救急車のように妙なエコーを残して幸村が走り去った後、はしばらく呆然としていたが、体がぶるりと震えたのでともかく風呂に入ることにした。
 戸を開けると湯気が柔らかく体を包む。
 見下ろすと否応なくあああアレがソレがな状態のここそこが目に入るので、足元は見ない。
 風呂は木と湯のいい匂いで満ちていて、の大和魂を刺激する。
 海外暮らしで何が恋しいって、白米と温泉と暖房便座だ。
 冬場のトイレは太股から冷えるのである。

 は湯船に手を入れた。

 (いい湯加減……!)

 幸村の好みそうなやや熱めの湯は、の好みにも合った。
 手近な桶を使い、まず掛け湯をする。
 冷えた肌を打つ熱水が気持ち良い。

 「極楽…!」

 冷えすぎていた足の指先がじぃんと染みる。
 早く湯船に肩までとっぷり浸かろうと、は醤油樽のような浴槽の縁に手をかけた。
 ふと気付く。
 それは男の手にしては小さな、けれどもしっかりと骨ばった傷だらけの手。

 「お?」

 あえて見ないようにしていた体を見下ろす。
 育ち盛りの青少年にしては細く華奢な骨格。それでも薄く筋肉のついた体。
 当然の如く胸は平地である。
 そして更に視線を下げればほにゃららら。

 「おおおお!!」
 (息子が帰ってきた!)

 気分は、焼け野原となった家の片付け中に戦争帰りの息子を見つけた母だった。
 ガッツポーズ。
 今なら全裸で風呂から飛び出したアルキメデスの気持ちがわかる。
 流石に猥褻物陳列罪でお縄になる気はなかったが、その罪が適用されうる身であることが嬉しかった。

 ひょっとしたら、世の露出狂に理解が芽生えたかもしれない瞬間だった。










 1 / 2 のクラウン! Cinque : 不思議生物U 〜幸村、大人の誘いを受ける〜









 不思議な作りの鞄からこれまた不思議な着物(ジャージ)やら、不思議な長方形や筆のような雑貨(化粧品)(佐助は知るべくもないが、ダンサーのお姐様方が嬉々としてに与えた)やら、透明な固い箱(瓶)に入った保存食やら、演技に使っていた小刀一式やらを取り出してはためつすがめつしていた佐助は、物凄い足音と共に近付いてくる雄叫びを知覚するや、取り出した諸々を鞄に戻した。

 「全く、今度は何をやらかしたんだか」
 「……―――ぁぁぁああれんちいいいいいいい!!!」

 ズパアァァン!

 「佐助!」
 「旦那、障子はもうちょっと優しく開けてよ。ただでさえ細い骨が折れちゃう」
 「す、すまん…ではなくてだな、佐助!」
 「はいはい」
 「介錯は頼んだ!」
 「はいは……何ですと?!

 ぎょっとして目を剥いた佐助をよそに、幸村は叫んだ。

 「申し訳ございませぬお館さむああぁ―――――!! 殿おおぉぉ―――――!!」

 佐助も叫んだ。

 「旦那一体何しでかしたの落ち着いてえぇ―――――!!」










 五右衛門風呂でお約束のように尻に火傷を負ったは、それでも風呂を堪能して湯から上がった。
 息子も戻ってきたし万々歳だ。

 とっぷりと湯に浸かった体は赤く火照っている。
 水風呂にでも入りたいと思う。浸かりすぎて熱い。


 ふと、の頭にちょっとした閃きが走った。


 「…………まさかな」

 漫画じゃあるまいし。
 口元が引き攣っている。視線は手桶の中で冷めた湯=水にロックオン。

 (確かに水…っつーか雨には濡れたけど)

 いやまさかまさか。
 否定する理性に反し、頭にチャイナなポップミュージックが流れ出す。
 まさかそんなはずないって俺、だって娘さんが溺れた泉になんて入ってないし。中国も巡業はしたけど秘境になんて行ってないし。
 暗示のように否定すればするほど不安になった。
 漫画というなら、そもそも日本への帰還手段からして漫画のようなものだったのだ。
 ごくり。
 唾を飲み込む音が響いた。
 ぴちょーん。
 湯船に落ちた水滴の音。
 は震える手で手桶を持ち上げる。

 「Deh…… ! (後生だから……!)」
 (神様仏様キリスト様団長様お姐様!)


 何も変わらないはずだ、いや変わらないでくれ。
 手桶を高く持ち上げ中身を浴びる。
 果たして。


 「Noooooooooooooooooo――――――!!!!!」

 少年だった少女は、がっくりとうなだれた。





 絶望的な仮説が証明された直後、は湯を浴びて男に戻った。
 その「戻れる」という生命の神秘に嬉しいんだか悲しいんだかわからない複雑な感慨を抱く。
 猿が人間になるよりも凄まじい進化(?)を見たら、ダーウィンはきっと卒倒するだろう。

 (むしろ俺が卒倒したい)

 はは、と虚ろな笑い声。

 とりあえずは、自然の摂理に真っ向から反抗する体質を深く考えないことにした。
 何故なら彼はUFOに誘拐された身なのである。
 一つや二つ改造が施されていても不思議ではない。

 とんでもなくしょっぱい。
 ショッカーに改造された仮面ライダーの気持ちを、身を以って経験することになろうとは思わなかった。



 鼻血が散る浴衣を着るのは正直嫌だったが、裸で出歩くわけにもいかないので仕方なく着る。
 …………着物の着方がわからない。
 現代日本人の宿命である。
 仕方なく、適当に着て適当に帯を縛る。
 胸元が開きすぎてかなりセクシーなことになった。

 (まあ、幸村ほどじゃないし)

 そう思いながら廊下に出ると、遠くから件の幸村の絶叫が微かに響いてきた。

 『申しわけございませぬううううぅぅぅぅ』
 『旦那落ち着いてええぇぇ』

 ああそういえばノゾキが一匹いたっけな。
 は遠い目をした。
 さて、あの熱血純情少年をどうしよう。










 音源に足を踏み入れた途端、乾いた鼻血がついた顔と困り果てた顔がこちらを見た。

 「殿!」
 「の旦那!」
 「…………Mi scusi (すみません)」

 は晴れやかな笑顔を浮かべた。両目はしっかり笑顔の形で閉じた。


 すー、ぱたん。


 ついでに障子も閉じてあげた。
 固まった笑顔のままだ。
 そのまま回れ右をする。
 上田城はやたらだだっぴろい。ちょろっと見て回るだけで、大分時間は潰せるだろう。
 さっき見た光景? んなもん忘れた。
 
 自由恋愛は大いに結構だと思う。
 伊達に長年海外暮らしをしていない。
 だからこれは暖かい気遣いなのだ。濡れ場を見られて喜ぶ奴はおるまい。

 「ちょっとちょっとの旦那ッ! どこ行く気?!」

 ずぱんと障子を開けて、佐助が追いかけてくる。

 「俺に構うなよ佐助。ごめんな、邪魔しちゃってさ。大丈夫、俺2時間くらい帰ってこないから!」
 「何を誤解してるのか知らないけど、それ以上言ったら殴るよ」
 「すんませんっしたァ!」

 驚くべき速度で体を90度に曲げる。
 ちょ、佐助その笑顔怖いマジで怖いから!
 冷や汗だらだらで謝罪するを前に、佐助は溜息を吐いた。
 彼の誤解も、わからないではないのだ。
 何しろ疑惑の瞬間、佐助は暴れ騒ぐ幸村を取り押さえていたのであって、幸村は例によって例の如くやたら露出度の高い格好だったのであって。
 つまりは、揉み合う様がそういうふうに見えたということ。
 頭痛を催す事実である。


 が静かな恫喝を受けていると、我に返った幸村の大音声が響いた。
 
 「申し訳ない殿おおォォ! 拙者、拙者殿が女子だとは露知らずっ! この上は腹かッ捌いてお詫びをおおおぉぉ―――――ッ!!!」
 「んなの見たくねーよ笑えねええェ!! よく見ろ俺は男だコラ―――――ッ!!!」

 とんでもない詫びを入れた幸村に、半ばキレぎみのが喧嘩腰で止めにかかる。
 佐助もそれに加わったが、心中は一つである。

 待て。待て。
 今何を言いよった旦那?
 確かには男にしては華のある顔立ちをしているが、豪快に肌蹴た胸はまっ平らの洗濯板だ。
 しかも、「よく見ろこの野郎!」との掛け声も勇ましくは諸肌脱いだ。
 細っこく白いが、薄く筋肉のついたしっかりばっちり青少年の上半身。

 「キャー――ッ! は、破廉恥でござるぅぅ」
 「あっ、目ぇ閉じんな! ほらどこにAカップがあると?!」
 「キャー――ッ!

 苛立ったが細い指で幸村の大きな手首を握り、ぺたぺたと自分の胸に押し当てている。
 その度に幸村は青くなったり赤くなったり白くなったり、奇妙な悲鳴をあげた。


 キャーってあんた。
 佐助は激しい頭痛を催した。
 医者を呼ばなきゃ。
 幸村を診るためか佐助を診るためかは定かではない。

 遠い目をした佐助の傍らで、頑なに目を閉じた少年が新しい鼻血を垂らしていた。





 一頻り騒いでようやく幸村は落ち着いた。

 「で? 何がどうして、旦那はの旦那を女の子だと思ったの?」
 「うぅ、は、破廉恥でござ…」
 「Stai zitto(黙れ)。よし幸村、順を追って説明しよう?」
 「じゃあまず、旦那は着替えを届けに行ったんだよね?」
 「そうでござる」
 「よし次。そのまままっすぐ風呂場に行ったの?」
 「そうでござる。脱衣所の戸を開けて、そうして……ぬおぉぉおお」

 茹蛸のように赤い顔を抱えた幸村を見下ろし、と佐助は顔を見合わせた。
 アイコンタクトで通信開始。

 (まさかとは思うけど)
 (それ以上言うなよこの胸板が目にはいらぬか)
 (そうだよねぇ)

 通信終了。
 佐助はすぐさま、放っておけばまた切腹と言い出しそうな居た堪れない子供を宥め始めた。
 は内心胸を撫で下ろした。
 疑う余地もなく男である彼を見ている佐助は幸村の言葉をまともに取り合っていないが、幸村の証言は真実である。
 自分でさえ疑っている、いやむしろ幻であってほしかった現実を悟られてたまるものか。
 彼の心情はそれに尽きた。

 (いっそ、ゆめまぼろしにしてしまえ)

 「なあユキムラ、お前って年いくつ?」
 「? 17でござる」
 「同い年か」

 は訳知り顔で頷いた。

 「なあ、俺が実は女の子でストリップしてたっていうの、お前のトンデモ妄想だったんじゃないか?」
 「………ッ! 申し訳ございませぬお館様ァァ――――!!! 拙者、拙者なんという破廉恥な妄想をおぉぉ―――――ッ!」
 「ちょ、仮説だから旦那落ち着いてよぉぉ!!」
 「ユキムラ落ち着け! ほら真似してみろ! ひっひっふー、ひっひっふー」
 「ひっひっふー」
 「の旦那……それ、一体何かわかってる?」
 「落ち着く方法だろ? 姐さんたちがこれさえ知ってればいざという時も安心って言ってた」

 佐助は非常に可哀相なものを見る目をした。
 しかしには憐れみを受ける心当たりなどとんとない。

 「ひっひっふー…、ひっひっふー」
 「よーしユキムラ落ち着いたか? この指何本?」
 「三本」
 「Si (そう)。いいかユキムラ、よく聞けよ」


 この辺りで佐助の胸に嫌な予感が走る。
 いわゆる虫の知らせというそれは、救いがたいことに的中した。

 「恥ずかしがらなくていいんだ。いいか、俺たちくらいの年ならいかがわしい妄想なんざ逞しくて当然だ。健全なんだよ」
 「の旦那何言い出すの?!」
 「何だよサスケ、お前にも覚えはあるだろ?」
 「俺様は妄想に頼る必要なんかなかったよ。何しろそういう仕事もあったから」
 「………サスケってば何者?」
 「俺様のことはいいから。旦那に変なこと教えないでよ」
 「変なことってなんだ! いたって健全な相談室じゃないか!」

 腐っても妄想爆発なお年頃、その上イタリアのサーカスという社会で育ったである。
 周囲を見回した結果、そういう欲求は当然のことだと骨身に染みこんでいるのだ。
 イタリアは愛の国である。

 「今度、サスケにオネーサマ方のとこに連れてってもらうといいよ」
 「せ、拙者そのような欲求など……!」
 「あんまり無責任なこと言わないでよ。まるで俺様が常連みたいじゃん!」
 「無責任なもんか! ユキムラ、お前まだなんだろ? いい機会だから行ってこい。ただし礼儀正しくな」
 「は、はれ、破廉恥ィイイ!」
 「その言葉のどこが無責任じゃないっていうのさ!」
 「ちゃんと礼儀正しくあいしあうところ」
 「………もう黙って。旦那が湯気出してるから黙って。これ以上変なこと言わないように黙って」

 心外だとばかりに目を丸くするを、佐助は心底殴り倒したいと思った。


イタリア語でもNoはNoです。
あと主人公は純潔じゃございまs
080125 J

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