妙な芸人が上田城に寝起きするようになって数日が過ぎた。 彼は口を開けば異国語、もしくは愚にもつかないことばかり楽しげに囀っている。 この短い期間に、何度か幸村の求めに応じて彼は曲芸を披露していた。 その芸は無言劇から体術じみたものまで多岐にわたり、その度に佐助の主は手を叩いて喜んだ。 幸村の声は、常々叫び倒しているせいかやたらとでかい。 しかも青年期特有の、澄み切った伸びる声である。 おかげで、彼の歓声が弾けるたび、上田城の住人や武士たちが好奇心に駆られてやってくる。 結果見事に彼らは観衆と化し、芸が終わるに至っては暢気にもを諸手で歓迎する始末だ。 貴様等それでも策謀渦巻く乱世に生きる人間かと問いたい。警戒心はどこへやった。 見張りにかこつけてしっかりちゃっかり芸を楽しんでいる自分は棚上げである。 しかし、腐っても佐助は有能な忍だ。 (見事にまぁ、シロだねぇ) 心の帳面を繰りながらそう思う。 身のこなしは尋常ではない。 しかし、彼の筋肉は戦うために作られたそれとは微妙に違う。 小刀の扱いに長けてはいるが、剣術はからっきしだった。 (ジャグリングを見た幸村が道場に連れ込んだのだが、は風を切って向かってくる竹刀に悲鳴をあげて逃走し、あろうことか神棚にへばりついた) 何かを探るような動きがあるわけでもなし。 街に行きたいと言ったので泳がせてみたら、街角で曲芸を披露して子供に群がられて楽しそうにしていた。因みに彼はその後酒場に行き、オネーサマ方と歓談していた。可愛い顔して侮れん奴である。 他にについてわかったことといえば、魚は食うが肉は嫌いということ(肉を残そうとすると残すのは許さんという幸村の間で箸を用いた壮絶なバトルが繰り広げられた)(鶴の一声ならぬ佐助の一声で二人は静かになった。推して図るべし)、やたらと保存食を作りたがることである。 は保存食について並々ならぬ執着を見せた。 毎食の後に必ず厨へ赴き、余った食材をいくらか貰う。その後彼はそれを保存がきくように慣れた手つきで加工して、竹筒や瓶に詰めて持ち歩く。 上田城内で遭難するつもりでもあるのかと聞いたら、可能性は大いにあると胸を張られた。 彼は枕元にまで保存食を置くのである。 だが、そんなものはまだ序の口だった。 そんなに保存食ばかり作って食べ切れるのかと佐助が問うと、はにこやかに試供品を提供した。 「日にちを明けて食ってみろよ。それ3ヶ月以上味変わらないから」 「へぇ、どれどれ……」 きゅぽんと音を立てて竹筒を開く。 げっげっげっげっげっげ 佐助は素早く竹筒を閉じた。 「……………」 待て待て待て、今のはなんだ。幻聴か。 俺様疲れてるんだろうか、そういや最近見張りでろくに休んでない。 意を決してもう一回。 きゅぽん。 げっげっげっげっげっげっげ 「………………………………」 幻聴じゃなかった。 むしろ幻聴であって欲しかった不可解極まる笑い声が、そう笑い声が何故か、どう考えてもさして大きくもない竹筒から登ってくる。 竹筒の中身? 知りたくもない。 曰く保存食が詰められているはずの中身には視覚が勝手にモザイクをかけた。 生存本能というやつだろう。 「ねえちょっとの旦那、」 これ何の嫌がらせ? 天地が引っくり返ってもコレが食べ物であるはずがない。 食べ物は鳴かない。笑わない。保存食も食べ物である以上そうであるはずだ。 がどんな材料を使ったか知らないが、よりにもよって「げっげっげ」などと悪役笑いを上げるモノが食べ物とは断じて認められない。 そもそも何故野菜や魚が笑うのか。奴等に声帯はない。 不自然に顔を強張らせた佐助には訝しげな顔をした。 手元の竹筒を覗き込み、 「腐ってないよ? 味も落ちてない」 「そういう問題?!」 どう見てもナマモノのコレが保存食と呼べるのか、いやそれ以前にもっと気にするところは山ほどある。 毒といわれた方がまだいい。 今までろくでもない人生を送ってきたが、これはその中でも一、二を争う「触りたくない物体X」だ。 こんなものにされてしまった材料が可哀相である。 未知の生命体の一部をつまみ食いするに佐助はふっと遠い目をした。 分かりあえないのが、人間である。 1 / 2 のクラウン! Sei : 上田城の道化者 上田城の朝は早い。 城主たる青年武将・真田幸村が早朝の乾布摩擦と荒稽古を日課としているからである。 朝っぱらから響きわたる野太い男どもの雄叫びで上田城は目覚める。 ある意味とても武田らしい朝だ。 ちなみに乾布摩擦は信玄の趣味が幸村に感染したものである。 感染った時、そんな早く老けなくてもと某忍は嘆いた。 しかし、そんな上田城にも寝汚い者は存在する。 旅の芸人・である。 初日こそ気合の声に肝を潰して飛び起きた彼だが、二日目以降は寝返りすら打たなくなった。 見事な順応力と言えよう。 今日も今日とて、裂帛の気合など微風のようにほっぺたで受け流して丸くなっている。 「……―――朝でござるぞ殿!」 スパァァン! 障子をたわませつつ開き、朝っぱらから暑苦しいこと極まりない爽やかさを振りまいて幸村が飛び込んできた。 その登場と同時に、いままでが嘘のようにが直角に体を起こす。まるでバネ仕掛けのおもちゃか何かのようだ。 しっかり閉じられていた瞳はくわっと見開き、寝起きとは思えぬはっきりした思考が始まっているようだ。 口元にはしっかりよだれの跡がついていたが。 「おはようございまする殿!」 「おう、Buongiorno, ユキムラ。今日も熱血だなー」 「ぶぉん…? 異国語はわかりませぬ。日本語で喋ってくだされ」 「あっと、Mi scu…いやいや、ごめん。もう癖になってるんだよ」 たかが5年、されど5年である。 イタリア暮らしはの生活習慣を日本のそれから遠ざからせた。 例えば上田城についた時彼は土足のままあがろうとしたし、箸だって必死で使い方を思い出さねばならなかったのだ。 は朝餉が出ることにも驚いた。 イタリアの朝食といえば、ペイストリーというクッキーとカプチーノかカフェラッテが定番である。 なので彼は「朝っぱらからこんな豪華な……!」と、白米と味噌汁、漬物という質素な日本式朝食の典型を拝み倒した。 大げさに感謝された上喜びのハグまで贈られた女中はその場で倒れた。 の喜びようを、朝食を抜かねばならない赤貧の中にあったと解釈した幸村は、滂沱の涙を流しつつ彼の飯を特盛にしてやった。 調子に乗って食いすぎたは腹痛を起こしてのたうったが、これは後日談である。 他にも異文化交流と彼特有の珍プレー好プレーは枚挙に暇がなかったが、はおおむね故郷の生活を気に入っていた。 気になることといえば、現代日本のはずなのに電気機器が一つもないこと、やたら古めかしいこと。 どういうこっちゃと頭を捻ったが、元々考えるのに適した思考回路はしていない。 三歩歩いて、そもそもの疑問自体を忘れてしまった。 「もうすぐ朝餉でござるよ」 「おお! 今日のメニューは何かな!」 「殿も、朝餉の前に稽古をすべきでござる。一汗流した後の飯は何倍も美味いのに」 「柔軟体操ならしてるよ。けどケンドーは勘弁。俺には向かないよ」 「そんなことないでござる! 殿の身のこなし、刃物の扱い方…」 「そりゃ俺はクラウンだからねー」 「くらうんとは、ただの道化ではございますまい。体術まで修めておられる」 (あれは喧嘩と報復の賜物なんだけどな) の思考は既に飯へと向かっている。 日本の飯は美味い。これがオフクロの味という奴か。 しかし少しだけ物足りないのは、コーヒーが存在すらしてないことである。 コーヒーはイタリアの魂だ。 はことあるごとにコーヒーを飲んでいたし、自他共に認めるカフェイン中毒だ。 空きっ腹にコーヒーは悪いと知りつつも飲む。 半日飲まないとカフェインが切れた、カフェインをくれとどこぞの薬中のように縋りつく。 幼い記憶によればコーヒーは確かに日本に存在していた。 大抵の自販機には常備してあったし、むしろこんなにコーヒーはいらんからオレンジジュースを置けと幼心に思ったものだ。 なのに、ここにはない。 コーヒーのコの字も見当たらない。 一日は我慢したが、その日の夜には墨汁がコーヒーに見えた。 危険である。 そして二日目、はキレた。 食後の茶を飲む幸村と、どこからかやってきた佐助の前で床にはいつくばったのである。 ぎょっとした二人の前ではふ、くくくくくくと悪魔のように笑った。 「ど、どうしたのでござるか殿……?!」 「やっぱりあんなモノ食べるから…」 「うああああカフェインが切れるぅぅぅう! 脳が溶けるうううぅ」 「殿おおぉ?! し、死んではなりませぬ! 佐助薬師だ、薬師を呼べ!」 「腹下しの薬出すだけで良かないかい」 「それだけで足りようか! いいから薬師だ! 殿もう大丈夫ですぞ、真田の薬師は腕が良いのです!」 「クスシ…?」 「医者のことでござる」 「………ッ! いやぎゃああああああ殺されるううううぅぅ!! タミフルが薬害が白い巨塔がああああ―――!!!」 は途端に顔色を変えて逃亡を図った。 非常に敏捷な動作である。忍顔負けの身のこなしに一瞬目を見張ったが、佐助はすんでのところで彼を捕まえた。 手足を振り回して離せ許せと喚くに困惑しながらも、幸村が佐助に加勢する。 二人がかりで羽交い絞めにしなければ、はわずかな隙をついて逃亡しただろう。 「ちょっ、落ち着いてよの旦那!」 「これが落ち着いていらりょうか! 針が穴あけてそこから棒が抜き差し抜き差し入ってきて液体が体ン中に放出されて、ひぎゃあああ壊される―――!!」 「旦那の情操に悪いから黙れこの道化ェェ―――!!」 忍にあるまじき荒げた声で佐助が叫び、の絶叫と幸村の号泣に被る。死んではなりませぬどのぉ。 やがて大騒ぎですったもんだを繰り返す部屋の障子が、とても控えめに開かれた。 「あの……食中毒と伺いましたが」 「俺健康体ですから! O−157も痴呆も水虫も無縁ですから――――!!!」 ――――…そういうわけで、はあっさりイタリアの魂を捨てたのである。 だってカフェイン欲しがったら白い悪魔が来るんだ。 としては苦渋の決断だった。 |
品性を疑われそうなネタだ(笑) 080125 J |
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