片目の護衛を廊下に締め出し、いつの頃からか定位置となった縁側に程近い円座に座る。 視界の片側には薄く雪を冠した庭と曇り空。雪見と呼ぶには些か雅やかさがたりない。 もう片側には、どこに座るべきか困り果てたように佇む娘が一人。 街々の辻に立つ芸人では貴人の座に招かれたこともあるまい。最上の方が座る場所を示してやろうかと思案したのと同じくして、娘は覚悟を決めたかのようにその場に座り込む。 床板の冷たさに縮こまり、居心地悪そうに揺れる小さな姿。 ふ、と我に返る。娘の姿にぶれた少年の影が霧散し、心臓に追憶が立てた爪痕と娘の姿だけが残る。 最上の方は忌々しく舌を打った。いつからこんなわたくしになった。わたくしはそのように弱い女ではない。 伊達に嫁ぎ、子を成して尚、最上の方は義姫と呼ばれたその頃から何も変わらず、最上の姫なのである。 恭しく頭を垂れる娘を一瞥する。彼女を雑兵どもの手から救ったのは紛れもなく最上の方だが、それは彼女のためというより最上の方のためである。 (女は男の道具ではない) だから最上の方はずっと義姫であり続ける。 そのために排除すべき息子の情人を、最上の方は淡々と見つめた。 この娘にはやってもらわねばならぬことがある。全ては最上のため、あの目障りな男を破滅させる。 それがために、松永などと手を組んだのだ。 松永の人を食った嘲笑を思い浮かべると、今すぐにでも唾棄したくなってくる。 松永久秀という男は、虫唾が走るほど嫌いだ。 彼の言行は全てを嘲るために為される。馬鹿丁寧な口調も態度も、一枚めくれば軽蔑を通り越したからかいなのだ。 最上の方をわざわざ姫と呼ぶのがいい証拠だ。なまじ怜悧なだけにこちらの本質を見抜き、厚顔にもそれを胡散臭い絹で包んであげつらう。 そのくせ自分の手のうちは決して明らかにしようとせず、何かを掴んだと思えばその端から未練もなく棄てていくのだ。まるでこちらを馬鹿にするような行動である。利害が一致しなければ、誰が手など組むものか。 松永の性質の悪さは娘も感じ取ったらしく、怯えた顔を隠そうともしない。 同類とくくられたことに腹が立たぬこともなかったが、それよりも安心させてやらねばと動いた心に自分自身が驚いた。 「長いことわたくしは笑っておらぬ。許せ」 「いいえ、そのお気持ちだけで嬉しゅうございます。それに、」 一旦言葉を切った、その時の眼差しに、最上の方は心臓が軋む音を聞いた。 キリエの眼差しと同じ色を湛えたそれを、最上の方は知っている。 ―――貴女は、本当に美しい。 キリエの呼吸にまぎれ、過去が囁く。 それがどんな名で呼ばれるのかは知らないが、灼熱の温度を以て、感情が最上の方を突き動かした。 キリエが口を開く前に、その先を切り落とす。 「よい。―――…美辞には飽きておる」 そう、本当に飽き飽きしている。 最上の方の半生を彩ったのはその美しさを称える言葉か、世辞か、はたまた男たちの勝手な囀りである。 虚しい、と思う。 腹立たしい、と思う。 一人の人間として生きていたい。 (伊達の嫁ではなく最上の人間として) そのために、と最上の方は平伏するキリエを睥睨する。さあ、罠を仕掛けなくては。 この手で伊達を潰す、そのために。 ―――貴女は、本当に美しい。 1 / 2 のクラウン! Cinquarantasei : noble in the night U 誘拐された先での奇妙な生活が始まった。 は、人質としては奇妙なほど良い待遇を受けている。外出は許されず常に友通という監視が付いて回るとはいえ、縛られることもなく、拷問にかけられることもない。制限された自由は、奥州に来たばかりの頃、忍の疑いをかけられていた時の生活に似ていた。 しかし、疲労度はその比ではない。 どんな目的で攫われたのか知るため、情報を集めようとしては常に神経を研ぎ澄ませている。最上の方の言動だけでなく侍女の態度にまで注意を払っているが、残念なことにこれといった収穫は無い。 松永でもいれば多少違ったのだろうが(なにしろ奴は虚実織り交ぜた情報でこちらをからかうのを愉しむ男だ、とは見ている)、奴が出てくればこの待遇を一気に奪い取られる可能性が高く、自然逃げる機会も無くなるだろう。一長一短とはこのことか、とは溜息を吐いた。 「お方様がお呼びです。疾く、芸の準備をなされよ」 「はい」 侍女がやってきて、最上の方の要望を告げる。ここのところ、こればかりだ。 は芸人なので、芸を見せることに抵抗があるわけではないが、芸が目的ではないとはっきりしている相手に芸ばかりを要求されると、色々と頭を悩まされる。 政宗のことには少しも触れないので、こちらから触れるわけにもいかない。芸人が芸を望まれるのは自然なことで、それ以外の理由があるのではないかなど、「政宗を知らない芸人キリエ」には推測することも不自然だからだ。最上の方に政宗関係のことを尋ねるには、彼との確執を知っているという前提が必要だが、キリエにそれを知る素地は無いのである。 それにしても、とは道化の化粧を施しながら頭をひねる。 (オカタサマはキリエをただの芸人として扱うばかり。―――対マサムネに、どんな価値を見出した?) としてはお笑い草だが、脅迫材料にするならそれなりの行動を起こすはずだ。 しかし現在の生活は安穏そのもので、何かを始める気配もない。 ただ道化を飼っておく、それだけのことで、どうやって政宗を脅かすつもりだろう。 は不思議に思いながら、化粧の仕上げに紅をさした。鏡の中で道化師が笑っている。 笑顔には不安も疑念も無い。仮面のような、鉄壁の微笑。 政宗は奥州筆頭を名乗っているが、奥州全体が彼に心服しているわけではない。 その代表が、母の実家である最上家だった。 最上家には浅からぬ因縁がある。かつて政宗の廃嫡を目論み、弟の小次郎を取りこんで、伊達家の乗っ取りを企んだのも最上家ならば、先の最北端一揆の裏で糸を引いていたのも最上家ではないかという疑惑が濃い。当主義光は政宗の母である最上の方こと義姫の兄であるが、姻戚など頼りにならぬのが乱世である。 (否、血縁さえも頼りにはならねぇ) 政宗は苦く笑う。実の母に毒を盛られ、弟に殺されそうになり、父と弟を我が手にかけた。政宗の半生は肉親の血で彩られている。 そんな男が、たかだか姻戚程度を信用するはずもなく、また信頼される謂れも無い。 届けられた伯父からの手紙を鼻で笑う。 手紙は、先の一揆鎮圧を労わる体裁を取り繕っていたが、ちらちらと最上の方の名がちらつく。政宗を嫌い、己が化粧領の館に引きこもった彼女には事実上手が出せないのをいいことに、彼女は最近どうしているかなどと厚顔にも尋ねている。拙者も先日手紙を貰ったが、何分実の兄妹ゆえ気にかかる、母上は元気でおられるか。俺よりあんたの方が詳しいだろうよ。 最上家に機密を探られないよう気を配ってはいるものの、兄妹間のやりとりまで監視することはできない。政宗にとって最上の方は内心がどうあれ母であり、子として形だけでも尊重しなければならないのだ。また何か企んでやがるんだろうとうんざりしていた政宗は、ふと、最上の方について綴られた一文に目を引かれた。 『冬に飽きて、芸人を雇ったとか―――』 ありえぬことではない、と、脳裏を小さな影が掠める。 溌剌とした笑顔を貼りつけ、渇いた瞳をこちらに向けて、この手をすり抜けていった芸人は政宗の名前を呼ぶ、「 」。マサムネと呼んだのか、トージローと呼んだのか。記憶だけがざわざわと揺れる。 「―――Ha,」 それがどうした。 政宗は唇を歪めた。引き攣るような形だったが、本人は気付かない。 芸人など、奥州にも腐るほどいる。最上の方が雇ったのが彼の思う芸人と同一である可能性は限りなく低い。 もし仮に同一人物だったとしても、それがなんだと言うのだ。 あの口から大した情報など引き出せないし、武将たちのような価値も無いから政宗へのゆさぶりになど断じてならない。 政宗は心の中で断言する。まるで自分に言い聞かせるように強く。 さよなら、と小さな背中が去っていく。その歩みの先に、雪の匂いに取り囲まれた屋敷があったのかもしれない。しかしそれは政宗には関係ないことだ。政宗に、根なし草を庇護する義務は無い。意味も無い。価値も無い。彼が守るのは、例えばいつきたちのようにこの地に生きる命たち、 ―――雪と血の匂いがする中で、零れた笑顔を思い出す。 心が一際ざわりと揺れた。ありがとう、その五つの音が切り捨てようとした政宗を糾弾する。 道化師の諦観を掴みあげ、守ると息巻いたのはどの口だったか。 その約束はもう果たしたと思いながらも、小賢しい大人の仮面がずれた瞬間の、あの柔らかな微笑を忘れられない。 思い散らすには、彼の浮かべた表情は無防備すぎた。 普段がこれでもかというほど辛辣なだけに、あの瞬間露呈したあまりにも脆い柔さが、政宗に滑り込んでは枷となる。 (駄目だ。そんなことは、あってはならない) 誰かに縛られるのは危険だ。 政宗は人の上に立つ者だ。その心に誰かを住まわせるようでは、別離や裏切りを乗り越えていけない。 ――――お前は奥州の王者たれ。 王者は孤独に強くあるべきだろう。 凛と背筋を伸ばした背中が瞼の裏を掠める。香るはずのない、雪と椿の匂いがする。 全ての残像を押し殺す。政宗は王者なのだった。傷だらけでも、心に誰かが巣食っていても、全てを無視して彼は孤独に屹と立つのだ。 痛々しいほど凛然としたその姿をそそのかす声こそ、彼の心を縛る鎖であるというのに。 政宗の意識の底に沈み、その行動の指針となるその声は、かつて誰が発したものか最早定かではない。幾重にも反響し、男の声とも女の声ともとれ、父のそれとも母のそれとも己のそれとも思われる。それは厳しく発せられたのかもしれないし、優しく発せられたのかもしれない。希望であったかも、懇願であったかも、呪詛であったかもしれない。 それでも、政宗をここまで押し上げ、王者の羅針盤であり、また、鎖となっているのは確かだった。 ――――お前は奥州の王者たれ。 「甥御に手紙を出されたとか」 剃刀の怜悧さを包んだ声に、義光は愛刀を手入れしていた手を止める。 振り向くと、旅装の男が板敷きの室内に座っている。いつの間に来たのか。室内は雪の反射で明るかったが、男の座っている場所だけ、光が避けたように翳って見える。 この男はそうだった。夜、では生ぬるい、闇の気配を纏う男。この度の謀略で妹が手を組んだ相手だが、義光はどうにもこの男が好きになれない。いくら警戒しても、知らぬうちに掌で踊らされているような感覚に陥ってしまう。 「松永公。おいでと知れば、迎えを出したが」 「いや、結構。少し寄っただけなのでね」 目的は他にあるらしい。それを訝しみながらも、義光は先の質問に答える。一瞬煙に巻こうかとも考えたが、この老人相手にそんな小細工は通じまい。 「いかにも、伯父として先日の一揆鎮圧を寿ぎました」 「能弁な卿のことだ。さぞかし心に沁みる手紙であったことだろう」 「……このような田舎で、教養ある公からすれば不調法なものでしょうが」 「いや、いや。同じ土地に住む者として、『先日』の『一揆』を思いやる言葉には、私などよりも真情が籠っているだろう」 猛禽類の嗤いに射竦められて、義光は背筋を逆撫でされたような気分になった。この男、どこまで知っているのか。 松永は旅の空故挨拶だけで失礼と、座を温める間もなく立ちあがったが、この短い対面で義光が掻き立てられた不安は逗留時間と反比例だ。これが長ければ、どうなったことか知れたものではない。 退出しようとする松永は、しかしふと思い出したように足を止め、 「ああ、そういえば―――妹御は此度のことを承知しておりましょうな?」 「何を今更。あれは最上の女です。そのことは、公もよくご存知のはず」 「はは、その通り。……いやはや、年寄りの杞憂でしたな。失敬」 猫の舌のようにざらつく言葉を残して、松永は今度こそ姿を消した。 義光は、残された最後の言葉を訝しく振り返る。松永の言葉はいつも意味深だ。しかし今度ばかりは、それは杞憂であるように思える。 妹は―――義姫は、伊達の嫁となっても最上の女だ。それは取り交わす文、彼女の行動の全てが確たる証である。 彼女は遂に伊達の女にはならなかった。そのことは、我が子政宗を手にかけようとしたことが証明している。 義姫とは、彼女が嫁に行ったその日から会ったことはない。しかし義光には、妹の凄烈な美貌がありありと想像できる。 彼女は美しい。美しい、最上の女だ。 「義、もうすぐだ。もうすぐ、我ら一族の本望を遂げようぞ」 父祖の代からの伊達との確執、妹がその身を伊達の前に捧げる羽目にまでなった因縁を、政宗の血でもって終わらせる。 義光は、雪の光を吸ったように煌めく刀を握る。 彼はその刀を、冷えた虚空に向って振り下ろした。 |
オリキャラだらけになっていくorz うまく纏める技術が欲しいです 090320 J |
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