成実の情けない悲鳴が聞こえて、政宗はそちらへと視線をやった。
 そうすれば、駆けて去る小さな背を追いかける腹心の姿がその目に映る。
 まさかの考えが頭をよぎり、それはやめとけと咄嗟に思う。
 長い付き合いだ、そういう性癖だったとしても偏見は持つまい。
 だがしかし、しかしである。せめてあと4年待つべきだ。いかに幼妻が男のロマンであろうとも、越えてはいけない一線というものがあるはずだ。
 小十郎が知ったら烈火のごとく怒りそうな助言を心の底に沈めつつ、政宗はふと彼らの来し方を振りむいた。

 これでもかと厚着を重ねたが、粗末な小屋の入口から顔を出していた。お祭り騒ぎの方に興味を向けて、いつきたちの去った方角には微塵も意識を向けてないようだ。
 どうやらいつきが走り出したのは彼に原因があるらしいと直感する。
 同時に納得もした。何があったかは知らないが、が相手だったならいつきの逃走も道理だろう。彼の精神は常識に沿った成長を遂げていない。

 と、が視線に気付いて振り返る。
 政宗を見つけて、彼独特の猫のような笑みを浮かべた。

 軽く手をあげて応え、政宗は彼のもとへと向かう。
 政宗にも、いつきにも、誰に対しても冷淡なその微笑みに後ろ暗くも明確な安堵を覚えると言ったら、自分もおかしいということになるのだろうか。










 1 / 2 のクラウン! Quarantotto : 望まず⇔望まれず









 珍しくも仕事を放り出していった小十郎を呪っていた成実は、着膨れしたに歩み寄っていく主君を見つけて声を張り上げた。

 「おぉーい、梵―!」

 死なば諸共、一蓮托生。そんな言葉が頭の裏側で踊り、しかし表にはおくびにも出さない。
 政宗が振り返り、手まねきする自分に近寄ってくる。はあっさりドンチャン騒ぎの輪へと向かっていった。いいなあオレも騒ぎたいなあ。

 「What did you do?(何をした?)」
 「せめてわっつはぷんって聞いてくれよ」
 「Ha! そういうのは、問題事を起こさないようになってから言うんだな」
 「オレもうガキじゃないのに…!」

 共に育ってきたからか、政宗はどうにも成実をやんちゃな弟扱いする節がある。もちろん戦の場では武将として扱ってくれるし、弟扱いにしても成実に不満は無いのだが。
 政宗の中で、成実の時間は幼い頃のまま固定されているのかもしれない。

 ひょっとしたらそれは、実の弟の小次郎をちゃんと弟扱いできなかったからかもしれないと時々思う。
 思うだけで確信はない。
 けれど、そのたびに嫌だな、と思う。
 政宗に対してではなく小次郎に対して。政宗の母、最上の方に対して。

 成実は政宗が好きだ。武士であるからには主君として敬愛もしているが、それ以上に弟分が兄貴分を慕う感覚が彼には強い。
 政宗に絶対の信頼を置くと同時に、彼を傷つける彼の本当の家族に対しての反発があるのだ。
 その反発を、政宗は望まないだろう。政宗は家族に対する志向が強い。無意識下に成実を小次郎と置き換えているのがいい証拠だ。成実はそう考える。
 成実はその立場を嬉しく思いながらも、それだけに最上の方・小次郎親子が嫌いで仕方がない。

 馬鹿だなぁと思う。
 親戚とはいえ所詮成実は武将であり、政宗の部下である。部下は家族になれない。なってはいけない。なろうとするのは傲慢だ。
 それでも、共に育った兄貴分をただ主君と割り切ることはできなかった。
 これではいけないといくら自分に言い聞かせても、やすやすと変わるには傍にいた時間が長すぎた。

 どうすれば、政宗を最もうまく支えられるのか。
 家臣にも家族にもなりきれない成実は、思考の端でいつも思案する。

 成実と小十郎を比較するなら、彼らの違いはこの点にあるといえるだろう。
 同じように「支え方」を悩みながらも、小十郎は父や兄のような目線を捨てきれず、更に言うなら家臣という枠を逸脱気味だ。
 対して成実は、弟の目線で政宗を見ている。それは小十郎と同じく逸脱した目線かもしれないが、政宗の人格を憂いそれにどうやって関わるのかを悩む小十郎とは違い、成実は政宗に対し絶対的ともいえる信頼を置いている。政宗の人格を「そのようなもの」と受け入れているから、小十郎のようにお節介な心配もしない。
 ある意味で、成実はと近い目線を持っていた。

 成実ととでは違うところなど数多とある。
 だが、政宗という一個の人間に対して一種の冷めた視線を持っているところでは共通している。
 (成実は政宗に忠誠を捧げているため、「冷めた」というのは不適当かもしれないが、政宗の人格を勝手に褒めたり憂えたりしないという点では小十郎よりも彼を対象化していると言える)
 ただし彼らの目線にも大きな相違がある。成実や小十郎が政宗に愛着を持ち、その意志・行動に何らかの期待や信頼を抱くのに対し、には一切それが無い。彼は厳然たる部外者だからである。


 「小十郎が仕事オレに投げてきやがった。説明もナシで」
 「Oh…I’m sorry.(お気の毒さま)」
 「つわけで、梵、小十郎が何してたのか教えてくれ」

 農民たちと一緒に田楽踊りにせいをだしていた成実である。
 いきなり仕事を押し付けれらても、何をしていたのかなどさっぱりわからない。もともと実務より軍事に長けた男であるのも災いしている。
 そんな成実の性質を誰よりわかっている政宗は、苦笑いしつつも概要を教えてくれた。

 「Take it easy.(頑張れよ)もうガキじゃねぇってことを見せてみろ。you see?」
 「フルコース、サー!」
 「Of course,だ」

 どこでそんな言葉覚えるんだと政宗はぼやいたが、その手の情報源など政宗以外には一人しかいない。
 あの野郎、と毒づきながら、政宗はどんちゃん騒ぎの方へ足を向けた。
 オレもついていきたいなあと成実は思ったが、仕事を任された身である。一喝気合を入れ直すと、殿に成長を見せるべく書類をめくった。





 着膨れしているというのに体重を感じさせない動きで走りまわりながら、少年は人の輪の中心近くにいた。
 しかしあくまでも「近く」であり、主役は花町における武勇伝を自慢げに披露している農民だ。
 遊び慣れた政宗やには月並みにしか聞こえないその話も農村においては物珍しい最上級の娯楽らしく、やんやの喝采があがっている。それなのに、ちょこちょこ口を挟んでは巧みな話術で話を進ませながら笑うに、政宗はふと彼の職業を思った。天職だと豪語したクラウン。それはサーカスにおいて、決して花形にはなれない職業。
 頑なにその控え目なけじめを守り続けるは、他人に対しても同じように接する。

 それは冷淡と呼べるのかもしれない。
 しかしその無関心は彼の防衛本能が組み立てた生き延びるための術であり、他人の心に近寄ろうともしない態度はある時は人を安らがせた。そう、例えば政宗のような人間を。

 政宗に気付いたが軽く挨拶を寄越す。
 笑顔は誰に対しても見せる平坦なもので、その揺るがなさに政宗はこいつなら、とふと思う。

 耳を塞ぎ、目を閉じた子供のようなには誰の言葉も届かない。聞こうともしない。
 だから彼は傷つかない。だから誰かに同情することもない。そんなことできないのだ、かわいそうと思わないから。聞こうとしないのだから当然だ。

 しかしだからこそと確信する。
 小十郎にも、成実にもなれないなら、傷けることも傷つけられることもない。自分のために、そう思った。

 「Hey, 

 呼ばれた本人以外が政宗に気付いて平伏する。呼ばれたはきょとんとしている。
 顎をしゃくって、その間抜けな顔を人の輪から連れ出した。


 「話がある」





 ずっとずっと誰にも言わなかった、言ってしまいたかった話があった。


 小十郎と成実は正反対。
 家族になれるけど家臣になりたい成実と、
 家臣でしかないけど家族になりたい小十郎。
 081005 J

47 ←  00  → 49