少しずつ与えたヒントを見事につなぎ合わせ、ついには正解を言い当てた道化師に松永は惜しみない賞賛を贈る。 筋書きに深く関わっていた最上の方や義光でさえ、松永の暗躍を疑いはしても狙いまではつかみきれなかったというのに、ははっきりと「欲しいもの」と言ったのだ。 それが何かまでは推測は及んでいないだろうが、完全に部外者だったが―――あるいは部外者だからこそ―――松永の投げやりな期待に応えた事実は、松永の気分を浮き立たせた。 「見事、見事。何もかもお見通しというわけか」 「仕向けたのはアンタだろう?」 挑発的な言い草も、実にいい。 先程茫然自失の態を示していたのが嘘のように、人を食った平静な瞳を歪めてみたくて、松永は「それで」と嘘つきの顎を取った。 「賢明な卿は、どうして私が知りすぎた人間を生かしておくと思うのかね?」 「アンタが松永久秀だからさ」 は確信に満ちた貌をする。 急な角度で唇が吊りあがった。 「アンタに俺の誇りは奪えない」 松永は既にに興味を持っている。それは、話がしてみたいと言ったことから明らかだ。 それがの不明点の多い経歴からか、政宗との関係によるものか、あるいはその全てに起因しているかはこの際どうでもいい。 一度興味を覚えた人間を、松永は容易に殺さない。殺すにしても、獲物の希望を全て奪ってから殺すだろう。 が、もとから持ち合わせていない誇りを「奪えない」とわざわざ強調して言い放ったのは、こう言えば松永は存在しないそれを踏みにじることに全力を尽くすだろうという捨て身の作戦である。 (興味が失われた瞬間こそ刃が向けられる瞬間。こうして化かし合いを続けている間は大丈夫だ) の挑発に、案の定松永は乗ってきた。 「心外だね…卿は、私がそのような外道だと思っているのかね。まあ、いい。心を強く持つのは良いことだ。真実が何であれ、信じればそれが卿にとっての真実となる。もっとも」 松永は流し目を寄こすと、その唇を吊りあげた。 「人を信じることほど、独善的なことはないが」 「何とでも言えばいいさ。独眼竜の爪は、アンタごときが敵うようなナマクラじゃない」 「なるほど、卿の拠り所はやはり奥州の竜かね。結構、結構」 かかった。 は人知れず唾を呑む。松永がの弱点を政宗と誤解してくれたらの勝ちだ。照準を政宗に向けた所で、政宗という的はの心に直結しない。おかあさんという的を隠しおおせば、松永を恐れる理由など何もないはずだ。そう、自分に言い聞かせる。 (おかあさんを守る。おかあさんが守ってくれる) 白く凍える砂漠を、絡め取るような瞳の奥に隠して、は挑むように松永と対峙する。 計り知れない淵のような松永は、そんなに嘲るような息を吐いて、捕えていた顎を引き寄せた。 口内に粘り気のある圧迫感、 噛みつこうにも強い力で顎を押さえられていた。 思考が白熱し、即座に右手が松永の腰に差された宝剣へと伸びる。しかしまるで予期していたように、の細い手首を手甲に覆われた掌が捕えた。 いとも簡単にもう片方の手も絡め取られ、ならばと蹴り上げようにも足の間に膝を割り込まれて思うように動けない。 一瞬で自由を奪われたの背筋に恐怖が疾る。シナプスが爆発するように震え、溢れた恐怖がそのまま冷却材となって思考を白く塗りつぶしていく。 平坦に均された思考の渦が幾通りものシミュレーションを始めた。この男がこんなことをする狙いは何だ。隙ができるとしたらいつだ。あるいは、―――あるいは、この体を暴かれても、どうしたらその後を有利に生き延びられるのか! 大きく開かされた唇が細かく震え始めるころ、散々逃げる舌をいたぶっていた松永はゆるゆると唇を離した。 触れ合っていたことを示すように、お互いの口の端を唾液の糸が繋ぐ。 目を覆いたくなるようなその光景を頭から無視して、自身を睨みつけたの眼差しに松永は嗤った。 「卿の絶望が見たくなったよ」 1 / 2 のクラウン! Sessantacinque : truffatore´ 「異国の神話に、このような話があるそうだ。曰く、浮気な夫を妻が咎めたが、情交の快楽に溺れているのだと責め立てる妻に夫はこう言った。『女の得る快楽の方が大きい』」 燃え尽きようとする紙蝋の灯が、部屋の影をより濃くしている。 視界の端で揺れるその輝きに却って頼りないものを感じながら、松永は饒舌に弁を進めた。 「互いに頑として譲らぬものでね、夫婦は、男女両方の生を生きた経験を持つある男に審判を委ねた。男と女、情交においてはどちらがより多くの快楽を得るのか、と。男は応えた。『女の方がより多くの快楽を得る』」 松永はそこで物語を区切り視線を落とす。 その先には、ふしだらに乱れた衣と汗の浮いた裸身がある。 腹の上の汗を押しつぶすように指を這わせると嬌声があがった。最初のうちこそ音のない息を零すばかりだったなだらかな喉は、今となっては奔放に声帯を震わせている。 「卿はどうかね?」 心に住まわせもしない男に全てを許して。 与えられる刺激にあられもない声をあげるたび、己の心が毒されていく―――自分の体すら、自分の意思で制御できなくなって。 熱に浮かされ、それでも涙一筋零さない瞳が松永を見た。 答えはない。ただ荒い息が空気を揺らす。 その様に言いようのない不服従と悔しさを感じ取り、松永は機嫌よく目を細めた。 凌辱は、女を貶めるのに最も手軽で手っ取り早い手段の一つである。 望まぬ相手に体を押し開かれる苦痛、悔しさ、恐怖は、その心を深く抉る。 時を経て、癒す相手ができようとも、その傷は容易にはなくならない。 好いた相手がいる女なら、尚更だ。 例え相手にそれが知られずとも、我が身の穢れを厭って身を隠す女は古来数多といる。命を絶つ者さえ珍しくないのだ。 彼女たちは、いつか愛と引き換えすることを夢見て貞潔を守る。 つくづく女は欲深いと松永は思う。 一滴の破瓜の血に対し、一生を捧げることを要求する。それが最初の血でなくとも、女が求めるのは常に永遠だ。 女は、男よりもずっと永遠に近い場所にいる。 それは子を孕み、その血を続けていく術を持つゆえか。永遠への手段を持つからこそ、女は貪欲たりうるのか。 それが愛とやらに対してか、快楽に対してかに関らず。 松永が身じろぐたびに切なく震える娘にも、その欲深さが宿っている。 彼自身己の欲深を自認しているから、ねばつく音が耳朶を叩くたび、松永は互いの生み出す業に嗤いがこみ上げる。 未だに不服従を辞めないが喘ぐたび、彼女の中で荒れ狂っているであろう快楽と怒りと悲しみと、悲鳴を上げているであろう政宗を慕う心を思った。助けを呼んでいるだろうか。それとも、死んでしまいたいと思っているだろうか。その奈落を想像するだけで、松永の背筋をぞくぞくと快感が走る。獣のように凛としていた心が砕け散るさまは美しい。 しかし、これで終わってしまっては少々お粗末だと思う。 有体に言えば、つまらない。 小手調べにと、恋する女の弱味を衝いてみたのだが、これで終わることを松永は望んでいなかった。 この、意外なほど本心を覗かせない道化師は、凌辱程度で壊れてしまうのか。 もっと、細頸を絞める指を一本一本沿わせていくような、そんな絶望の与え方をしてみたいものである。 そう考えていたときである。 ふいに、が表情を変えた。 「……っ、驚いた」 「それはっ、なにより」 汗を伝わせながら、翻弄されるばかりだったが逆に唇を吊りあげている。 犯す男と犯される女の構図は相変わらずだというのに、松永には組み敷いている体が隠していた牙を剥いたような錯覚すら覚えた。 「俺に何の夢見てんだ。俺はクラウンだ。おきれいな人間なんかじゃないよ」 アンタが俺に優越を覚えるなら、その優越感を剥ぎとってやろう。 そう言うの獰猛な表情は、しかし同時に張り詰めたような危うさを持ち、松永はの言葉とは裏腹に確かに彼女の内側を抉ったことを確信する。 ただ、それは致命傷には至らなかった。 松永を追い詰めながら、予想以上に強固な鎧を纏っていたらしいは乾いた瞳で彼を見下げる。 松永は壮絶に嗤った。 の無遠慮で、慄いて、傲慢で、硝子玉のような乾ききった視線は、じろじろと松永を眺め回した。その視線には覚えがあった。自分が獲物に注ぐ眼差しに、よく似ている。 松永がを暴き立てようとしたように、もまた、松永を引きずり出そうとしているようだった。 「なるほど、卿は興味深い。小賢しいかと思えば純粋で、かと思えば淀んだ沼――いや、夜の砂漠のように、冷え切った目をする」 独眼竜もとんだ女をそばに置いておいたものだ。別の男とまぐわいながら、背筋も凍るような貌をする。 松永はせせら笑う小さな唇を優しく伝ってみた。噛まれるかと思ったが、は憎むべきその指を噛むどころか音を立てて口づけて見せた。これで満足かと、挑むように。 口づけられた指に松永は一瞬目を見張り―――やがて、声をあげて哄笑した。 も共に唇を歪める。 アンタなんかに俺は傷つけられないよ、 (だって、アンタが奪える誇りなんて、俺の心のどこにもないんだ) 凌辱ごときでが屈するはずがない。 そんなもの、イタリアの裏路地で慣れきった。 屈辱も恐怖も押し隠して演技ができる。不服従を好むなら、望むままにするだけだ。 はクラウン。それが、選び取った道だ。 騙し合いが始まった。 互いが互いに罠を仕掛けて、弱味を掴もうと立ち回る。 冷えたの瞳に思考を錯綜させながら、松永は無意味さを露呈した情交を、 紙蝋が小さな呟きを立てて、燃え尽きた。 |
挿話はギリシャ神話のテイレシアスです 言葉攻めがいまいち物足りなくて不満 しかしこれを続けていくのかと思うと目眩がするorz 090710 J |
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