千代の部屋から出てきたいつきをハルは寂しげに迎えた。
 死にゆく娘に、少しでも普通の子供のような友人をと彼女は望んだが、ひょっとしたら彼女は千代といつきが相いれないであろうことを予感していたのかもしれない。非難や懇願を予想していたいつきにとって、拍子抜けするほどハルは仕方なさそうに微笑むだけだった。ありがとう、いつきちゃん。その一言に、僅かな望みと、それが破れた無力感が滲む。

 「―――オラ、村へ戻るだ。急がねぇと」
 「…そう…」

 それじゃあこれを持って行って、と、ハルは竹の水筒とまだ温かい握り飯を渡す。やはり彼女は、いつきが去ることを確信していたのだろう。
 ハルはしゃがんでいつきと視線を合わせると、薬の臭いのする手で柔らかく彼女の頭を撫でる。母親の手だ。

 「気をつけてね。北の方では戦が起こっているから」
 「うん」

 戦火の中心であろう村こそがいつきの目指すところである。
 覚悟を新たにしたいつきだったが、続くハルの言葉に凍りついた。

 「伊達様も転戦しているというわ。反抗的な村は根切りにしてると聞くし」


 「 根 切 り …!? 」


 血の気が引いた。
 根切りとは読んで字の如く、女子供に至るまで村の全構成員を根こそぎ殺すことだ。
 怖気に身を震わせながらその言葉を教えてくれた長老も、鍬や鋤を構えた若衆も、不安げに我が子を抱いた女たちも、一切合財関係なく顧みられることもなく、斬られあるいは貫かれ、村一つが血まみれの沈黙に沈む。それが今、政宗の手によって行われている―――!?

 いつきは途端に身をひるがえし、ハルを一顧だにすることなく走り出した。
 心臓が激しく脈打っている。不安がとめどなく溢れ出た。

 (まさか、そんな、だって、約束しただ…!)

 政宗は任せておけと言った。村の衆には、自分が帰るまで動くなと言った。
 けれども、けれども、けれども。

 村の衆はいつきを待たず蜂起したかもしれない。蜂起せずとも、政宗には彼らが蜂起したと映ったかもしれない。政宗は彼らを、反抗的と断じたかもしれない!

 「待って、待ってけろ…!」

 雪道を踏む足がもどかしい。息が切れる。体力がもたない。
 それでもいつきは必死で手足を動かした。不安がいつきを追い立てる。前途の雪景色は、限りなく暗い。










  1 / 2 のクラウン! Sessanta : racket in the night W









 米沢は今日も晴れだ。しかし寒さは一向に緩むことはなく、小十郎は庭を覆う雪に溶け入る吐息を吐きだす。白く凝った溜息は白銀に紛れ、すぐに見えなくなった。
 政宗が出陣して、早数日が過ぎた。
 戦況は、当たり前と言えば当たり前だが順調だ。しかし矢継ぎ早に送られてくる転戦の知らせは、戦果とは逆に小十郎を暗澹とさせた。

 勝っても負けても、一揆は政宗の力を削ぐ。

 村々を力で押し潰すことは、それすなわち伊達領の生産力を落とすことだ。
 いくら連戦連勝でも、次から次へと一揆が起こってしまっては意味がない。

 一つ妙なことがある。
 見せしめに根切りをしたという報せを受けたが(その時小十郎は、政宗が根切りを行ったということに血が凍った)、一揆の抑止力になった気配が全くない。
 逆に農民を刺激して、窮鼠猫を噛む論理で一揆が続発したのかとも思ったがどうもそうではない。
 まるで流れ作業のように、今日はあちら、その次はそちらと戦場が転移している。
 一つに纏まるでもなく、間隔が開くでもなく。
 僅かながら統率された動きも見えるらしく、戦場から送られてくる報せからは周囲の大名たちを探れとの命令も散見されるようになった。政宗も、この一連の流れを不審に思っているらしい。

 しかし周囲の大名に妙な動きはなく―――政宗反対派の最上に至っては、領内で起こった一揆にてんてこ舞いだ。こちらも、政宗と同じように間断なく続発する一揆に転戦しているらしい。
 実は、最上領内の一揆も僅かに組織化された節がある。
 小十郎にはそれがどういうことかよくわかる。―――政宗が糸を引いているのだ。

 周囲の大名を探れと命じながら、最も危険と目される最上には先に細工を仕掛けておく。
 否、先に仕掛けられたのはこちらかもしれない。不自然に続発する一揆が疑念を煽る。

 だが、と小十郎は思う。
 政宗は忘れているのではないか。
 国主が守るのは、その国に住む領民。それは間接支配地である最上の領民も例外ではなく。

 それが今の政宗は、一方で一揆を根切りし、最上の一揆を誘発させている。
 それは、一面では正しい国主の姿かもしれない。
 だが、違うだろうと小十郎は思う。


 『いい加減、覚悟決めろや』


 鋭く放たれた糾弾が耳の奥に蘇る。小十郎は奥歯を噛みしめた。
 (オレは、政宗様に何を望んでいるのだ)
 家族か家臣か。突き付けられた二択に即答できない自分がいる。


 『マサムネが“ヒットー”でいることが、そんなに心配?』


 秋の夜に表情を隠して、核心を突いた道化師。突然姿を消した彼は、今の政宗を見たらなんと言うだろう。
 恐らく何も言うまい。半ば確信する。は根なし草だ。そんな自分に満足しているから、他人にあれこれ口を出さない。小十郎は苦々しく舌を打つ。は要するに、甘ったれの根性無しなのだ。誰とも関わらないということは、自分とも関わらないということだ。のふわふわと浮ついた生き方は、小十郎には度し難い。

 しかし、今の小十郎はと大して変わらない。
 命まで捧げる覚悟を決めたところで、成実の指摘した通り小十郎は最初に決めるべき覚悟をまだ決めていない。

 家臣としての覚悟を決めろ。
 しかしそれは、十九歳の政宗を顧みなくなるということ。ただの青年としての政宗ではなく、主君として政宗を扱うならば、政宗はとうとう玉座に一人きりになる。

 それで本当にいいのか―――煩悶する小十郎は、ふと何かに意識を引かれて顔を上げる。
 見渡した庭は白く雪に埋もれ、そしてその中央には弾かれるように浮き出た緑が、潔癖に花開いた白椿の木が、





 『天下を獲る』





 幾つもの白い冬の向こう側、ぽそりと、しかし刻みつけるように囁かれた決意が、今発せられたものであるかのように耳元に蘇る。
 見下ろした先、白に埋もれそうな小さな背中は、もう一度、今度はより明瞭に、梵天丸は天下を獲るぞ、と宣言した。
 たった一つ残された視線は椿に、あるいはその向こう側、閉じられた母の部屋の障子に注がれ、小十郎にはその瞳に浮かぶ色を見ることは叶わない。それでも、まだ血が滲むであろう眼窩の痛みに耐えながら野望を紡いだ幼い主は、揺らぐことなく凛としていた。
 その背に膝をついて、小十郎は言った。

 「『どこまでも、貴方と共に』」



 白昼夢のような回顧から立ち戻り、小十郎は晴天を仰ぐ。深く、どこまでも昇って行けそうな蒼。
 最初の覚悟はとうにできていた。










 膝が折れた。心も一緒に折れて、いつきはその場にへたり込む。座り込んだ雪の冷たさなど微塵も感じられない。いつきは茫然と、村の惨状を零れ落ちそうなほど見開いた二つの目に映す。
 いつきが生まれ、育ち、愛した村は面影もなかった。
 家があったはずの場所には黒く焼けおちた残骸、炭化した柱が傾ぎながらも天を指し、棟持ち柱の名残が生活の痕跡を押しつぶしている。
 雪の上に散乱する染みや膨らみに新雪が降り積もり、その半端な白さが逆に村を通り抜けた暴力を垣間見せる。雪に馴染まぬ、白く硬直した腕を辿れば、意思の宿らぬ瞳に雪が積もっていた。

 「あ…あ……、みん、な…!」

 村から、最後の息が消えたのは一体いつであったろう。少なくとも昨日今日ではあるまい。
 いつきがハルの温かさにまどろんでいる間に、村ではいくつの悲鳴が冷たい闇の中に埋もれていったのだろうか。

 「そんな…信じて、たのに…! まかせとけって、言ったのに…!」

 止めどなく涙が雪を穿つ。信じると言ったいつきに政宗はまかせろと言ったのに、その結果がこのざまだ。
 感情の塊が喉を圧迫して息苦しい。寒さなど感じない、むしろ体中が燃え上がるように熱かった。
 寒さでも悲しみでもない理由で肩が震える。

 「許さ…ねぇ…!」

 歯列の隙間から漏れ出た声は、獣の唸り声のように低く激情に満ちている。
 涙で濡れた瞳をあげる。ぎらぎらと、憎悪が虹彩を輝かせた。

 「許さねぇ…伊達、政宗…!」

 雪を握りこんだ拳が白い。渾身の力で握りかためられた雪にめりこんで、いつきの爪から血が滲む。
 深くどす黒く呪った。(殺してやる)。

 さくり、と、雪を踏む音が聞こえた。かちゃりと鳴る金属音。刀と鞘の触れあう音。
 低く落ち着いた声が耳朶を打った。

 「大丈夫かね」

 労わるような声に、涙の跡を頬に残したいつきは振り返る。
 足元から順に見上げれば、そこには見知らぬ老侍がいて、彼は憐れむようにいつきの前にしゃがみ、





 そしていつきは、舶来の毒の小瓶を受け取った。


 神出鬼没、松永さん
 漫画のように画面で見せたい場面が多いのですが
 私絵描けないんだ…どうやったら文章で表せるかな
 090528 J

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