政宗がその報告を受けたとき、あれほど連鎖していた一揆はあっけないほど唐突に、終息の気配を見せていた。 代わりに無視できなくなったのが、彼にとっては因縁浅からぬ最上家の動きだ。 政宗が扇動した一揆を鎮圧した最上軍は、伊達軍と対陣するように陣を敷いた。大方、一揆の背後にあった政宗の影を察知したのだろう。 しかしそれはお互い様だ。 何しろ今回の伊達領一揆は自然発生的なものではなく、背後に最上の影が透けて見える。 最上家の狙いは考えるまでもない。 当主義光、政宗の母義姫姉弟の宿願は、伊達から独立し、伊達を覆滅することだ。幾世代も前から繰り返されてきた伊達と最上の抗争は伊達の勝利という形で決着がついたかに見えても、両家が存在する限り火種は消えず、地に潜るだけらしい。 自軍の疲労度と、最上軍の疲労度を測る政宗だったが、もたらされた報告は斥候の手によるものではなかった。 「筆頭! 大変です! 松永久秀と名乗るヤツが斥候を人質にとり、筆頭を連れてこいと」 興奮のあまりか、その内容が書かれているのだろう書状を握りつぶした兵士が注進する。 軍議の合間だった陣内には政宗と小十郎、成実がいた。片眉をあげる政宗の隣で小十郎は脳内データベースから松永久秀のファイルを引っ張り出し、成実は「アホ!」という軽い拳骨と共に受け取った書状を政宗に渡す。 ふと、成実が妙な顔をした。くしゃくしゃになった書状は、普通そうであるように折りたたまれるのではなく、くるくると巻物状に巻かれたもののようだった。書状の端には細く色鮮やかな紐。まるで何かに結わえていたかのような体裁だ。 「松永久秀…梟雄と呼ばれる大和の武将だったか…。本拠から遠く離れた奥州で、何を…?」 大和は現在では奈良と呼ばれる地域である。その大和を本拠とする松永が奥州でことを起こしても実利があるとは考えにくい。 あまりに突飛な名前に考え込む小十郎の横で、へーそうだったのかと思いながら成実は兵士にこの書状がどうやって送られてきたのか問うてみる。兵士は「それが…」と躊躇いながら、小刀にしてはやけにきらきらしいものを差し出した。 「突然この刀が足元に突き刺さって、それに結わえつけられていました」 書状に目を走らせていた政宗はそれにちらりと目を遣った。 強い力で握られたしわだらけの書状に決定的なしわが寄った。 「That’s…っ」 陳腐なほどに仰々しい小刀には見覚えがある。政宗のものとは比べ物にならないほど小さな手が、器用にそれを何本も弄んでいるのを何度も見たのだから。 『―――そういうわけで、卿の大切な部下たちを預かっている。何とも覇気に溢れる羨ましい部下たちだ。 卿も彼らには大きな価値を見出しているのだろう。私も見てみたいものだ。 どうだろうか、それを見せてはくれないかね。 私が推測するに、そうだな…六の刀であれば吊り合うだろう。彼らの命が、まさかそれ以下とは卿も言うまい。 彼らの他にも、卿に会いたがっている者たちがいるのでね。ぜひ、忘れずに来てもらいたい』 書状の端でゆらゆら頼りなく揺れる紐は絹の手触り。切り取られた着物の生地だ。―――黒に、金糸の椿模様。この柄を好んで着る女を一人、知っている。 (Right, right, right, all right!) くそったれ。 義光と松永がグルだった。そして言わずもがな最上の方も。 最上姉弟と、財宝狙いの松永が組んで一揆の火をつけた。扇動工作に第三者を感じたのはそのためだ。 六の刀狙いの松永が、普通の状態で望みを遂げることは難しい。 窃盗や脅迫で仮に刀を手にしても、政宗の一声で伊達領全て――旧武田領や旧北条領――が敵にまわる。今や日本で最大の伊達領を無事に切り抜けることは不可能と言っていいだろう。 だから松永は最上と組み、最上を利用して、伊達との対立を煽り伊達が松永一人に意識を向けられないよう仕組んだのだ。最上領での扇動工作がいやに早く進んだのはそのためだ。松永は相棒たる最上を餌にした。 しかし、松永のもとに最上の方がいるのが解せない。あの母を単純に人質とすれば、松永は伊達どころか最上も敵に回す。 まだ最上と繋がっているのだろうか。ひょっとしたら、松永は軍を率いていて、最上と共に伊達を挟撃する腹積もりかもしれない。 手勢ではないだろう。大和から奥州まではいくつも国があり、そこをどこのものとも知れぬ軍勢が通り抜けることを、東国諸侯が諾々と見ているはずがない。特に尾張の魔王なぞ、自領を他軍が通るのをよしとするどころか殲滅にかかるだろう。 ということは、もし松永が軍を率いるならそれは彼の軍ではなく、伊達領近辺で募れて隠しておける軍―――うってつけの軍は、北条軍。 旧北条領はまだ併呑して日が浅く、世情は安定していない。民兵の心は未だ旧主北条にある。ボンクラに見えて氏政は歴然とした小田原の大名だった。 氏政の生死は不明のままだ。氏政がいるのなら、お家の復興を旗頭にしてもおかしくはない。 松永がわざわざ北条兵を率いる実利はなさそうだが、そこは脈々と続く名家、蒐集家らしい松永の気を惹く宝物など山と隠しているだろう。 「ナメた真似しやがって」 「政宗様」 「小十郎」 Are you ok? 小十郎は迷いもなく、深く深く頷いた。 「無論。背中の守りは、この小十郎にお任せください」 言い、小十郎はすらすらと、留守を任せる武将の人選や、旧北条領への対策(反乱準備を進めている場合、進めていない場合両方)を述べた。一言一言が完全に政宗の意図を汲んでいて、確かな信頼を覚える。 しかし、動き出そうとした二人を成実が止めた。 「ちょちょちょ、ちょっと待てよ!」 「なんだ成実、政宗様の邪魔するんじゃねぇ」 「邪魔じゃねぇよ意見! 殿、」 成実は目に力を込めて言った。 「オレは助けに行くのに反対だ」 政宗もはっきりと成実を見た。 「理由は」促すと、成実は自らの刀を鞘ごと抜きとり、目の前にかざす。 「人質が兵士だから。殿、忘れてねぇよな。オレたちはいつだって死ぬ覚悟をしてる」 殿のために、伊達のために。 自分たちを守るために主君が倒れてはならない。主君は部下を、民を慈しみ、生かす代わりに、彼らから守られなければならない。 末端のために主君が危地に飛び込んでは本末転倒だ。主君は常に全体を見渡すべきなのだ。 「殿は天下を獲るんだろう。だったらこんな挑発にかかずらわんじゃねぇよ。オレは頭悪いさ、殿や小十郎がいきなり北条の名前を引っ張り出してきたわけもわかんねぇ。けど武将として言う。斥候は見捨てろ。斥候の命にいちいち反応してちゃ、天下獲りなんざ無理だ」 成実は伊達の一軍を任される武将だ。政宗と共に育ち、命に対して真摯に育った。暗い部屋の片隅で死を選び取ろうとした従兄の姿は、忘れられない記憶だ。 だが成実はあくまで武将だ。命を天秤にかけなければならないこともある。 そうした矛盾の中でもまっすぐ進んでいけるのは、政宗に天下を獲ってもらいたいがため。 政宗もそのことをよくわかっているため、が言えば怒鳴られたであろう抗議は叱り飛ばされることはなかった。 「保春院様はどうする」 「ったって、人質と決まったわけじゃないだろ。それにあの方ならオレたちが助けに行かなくても平気だろう」 最上の方のバックには最上家がある。松永とておいそれと手を下すことはできまい。 成実は不満げに小十郎の問いに答えた。彼は最上の方が嫌いだ。都合のいい時だけ母親面しやがって。 政宗第一の成実にとって、最上の方は敵ではあれど守る相手ではない。獅子身中の虫のようなものだ。これを機会に最上に去ってくれればいいのにとさえ思う。 (も、いい奴だけど殿が動くほどの理由にはならない) むしろ松永がそこまでの価値を重く測ったことを意外に思う。 政宗は黙って聞いていたが、やがて「OK, 言いたいことはわかった」と口を開いた。 「成実、一つ勘違いしてるぜ」 「勘違い?」 「Yes.―――俺の兵士が命を賭けるのは戦場だ。こんなくだらねぇ陰謀じゃなくてな!」 1 / 2 のクラウン! Sessantasotto : Macbeth in the dark U 「姫に相談したいことがあるのだ」 松永は慇懃に持ちかけた。虫唾が走る。 館を占拠された今、最上の方に決定権などありはしない。彼女の城は、見張りつきの部屋の中だけだ。片隅にキリエといつきがいる。いつきは怯えて身を竦ませ、キリエは無気力に伸びた爪を見つめている。身分を持たない彼女らは、最上の方のとりなしがなければ牢屋行きだ。こんなところで身分が役立とうとは、皮肉な気分に駆られる。 『マサムネは待ってる。撫でてくれる手を、ずっと待ってる』 あれ以来、キリエはろくに口を利かない。今までの明るさが嘘のように押し黙り、時折違う、俺はしあわせだ、あいされた、と呟く。夜になると時折松永が現れて、薄笑いを浮かべた彼女を連れていくのだった。翌朝顔を合わせたキリエに涙の跡はなく、それが余計不憫である。 「ここに持ってくるには少々難があるのでね。すまないが、ご足労願えないだろうか」 「空々しい。まだわたくしに拒否権を残してくれているのかえ?」 「姫はいつでも自分の意思を持っているだろう。望み通りになるかは別だがね」 「この…っ」 「さあ、こちらだ。早くしないと取り返しがつかなくなる」 最上の方は唇を噛む。そうすると薄い唇が赤く染まって、紅を引いたように見えた。全く憎悪の表情すら美しい女性だ。 背を向けて嘲笑った松永に、「待て」と最上の方は鋭い声を上げる。 (部屋からわたくしが消えれば、その間にキリエやいつきがどうなるかわからない) 「この娘たちも連れてゆく。さもなくばゆかぬ。勝手に取り返しがつかなくなるがいい」 その位は通してみせる。最上の方は、これ以上哀れな娘たちが傷んでいくのを見たくはない。 松永は胡乱な目で彼女らを見ていたが、やがてくっと唇を上げた。 「好きにするといい」 |
ありえないくらい長くなったので一旦切ります うっかりするとシゲが目立つ目立つ 090811 J |
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