泣きながら走り去っていく子供を見かけた時、追わなければならないと感じた。 だから成実に兵糧の仕切りの全てを押し付けて、小十郎は遠ざかる小さな背を追った。 村のはずれで追いついた。膝をついた少女はぼろぼろ涙を零していて、その痛々しさに声をかけるのを躊躇った。 しかし躊躇っていてもはじまらない。一声かけると彼女は弾かれたようにこちらを見、敵意を載せた視線を送る。 幼い少女のそれとは思えない、憎悪交じりの眼差しだった。 「……お侍だか」 「ああ。オレは片倉小十郎―――大丈夫か、小娘」 「へ、平気だっ。オラのことはほっといてけろ!」 「それはできねぇな」 歩み寄り、少女の目線に合わせてしゃがむ。 怯えと敵意が入り混じり、その奥に悲しみが凝る瞳だ。覚えのある眼差しに悲しくなる。記憶の中でその眼差しを有した少年は、結局それを癒すことなく成長した。 「話してみろ。誰かに話すと楽になる」 「うぇっ……」 温かな思いやりに、いつきの中に凝っていたものが決壊する。 この人なら信じられるかもしれない。 侍で、どうみても恐ろしげな風貌だったが、温かい目を持つ男にかじりついていつきは泣いた。 1 / 2 のクラウン! Quarantasette : 生贄の代償 自分は間違ってないはずだと、泣きじゃくりながらいつきは言う。 彼女の主張はある意味で真っ当だと小十郎も思ったが、賛同してしまうわけにはいかない。小十郎はあくまで体制側の人間であり、政宗の補佐役なのである。 補佐役、その言葉が心に浮いた。考えるのは政宗のこと。 年若い主君を支えるのが小十郎の役目だが、果たして政宗は小十郎を必要としているだろうか。 たった一つ残った独眼に老獪な為政者の影を浮かばせて、政宗はたった一人で見事すぎるほどに領地経営を行っている。 領地経営には汚い部分が付きものだ。例えば甲斐の若虎ならば魂懸けて拒絶しそうなことも山ほどある。 理想を唱える裏で、命を数として数えることも必要だ。 それを、全て納得ずくで主君として振舞う政宗に、小十郎は時折不安に苛まれた。 政宗はあまりにもアンバランスだ。 為政者の顔と若者の顔。その両方があっていいはずなのに、彼が浮かべるのは為政者の顔のみ。 人の上に立つ者という自覚で自身を縛っているのか、政宗は本来あるべき迷いも揺らぎも抱こうとしない。 (いや、そんなはずはない) ただでさえ複雑な生い立ちの政宗である。迷いも揺らぎもあるはずだ。 それを表に出さないのは、小十郎が信頼されていないから。 主従としての信頼と、人間としての信頼は違う。 政宗は主君として小十郎を信頼している。しかし主従であればこそ、主君が家臣に迷いを見せることはない。 政宗にとって、小十郎はどこまでいっても家臣なのだろう。 (だがそれも、仕方のねぇことだ…) 小十郎にとっても政宗は主君である。 幼いころから共に育ち、肉親のような情はあるとしても、主従であるかぎり小十郎に政宗の在り方を変えることはできない。それを願うことすら家臣としては失格だ。 何故なら政宗は、これ以上無いほど立派な主君なのである。 清濁合わせ呑める主君を、どうして家臣が凡人たれと望むことができようか。 家臣であればこそ、政宗を普通の青年として扱う事が出来ない。普通の青年のように振舞う事を、望んではならない。 血を吐くように死を望んだ梵天丸を独眼竜政宗に育て上げたことで、小十郎は永遠に政宗の人間的信頼を失ったのだ。 梵天丸を殺してよかったはずがない。 けれど、理想の主君という枠を与えたがために、政宗は対等の存在を失った。 もはや彼は堂々たる戦国大名であり、孤独な為政者なのだ。 小十郎は、彼の施政を支えるパーツに過ぎない。 「オラは…もう、いらないだか…っ!?」 どうしたらいいかわからないといつきは叫ぶ。 しかし、うなだれた少女に小十郎はまだ間に合うと直感する。 この子はまだ大丈夫だ。彼女の周りにいるのは、彼女の下につく者ではなく共に励まし合う者たちだから。 いつきは政宗とは違う。 彼女は、仲間と同じ高さまで戻ることができる。 「そんなことはねぇ」 小十郎は優しくいつきの頭を撫でた。梵天丸を撫でてやりたかったとふと思う。 しゃくりあげて震える彼女を、眩しいもののように見つめた。この子は暖かな道を歩めればいい。 「小娘、お前は何者にもならなくていい」 お前はお前であればいい。その願いが届きますように。 伊達家当主になった政宗には、もう届かない言葉。まるで代償行為のように呟く。 (代償でもなんでもいい。こいつが、こいつとして生きていけるなら) 「農民が侍を信じ切れないことはわかってる。だが、少しだけ信じてくれ」 政宗様なら、お前たちを全力で守ってくれる。 結局全ての重荷を彼に背負わせる言葉しか出てこなくて、小十郎は歯噛みする。つまるところ、己も政宗を追いこむ一人にすぎない。 沈黙していたいつきが「だども、」と虚空に向けて呟いた。 「あの人、本心からオラたちを大切に思っちゃいねぇ」 青いお侍は、自分の仕事と義務しか言わない。守ることが望みと、そう言ってはくれない。 凍りついたように小十郎の手が止まる。反駁する言葉が見つからない。 ―――政宗は完璧すぎるほどの領主だ。まるでお手本のような。 テンプレートの領主であり続ける政宗。 逸脱した望みも優しさも愚かさも持たず、ただ「領主らしく」振舞う生き物。 絶句した小十郎は、顔をあげたいつきの澄んだ瞳に息を呑む。 赤く充血し、頬には幾筋もの涙の跡が伝っていたが、等身大の己で満たされたいつきはとても、美しかった。 低い声が優しくいつきの鼓膜を叩く。 あんなに強面で、戦場においては竦んでしまうほど恐ろしいのに、今の彼は温かさと精一杯の思いやりに満ちている。 ふと滑稽さに気付いた。武張った大の男が、小娘と対等であろうとしている。 お前は何者にもならなくていいと小十郎は言った。 その言葉に反発しようとして、不思議なことに肩の強張りがとけたのに気付く。 憎悪はまだいつきのうちで毒を吐いたが、それよりも心を縛っていた重い鎖が砕けたような安らかさを覚えた。 (オラは、何かになろうとしてただか) 仲間のためと肩肘を張り、期待に応えることを自分に課して。 それなのに取り残されたから、自分を否定されたように感じて、何者にもなれない自分に絶望し。 いつきは、誰かのためでありたかったのだ。 だから必要以上に自分の憎悪を煽りたて、侍に敵対することを存在理由にまで昇華した。 侍は皆悪い奴だと思いこんで。 けれどもいざ対陣すると、自分には何も望まれていなかったことを知った。いつきはヒーローでありたかったのに、仲間にとって彼女はただの神輿にすぎなかったのだ。政宗に声を届けるための、ただの手段。 それでも戦いたいなら戦えばいいというの投げやりな言葉に傷つき、自分を見失って―――そうして、小十郎に掬いあげられた。 何者にもならなくていい。ただのいつきであればいい。 具体的な救いなんかではないのに、それは確かにいつきを救った。 侍を倒すことで誤魔化そうとしていた、幼い暴力だったいつきも、吹けば飛びそうな弱弱しいいつきも。 (オラは褒めてほしかった) 皆に凄いねと言われたかった。偉いねと、優しくされたかった。そのために敵が必要だった。―――ずる賢い。 小十郎の優しさは何の解決にもならない。 けれど、もういいと思えた。もういい。オラは、これでいい。 だから、政宗を信じろという小十郎に返した反論は、何も考えてなんかいなかった。 いつきは窺うように顔を上げる。表情をこわばらせた小十郎に小さな疑問がよぎったが、それよりも感謝を伝えたかった。 彼女はその時、確かに幸せだと感じていた。 |
難産にもほどがあったorz 小十×いつき難しいよぅ…! 好きだけど! 何気ない一言が相手には違うっていうのは よくあることだと思います 080927 J |
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