用事で訪れた隣村の雰囲気が、おかしい。 どこがどうおかしいのか、問われれば答えに窮するが、いつきは何度となく行き来した村の言葉にできない変化を肌で感じ取っていた。 空気が熱気を孕んでいる。 粗末な壁に立てかけられた除雪具の隣、土を落とされた鍬だとか。 大きな家に集まる男衆だとか。 女衆の、どこか不安げな忙しさだとか。 微かに感じる排他的な視線だとか。 (一体、何が起こるだか) 帰る道々、いつきはざわめく心で精一杯考える。何かが記憶を引っ掻いている。自分の中の何かが、隣村の静かに興奮した雰囲気を知っていると告げていた。 考えに考え、ふと思いつく。数月前の自分の村。 一揆を控え、武器やら兵糧やらを整えていた、祭りの前にも似たあの押し殺した興奮。 どうりで覚えがあるはずだ。いつきは一揆の中心にいたのだ。判明と同時に納得する。なるほどあの熱気はそういうわけか――― 「……ッ、だ、駄目だっ!」 いつきは来た道を振り返る。隣村は最早遠く、視界には雪をかぶった木々しか映らない。 頼りなく続く自分の足跡を再び踏んで、いつきは全力で走り出した。 吐きだす息がみるみる後ろに流れていく。 (今、一揆をしちゃいけねぇ) 殺される。 寛大に笑った政宗を思い出して、いつきはその白い肌を蒼褪めさせる。 いつきは信じさせてくれと言った。まかせておけと政宗は言った。 その舌の音も乾かぬうちに再び刃を向ければ、政宗は今度こそ流血を躊躇うまい。 二度目の一揆は、政宗にNOを突きつけることなのだから。 その拒絶をはいそうですかと受け止めていては領地経営は成り立たない。一度目が許されたからといって、二度目は絶対に許されない。 その事実にいつきは憤りを覚える。いくら殿様だからといって、好き勝手にいつきたちの生死を握っていいはずがない。 しかし、再びの一揆には時期が悪すぎる。昨日の今日で再びの一揆など、政宗が許すはずがないといつきは思う。 隣村を止めるべく道を急いだ。雪の粉を跳ね上げ、曲がりくねった道を曲がる、 「………ッ」 踏み出した足に力を入れて、無理矢理スピードを殺す。慣性に従いかけた体を持ち直し、いつきは驚愕に目を見開く。 「……お侍…ッ!」 かちゃり、と静かな金属音と共に、雪道に佇んでいた背中がいつきを振りむく。冷たい視線を感じる。表情が見えないのは、奇妙な仮面を被っているからだ。 まさかもう隣村の決起が知れたのか、と彼らが政宗の斥候である可能性に思い至ったいつきは慄然とした。 どうしよう、その一言に支配されたいつきに、平坦な二人分の声が降り積もる。 「農民か」 「農民の娘か」 「だが、あの村の娘ではないな」 「確か、隣村の娘だったか」 「先の一揆を起こした村か」 「先の一揆の指導者だ」 仮面たちは、淡々と言葉を取り交わす。 一切の感情も滲まぬ会話に異様なものを感じ、いつきの背が粟立った。知らず、脚がじりじりと下がる。 「お、おめぇさんたち…なんだ…!? なして、お侍が村にいるだ。なして、オラのことを知ってるだ…!?」 「さて」 「それは」 「聞かぬが仏」 「聞いても、仏」 ひょう、と寒風を斬る音がした。雪の上に青く細く、長槍の影が落ちる。 間一髪雪の上に転がって斬撃を避けたいつきは、睫毛に雪の粒を載せたまま振り返る。 仮面たちはまるで始めから感情が欠落しているかのように、平坦な空気のまま二の槍を振るう。 悲鳴を上げた。雪を蹴って、森に飛び込んだ。 いつきは、猟師に追われる兎のように逃げる。 「逃げるか」 「それもよし」 「だが、逃がさん」 「逃げられん」 「見られたからには」 「まだ、独眼竜に知られては」 聞きとれたのはそこまでだった。 全力で二人から遠ざかろうと、地の利を活かしに活かして、いつきは自分を殺す者たちからの逃亡を図った。 1 / 2 のクラウン! Cinquarantasette : racket in the night T 何度も転び、立ち上がり、草や木にひっかけては擦り傷を作りながら、いつきは必死に猟師の追跡をまいた。 ひとまずの安全を確認した途端、いつきの脚から力が抜ける。今更震えが止まらない。藪の中で座り込んだいつきは、仮面の侍たちがかわるがわる呟いていたことを思い出した。 『見られたからには』 『まだ、独眼竜に知られては』 どういうことだろうか。 独眼竜というのが政宗を指す言葉であることは、北国の子供ならば誰でも知っている。いつきは小さく首を傾げた。 政宗に知られてはならないというのなら、あの二人は彼の配下ではないのだろうか。 それなら一体誰の家来で、何をしていたというのだろう。ここは仮にも政宗の領地である。その中で他国の侍が活動しているときたら、政治などわからないいつきでも穏便な話ではないことくらいわかる。 (お侍は、何を考えてるだか) 嫌な感じがする。先の一揆が素早く鎮圧されたことを知る隣村がわざわざ決起した不自然さがそれに拍車をかけた。 まるで、いつきたちの抵抗すら誰かの掌の上のような。 いつきたちの叫びも血も、誰かに―――恐らく侍に―――利用されている予感、不快感がいつきの小さな胸を覆う。 仮面の侍たちが何者かはわからない。 わかるのは、このまま隣村が一揆を起こせば、間違いなく悲劇に収束するだろうという予測だけだ。あの侍たちが一枚噛んでいるとなれば尚更だ。 ふと、いつきの胸に小さな疑問がわく。 自分の村は大丈夫だろうか。 一度思うと居ても立ってもいられなくなった。仮面の侍たちはいつきの顔を知っていた。それなら、村の在所を知っているのも道理である。 いつきは藪を抜け、村へと脚を向けた。 村は静まり返っていた。 しん、と、重く凍った静寂がいつきの不安を駆り立てる。いつきは、灯が消え戸を閉ざした家々の間を、住人の名前を呼びながら過ぎた。いつもなら明るく返される返事は無く、重く垂れこめた雲と雪とに自分の声すらも吸い取られていくようで、いつきは泣きだしそうになりながら村の奥へ奥へと進んでいく。 村の最奥に位置する集会場へ近づけば近づくほど、間違いようのない興奮が肌に迫ってきた。物騒で、凶暴で、熱に浮かれた空気。 感じるほどに絶望した。嘘だ、と呟いても、熱気は盛り上がっていくばかりだ。力なく歩みを止めたいつきの視界に、集会場の広場で焚かれる松明の赤々とした光が舞う。 集会が終わったのだろう、ばらばらと散ってきた村民たちがいつきに気付いて興奮で上擦った声をかける。 「いつきちゃん、オラたち、また頑張るだよ」 「今度こそ侍の好きにはさせねぇ」 「オラたち、もっと自由になるだよ!」 次々と、次々と。 ほんの少し前、政宗を受け入れたばかりなのに。 手のひらを返したように振り出しへと戻った我が村に、いつきは限りない徒労を覚えた。 (オラたちは、青いお侍さんを信じるんじゃなかったのけ?) 葛藤して葛藤して、わだかまりを抱えながらも自分を納得させたいつきである。 恐らく村の中の誰よりも、政宗に対する不服従の気持ちが強かった。それが今、一揆へと燃え盛っていく村の中で、いつきだけがそれを抑止する立場に回っている。 反応の薄いいつきを不審に思ったのか、村人の一人がいつきの意見を求めた。 彼の顔にはやけに明るい闘志がある。自分を囲む村人を見回す。その浮き立った、不自然に闘志漲る顔、顔、顔! いつきはのろのろと言葉を紡ぐ。 「オラは、いくさは嫌だ」 いつきの賛同を期待していたたくさんの顔から輝きが消え、困惑と不満が滲む。いつきの舌が先の敗北を、政宗との約束を重ねるたび、彼らの顔は不満で塗りたくられていった。なしてわかんねぇだ。 「いつきちゃん、戦わなきゃ何も変わらねぇだよ」 「でも」 「戦が嫌なのはよぉーっくわかるだ。お侍が強いのも。だども、今度はオラたちにだって勝ち目があるだ」 「さる大名様がな、オラたちの心意気に感じ入って、助けてくれるだよ。刀や鉄砲があれば、オラたちだって負けねぇぞ」 「皆…!」 「いつきちゃん。……それでも、いつきちゃんは嫌なんだか」 不満が、段々と敵意を帯びてくる。暴走を始めた興奮は止まらない。 怖いんだか、と問う声の語尾が険を孕む。いつきは言い募る。怖いが、本当に必要ならば戦う。仮にもいつきは一揆の指導者を務めた身だ。戦えないわけではない。 それを知っているだろうに、むしろ知っているからか、先の敗北で全ての意志が折られたかと問う声まで出てくる。 そしてやがて、ある時点で声が微妙に変化した。 「もういいだよ。いつきちゃんは戦わなくてもええだ」 「んだな。何せ、まだ子供だ」 「オラたちが戦うだよ」 「……ッ、みんな……! オラ、オラが言いたいのは…!」 あからさまな子供扱い。男衆は、いつきを蚊帳の外に置くことを決めたのだった。 いつきが必死で政宗への抵抗を思いとどまるよう説得しても、声を張り上げても、―――彼らは最早、聞く耳持たない。 愕然とした。 向けられる視線に、排斥されているという事実に、いつきの中で大切にしまわれていたものが崩れていく。 いつきをいつきたらしめていたのは、仲間たちからの期待だ。彼女はそれに応えることで、仲間の中でのポジションを確保していた。 それを思い知らせた者たちの顔が―――が、政宗が、小十郎が脳裏を巡る。 自らの立場を築く土台を失ったいつきは、小十郎から与えられた労わりを思い出す。お前は何者にもならなくていい。 (でも、片倉の兄ちゃん…オラ、このままみんなを見てることはできねぇ) 震える手で労りを抱きしめて、いつきはきっと顔を上げる。いつきを残して歩き去って行った仲間たちの方を振り返り、震えそうな声を叱咤して、いつきは叫んだ。 「もう少し…もう少し、待ってけろ! オラが、青いお侍さんに直訴してくるから…!」 突き刺さる胡乱な視線にたじろぎそうになりながら、いつきは一生懸命考えた。 ほんの数日前までほとんど不平も無かった皆が突然一揆へと転がっていったこと。政宗に敵対する仮面たち。 いつきが政宗に訴えるのは、あの不審人物たちの存在と、皆の決起への寛大な処置だ。皆が突然一揆を言い出したのはあの仮面の侍たちのせいに決まっているだろうから。 オラが帰るまで決起は待ってけろと言い残し、いつきは村に背を向ける。 冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、できうる限りの速度で手足を動かした。 速く。可能な限り、速く。 いつきは滲んだ涙を拭う。折れそうな心を強く持つ。 誰の期待も負わないいつきは、それでも大好きな村を守りたかった。 |
恐ろしくリハビリですすみませんorz しばらくいつきと政宗のターンが続くかと 090327 J |
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