最北端一揆、再発す。

 その報せを、政宗は弓の稽古中に受けた。
 刀ほどで無いとはいえ、父の意向により武芸一般の腕は並以上に鍛えられている。きりきりと弓を引き絞り、部下の焦った声を右頬で受け止めた政宗は、返事の代わりに矢を放つ。弦が高く鳴き、刹那の間に的の中心へと吸い込まれた矢。かつて道化師が弄んだ玩具の矢とは比べものにならないほどの機能美がある。洗練された、射殺す道具。
 傍らに控えていた小十郎に弓を預けると、政宗は眉を寄せて笑った。

 「Little rascals(悪戯小僧たち)…お仕置きが必要だな」

 壮絶な影を感じ取る。小十郎の背に戦慄が走る。
 次の戦は、先のような甘い処置は取られまい。農民は国の基盤、一揆を力で押し潰すは我が体に刃を突き立てるに等しい。それでも、国主として許してはならぬ一線というものが存在し、農民たちは今回その線を侵したのだった。
 小娘、と小十郎は嘆く。小さな体を震わせて、必死で服従を誓ったいつきは、前言を翻して再び武器を取ったのか。怒りとも失望とも悲しみともつかぬ感情が身の内に溢れる。

 「小十郎」

 静かに呼ばれて、小十郎は思考から現実へ立ち戻る。歩きはじめようとしていた政宗が立ち止まり、しかし小十郎を振り返ることはなく、切れ長の視線のみを彼にくれた。
 唇がゆっくりと開閉し、紡がれた言葉は、常になく淡々としている。

 「今回、お前は来なくていい」

 理解するのにしばらくかかった。

 「……何を仰います。政宗様の背を守るのは」
 「成実がいる」

 今回お前は来るな、と。
 決まったことのように言われて、小十郎は刺し貫かれたような衝撃を受けた。
 小十郎は政宗の背を守ると誓い生きてきた。政宗のためなら命さえも投げだせる。今回の鎮圧戦にそれほどの危険があるとは思えないが、万が一を期すのが主従の常識であり、小十郎の覚悟なのだ。それを拒否されて、小十郎は眉を吊り上げる。政宗は何を考えているのか。成実云々ではない。小十郎の覚悟をまるで重荷のように扱った政宗にプライドを傷つけられたのだ。
 小十郎の反論の先手を打って政宗は歩行を再開し、諦めたように言い訳をした。

 「I’ll be a monster this time.(俺は今回、鬼になるからな)」
 「ならばこの小十郎も、付き従うまでです!」
 「小十郎」
 「ッ、離せ、成実!」

 叫んで追随しようとした小十郎を、近くに控えていた成実が止めた。掴んだ小十郎の腕を万力のように締めあげて、成実は小十郎を睨み上げる。目元が政宗との血の繋がりを感じさせた。
 政宗の面影をだぶらせて、成実は何もわかっちゃいない同僚に殴りかかった。

 「テメェ、いっかげんにしやがれ!」

 予備動作なしの拳は小十郎の顎をとらえ、骨と骨のぶつかる硬い衝撃を爆発させた。成実は体格で小十郎に劣るが、武勇で鳴らした男の拳は半端ではなく、大きく上体を反らした小十郎は咄嗟に後ろに足を配し、しかしそれを予期していた成実は容赦なく彼の重心を蹴り飛ばした。
 無様に尻もちをついた小十郎の胸倉をつかみあげ、成実はとどめとばかりに頭突きを見舞う。伊達家随一血の気の多い男成実の頭は石頭だ。あまりの衝撃に目前が白くなる。小十郎様ァと凍りついていたらしい部下が情けない声を上げたが、直後彼は成実から凶眼を向けられたらしく、裏返った悲鳴をあげて逃げて行った。
 なんとかダメージから立ち直った小十郎は荒っぽい表情を浮かべたが、マウントポジションを取った成実の拳が彼の口をもう一度黙らせた。衝撃と共に鉄錆の味、唇を切ったらしい。

 「まだ目ェ覚めねぇのか」
 「あんだと…!?」
 「殿がテメェを残してく理由が、まだわかんねぇのかよ!」

 成実は叩きつけるように怒鳴る。
 犬歯を剥きだして小十郎を睨みつけ、成実は竜によく似た顔で言った。

 「いい加減、覚悟決めろや」

 家臣になりたいのか、家族になりたいのか。

 成実に言わせれば、小十郎はいかにも中途半端だ。
 政宗のために命を投げ出す、その覚悟は本物だろう。しかし、小十郎は政宗を第一に考えながら、農民たちにも同情している。
 それは人として当然だろう。けれどもそれでは、今回の鎮圧戦で政宗を守る資格はないと成実は思う。
 政宗は言ったのだ、此度の戦は鬼になると。それを小十郎が諌めてはいけない。小十郎が政宗の家臣ならば、政宗のために諌めるべきであって、農民のために諌めてはいけないと成実は思う。

 (オレは、殿の家臣だ)

 政宗の意のままに、政宗のために働く。そのために誰の血をかぶろうと、首を刎ねようと、成実は後悔しない。政宗のためなら地獄に落ちてもいいと思う。そう思わせてくれる政宗が好きで、誇らしくて、これ以上の主はいないと思うのだ。
 それなのに小十郎は、政宗を王座から降ろそうとしている。彼がそう意図していなくとも、政宗を「主」から「青年」へ戻そうとしている。
 人倫を説くのはいい。それは人を治める上で必要なことだろうから。
 しかし、人の上に立つ者は、その分非情さを必要とされる。それなのに小十郎は政宗をただの青年のように扱いたがるから、政宗はそれに居心地の悪さを感じるだろう。主君と家臣であるはずが、主君など求めていないのだというような態度の小十郎。
 家族にでもなったつもりか。
 小十郎が逃げ道を用意したとて、家臣の心配りに主君たる政宗が甘えられるものか。

 間違ってはいけない。政宗は主君で、小十郎や成実は家臣なのである。

 「オレたちが殿の覚悟を揺るがせるなんてこと、あっちゃならねぇよ」

 政宗は鬼になる覚悟を決めている。ならば成実はそれに従おうと思う。
 それで死んでも本望だ。
 成実は立ちあがると、そのまま政宗を追って走り出した。振りかえらなかった。
 兄貴分の無様な顔など、見たくはなかったのだ。










  1 / 2 のクラウン! Cinquarantotto : racket in the night U









 三好三人衆に見つかってはいけないと考えたいつきは、雪深い獣道を選んで奥州を目指した。
 何度も迷い、くじけそうになりながらも必死で雪をかき分けた幼い手足は冷え切り、一歩歩くごとに痺れるどころか刺すような痛みが走る。
 それでも歩みを止めようとは思わなかった。村の仲間の名前を紡ぐ。荒い息とともに音は白濁として消えていく。

 (もう、少し…!)

 雪をかきわけ、かきわけ、かきわけて、ようやく閉じた山の匂い一色だった空気が密やかな変化を孕み始めた。
 人里の、埃っぽさと少しの温かさを含んだ独特の雰囲気が広がりはじめ、ようやく開けた視界に米沢城の威容が小さく見える。

 「つい、た…!」

 いつきは転がるように駆けだした。少しずつ、少しずつ城が大きくなり、やがてぽつぽつと民家が目につくようになって、ついには両側に町家が並ぶ。冬だけあって行きかう人は少なかったが、村とは比べものにならぬほど洗練された人の波は、それでも村の祭りより多い。
 しかし普段なら口を開けて見入ったであろう光景も、今のいつきには上滑りするだけだ。
 (早く、青いお侍に会わねぇと…!)
 棒のような足を動かし、人波をかきわけようとしていたいつきだが、どうした偶然か人波のどこかで交わされる会話が耳に入った。

 「やっぱ、政宗様の行軍はくーるだなァ!」
 「しかもとんでもなく強ぇ! 今回の戦もすぐに終わるに一両!」
 「あ、ずりぃ、オレも!」


 「 い く さ ……?」

 いつきは呆然と呟いた。怖いものでも見るように、恐る恐る首を巡らせた先では、何人かの男たちが談笑している。
 彼らの主君を称える言葉が次々飛び出す話の輪を凝視して、いつきはふらふらと歩き出す。近づくにつれ話の内容が詳しくわかり、農民、一揆、最北端と、覚えのある単語がいつきの鼓膜を震わせる。
 輪の近くで立ち止まったいつきに男たちの一人が気付き、「どうした、迷子か嬢ちゃん?」と親しげに話しかけてくる。
 わななく唇で問うた。

 「青いお侍さん、戦に行ってるんだか…?」
 「青い…? ああ、政宗様か? そうだ、最北端で何度も一揆を起こすきかん坊たちに、灸を据えに行ったのさ」

 絶句した。思考が真っ白になり、一瞬周囲の喧噪も色も消える。
 疲労が水を吸った毛布のように重くのしかかってきた。胸に広がる絶望、徒労感。どうして待てなかっただかという村人たちへの叫びはそのまま、間に合わなかったという自責の刃に変わっていつきを深々と貫いた。
 立っていられなくなって膝をつく。見開いた眼から涙がこぼれた。瞳は、面白いくらいに取り乱す男たちを映してはいても認識はしない。遥か雪に閉ざされた村は、今頃どうなっているのだろう。剣戟の音が響いているのだろうか。赤く染まっているのだろうか。仮面の侍の策略にはまって。今度こそ政宗の刀で。

 「やめてけろ…やめて…」

 うわ言のように呟いて、いつきの小さな体が傾ぐ。
 米沢の道に倒れたいつきの眦から、涙が一つころりと落ちる。
 肌を流れて地面に落ちた雫は砕け、小さな丸い染みを作ったが、冬の湿った地面ではすぐに周囲と馴染んで、消えた。


 小十郎と成実の衝突は絶対書きたいシーンでした
 もっと上手く書きたかったなあ
 でも、成実はこんな感じ。政宗に心服してて拳を出す
 090516 J

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