『じゃあ、ね』

 キリエ―――
 アンタそこにいるのか。

 兜の紐を結びながら考える。生意気な道化師が、撫でられた頭を大事そうに抱えて笑った表情が、政宗の脳裏を巡る。
 まだ、生きているだろうか。
 もキリエも、伊達家にとって交換条件になるほどの価値を持たない。彼らは伊達軍ですらないから、末端の斥候たちよりも価値が低い。
 得意の口八丁で誤魔化すにしても、家内の事情に通じてはいないだろう松永と違い、最上の方は家内の人事には通じているだろうし、誤魔化すことは至難の技だ。
 何しろ最上の方は、政宗の実の母なのだから。

 (命を狙う親子か)

 皮肉な嗤いが鼻を抜ける。最上の方はこれまで様々な手を講じてきたが、ついに他国勢を呼び込んでまで我が子を潰そうとしている。そのあとのことを彼女は考えているのか否か。大大名となった伊達が倒れれば、領国の混乱は避けられまい。侵略にさらされ、泣き目を見るのは民である。


 最上の方は伊達に嫁げど、遂に最上の人のままだったのだと思う。
 父はあの人の、一体どこを愛したのか。傍目にもわかりやすかった父の愛情に、母は答えも馴染みもしなかった。どころか、弟と伊達家の覆滅を図る。

 『こんなもの、わたくしの子ではない』

 母は徹底して政宗の敵なのだった。
 軍装を整えた政宗は六の刀を携え、軍馬へと向かう。
 父を撃った、弟を斬った、次は母を斬ることになるやもしれぬとふと思う。
 嗤った。己の家庭との家庭、どちらがより壊れているだろう。拳とナイフを愛情と呼び、しあわせだったと回想すると。

 ()(生きてろよ!)

 は、あんなにも壊れた家庭をしあわせだったと微笑んだ。けれどもそんなものより、雪と血臭の真ん中でほどけるように笑った彼の表情を、政宗はまるで宝物のように思い出す。本人は、それに気付いてはいなかったが。
 最上の方の手元にあって、口八丁でも捕虜でも雇われ芸人でもなんでもいい。
 とにかく生きていたら、そうしたら、もう一度ああして笑ってほしい。は、きっと母親をその手にかけるだろう政宗になど頓着もせず、憐れみの代わりに雪解けの剥片のような笑顔を零して、付きも離れもしない場所に飄々と立つだろうから。



 斥候たちを助けるためというのは嘘ではなかったけれども、それ以上に流れ者の道化師の無事を念じながら、政宗は彼の愛馬に跨った。











  1 / 2 のクラウン! Sessantanove : Macbeth in the dark V









 松永や最上の方と連れだって歩くうち、には行き先がわかってきた。
 これは地下牢へと続く道だ。
 最初、彼が閉じ込められていた場所である。
 ということは、「取り返しがつかなくなるもの」は囚人のことだと推察できた。早く行かないとならないということは、怪我でもしているのだろうか。

 (それにしても、オカタサマの判断で囚人(仮)の生死が決まる、みたいな言い方だったな…)

 最上の方に生死の選択を委ねる意味があるのか。松永のことだから、その選択権を与えた理由は善意ではあるまい。
 きっとどちらを選んでも最上の方は苦しむはず…と考えて、思い当たった可能性に血の気が引いた。

 (まさ、か、)

 政宗?


 機械的に動き続けていた足が止まり、後詰めをしていた友通に背中を押される。つんのめるように動き出しただが、床の感触など感じなかった。
 (そんなはずない。いくら猪武者の傾向があっても、政宗は伊達軍の大将だ。容易に捕まえられる環境じゃない…)
 言い聞かせるように、政宗でない理由を探す。
 俺が心配することではないのだと、いつもの開き直りを探し当てることもできないであったが、結果としてその心配は杞憂に終わった。
 辿りついた地下牢に、馴染みの隻眼はなく。

 最上の方が絞り出すような声をあげた。

 「これは…! 松永、貴様…!」
 「姫には懐かしいだろう? 先日、偶然最上の兵を『保護』してね」

 広い地下牢の、左右向かい合わせの房に、には見慣れない軍装の兵と青で統一された伊達軍の兵が分けて入れられている。
 彼らは縛られてはいるものの目立った外傷は無いらしく、騒がしく互いを罵倒していたが、やがて松永に気付いて殺気のこもった視線をこちらへと向けた。
 口々に松永の罵倒を始めたが、やがて最上兵の一人が松永の後に佇む最上の方を発見する。

 「貴女は…義姫様!」
 「っ!」

 びくりと、怯むように最上の方の背が揺れた。
 彼女の姿を認めた最上兵が次々と無事を確かめたり、喜びの声をあげる。反対に伊達兵は不信と失望の声をあげた。筆頭の御母上なのに。
 二色の声を向けられて、最上の方は何も言わない。松永はその姿を綽綽と見て、ねっとりとよく通る声を出す。

 「よく慕われている」
 「…っ」
 「ハハ…ところで、姫。寒くはないかね?」

 真冬の地下牢は恐ろしく寒い。厚着をしていても指先の感覚が痺れていき、ひどければ凍傷さえも引き起こす。
 松永は気遣うように、最上の方の手をとった。

 「ああ、やはり冷えている…昼には、温かい味噌汁でも用意させよう。しっかりと温まると良い。―――だが、困った」

 少しも困った風でなく、松永は絡みつくように重い言葉の群れを吐き出す。
 伊達、最上、両軍の騒がしい罵倒を覆って、その言葉はずるりと牢を這った。

 「地下牢の兵まで行き渡るほどの備蓄がない。些か…捕虜が、多すぎるようだ」

 しん、と。
 その一瞬で、地下牢は無人であるかのように静まり返った。
 松明が爆ぜる音が響く。
 牢屋中の人間が、息をのんで松永の次の言葉を待っている。

 「少し、捕虜を減らさなければならないようだ」

 悲鳴が爆発した。
 伊達、最上の双方がわめき、格子を壊そうとするかのように叩き、助けを求めて手を伸ばす。まるで地獄変のように、格子の間から突き出される手、手、手!
 助けてくれ、死にたくない。
 命乞いを聞き流して、松永は俯いた最上の方に囁いた。

 「さあ、姫。―――どちらを選ぶ?」





 蚊帳の外で、はその茶番を眺めていた。

 (備蓄が無いなんて、嘘だ)

 策謀家の松永のことだ、万が一に備えて館を乗っ取ったときから兵糧を運び入れているだろうし、本当に備蓄が尽きるのならわざわざ最上の方に選ばせるまでもなく、自分で適切な数まで間引きをするだろう。備蓄が無いなど適当にでっちあげた理由にすぎない。
 それでも、今やこの館の実権は松永の手にある。
 松永が「無い」というなら、それに逆らうことはできない。生殺与奪の権は彼にある。
 最上の方とてわかっているだろう。彼女の食事は、松永が一声命じれば与えられなくなる。生きていたければ、伊達か最上、どちらかの兵を見捨てなくてはならない。
 自分が生き延びるために下々の者を殺す。姫である最上の方の宿命だ。松永はそれを、声なき声で思い知らせている。

 「わた、くしは…っ!」

 最上の方が上擦った声を上げる。細く、押し潰されそうな声だ。
 伊達と最上、一見迷う余地のない選択肢で、最上の方は挽き切られそうなほど葛藤している。
 細い指が色を失くして、黒い打掛を握り締めていた。椿の模様がぎりぎりと歪む。
 『最上の方』と呼ばれる誇り高い女性の中で、生まれ育った最上と、嫁ぎ先の伊達が拮抗している。―――いや。
 苦しげな彼女の横顔に、は確信する。本当は、もう、

 (答えは出ている)

 ただ先へ進めない。進むだけの勇気が無い。進むには、彼女の愛は深すぎる。
 愛して、愛して、傷つく最上の方は美しかった。だから松永は、彼女を打ちのめそうとするのだろう。それに同調はできないが、には松永の気持ちが理解できる。

 (マサムネ、やっぱり俺はお前が羨ましい)

 代表のつもりだろうか、伊達と最上から、それぞれ一人の兵士が連れ出される。友通たちにがっちり動きを封じられ、泣き喚く兵士たちを背に、松永は短刀を最上の方に手渡した。
 最上の方がびくりと震える。

 「何、簡単なことだ―――心のままに、奪うと良い」

 姫の心は、もう決まっているのだろう。
 それがどれだけの絶望を招く言葉かわかっていて、松永は最上の方の心を暴き立てる。
 伊達に嫁いだ事実を覆うように敢えて姫と呼び続け、最上に与するものと扱いながらも、この老獪な武将はとうの昔に見抜いていたのだ。最上として、最上のため存在してきた最上の方が本当は。



 伊達の女に、なりたかったこと。










 生まれて初めての冬を迎えた梵天丸が、庭の白椿に興味を示した。
 あぅぅ、と、母の腕の中で身をよじり、真白い花弁にふくふくとした手を伸ばす。ようやく赤子を抱くのに慣れた義姫にとって、暴れる我が子を取り押さえるのは重労働だ。わたわたと抱え直して、椿の木に近寄ってやる。

 「これが好きかや?」
 「むぎ」

 男子であるので、花ばかりに興味を示してもらっては困るのだが、風流を解さぬ武骨な男になってしまっても嫌だ。
 幸い、梵天丸はどちらかといえば動くものに反応を示すので、これは数寄の心を芽生えさせる機会かと義姫は意気込んだ。少々時期尚早かと思われる。

 「美しいであろう」

 寒中にしとやかに、しかし凛と咲く白椿は、輝宗から贈られたものだった。ある日息せき切って帰ってきたかと思うと、「貴女に似合う花を見つけた!」と叫んで、あれよあれよと言う間に庭のど真ん中に植樹してしまった。意味がわからんと義姫に胸倉を掴まれたのは言うまでもない。
 ふと、雪が踏まれる微かな音がして、義姫は背後を振り返る。
 やはりというか呆けた表情で、輝宗が立ち尽くしていた。溜息と共に何用ですかと問えば、おれの目は間違ってなかったと湿った声。
 わけがわからず顔を歪めた義姫に、輝宗は感動しきった瞳で興奮気味に語るのだった。

 「まるで一幅の絵のようだ。義、おれは今、菩薩を見た…!」
 「またわけのわからんことを…!」

 義姫はふいっと背を向ける。すると気に入りの椿から引き離された梵天丸が、「う」、じわりと涙を滲ませた。「あ、」義姫は慌てて椿に向き直る。
 早期の解決策が功を奏したか梵天丸の機嫌はそれ以上危険な状態になることなく、再び熱心に椿をてしてし叩き始め「や、やめよ!」
 ぎょっとした義姫が身を引き、きょとんとした梵天丸が再び「ぎ、」とぐずりだす前に、輝宗の手が梵天丸を持ちあげた。

 「あ」
 「よしよし梵天丸、たかいたかーい」
 「うゆっ」

 梵天丸はどうもムラッ気のある子供らしく、椿のことなど忘れて既にご満悦だ。いかにも親子らしい光景に、義姫はふと、雪解けの水音を聞いたような心地になる。
 この椿は母上のだからいじめてはならんぞと言い聞かせる輝宗がひょいと顔を上げた。笑う。心に冬の風が吹いた。

 義姫は輝宗の笑顔が苦手だ。

 輝宗は義姫に、いつも憧れのような笑顔を向ける。まるで自分にはないものを義姫が全て持っているように、義姫に夢を見るように。―――よりにもよって、最上の女に。
 (わたくしは其方の妻、そんな眼差しを向けられる覚えはない!)
 義姫は時折、そう叫びたくなる。貴女はとても美しい、と、敵国の家中にあって媚びもへつらいもせぬ凛とした姿勢を称えられるたび、距離を思い知らされる。
 最上の誇りの中に生きる義姫こそを、輝宗は愛しているのだと。
 (わたくしは、最上の姫…)
 いつまでそうであらねばならないのだろう。最近とみに、そんな考えに囚われる。
 かといって、最上の姫であるという誇りを捨てることなど、義姫にはできない。最上こそが義姫を貫く芯だからだ。
 それでも、例えば輝宗に抱かれてまどろむ時、梵天丸を抱いて微笑む時。
 このまま肩の力を抜いてしまえたらどんなに楽かと、そう思う、

 「梵天丸のために、虎哉禅師を呼ぼうと思う」

 我に返った。
 思考に沈んでいた義姫がその言葉の意味をようようのみ込んだのを見計らい、輝宗は提案の形をとった決定事項を妻に伝える。

 「梵天丸は伊達の嫡男だ。教育には一流の師を揃えたい」
 「…赤子には、早すぎるのではございませぬか?」
 「うん。だが準備は整えておかないと。梵天丸をおれのようにしてはいけない」

 彼の父たる植宗がやり手すぎるせいか、輝宗は己を過小評価するふしがあった。義姫にはそれがもどかしい。
 輝宗は先見の明や、内政などのきめ細やかな手腕を持ち、確かな名君と呼べるだろうに、彼は「おれよりも」と植宗や義姫に憧れの眼差しを向けるのだ。

 「梵天丸には、選び抜いた師を、将来旗下となる小姓たちを与える。おれたち親にできることはほとんどなくなってしまうから、貴女には寂しい思いをさせてしまうが……おれにできるのは、こんなことくらいだ」

 ぴしり、と心のどこかが軋んだ音を立てた。輝宗が梵天丸を差し出すので、機械的に我が子を受け取る。まだ抱えられる重さ。すぐに、この手から消えてしまう。
 伊達においてさえ、わたくしにできることはないのですか。
 子を産むことだけですか。

 「大きくなれよ、梵天丸」

 夫の祈りが、義姫の胸中に虚しく響いた。


 THE★義姫祭り
 楽しかったですごめんなさい
 外伝沿い前話、まだ続きます
 090829 J

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