つ最上の方のために動いたと確信した。
 どう転んでも見捨てられる立場にない義姫は、この場にはいない。貴婦人には相応しくないからと、松永は彼女を館に留めたのだ。

 やはりという顔で、王子様に期待をかけないお姫様は周囲に視線を走らせる。もしも逃げられる状況になったとき、機会を逃さぬためだろう。
 どこまでも甘い夢から醒めたの顎を松永が捕える。

 「少し、夢を見ても良いのだよ? 君が思うほど、この世は賢者に満ちているわけではない」
 「獏の餌は夢だっけ。生憎、動物を飼う気は無いんだ」

 お前を喜ばせるような真似はしないと撥ねつけた。ひとが抱く希望という希望を踏みにじるのが松永という男だと、はとうに理解している。
 そして松永を知る以上に、は政宗を知っている。
 破天荒に見えて、政宗ほど帝王学に染まった男はいない。彼は己の個性すら、奥州という国のために捧げ尽くしている。
 そんな男が、三つの選択肢のうち、塵にも等しいのために動くだろうか。答えはNOだ。
 斥候のためでもない。彼らはいわば大樹の一葉。死ぬことすらも前提とされる者どものために君主が動くはずがない。
 政宗が動くのは、最上の方のためだ。
 確執があろうと、黒幕と誤解しようと、政宗は奥州の利益のために最上の方を助けざるを得ない。
 よかったね、とは思う。

 (マサムネたちはすれ違っているだけだから)

 生きてさえいれば、そのすれ違いが糺せる日も来よう。生きてさえいれば。は唇を小さく噛んだ。

 「見たまえ。独眼竜があそこにいる」

 心は揺れない。怯えもない。
 誰が助けてくれなくても、はそれを嘆かない。
 鎖を強く引かれ、伊達軍の姿を視認することを強要される。一人で生きることに慣れた瞳に、刀を振るって走る蒼い若武者が映った。



 崖の上では、人取橋の喧騒は微かにしか届かない。
 雄大な静謐の中にぽつりぽつりと響く戦模様はどこか滑稽で、散る赤色には虚しささえ覚える。
 松永は、食い入るようにその哀れな喜劇を見つめる子供を見た。
 狡知長けた彼女は、しかしながら今、策略も何もない視線を戦場に注いでいる。
 相変わらずその瞳に囚人らしい希望は一片たりとてなかったが、渇ききった砂漠のようだった黒色がまるで違うもののように綻び、軋むのを見つけた。
 松永は嗤いを隠して背を向ける。

 (卿の弱味を、今、見つけた)


 さんくす とぅー こっこ。
 091108 J

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