いつきを引き渡された兵士は、幼い暗殺者に一瞬戸惑いを見せたがすぐに表情を引き締めた。
 強く引き立てられながら、いつきは涙の一筋も流さない。これからこの身を襲うであろう拷問の苦痛よりも、政宗を殺し損ねた悔しさが勝った。燃え盛る怒りに悲しみが入り込む余地はない。

 いつきは、自分がしたことを間違いだとは思っていない。

 政宗は村の仇だ。死んで当然だと思う。
 今、自分は失敗して引き立てられているが、自分のしたことに後悔など微塵もなかった。
 どこか、芝居の主人公を演じているような興奮がいつきの中に満ちている。拷問するならすればいい。それでもこの怒りは消えない。
 いつきの方へ、慌ただしく兵士が駆けてきた。大方暗殺騒ぎに驚いて見物に来たのだろう。無感動にそれを目に映していたいつきだが、予想に反して彼はいつきには目もくれず素通りしていく。
 何とはなしにそちらを見遣って、いつきは凍りついた。

 撒き散らされた味噌汁、
 苦悶の呻き声、
 力なく雪の上に投げ出された、

 「そ…んな…!」

 いつきは愕然とした。両側に、幾人もの兵士が倒れ伏している。
 あるものは嘔吐し、あるものは白眼を剥き、あるものは断続的な痙攣を繰り返して、仲間の呼び声にも反応しないようになるまで苦しみに喘いでいる。
 何が起こっているかは明らかだった。
 何が原因かは明らかだった。
 誰が原因、かも。

 「ぁ…あぁああ……!」

 違う。いつきが殺したかったのは政宗だ。政宗だけだ。こんな、他の人を苦しめるつもりなんかなかった。
 頭のどこかが、彼らが村の仲間を斬ったのだといつきを庇う。それでも、目の前の光景がいつきの所業を糾弾する。お前がしたのはこんなことだったのだと見せつける。
 「テメェがやったんだろ…!」
 硬直したいつきを引き立てながら、兵士がこらえかねたように呟いた。
 ああ、そうだ、オラが毒を盛った。
 思い知らされる。人の死を願った真っ黒な醜さ。今更後悔してももう遅い。毒の粉を払っても、いつきの手には死の臭いが染み付いた。
 声も出せないいつきはどこかの蔵に放り込まれる。しかしそんなことは、意識の表面を撫でるだけだ。
 いつきの目には、苦悶の表情が焼き付いている。
 いつきの耳には、呻き声が幾重にも沈んでいる。
 あの、殺された村人たちと同じ光景を、いつきのこの手が作り出したのだ。



 怒りの炎も掻き消え、咎の重さに震えるいつきの前に、音もなく影が降り立った。
 目もくれないいつきに何を言うでもなく、影は淡々と彼女に近寄り、
 一閃。
 子供の細い体がかくりと折れた。
 手刀を落とされたいつきは意識を失い、冷たい土に倒れ伏す。
 影は軽々といつきを抱き上げると、掻き消えるようにして何処かへと去る。


 あとには、殺された牢番から漂う血臭だけがどくどくと、どくどくと。
 ―――さあ、卿らは、いつまでそのままでいられるかな。











  1 / 2 のクラウン! Sessantadue : robbers in the dark









 最上の方の機嫌が悪い。
 近頃では芸に加えて無聊を慰める話し相手も兼ねるようになったは、その原因をあれこれ憶測する。
 (政宗が、出陣中だからかな)
 やっぱり心配なんだろうなあ。誰かに聞かれれば正気を疑われそうな憶測だ。伊達母子の確執は周知である。とてそれを承知しているはずなのに、それでもそのような憶測を浮かべるところがたる所以である。母親は、どんなに子供を嫌っても(殺害を試みてさえ)結局は我が子を憎みきれないというのが彼の持論だ。ビバ母の愛。


 場違いな感想を抱いたとは反対に、最上の方ははしたなくも舌打ちをしたい気分だった。
 秘密裏に受け取った兄の手紙を思い出す。
 急いで書かれたのだろう、常より少し乱れた文言には、計画の延期が綴られていた。それに至る経緯は大まかにしか書かれていなかったが、最上の方独自の忍の報告を聞いた彼女はそれが政宗の仕業であることを確信した。


 元々、最上の方と兄の義光は伊達領の一揆を煽ることで政宗の注意を逸らし、彼の軍事力を削ることで、反政宗派の大名たちと共に謀反を起こす気でいた。その際の大義名分としてキリエを手中に収めた。得体の知れぬ芸人である彼女は出自すら明らかでない。そんな女を寵愛して国政を疎かにし、一揆を誘発するような男に国は任せておけぬと檄を飛ばすつもりでいた。
 最上の方たちはキリエを政宗の情人と誤解しているので、彼女を手中に収めていることで、政宗に対しては人質、いざとなれば血祭りに上げることさえ可能と考えていたのである。
 もし政宗がキリエを見捨てても、その非情さを責め立てることができる。
 女の身で、家臣でも女中でもなく政宗の近くに侍っていたキリエは、いかようにも利用できる存在だった。

 (だが、兄上が動けぬのではことは始まらぬ)

 政宗め、と唇を噛む。
 義光を最上領に縛り付けたのは、伊達領から飛び火したように頻発する一揆である。
 一揆の芽などどこにでもあるのだが、この時期、この素早さで連続して発生する一揆に糸を引く影が見当たらないはずがない。そして義光が自領に縛り付けられて最も得をするもの、すなわち一揆を操るものは誰か―――決まっている。政宗以外に考えられない。
 政宗は一揆が最上の扇動であることに気付いたかもしれない。それならば報復的な意味でも、牽制的な意味でも、最上領で一揆を扇動するのは道理であろう。義光が動けなくなれば謀反も防げる。
 義光は、一揆の連鎖が恐ろしく早いとこぼしていた。その広がり方はどう見ても自然な広がり方ではなく、確かな意思が透けて見える。

 ―――最上の方は知らないことだが、それは伊達領においても同様であった。
 義光は、彼の描いた絵の範疇を超えて素早く広がる一揆に強い違和感を覚えたのだった。誰か、いる。義光の描いた絵に便乗して、義光の名を隠れ蓑にした第三者が伊達領に操り糸をかけている。
 得体の知れない影を感知した義光は慎重な姿勢を強め、その矢先に政宗の扇動する一揆が勃発したのである。
 最上単体の軍事力は伊達に大きく劣るため(そのため義光は伊達軍を疲弊させようとしたり、反政宗派の諸侯をかき集めようとした)、義光は自領の平定に力を注ぐことにして、暗雲漂い始めた計画から手を引いた。
 いよいよ政宗の息の根を止めると意気込んでいた最上の方は、唐突に無に帰した計画に虚を衝かれる格好となった。


 臍を噛んだ最上の方は、暗い瞳をキリエに向ける。計画が水泡となった以上、彼女をとどめ置く意味はない。
 だが価値はあるかもしれぬ。そこまで考えて、最上の方は自嘲する。
 人質として献じられた女が、息子から人質を取るか。

 「キリエよ、其方は確か、二親を喪っていたな」

 彼女が孤児であることは聞いている。
 気まぐれな問いかけに動じた風もなくキリエは答えた。

 「はい。幼いころ父が死んで、それからは母が女手一つで育ててくれましたが、その母も十二のときに」
 「母御は、どのような女であった」

 こんな親ではあるまい。子を憎む、鬼のような母親では断じて。
 自嘲を含んだ問いかけに、キリエは瞳を緩ませて笑い、

 「すてきな人でした。父をすごくあいしていて、父の遺した全てを守ろうと、わたしを全力であいしてくれました」
 丁度、オカタサマのように、
 「わたしはとても、とても、」
 しあわせでした、と、はいつものようにそう続けるつもりで口を開いた。
 けれども、つっかえたように喉は空気の塊を吐きだすだけだ。

『あいしてる』        『守るっつったろ』


 どういうわけだろう。
 愛を囁いた言葉より、手甲越しのぬくもりを温かいと感じてしまう。心が引き絞るように叫ぶ。温かいのは、幸せと名付けたいのは、
 その先の思考を封じ込めた。
 (それは駄目だ)
 しあわせはおかあさんと共にあるのだ。に一生分のあいを注いでくれた人。彼女は夫の元へ去り、ついにを見ることはなかったけれど、ナイフを振り上げた細い指の先まであいに満ちていたはずなのだから。だから、のしあわせはおかあさん。そうでなくてはならない。
 は笑った。無様な笑顔だった。泣き出す寸前の笑顔で、止まった言葉の先を綴ろうとして、

 「失敬。話の途中だったようだね」
 「…ッ松永…!」

 唐突に障子が開けられ、凍てつく匂いを引き連れた老人が女二人を睥睨した。障子の間から見えた冬の短い日は暮れかけているようで、さながら夜を従えたような登場にさもありなんと頭のどこかで納得する。
 片目の従者が主の後を追うように夕暮れから這い出てきて、警戒心も顕わに後ずさるにぐったりと重い何かを押し付けた。―――瞼を固く閉じた、子供である。

 「……ッ、子供……!?」

 ぎょっとした。すんでのところで名前を呼びそうになってぐっとこらえる。
 (イツキちゃん)
 どうして、と疑問がを覆う。
 驚きから立ち直った最上の方が、恐ろしいほどの怒気を詰め込んだ声を上げた。

 「不躾に割り込んだだけではなく―――この子供は何者じゃ!? ここはわたくしの館、よもや其方の勝手が通るとは思っておるまいな!」
 「それは、そうなのだがね。姫、貴女は知っているはずだ。この時代の理を」
 松永の言葉は絡みつくように空気を這い、笑みを深めた唇から白々しい言葉が綴られる。

 「簒奪の容認。―――悲しいことだがね」

 最上の方が弾かれたように周囲を見回し、大声で家人を呼ぶ。しかし返ってくるのは沈黙ばかりだ。蒼白となる彼女の傍らで感覚を研ぎ澄ませたは、僅かな血の匂いと、館に満ちる怯えの気配を感じ取った。何人かが殺され、残りの家人は拘束でもされたと見て間違いないだろう。
 館は、松永の手中に落ちた。

 「松永ァ…!」

 殺気さえ放つ最上の方だが、松永は意にも介さない。力あるものが弱者から奪って何が悪い。所詮、それがこの世の理なのだ。最上から伊達へ献上され、今息子の命を奪おうと陰謀を企てる最上の方など、自らその理を体現しているではないか!
 松永は滑稽な芝居でも見るかのように、彼女の怒りを嘲笑った。


 松永さん、両手に花(笑
 090621 J

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