米沢城の城下から、道化師が一人、消えた。





 「梵! 梵!」
 「Shut up,成実! てめェの頭はいつんなったら成長すんだ!」

 障子を力任せに開け放ち、駆けこんできた成実を政宗はいつもの調子で叱り飛ばす。しかし成実もその叱責には慣れっこで、ちろっと舌を出して座り込んだ。
 一度戦ともなると勇ましげに吊りあがる眉は困惑でひそめられている。共に育った政宗には、その中に時宗丸の面影を見つけることができた。
 本当に、いつまでたっても成長しない。
 普段なら苦笑いと共に面映ゆさを覚えるその片鱗を、今は厭わしく感じた。

 (俺たちは、もうガキじゃねぇ)

 政宗も成実も、頬の丸みが削げ鋭角的な輪郭を持つ青年へと成長している。ならば中身もそうあるべきだ。
 いつまでも子供のままではいられない。
 臆面もなく母を恋い、それ以外はいらないと去った子供のように生きることはできない。
 じゃあ、ね。翻った背中。二人分の別れ。

 「がいないんだけど!?」

 成実の言葉で引き戻された。
 顔に不満を大書きしている従弟に太い溜息を吐く。

 「どんな大事かと思ったらなんつーtrifling matter(下らないこと)で大騒ぎしてんだ。いつものことだろ」
 「いつものことじゃねぇよ、今までは朝帰りでもちゃんと一日以内に帰ってきただろ。それがもう三日だぜ、三日! 荷物も全部なくなってるし…」
 「だからそれがどうかしたのかよ」

 興味なさそうに書類に向かう政宗に成実は押し黙った。まじまじと従兄の横顔を凝視して、小さな違和感を抱く。
 政宗は常より鋭い気配を纏っている。乱を好む彼の気性を表すようにぎらぎらとした生命力、それを鋭く研ぎあげた竜の爪のような圧倒的な空気こそが彼の醸す気配だ。
 それが今は、爪を通り越して妖刀か何かのようだ。
 限界まで研ぎ澄まされ、骨さえ豆腐のように斬れるのにふとしたことで折れてしまいそうな。

 しかしそれを感じたのは一瞬で、その変化を問おうとした時にはいつもの政宗に戻っていた。
 問いあぐねた成実に、独眼竜政宗は言い聞かせるような模範解答を放り投げる。

 「あいつは元々旅芸人だろ。どっかに流れたんだろうよ」
 「でも、今は真冬だぜ? こんな季節に…」
 「冬ったって、不便だが往来する人間はいるもんだ」
 「けど」
 「………成実」

 政宗は、一つきりの視線で成実を射た。
 その鋭さに、それだけで成実は動けなくなる。

 「いつまでも、たかが芸人一匹にこだわってんじゃねぇ」

 機密を持ち逃げしたなど怪しい動きがあったならばともかく、は徹頭徹尾ただの芸人であり続けた。
 学など無いと公言しながら、こと自分の安全に関してはなかなかの知恵者だった彼は、そういった方面には近寄ろうともしなかったからその潔白は自明である。
 彼は従軍した時ですら、隊の編成を知ろうともしなかったのだ。
 城で過ごすことで自然と知りえた上下関係や不文律などはあっただろうが、その程度のことは誰かを招く限り知られることなので問題はない。

 この話は終わりだとばかりに政宗は再び書類へと視線を戻した。
 てきぱきと政務を処理していくその横顔に、梵天丸の面影はなかった。










 1 / 2 のクラウン! Cinquarantaquattoro : alones in the night









 窓の無い座敷牢というのは時間の経過を知るのが難しい。
 四肢を拘束されたは、投げだされた人形のように転がってぴくりとも動かない。呼吸のために胸が上下していなければ、死体と遜色はなかった。
 しかしそれは見た目だけだ。思考はめまぐるしく動いている。

 執拗に自由を奪われた囚人にできることなどたかがしれている。食事さえ与えられるかわからない状況の下、やみくもに動くのは体力を浪費するだけだ。
 だからは指一本無駄に動かすことはなく、ただひたすら松永の目的を分析することと脱獄方法に頭を巡らせた。

 松永がを攫った理由が分かれば、つけこむことも逆手にとって逃げることもできると思った。
 しかし、惜しむらくは情報がたりない。
 政宗と関連付けていたからには政宗関係の理由が存在しているのだろうが、奥州筆頭たる政宗を狙う者などそれこそ星の数ほどいるだろう。
 畏怖されるというのは、それだけ恨みも買っているということだ。まして戦いを生業とする武士ならば、殺す理由は恨みでなくても。
 は、米沢城で聞き覚えた情報と照合する。

 政宗に危害を加える理由があって、なおかつ実行に移すような人物は誰か。
 本人に刀を、あるいは毒を用いなかったのはなぜか。

 六爪竜を操る政宗は相当の手練である上傍には小十郎まで控えているのだから、直接襲うことができなかった理由はわからなくもない。毒に関しても、毒見役がいるはずだ。政宗とでは、襲いやすさに格段の差がある。

 だが、を襲ったからといって政宗がダメージを受けるかと言えば、答えは否。

 と政宗の関係はあくまで道化師と雇用主である。例えを殺しても、政宗は毛ほどの痛みも感じないに違いない。
 短時間であったが松永と言葉を交わしたには、そんなこともわからないほど松永が愚鈍だとは思えなかった。
 むしろ、松永という男は怜悧である。
 どろどろの闇夜を凝縮したような不気味さがあるとはいえ、影で研ぎあげた刀のような彼には途方もない才気が感じられた。どこか陰鬱さを抱えてはいても、そんな男が無意味な行動をするはずがない。

 (ひょっとして、キリエだからか)

 は友通とは面識があるが、松永と対面したのは今回が初めてである。
 友通から「竜の傍らに侍っていた道化師に右目を潰された」と報告を受けたとして、を側室だとでも思ったのだろうか。それならそれで好都合だ。政宗に対する利用価値を認めているなら、当面の安全は保障される。
 僅かながら感じた(しかしは確信している)松永の性格上、例えば心を分けたものの首を送りつけるような直接的かつ単発的な脅迫よりは、じわじわと獣を追いたてるように精神を削り取っていく罠を仕掛けるだろう。
 はほくそ笑んだ。前提が間違っているとも気付かずに、大層な罠を仕掛けるものだ。

 と政宗の間に、利用できるような絆はない。
 の心は母に捧げられており、政宗も他者に対して排他的だ。
 二人は互いに互いをこう評す。自分の心を守るためなら、他者にどこまでも残酷になれる生き物。
 誰も信じていないのがいい証拠だと思う。

 (無意味だよ)

 も、政宗も、一人で生きていける。他人を必要としない心を持っている。
 切り捨てることに慣れた政宗が、を助けることはあるまい。



 ――――守ってやるよ



 記憶の底で呟かれた声を押し潰す。信用できるか、そんなもの。
 ここから逃げなくてはならない。松永がの無意味に気付く前に、自分の力で脱出しなくては。
 友通の目を潰したせいで警戒されているのか、やたら頑丈な手足の拘束をいかにして外すか考える。
 ようやく少しだけみじろいだに、鋭い口笛が飛んだ。
 視線を向ければ、一目で末端とわかる兵士たちがにやにやと下卑た笑いを浮かべている。

 「よう、姉ちゃん。綺麗なお脚が見えてんぜ」
 「その格好じゃ、厠へ行くのも不便だなあ」
 「手伝ってやろうか、オレが」

 は咄嗟に頬を染め、兵士たちを睨み据えた。おお怖い、と兵士たちはおどけ、拘束された手足を縮こまらせたを見下ろす。
 三日月型に歪んだ目が露出した膝頭を舐めるように見ているのを確認したは、わざと勝気な声を作り、その言葉尻を怒りと恐怖に染めて震わせた。

 「大きなお世話よ。死んだってお前らの汚い手なんか借りるもんか」

 必死に自分を奮い立たせる囚われの少女は、兵士たちの嗜虐心を煽っただろう。
 恐怖を装ったは次々に罵詈雑言を並べ、兵士たちが怒りと征服欲に燃え立つように仕向けていった。





 兵士たちからすれば、目の前にいるのは捕虜の娘である。
 震えを隠し切れていない小生意気な少女は、目を引くような美人ではないもののそこそこ見られる顔だ。
 少女は反抗を重ねることで墓穴を掘っていく。彼女には捕虜と言う立場がわかっていないのだろう。いや、震えているからにはわかっているのか。

 女囚となれば、姫も農民もみな同じ。

 兵士たちは好色な形に唇を吊り上げると、座敷牢の格子の隙間から荒々しく手を差し入れた。
 少女はびくりと身を竦ませるが、彼女を閉じ込める格子がまた彼女の身を守っている。そのことに安堵したのか、ひきつりながらも勝ち誇った高慢な顔をした少女に兵士たちは苛立った。ああやはり彼女は自分の立場をわかっていない。
 兵士の一人が同僚に指図し、牢の鍵を開けさせる。少女がさっと蒼褪めた。
 その変化を優越感に浸って眺めた兵士たちは、先ほどの勢いも失せた少女を取り囲む。手足に木枠をはめられ、逃げ惑うこともできない少女はそれでも逃げようと尻で後ずさる。それを許さず細い腕を掴むと、少女はめちゃくちゃな動きで木枠を振りまわした。

 「おっと」

 一人が腕にはめられた木枠を掴み、床に押し付ける。
 床に縫いとめられた少女は絶望を顔全体に刷き、強い怯えの滲んだ瞳を限界まで開いて兵士たちの顔を映す。
 蝶の羽根をむしるような快感に舌舐めずりをした。兵士の手が少女の着物の袷にのび、怯えた表情の裏で冷静にそれを眺めるがそっと木枠のはめられた脚を引いて兵士の一人に狙いを定める、

 「其方等、我が館で何をしやる!」

 鋭い声が空気を裂いた。
 斬り裂くような衣擦れの音と共に、薄暗い廊下に女が滑りこんできた。ふわり、場違いな香が淡く漂う。
 躊躇いもなく憤怒を発散する女を認めるや、圧し掛かっていた兵士たちが慌てて退いた。は半ば呆然と体を起こす。薄闇の中に、見知った顔に似た美顔が浮かんでいる。
 名前が零れ落ちそうになった。
 視線がを見ていたらきっと叫んでいた。

 白椿のような頬を怒りで紅潮させた尼姿の美女は、竜の目によく似た双眸を燃え上がらせ、見るだけで射殺しそうな視線を兵士たちに向けていた。
 豪奢な打ち掛けを握った指は色を無くすほど握りしめられていて、折角の着物に皺をよせてしまっている。
 しかしそんなことは気にならないとばかりに、彼女は地を這うような声をわななかせた。

 「あの男の女とはいえ、囚われの娘に……恥を知らぬとみえる」
 「お、……お方様」
 「呼ぶな、汚らわしい!」

 松永ッ! と女は叫ぶ。暗闇から這い出るように、華奢な彼女とは骨格からして異なる男が現れる。
 彼はつまらないものを見るように、固まった兵士たちと唖然とするに一瞥をくれただけで視線を動かす。
 その先には、興奮のあまり肩で息をする女がいる。
 彼女を見る松永の口元は吊りあがっていたが、眼光に温かなものは欠片も含まれていない。むしろ軽蔑や憐れみといったものを包んで、彼は「何ですかな」と問うた。

 「其方は、配下の統制もできぬのか」
 「耳が痛いことですが―――人の本能というものは、命令では縛れぬものであるらしい」

 姫もよくご存じのように、と弄ぶように付け加える。
 女は殺意すら籠った眼で松永を睨み上げた。

 「ならばより強い本能で縛れ。生存本能は色欲よりも強かろう」

 軍法を定めるのは其方らの得意であろう。
 暗に兵士たちの死を要求しながら、女は凍傷すら引き起こしそうな凶眼を座敷牢の中に向ける。

 「ここはわたくしの館。勝手は許さぬ」

 苛烈な眼光に晒されたは、咄嗟に上げていた顔を伏せた。


 白椿。


 どこか憧れるように語った横顔を、思い出した。


 松永篇開始―。
 それにしてもシリアス…
 ……やってけるだろうか……
 090130 J

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