幸せだったと、もう終わってしまったものとして自身の過去を語る政宗の眼差しは、青く霞んだ雪に埋もれていた。
 自棄というには決然として、孤高というには脆すぎる。は心の中でそう評す。

 政宗の半生は、波乱と悲哀に満ちている。
 本人がそれをよくわかっているから尚更、聞き手は同情を禁じ得ない。
 けれどもこの男はそれを望んでいないのだ。
 自ら過去を不幸だったと評しながらも、寄せられる同情には敵意でもって返す。厄介なガキだとは思う。この時点で彼は自分の事を完全に棚に上げている。もっともは、自身の過去を不幸だなどとは認めようともしないが。

 これじゃあ小十郎も報われないねと頭の隅で考える。
 政宗のためなら地獄めぐり閻魔にメンチだって切れそうな目付役は、必死で政宗を追憶の真っ黒な手から守ろうとしてきただろう。それが彼の優しさの示し方だ。
 しかしそれは、政宗にとっては余計なことでしかなかっただろう。

 小十郎の存在は確かに政宗を救っていたかもしれないが、政宗の過去を「遠ざけるべきもの」と判断した彼の優しさが、政宗に自身の過去は腫れものなのだという認識を押し付ける。
 ましてや小十郎は家臣である。家臣に気を遣われる政宗は、どんな心地でいただろう。
 主君たれと望まれながら、憐れまれる自分を思い知らされて。

 (そうやって、こいつは育ってきたのか)

 冷静に過去を受け止めている振りをして、向けられる同情に傷ついて。
 奥州の民を背負わんとする背中の、なんと逞しく儚いことか。
 蒼褪めた雪の中に凛と立ち、刀を振るう政宗。その独眼を思う。乾いて、閉ざされて、幸せを求める瞳。美しく貪欲なその光は、何を求めているというのだろう。
 けれどもそんなことはどうでもいい。瞬き一つで疑問を振るい落とす。

 「ひとつ、教えてくれ」
 「What?」

 は小さく息を吸う。清冽な空気が肺を冒す。
 これだけは聞いておかなければならない。

 「どうして、俺にそれを聞かせたんだ?」

 確かに、政宗と母親の関係が自身の過去と重なるところはあった。
 けれどは自分があいされていたことを疑ったりしないし、幸不幸の押し付け合いだとも思わない。
 良く似た過去を持つ政宗が自身を不幸と判断しようが、にはどうでもいいことだ。は自身を不幸だったとは思わない。政宗も、彼自身はともかくはしあわせだったのだろうと認めてくれた。それだけで十分なのである。

 も政宗も、それぞれ自身で完結している。
 だからこそ、何故聞かせたのかが気になった。

 何かのリアクションを期待しているならお門違いだ。
 は小十郎や成実とは違う。同情も、憐憫も持ち合せてはいない。仲間意識や同族嫌悪は尚更だ。尊敬なんてもっての外。
 彼の過去に対して何を求められても、は何も返せない。
 そもそも求められるのが嫌だ。ふわふわと漂って生きたいにとって、人の内面や過去といった重たいものを共有する気はないのである。
 それは政宗もよくわかっていると思っていたのだが。

 不満を滲ませるに政宗は喉を鳴らして笑う。
 肩越しに振りかえるその片頬が、満足げにつり上がっていた。

 「アンタが優しくないからさ」

 は同情も憐憫も仲間意識も同族嫌悪も尊敬も、何も抱かずにただそのまま受け止める。
 あくまで自己中心的な思考の彼は政宗の告白に心を痛めることもないから、遠慮は一切しなくていい。
 どんなに重苦しい話でもは淡々と処理してしまうから、どろどろに溶けて溜まった思い出を全て吐き出してしまえる。そしてそれをすまないと思う必要もないのだ。
 彼は接し方を変えないだろうし、彼への接し方も変えなくていい。なんと楽なことだろうと思う。家臣たちではこうはいかない。それは彼らが根ざしているからで、が根ざそうとしないことからくる差だ。

 政宗は唇を歪めて自嘲する。
 結局のところ、自分はを利用したのだ。腹の底にたまったものを洗いざらい吐き出す矛先として。
 吐き出してしまえばさっぱりした。嫌になるくらい、爽快だった。

 (アンタに会えて、良かったよ)

 あさましいほどに利己的な感想だ。自覚しながらも思わずにはいられない。
 本当に、の寛容にも似た冷淡さはなんて、なんて―――……










 1 / 2 のクラウン! Cinquanta : それは優しさによく似た、









 優しさというのは何なのだろう。
 どこか清々しさを醸す広い背中を追いながら、は思考の隅で考える。
 反対のことならわかる。悪意や冷淡さや、非難されてしかるべき諸々だ。

 自分が優しくないことなど分かっている。
 は、自分は十分優しいと思うのだが、一般の基準に照らせば否といわれてしまうだろう。なにせ佐助のお墨付きだ。相当と言っていいだろう。
 けれども。

 (俺を優しくないと、そう言ったあの時のお前は、)
 (笑っていた)

 (まるで嬉しくて仕方がないというように、笑って)

 意味がわからない、とは頭を振る。
 優しくないというのは、受け入れられる要素だったのか。いやそんなはずはあるまい。
 ならば何故政宗はあんな風に笑ったのだ。


 あんな、ほんの少しの罪悪感と、圧倒的な安堵の溜息にも似た頬笑み、


 (あ、―――い、やだ)


 さくり、さくり、政宗の後を追っていた歩みが止まる。
 今は前を向いている独眼がだけに寄越されていた瞬間の、寂しげに和んだ光を思い出して頭がしびれる。怖い、と反射的に思った。
 あんなもの、見せないでくれたら良かったのに。お前は優しくないから。その言葉と共に寄越された眼差しが心の襞を引っ掻いた。

 あの瞬間、はとてつもなく怖くなったのだ。
 湧き上がる喜びと自嘲を抑えきれなかったあのとき、政宗は政宗本人すら意識しないところで温かく脈打つ何かをの手に触れさせた。
 それは弱々しく、今にも砕け散りそうで、それに触れてしまったことに鳥肌が立つのを感じた。
 そんなものいらない。見たくない。感じたく、ない。叫びたいのに声は喉に張り付いた。

 どう見ても大切な、たかがクラウンの手には余るそれ。
 吹けば飛びそうなのに縋りつく子供の手のような吸引力を持ち、を絡み取ろうとするそれ。
 ―――抱えれば二度と漂えなくなってしまうだろう、重く温かなそれ。

 そんなものいらない、と心が叫ぶ。叫ぶと同時に、意識さえされない根底がそれを求めた。渇きを癒そうとするかのように。
 ざわめきは無意識下であるのに相応しく刹那で去ったが、恐怖と認識されたままの裡に残った。

 「―――…い、おい!」
 「……っぁ…!?」
 「What’s happened? 顔色が悪いぜ」
 「あ――…寒いんだ。凍えそう」
 「Ah―…長話悪かったよ。さっさと火のところへ行こうぜ。粥貰ってやる」
 「頼む」

 大丈夫、とは自分に言い聞かせる。
 面倒事が起こりそうなら去ればいい。帰ったら。城に帰ったら、奥州を去ればそれで厄介事とはおさらばできる。それが旅芸人のいいところだ。厄介事は追ってこない。政宗も。

 (政宗の言う優しさが何なのかなんて、どうでもいい)

 の何が彼にあんな顔をさせたのかなんて、考えるだけ無駄だ。
 そうと意図しない何かが政宗には優しさと映ったのかもしれない。それが何なのかなどには凡そ無意味なことだ。
 政宗の中で何かが好ましいものと処理されていたとしても、その認識はあくまで政宗のものである。の何かも、他人の中でどういう性質のものであるか分類処理された瞬間にの手から離れるのだ。
 腹の読み合いならともかく、相手の理解を求めない場合においてそれがなんであるかの詮索は意味が無い。
 政宗やのように相互理解を求めないなら尚更だ。

 (どうでもいい。お前も、俺も、一緒なんだろうな)

 村の中心、青白い雪の中に燈った暖かな光の輪を目指して進む背中は振り向かない。
 その肩甲骨目がけて綿毛のような息を吐く。
 息は、箱庭に閉じこもった背中に翼を生やしたかに見えたが、すぐにゆらゆらと溶けて消えた。










 小十郎に伴われていつきが村へ戻ったとき、闇を払うように焚かれた篝火を囲むようにして騒ぐ男たちが目に飛び込んできた。
 最初は緊張しきりだった農民たちは、酒やら見世物やらで良い具合に怯えが抜けたらしい。これも政宗の狙い通りなら大したものだ。
 元来ノリがいいせいか、調子に乗っての真似をする侍たちと並んで、お野菜音頭を披露している。
 その影では忙しそうに働く成実がおり、小十郎を見つけた彼は憤然としながら己の同僚を手招いた。早く来やがれさもなきゃ幼女と逃避行したって言いふらすぞ。無声の脅しに小十郎は怒髪天をついた。

 離れていく時、小十郎は優しくいつきの背を押した。
 小さな背中に胼胝で硬くなった大きな手はそれなりの衝撃で、いつきは思わずたたらを踏む。

 「す、すまん。大丈夫か、小娘」
 「このくれぇ平気だ」
 「そうか。―――成実、てめぇ!」

 物凄い勢いで突進していった小十郎を見送り、いつきは仲間たちの輪に向き直る。
 涙も怨嗟も受け止めてもらった。
 生まれ変わったようにさっぱりしたから、もう大丈夫だ。

 背中を押した優しさに顎をあげ、いつきは最初の一歩を踏み出す。ぎゅ、きゅ、と雪が鳴る。
 あと少しで光の輪に加わるという時、視界の端に動くものを捕えた。

 「おめえさんたち―――…」
 「おう、お前も戻ってきたのか」

 影の中から現れたのは政宗との二人組だ。ぴんと伸びていた背が勢いを無くす。
 やはり、この二人は好きになれない。
 整った顔を光の輪に向けて目を細める政宗は、優しい表情をしているはずなのにどこか上っ面な印象を覚えるのだ。
 本当にこの人を信じて良いのだろうか。そんな疑問が再び頭をもたげてくる。それ以外に道はないと知りながらも。

 「うぅ寒い…! Piccolina(かわいいお嬢さん)、早く一緒に火にあたりに行こう。マサムネが甘酒くれるって」
 「Hey, wait a minute! ガキに酒飲ませるんじゃねぇよ」
 「甘酒だからいいだろー?」

 軽口を交わす二人は、いつきの目にも仲のいい友達に見える。
 しかし、彼女は知っている。この二人は、本当はとても怖いのだ。
 政宗は言葉一つで人を殺せる。は無邪気に崩壊している。それを知っているから、逃げだしたくなる。

 (でも、それでもあの人は…)

 背中を押した手を思い出す。耳を打った低い声を、ぶっきらぼうに綴った優しい言葉を思い出す。
 彼が信じているならば、きっと。
 今は信じられなくとも。

 「青いお侍さん」
 「Ah?」

 「オラは、おめぇさんを信じるだ」

 けれどもそれは、政宗を信じるからではなくて、

 「あの、いかついお侍さんが、おめぇさんを信じているからだ」

 信じさせてけろ。
 オラたちを、幸せにしてけろ。
 あの人の心に、応えてやってけろ。

 言いたいことは山ほどあるのに、舌が固まったように言葉にならない。
 そのもどかしさに眉をひそめながらも必死に言い募るいつきに、彼女のまっすぐに訴えるような瞳に政宗は沈黙していたが、やがて視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
 いつきの頭に手を置こうとして、躊躇った。
 所在なく漂った手は剥きだしの細い肩に置かれる。

 (ああ、脆い笑顔)
 浮かんだ微笑に、はぼんやりそう思う。
 いつきの目に映った政宗にはそんな脆さなど、どこにもありはしなかったが。
 託される願いに、思いに、圧し殺された悲鳴を聞いた。

 「Count on me. まかしとけ」

 笑う。笑う。
 いつきはそれに不信を抱きつつも力強さを感じ、はただ外側からそれを眺める。
 眺めるだけなのが、彼らが彼らである所以だった。


 すぐに仲直りは無理だと思う…
 続けようかと思ったけど、もっとドロドロとか流石に無理
 シリアスは保ちません…
 081117 J

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