「Addio(さようなら)」

 数ある別れの挨拶から、あえて永久の決別を示す言葉を選ぶ。
 見上げた先には、凱旋の興奮さめやらぬ米沢城。灰色の空を背景にして、積雪のためか輪郭すらもぼやけてみえるその仮宿には虚ろな視線を遣った。



 政宗たちが、一揆を鎮圧して本拠に凱旋したのはほんの数日前のことである。
 後始末やら何やらで忙殺され、ガス爆発ならぬストレス爆発を起こした政宗が逃亡を図ること一日平均約5回。飯の数より多い。
 この数日間のうちに、「生まれ変わったら鳥になりてぇ」などと、死に際の翁のようなことを呟くぼろ雑巾のような主を片手でひきずる小十郎を、はすっかり見慣れてしまった。
 見るといえば、には見ざる聞かざる言わざるを貫いている秘密ができた。
 政務と躾の二足草鞋を履きこなすゴッドファーザー小十郎が、どうやら新境地へ辿りついたらしいのだ。
 雪深い山村で紫の上を見つけたという。

 書き損じの紙を掃除していたは(元信がお駄賃をくれる)、小十郎の筆跡の横に少女の落書きを発見したのだ。
 何だこれは。
 思わず我が目を疑い、矯めつ眇めつ陽にかざし、火にかざしたら焦げたので水につけたら墨が滲んだ。
 ともかくそこに描かれていた特徴的な髪型の少女は、あの雪ん子ではあるまいか。
 ショタの次はロリかと、小十郎の軌道修正(と呼べるのかどうかも微妙だが)には顔でひきつり心で泣いた。
 Piccolina, どうか恋を知るまであいにハマるな。
 直接忠告したら怒られるのが目に見えていたので、「理性」と書いた習字を小十郎に贈ってやった。このクソ忙しいときに紙の無駄をと怒られて、上達の無さを嘆かれた。
 伊達軍ってこんなんで大丈夫なんだろうかとちょっとだけ思う。激しく余計なお世話だ。



 しかし、それも最早どうでもいい。
 は、奥州を去ると決めたのだ。

 準備は簡単だった。
 もともと身一つで来たようなものである。荷物はほとんど増えていないし、変装と防寒の意味も含めて多少の衣類を少しずつ持ち出しては、見つかりそうにない場所に隠した。
 衣類は、男物と女物。
 城を出てから奥州を出るまで、キリエの姿で通そうと決めた。  女の一人旅は危険だが、いくら雪国とはいえ行商人の出入りはあるだろう。そこに混ぜてもらうつもりでいる。
 そうすればもし仮に万が一追手がきてもしらを切れると踏んだのだ。
 奥州を出たら即に戻り、どこか別の国へ行こうと考えている。

 では、わざわざキリエになるのは何故か。
 こんな逃げるように去らなくとも、一言政宗に言えばいいだけである。
 確かに雇用契約を結んではいるが、には執着する価値もないのですぐに許可は下りるはずだ。
 孤独を気取って余裕ぶっているくせに別離や裏切りに敏感な政宗はひっそり傷つくかもしれないが、そんなことの知ったことではない。
 の頭に政宗に優しくするという考えはない。
 彼の思考は常に自分を中心にしている。そうでなければ、逃亡という、余計傷つけるだろう手段など選ぶはずもない。

 だが、逃亡はとてもリスクが高い。
 それをあえて選んだのは、一重に政宗に会うのを厭ったからである。

 (ねえ、俺には、お前にあげられる優しさなんて無いよ)

 お前は優しくないからと笑った政宗の顔が、脳にこびりついて離れない。
 守ると言ったときの、無事で良かったと頭を撫でたときの政宗が、頭の中心にちらついた。
 やめろ。
 やめろ。
 そこは、おかあさんの場所だ。

 これ以上会うのは危険だと警鐘が打ち鳴らされた。
 母を押しのけてしまうのは嫌だった。重いものを背負わされるのは嫌だった。

 変化なんていらない。
 何故ならは母にあいされて、これ以上無いしあわせの中で生きているのだから。
 そうと決めたからには、いらないものは全部全部捨ててしまおうと、はそっと決めたのだ。











 1 / 2 のクラウン! Cinquantuno : あめゆき T









 その日は、奥州の冬には珍しく暖かに晴れて、表層の雪が溶けては煌めいていた。
 澄んだ空の深さに政宗は目を細める。こんなにも美しい日を知っていると記憶が囁き、白椿の映像を見せようとしたので無理矢理思考を更地にした。
 どうも、感傷的になっているらしい。
 らしくない。苦笑いと共に紫煙を吐いた。煙草をたしなむようになったのはここ数年のことだ。

 感傷の原因らしきものは分かっていた。
 に話したからだ。

 わざわざ自分で掘り起こして、半ば無理矢理聞かせた過去。
 彼は何も言わないし傷つかないから、聞かせるごとに重荷が軽くなっていくような気がした。
 そのせいか、却って容易く思い出すようになってしまったようだ。
 それが良いことか悪いことか。
 判断は未だつかないが、ひょっとしたらこのまま、慣れとともに『封じ込めるべき記憶』から『ただの辛い記憶』になるのかもしれないという期待が芽生えつつある。
 可能性は限りなく低いし、それがただの逃げだということはわかっているが。

 (そういやぁ、最近話してねぇな)

 政宗が忙殺されていた間、何度か見かけることはあったが言葉を交わしてはいなかったように思う。
 小十郎に引きずられながら見つけた彼は呆気にとられた間抜け面をさらすばかりで、どこかカタコトな発音を紡ぐことはなかった。

 「『マさむね』」

 戯れにの口調を真似てみたが、ちっとも似ない。
 声が文字を辿っただけだ。それが当たり前で、それ以上何があるわけでもないのに、政宗はひたすらまさむねまさむねと呟き続けた。たまたま廊下を通っていた元信は、今度の決算書類はできるだけ簡潔に纏めてやろうと心に誓う。どうやら殿は著しく睡眠不足のようだ。
 知らぬところで誤解され労られているとは思いもよらない政宗は、一人シリアス全開だった。
 「まさむね」の「む」で言葉を切り、じっと掌を見つめる。

 刀を握るために硬くなった手の皮、更に手甲をしていたから髪の質感なんかさっぱりわからなかったが、女子供のように小さな頭骨だったと思う。
 子供扱いをしたこの掌の下で彼は呆け、そうして、まるでユキワリソウが咲き初むように微笑んだ。

 (これを、見てさえ)

 今は眼帯に隠された右目をそっと抑える。は、この醜い面貌に恐怖どころか興味の欠片も示さなかった。
 彼の人となりを薄々感づいていた政宗は、ひょっとしたらこの時、に自身の暗部を自白してしまうことを決めたのかもしれない。は冷淡だが寛容だ。
 
 「……Ha,」

 小さく、小さく、溜息にも似た音を零した。
 右目の裏側に無様な笑顔が浮かんでいる。何故だか、それをもう一度見たくなった。











 を探してうろついてみたものの、城内に彼の姿はなかった。
 途中幽鬼のような小十郎に出くわしそうになったため、政宗は慌てて城門を出る。門兵がまたかと苦笑していた。
 四国の鬼が生温く思える恐怖の権化をやりすごした政宗は、段々と腹が立ってきた。
 何故ごときを探し回らなければならないのか。
 恋する乙女でもあるまいに(こう思った時点で政宗はあまりの例えに薄ら寒くなった)、城主たる政宗が道化師のを気にかけるなどどうかしている。
 何がここまで自分を駆り立てたのか考えるのも嫌になり、さっさと城へ帰ろうとしたその時、白い景色の中に細い人影を見た。


 いつの間にか灰色の雲が空を覆っていて、空気は寒々と凍えるようだった。
 ぐずる子供のような空に淡い吐息の糸を滲ませながら、キリエがぽつんと立っていた。
 何かを思い切るような視線は、まっすぐ米沢城へと向けられている。

 氷が擦りつけられたかのように、ざわめく何かを感じた。

 「Hey, キリエ」
 「―――トージロー。……久しぶり」

 するりと寄越された眼差しにざわめきが大きくなる。
 口の中が乾いていた。砂を噛むような不快さを覚える。

 「何、してんだ」
 「別に」

 ただ、大きくて綺麗だなぁって。キリエは微笑みながら当たり障りの無いことを言ったが、政宗の中では正体のない不吉な予感が膨らんでいく。
 見れば見るほどとキリエはよく似ていた。
 キリエは、よりも繊細な、紛れもない女の顔立ちをしている。表情も仕草もどこか甘く、女のそれで、ふとした瞬間とはまるで別人なのかもしれないと納得しかける。
 けれども。

 「奥州はいいところだなぁって」

 ノリがよくて好奇心旺盛な街だから、商売がしやすい。そう言って浮かべた表情が、驚くほどと似ている。
 仕草も、声音も違うのに。

 (違う、)

 同一人物としか思えない。
 何故なら今まさに彼女が浮かべる微笑を、政宗はかつての微笑として見たことがあるのだ。

 その時、その笑みの先にいたのは幸村だった。
 美しく着飾った言葉を贈られ、虎の若子は悔しさにうち震えていた。
 その微笑みは、が幸村を棄てるときに浮かべたもの。
 もう随分と前のことのように思える。あのとき政宗は、を値踏みしながらその喜劇を見ていた。

 「―――Will you go?(行くのか?)」

 ぽつり、呟いたのは確信だった。
 キリエは、―――は、再び切り棄ててどこかへ漂うつもりだ。
 どこか、心臓でも脳でもない、体内の器官なのかもわからない何かが激しく揺れる。
 芸人がひとりいなくなるだけ。大して交流も持たなかった相手が去っていくだけ。
 それだけのことが、喪失の寂寥にも似た隙間風を荒れ狂わせる。

 「うぃーゆごーって何?」

 は怪訝な顔で尋ねた。あくまでキリエになりきるつもりらしい。
 この期に及んで嘘を吐き続ける姿勢は、政宗に彼らの距離を突きつけた。

 嘘がばれていようがいまいが、もうにはどうでもいい。
 嘘を押し通すことが牽制になるのなら、どんなに白々しくても嘘を吐き通す。

 「……何でもねぇ」
 「ふーん」

 政宗の言葉に返す、声が震えそうになるのを押さえこむ。

 (大丈夫。キリエは政宗と大した交流を重ねていない。動揺なんてするはずない。「わたし」は、動揺なんてしない)

 言い聞かせている時点で動揺していることには気付かないふりをする。
 白状すると、政宗が話しかけてきた瞬間、氷の針を呑みこんだような心地がした。


 は気付こうとしない。
 彼は今まで、人にも土地にも情を移さずに生きてきた。去る土地に、別れる人に、感傷を覚えることなどなかった。
 人生が変わった夏の日にさえ、育ての親を家族代わりだった仲間を一言で過去に押しやったのだ。
 その彼が城を見上げて永訣の挨拶を呟き、名残を惜しむように立ち尽くすなど、常からすればあまりにも逸脱している。
 彼にとってあるまじきことだが、確かに愛着が芽生えていたのだろう。

 わざわざキリエになったのも、本当はそれを無意識で感じ取っていたからかもしれない。
 奥州や政宗と交流を重ねたではなく、さしたる交流も無いキリエなら、感傷を断ち切るのも容易だろう。キリエはではないと言い聞かせ、まるで別人のように振舞い自分を騙し、は今までのように振舞おうと試みた。
 そうでもしなければ、気付いてしまうかもしれなかった。この地に、棄てがたい何かがあることに。

 それはなんと喜劇じみた行為だろう。
 は嘘の中に独りで立って、しかしそれが嘘だと認識しないよう、自分すら欺いている。

 「……じゃあ、わたしはもう行くよ」
 「……!」

 政宗は弾かれたように小さな顔を見た。
 思い詰めたような決然とした眼差しで、無様に失敗した笑顔があった。

 「アンタ…」

 何を言いたいのかもわからず手を伸ばすが、手は中途半端なまま冷たい虚空に投げ出された。
 小さな体が身を翻し、振り切るように短い髪がその後を追って流れる。

 「じゃあ、ね」

 決定的に小さな別れを渡し、道化師は何処かへ紛れて行った。
 堪えるような声だった。ちらりと見えた瞳は黒く渦巻いて、そこに秘められているものは本人にさえわからない。
 政宗は冬の中に一人ぽつんと残されて、雪に記された足跡をただじっと見つめていた。


 難産……ッ
 書き方忘れた上にややこしい。
 誰か文才をください…!(切実
081209 J

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