「幸せだった、そんな時間もあったんだ」











 1 / 2 のクラウン! Quarantanove : 幸せだったはなし









 俺の両親は政略結婚だ。
 祖父・晴宗の時代には、奥州はまだ伊達のモンじゃなかったのさ。
 ―――婚姻は同盟の一形態だ。アンタならわかるだろう? 大名間において、輿入れする女は体のいい人質だ。
 だが、母上も奥羽の鬼姫と呼ばれたほどの女だ、それを嘆くだけだったとは思えねぇ。納得ずくだっただろうさ。武家の女として。

 母上は幸せだったか、だと?

 I don’t know.俺にはわからねぇ。
 少なくとも、俺の目には父上は母上をこの上なく愛していたと、そう見えたぜ。
 だが、母上がそれをどう受け止めていたかはわからねぇな。あの人は、足跡一つない雪原みてぇに気高くて、烈しいからな。

 あの二人の間のことは、あの二人がわかっていればそれでいい。
 俺が口を出すことじゃねぇんだ。
 俺は所詮伊達家の男だ。最上家の母上の胸中は知るべくもねェ。ただ、―――父上の心が、ほんの少しでも触れていれば良いと思う。

 まァ、そんな二人だ。
 色々と思うところはあっただろうよ。
 だがともかく、俺はそんな父母の間に生まれた。

 にやにや笑うんじゃねぇよ。母上が俺を生んだのは、それが義務だったからかもしれねぇぞ?
 そんなことはどうでもいい、だと? ああ、I think so, too. 俺もそう思う。
 その時の母上の気持ちを考えても、きっと意味が無い。あ? そういう意味じゃねぇ? じゃあどういう意味だ?
 ―――Shit! いいから先を話せたァ、随分な言い草じゃねぇか! 後で覚えてろ。





 ガキの頃は良かったなんて、そんな辛気臭ェ話じゃねぇ。
 今と、昔と、大した違いなんざねぇんだ。
 そもそも俺は、お前みたいに親との接触が多かったわけじゃねぇ。同じ城に住みながら、生活区域が違ったからな。
 俺の世話を焼いていたのは、父上がつけた傅役たちや乳母、あとは小十郎や成実みたいな侍従たちだ。
 大名家なら珍しいことじゃねぇ。
 幼いうちから人を使うことを学ばせるんだ。特に俺は嫡男だったからな。
 親にべったりで、spoiled child(駄目な子供)にするわけにはいかねぇよ。

 寂しいとは思わなかったか、だと?
 ああ、お前は父親を亡くしたんだったな。―――答えはNoだ。
 生まれた時からそうだったからな。親の不在を寂しいと思うのは、親の存在が近くにある環境が大前提だ。
 俺にはその前提自体が無い。思いようもねぇよ。
 父や母はたまに会うもの、それが俺の日常だったんだ。


 けど、そうだな。
 そう悪い日々じゃなかった。

 今になって思えば当時の母上の気持ちがわからなくなる。母性愛をもっていてくれたのか、それとも自分の手元にはない俺に歯噛みしていたのか、最上家の者として俺を見ていたのか。
 どういうことかって? 敵の家に嫁いで子を産んだなら、実家の影響力を増すために、自ら子供に教育を施したいと思うのは自然だろう?
 生憎、俺は母上の手元にはなかったがな。

 だが、その当時の俺は、愛されていると思っていた。
 そりゃあ会う回数は少ないし、母上自らが育てている弟の竺丸ほど情は移ってなかっただろう。
 けどなあ、竺丸に嫉妬するくらいには、俺も母上を、…………慕って、いた。


 母上の部屋の前には椿があった。
 白椿。
 雪の多い奥州じゃ、雪の白に紛れちまうってあまり白椿は好まれねぇ。
 ましてや俺たちは武家だ。首落ちると言われるほど、椿は俺たちにとって不吉な木。

 だが、母上の白椿は綺麗だった。
 雪ほどに白くはない、だがどこか柔らかさを湛えた純白だった。
 葉に乗った雪と溶けあいながら、それはどこまでも潔癖だった。

 母上は、その椿が気に入りだったらしい。
 何度か雪見に招いてくれたが、母上はいつもその椿が見えるように障子を開けた。

 冬の朝が楽しみだった。
 雪が降った夜の次の日、足跡一つない白い白いその庭を見るために、母上はよく雪見をした。
 母上は礼儀作法にうるせぇから、ガキの俺は、粗相はしねぇものかとガチガチだったがな。
 障子を開け放ち、真冬の匂いのする風と雪に反射した太陽光に照らされた部屋は寒かったから、ますます俺は緊張した。くしゃみなんぞしたらどうしようか、とな。

 ああ、一応火鉢はあったさ。
 風邪を引くわけにはいかねぇからな。ここの冬は厳しすぎるから、小さな病が命取りになる。
 だがそれでも、寒いもんは寒かったんだよ。
 竺丸はいい。ガキだったから、甘えて何枚も衣を重ねることができた。
 まあ、いくらガキっつっても武家の子だ、あまりにも寒い寒いと言う事はできなかったがな。この程度が我慢できんで奥州の戦場に立てるものかと、母上はよくそう叱った。俺に対しては笠丸以上に。仕方ねぇ、嫡男だから。俺はそう思って我慢した。

 雪見をしていると、途中でよく父上が顔を出した。一歩部屋に入って、寒くないのか、と、心配というよりゃ仰天した声を上げた。
 北国生まれのくせに、父上は寒いのが嫌いだった。
 すぐに火鉢を倍の数にして、餅だの芋だのを焼き始める。
 竺丸はしめたとばかりにそちらへ擦り寄っていき、俺もそっちへ行きたかったが、母上に怒られるから動けずにいた。すぐにgood smellが漂ってくるから、腹を鳴らしてどのみち怒られる羽目になったがな。

 海苔だの砂糖醤油だのを持ってきて自堕落を始める父上に、母上はこの上なく冷たい目を向けた。
 殿がそのようでどうするのですか。これでは伊達にろくな未来は来ませぬなととげとげしい口調で嫌味を言い、対して父上はどこ吹く風で笑った。お前とこの子らと家臣たちがいるから大丈夫さ。
 その言いように母上はまた嫌味を言ったが、気にした様子もなく餅を差し出されて、そのようなものいらぬとそっぽを向いた。
 父上は肩をすくめ、その餅をのんびりと食った。

 俺は焼き芋を食いながら、父上と母上の視線の先を見ていた。
 母上は意固地に庭を見ていた。陽に照らされて、雪がほんの少しだけ溶けて光っていた。
 父上は、何を見ていたのだろうな。
 同じに庭を見ているようで、母上の背中を見ているようで、膨らんだ餅を見ているようだった。
 眩しいものを見るかのように眼を細めて、砂糖醤油がついた口許は緩んでいた。


 俺は、その時間がとても好きだった。





 だが、ある時全てが瓦解した。
 雪見ができた日々は唐突に終わったのさ。
 この、右目が―――白く翳って用を為さなくなった時にな。

 疱瘡だ、と医者は言った。
 意識が朦朧としていた。寒くて、体中が痛かった。そのうち全身に発疹が出てきたから、死が間近であることの恐怖に震えた。
 疱瘡の症状はガキでも知っていたからな。
 ―――そうなんだ、ってひょっとしてアンタ知らねぇのか? おいおい、一体どんな人生歩んだらこの病気と無縁でいられるんだよ…耳にしたことすらないってのは、珍しいにもほどがないか?

 疱瘡の感染力は驚くほど強い。死亡率も比して高い。
 天井の影があの世の入口に見えた。体を伝う汗は気持ち悪く、命が流れだしているのだと思った。
 部屋には、俺の毒された呼吸音しかしねぇ。父上も母上も竺丸も、見舞いには来なかった。
 当たり前だ。伊達家当主とその家族が、疱瘡に感染するわけにはいかねぇ。伊達の血を絶やすわけには。
 俺たちは一族だった。それが故に、優先順位があった。
 死に瀕した感染症の罹患者を見舞うわけには、いかなかったのさ。それが当主一族の義務だ。
 ある意味で、俺たちは歯車なんだよ。

 ―――ああ、やっぱりアンタはそんな、何でもないことのような顔をするんだな。良かった。
 同情した方がいいかって? バカ言うんじゃねぇ。
 そんなもんいらねぇよ。
 第一、にやにや笑いながらそう聞く時点で、そんなもんする気もないだろう。したとしてもアンタのそれは嘘っぱちだ。


 けどなあ、まだガキだった俺には、それが辛かった。
 理屈でわかっても感情が納得しねぇ。俺が死んでも笠丸がいれば伊達家は保たれる、なんて思えやしねぇよ。
 泣いたさ。恨んださ。
 どうして俺ばかり、とか、どうして来てくれねぇんだ、とか。
 Coolじゃねぇな。笑うんじゃねぇよ、俺にもそういう時期があった、そういうことだ。
 そういう意味じゃない? さっきからアンタはそればっかだな。
 今と違って可愛い? Ha,今は粋なモンだろ? 
 ……なんだその顔は。一遍じっくり語り合わなきゃならねぇようだな…!


 ぎゃーぎゃーうるせぇな。自業自得だろ?
 まあとにかく、俺は疱瘡に罹り、奇跡的に生還した。………この右目は、その名残だ。
 毒がまわり、醜く飛びだした。白濁した目。あんなモン二度と見たくねぇ。
 死んだ魚のそれみたいな、そんなモノが鏡に映っていた。
 鏡を叩き割った。だが、それで消えるのは鏡像で、現実が消えることはない。
 バカだと思うか?
 俺には、それが烙印のように思えたんだ。
 歯車として、少しでも価値を失えば棄てられてしまう者の烙印。
 見舞いにも来てくれなかった両親に、順位付けをされて棄てられた印だと思ったんだ。
 情けねぇ話さ。



 だがまあ、それが契機だったんだな。
 ある程度回復した俺は、閉め切った部屋が嫌でしかたが無かった。
 小十郎が様子を見に来てくれたが、静寂に呑まれて気が狂いそうだった。
 ここは、ごみ捨て場。そんな考えが離れなかった。

 そしてある日、障子を開けて忍び出た。

 差し込んだ光は冬の弱弱しいものだったが、穢れを払うかに思えた。
 堅牢に思えた障子を開けるのは何故だかひどく恐ろしいことのように思えたが、その光に縋るように部屋を這い出た俺は、まっすぐ母上のところに向かっていた。
 おかしなもんだ。そんなに頻繁な交流があったわけでもないのに。

 椿が咲いているはずだ、と考えた。
 きっと母上はいつものように椿を眺め、そこに俺がいないことを悲しみ、もどかしく思ってくれているはずだと、縋るように思っていた。
 同じだけ、なんとも思ってなかったらどうしようという不安もあった。けど、その真っ黒な不安は見えないふりをした。

 人に見つからないよう、雪の積もった庭を進んで―――椿の傍らに、母上を見つけた。

 母上は雪の庭に足跡をつけ、椿の傍に佇んでいた。
 珍しい、と頭のどこかがのんきに考えていた。母上は部屋から庭を眺めこそすれ、雪原に足跡をつけるということをしなかったから。
 母上は、あのどこか畏怖すら感じさせるまっさらな脆い絨毯を、踏みにじるのが許せなかったのかもしれない。
 その母上が、手を伸ばせば触れられるところに、いた。

 母上、と呟いて、手を伸ばした。
 大分薄くなっていたが、まだ疱瘡の跡が残っていた。
 どうしてだか、急き立てられるような心地がした。母上のところへ、とそれしか考えてなかったように思う。
 けど、な。

 母上は俺の呼び声にびくりと背を震わせ、凄まじい勢いでこちらを向いたかと思うとざっと蒼褪めた。
 唇まで青くなっていたのが妙に眼についた。
 金切り声。
 寄るな、と、叫んだ。
 震え、裏返った声で、母上は寄るなともう一度叫んだ。
 氷漬けにされたみてぇに、俺は動くことができなかった。



 こんなもの、わたくしの子ではない。



 そう、言った。
 冷たく鋭い叫びだった。まるで氷の刀みてぇに。
 軍神が氷の刀を持ってるって話だが、それに斬られたら、あんな感じがするのかね。
 なあ、冷たかったよ。
 全くCoolじゃねぇな、ほんとに…。

 母親の拒絶ってのは、交流が少なくてもガキにえらい衝撃を与えるもんなんだな。
 それ以来俺が雪見に招かれることはなかった。何度冬が廻って、椿が蕾を開いても。
 俺は部屋に引きこもり、父上は何も変わらず、母上はきっと竺丸を構っていたんだろう。竺丸だけを。
 あの冬の朝は、俺が欠けても廻ったんだろうか。多分そうだろうな。
 朝なんざ来なけりゃいい。そう思って左目を伏せれば、それだけで暗闇になった。

 恨んださ。
 皆死ねと呟いた。
 病気が治ったなら学問をしろ鍛錬をしろという父上。
 けど、なあ、アンタはそれを俺に言うのか。一度は見棄てた息子にそれを言うのか。いたわりとか、温かい手はないのか……!

 父上の死後に、俺を甘やかせる情勢じゃなかったことを知ったが、当時はそう詰ったよ。
 全く卑屈なもんだよなァ。疱瘡って、それを免罪符にして同情を引き出したかったのかね。
 ―――いや、多分違うな。俺は構ってほしかったんだろう。ちゃんと心配して、愛してくれているんだと、目に見える形で知りたかったんだ。
 その頃には、もう母上は俺に見向きもしなかったから。
 母上への手は断たれたから、父上の手が欲しかったんだろう。

 情勢っつーのは何かって?
 俺の廃嫡運動さ。
 前にも言ったとおり、奥州はまだ統一されていなかった。敵は数多といたが、その中でも最上氏―――母上の実家は油断がならなかった。
 It’s not strange.(別におかしなことじゃねぇよ)利害は一致していても油断がならねぇから、政略結婚なんかをするんだ。
 最上氏は、父上に俺を廃嫡するようプレッシャーをかけていた。父上はそれを撥ねつけたが、そのためには最上氏に対抗する派閥を作らなければならなかった。
 そんなとき、俺を甘やかしちゃいけねぇのさ。
 俺を廃嫡しないのが溺愛故と思われては派閥形成なんか無理だし、親に守られる軟弱者のレッテルが貼られようもんなら最上はそれを理由に竺丸を担ぎ、俺ともども父上を隠居させるだろう。伊達氏の乗っ取りだ。
 俺は、強くなければならなかった。死神を退けた、文武両道の次期当主なのだと、周囲に知らしめなければならなかった。
 甘えたのガキだった俺には酷な話さ。当時の俺は、そんなこと欠片も悟っちゃいなかった。これを知ったのは、父上が死んだ後だったんだ。後の祭りだ。


 暗い思考には果てが無かった。
 底なしの井戸を覗きこんだみてぇに冷たく湿り、鬱々としていた。怨嗟は生々しくとぐろを巻いた。嘆きは骨のように虚しかった。
 全身に走る血の筋にそれらの感情が溶けているのだと思った。ひどく気持ち悪かった。
 俺という命は何なんだろうな。生まれて、育って、俺は確かにあの冬の朝に家族を感じていたが、それですら俺がいなくても続いていく。俺がいなくても関係なく続くのに、俺は伊達家次期当主として求められていたんだ。
 それは絶望だったんだろう。
 青臭ェな。今じゃ、こうして伊達家当主になれて良かったと思ってる。
 そりゃ良いことも嫌なことも数えきれねェほどあったさ。だが、それをひっくるめて伊達の血を受け継いで良かったと胸を張って言える。
 けど、その時はそれがたまらなく嫌だった。
 まるで道具なのだと、そう思い知らされるみてぇで。

 人間でありたかった。けど、その時の俺はいらないもの。
 自嘲した。嗤って、嗤って、全部壊れてしまえとそう思った。そう思う自分こそが無力で、哀れで、みじめだった。

 何もかもが嫌だった。
 血迷った俺は右目を短刀で突いた。寒天を刺すような感触がしたが、灼熱したかと思うほどの痛みにのたうった。
 ああ、嗤っていい、死ぬつもりだった。
 悲鳴を聞きつけた小十郎が飛び込んできて命は拾ったがな。

 その時、俺は一度死んだんだろう。
 抉り出した右目と共に、俺の中の糸が切れた。それは多分、親の愛情ってモンを信じてた梵天丸が、―――死んだ瞬間だったんだ。





 それから色々なことがあったなぁ。
 母上は俺を疎んじ、竺丸を溺愛していたようだった。父上は何も変わらなかったが、母上との仲も変わらなかったのかはわからねぇ。俺はもう、両親にさほどの興味を抱かなくなったから。
 俺を支えていたのは、既に小十郎や成実だったんだよ。
 父上の死後にどれだけの愛情を注がれていたのかがわかったが……それを知ったとてもう遅い。
 感謝はしている。憤りも恨みも無い。だが、俺はもう梵天丸ではなくて政宗だった。親の愛情に頼らなければ立てないガキとはもう違った。

 小次郎と名を改めた竺丸と母上に毒を盛られた時もそうだ。
 久しぶりに会った母上は尼姿で、小次郎は数年前の自分に似ていた。その小次郎が俺の刀の下で絶息するのを見ながら、俺が考えていたのは嘆きでも悼みでもなく最上氏を押さえこむ方策だった。
 振り返った先で、小次郎の血を浴びた母上は戦慄いていた。頬に散った血が何故か椿を連想させた。
 おかしなモンだ。俺の馴染んだ椿は白かったのに。あるいは、血の気の引いた母上の頬が紙のように白かったからかも知れねぇ。
 悪鬼め、と母上は俺を罵った。
 その通りだろうと思う。だが俺は大名だ。この乱世に刀を以て立たなきゃならねぇ。
 けどなあ。それを悲しいとは思わねぇよ。
 俺はもう決めたんだ。幸せな国を作ると、天下を目指すともう決めた。


 誰が何と言おうと、幸せを感じていた時はあった。
 そこから先はろくでもないが、そのろくでもなさを理由に憐れまれるのは真っ平だ。
 俺は確かに不幸だった。
 だが、それを嘆きたくはねぇんだよ。まるで無力なガキみたいに立ち止まるつもりはねぇ。
 まるで押しつけるような同情、そんなもの余計なお世話だ。
 あの冬の朝、例えそれが錯覚でも―――……


081027 J

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