寛大な処置に仲間は歓声をあげた。怯えきっていた彼らを喜色が彩り、嬉し泣きのすすり声が渦を巻く。
 けれどもその中心で、いつきの胸にあったのは言いようのない不満だった。

 一揆を起こしたにしては大した咎めもなく、年貢も軽減されているというのに(彼女は知らないが、それは過剰な徴税を適正なそれに戻しただけである)、かけらほども嬉しくない。
 「Coolにいこうぜ」とか笑う政宗を拝んでいる仲間もいたが、いつきにはただ闇雲な反発しかなかった。
 侍なんか信用できない。まるで刻み込まれたように、憎悪の篝火はしつこく燃えた。

 (みんな、)

 共に喜べないのを申し訳なく思う反面、侍なんかの言葉を信じ込むなんてと憤りが湧く。
 歓喜の渦中にあって、いつきはひとりきりだった。

 (どうして侍なんか信じるだか? どうして、何もかんも忘れたように笑うだか? ……オラが、おかしいんだか!?)

 ぐ、と唇を噛みしめる。俺が守るから、お前たちは安心して田を耕せという政宗に、知らず厳しい視線を送る。
 信じられるものか。侍なんて、嘘つきの人殺しだ。
 侍はいつだって嘘つきだ。いつきはそう考える。
 守るといって虐げ、米を奪って戦をする。侍の言葉に真実なんかない。政宗だってきっとそうだ。
 彼の言葉はこれまでの侍たちとは違い、農民を認めるものであったが、どこまで本当かわかったものではない。
 そう思う理由を見つけることはできなかったが、政宗の浮かべる統治者の微笑に何か引っかかるものを覚え、いつきは己の説が間違っていないと確信する。

 政宗が本気で農民を大事にしているはずがない。じゃなかったら、こんな反発を抱くはずがない。

 いつきは小さな手を強く強く握りしめた。
 浮かれる仲間たちの間において、それはひどく孤独な感触だった。










 1 / 2 のクラウン! Quarantasei : イーブン









 戦を終えてからの対応は早かった。
 普段から粋がどうたら言っている政宗は、伊達者の名にふさわしく「戦は終わったんだ、これ以上めでてぇことは無ぇ。皆で楽しもうぜ?」との一声のもと、伊達軍・農民双方に景気よく酒やら余った兵糧やらを配り出した。
 思いもよらなかったサプライズに沸きかえる村はまるで祭りの様相を呈している。
 あかあかと焚かれた篝火は天を焦がすように輝き、溝が生まれつつあった兵農に自然な和解を促した。
 火の色か、はたまた酒のせいか、上気した男どもは昂揚そのままに笑い合っている。
 政宗じきじきに慰問の大道芸を命じられたは、楽屋用に借りた農家の窓からその光景を覗き見た。

 (なんともまあ、見事に収めたもんだね)

 一揆の火種を残すどころか、残滓ごと吹き飛ばした政宗に、は内心舌を巻く。
 の芸も彼の後始末の一端だ。
 ただでさえ娯楽の少ない農村では、単純な飲めや歌えやの宴会だけでも戦の重苦しい空気を払う力を持つ。
 そこに都市でも珍しい異国の芸人を投入すればテンションは留まるところを知らないだろう。兵農の亀裂を表面的にでも埋めるには、は格好の手段である。

 (笑いを引き出すのはクラウンの仕事だからいいけどねー)

 この宴会は仕事なのだ。
 今か今かと出番の合図を待っているにとっても、下級兵や農民たちと酒を酌み交わしている政宗にとっても、失敗できない仕事なのである。
 狙うのは空気の醸成。反乱など起こらなかったかのような雰囲気を作り出すのが目標だ。

 ああでも、とは一人の少女を思い出す。
 あの子を変えるのは無理だろう。強い憎悪を抱いていた娘の懐柔は、クラウンの手には余る。笑う気もないものを笑わせてやることはできない。

 (まあ、大勢を決めちゃえば押し流されるよね)

 少女一人の意見など大勢の大人の前では無力なものだ。いくら彼女がスターでも、彼女を持ち上げている者たちが狡さを備えた大人であるだけに彼女は黙殺されるだろう。
 力を持たないスターなどそんなもんだと思いつつ、は合図に従って楽屋を出た。





 「兄ちゃん」

 演技が終わり、さてさっさと着換えて宴会に混じろうとしていたは思いがけない言葉に一瞬思考が停止した。
 え、俺一人っ子なんですけど。まさかまさかで生き別れの妹と感動の再会?
 かわいい妹だったらちょっといいかもと期待しつつ振り返ったは、見覚えのありすぎる少女を前に(ヤバイヤバイ! 権力者に逆らった身内っていうのはちょっとやばい!)と思わずスルーを決め込みそうになった。でも駄目だ。目の前にいるのは生き別れの妹候補であり将来が楽しみな雪国美人だ。これが兄か弟だったら捨てていたが、将来美人予定の妹だったら捨てられない。男の願望はすべからく若くて美人な母親とかわいい妹に集束するのである。
 しゃがみこんで目線を合わせたに罪は無い。

 「どうしたの、signorina」
 「あの……オラ、聞きてぇことがあって……」
 「相談? それで君が笑ってくれるなら、俺、力になるよ」

 にこにこと楽屋に誘うにいつきは大人しくついていったが、もしこれが現代日本であれば危ない人にはついていっちゃいけませんルールが発動されるだろう。幼女相手に口説きモードのスイッチを入れたは全力で抗弁するであろうが。(「だって女性は何歳であっても女性なんだよ!」)
 ちょっと待っててねと素早くクラウンメイクを落としたは、衣装もそのままに固い表情のいつきを促す。
 やがていつきは、うつむきながらぽつりと言った。

 「兄ちゃんも、あの青いお侍を信じてるだか」
 「うんにゃ、別に」
 「え…? ど、どうしてだか!? だって兄ちゃん、あのお侍と一緒にいるでねぇだか!」
 「一緒にいるったって、俺はあいつに雇われてるからいるだけだもん」

 イツキちゃんに会えたのは幸運だったけど、と添えられた言葉にもいつきは反応しない。
 信じられないものを見たような、ほんの少しの喜びを混ぜたような、そんな光がその大きな瞳に宿っている。

 この子は本当に侍が嫌いなんだな、とは思う。
 彼女は仲間たちが政宗に丸めこまれ、不信を共有できる相手はいないと思っていたのだろう。瞳に宿った仄暗い喜びは、仲間がいたことへの喜びと、が仲間の農民ではない落胆と、騙された仲間たちへの見返しが混ざり合っている。

 「みんな、お侍にだまされてるだ。お侍は、オラたちを大事になんか思っちゃいねえのに…!」

 膝の上でぎゅっと手を握りしめ、いつきは声を絞り出す。
 それは血を吐くような慟哭だった。しかし彼女のつむじを眺めながらが抱いた感想は、同情とは程遠い。
 もともと彼は農民に同情していない。は一介の芸人だ。特定の地域に根差しているわけではないし、彼の性情自体他人との共感に欠けている。
 の頭にあったのは、いかにして彼女の仲間意識を拒絶するかだった。
 体制に反感を抱いている仲間などと誤解されてはたまったものではない。

 「お侍はオラたちを守ってくれねぇ。約束なんか意味ねぇ…!」
 「それは場合によるんじゃないかなぁ…ねえ、イツキちゃんはどうしてそう思うの?」

 はできるだけ穏やかに聞いた。いつきが話しやすいように。
 案の定、多少まごついたものの勢いに押されたいつきはぽつぽつと話し始めた。

 「………おっ父と、おっ母が……殺されただ。年貢もちゃんと納めてたのに、お侍が急に……急に、年貢重くするとか言って……!」
 「もういい。ごめんね、辛いこと話させちゃって」
 「ふぅぅ……っ」

 ぽろぽろ泣きだしたいつきを優しく撫でながら、見せしめにでもされたのだろうと当たりをつける。
 両親の殺害は、少女の心に憎悪をもたらすには十分だろう。いつきはしゃくりあげながら、その憎悪が他の誰よりも強くなってしまった軌跡を吐露した。

 「村の皆がっ…よくしてくれたけど、皆もお侍にいじめられてて…っ! 皆、辛ぇ辛ぇって言うから、皆がお侍は悪いって言うから……お侍がいなくなったらいいのにって、オラ、だからオラ……!」

 そうして彼女はスターになった。
 お侍という悪役を倒すために祭り上げられた正義のヒーロー。ヒーローであり続けるために悪を倒し、憎み、皆のためにとそう思って戦ってきた。
 けれども、彼女が守ってきた農民たちは、彼女をおいて侍と和解してしまい―――いつきだけが、残された。
 ただ憎しみだけを核として。

 「皆のために……おっ父とおっ母のために、お侍を…」
 「………イツキちゃんは、まっすぐだねぇ」

 は目を細める。彼女は真白で、痛々しいほどまっすぐなのだ。
 しかしそれが彼女に道を踏み外させた。ひたすらに一途なこの子供は、ずるさを知らないから泣いている。
 農民が掌を返したのは当然だとは思う。
 侍を全て殺すなど土台無理な話である。実現するならそれは天下統一ということだ。だが、農作業に従事する農民は片手間にしか戦をできない。それで統一できるほど天下というものは近くなく、それでも統一を目指すなら、田畑を放って彼ら自身が侍に転じるしかないだろう。
 統一国家なら政治も必要だ。小さな村落単位なら合議制でまとまるだろうが、範囲が大きくなれば軋轢も多く抱え込むことになってしまう。

 農民たちは、彼らの勝利が不可能だということを知っている。
 彼らは不平も言うし反乱だってする、しかし本質的な改変が彼らの力では無理だと思っているから、彼らの行動はどこまでも抗議の範囲を出ないのだ。

 農民たちは、彼ら自身の手による国を望んでいない。
 ただ、現状の改善を望むのみである。

 なので、政宗が彼らの意見を聞いて、生活が多少改善すればそれでいいのだ。
 彼らが育てたいつきの願いは壮大すぎ、だから彼らは彼女を放り出す。分に合わない神輿は担ぎたくないのである。

 は、そのずるさを非難しようとは思わない。
 農民たちは生きていくためにその小賢しさを手に入れた。それはいわば当然の帰結であり、不要として棄てられたいつきを憐れと思えど、彼にはどこまでも関係の無い話なのだ。は地に足のついた生活をしておらず、そんな自分に満足しているのである。
 だから自分に何を期待されても困る。は声だけは優しく話し始めた。

 「イツキちゃんの思う通りにすればいい」

 それだけとれば背中を押すような言葉にいつきは顔を上げる。
 けれどそれは、激励なんかではなかった。

 「復讐でも、革命でも、イツキちゃんの思うように生きればいい。俺はそれを否定しない。悪いことだとも言わない。血にまみれて生きるならそうすればいい」
 「兄ちゃ…!?」
 「うん、なあに?」

 いつきは絶句した。は何を言っているのだろう。
 話を聞いていたんだろうかと疑う。自分は、皆のために戦うと言ったではないか。

 「オラは、復讐なんかしねぇ…! おっ父もおっ母もそんなこと望まねえから…!」
 「死んだら望むも何も無いよ?」

 はこてんと首を傾げた。その妙に幼い動作に何故だかいつきの背に怖気が走る。

 「望みを抱き、行動するのは生きている人間だけだ。そして生きているからこそ望みは移ろい、行動も変わる。それを認められないなら認めないまま突き進めばいい」
 「………オラたちのことを、言ってるだか」
 「もちろん。イツキちゃんに笑ってほしいから、全力でイツキちゃんのことを考えてる」

 は悪びれない。実際彼が話しているのは彼自身の価値観に照らしたいつきへのアドバイスだ。
 ただし、自分に関わらないように思案を巡らせてはいるが。

 「ただねぇ、生きているからこそ、いつも同じ望みを抱いてくれるとは限らないんだよ。それを責めても意味が無いんだ。だって仕方のないことだからね。それでもイツキちゃんが侍と戦いたいなら戦えばいい。周りも巻きこめばいい。イツキちゃんの命の使い方はイツキちゃんの自由だからね」

 もっとも、いつきが巻きこんで死なせる命は彼女にのしかかるだろうけど。
 それは敵味方の命であり、その家族の命である。死ななくとも、怪我だとか、減った収入だとか、平穏を失う家庭だとかもあるだろう。
 巻きこむ限り、いつきには彼らに対する覚悟が必要とされる。それが首領の責任だ。
 政宗もその覚悟をしている。いつきと違い彼の場合は国主だ、その分重く自己に任じているだろう。

 「そんな…っ」

 いつきは反論しようとしたが言葉が見つからない。立て板に水とばかりに喋っていたは、いつきが口を挟んだ途端大人しく続きを待ったが、彼女が話しださないとみると再び話し始めた。
 反論できない自分にいつきは臍を噛む。

 「でもね、二度目の一揆をおこしたら、マサムネはもうイツキちゃんを農民と扱わないだろうね」

 今回は追い詰められた農民たちの抗議として受け取った。
 事実その通りだったのだから、彼はそのように処理をした。
 しかしそれでも一揆を起こすなら。彼を殺すための兵をあげるなら。

 「そのときマサムネは、同じ戦う者として全力でイツキちゃんを殺しにくる」

 兵となったいつきと政宗は、同じ舞台に立っている。殺し殺される乱世の舞台。生き残りを賭けた、武士同士の合戦。
 そこに同情の余地はない。強者と弱者がいるだけだ。
 彼らは対等なのだから。

 「オラは……そんなの、望んでねぇ…!」
 「それなら、戦わなければいい」
 「それじゃ駄目だ!」

 いつきは嫌々をするように頭を振った。
 どうしたらいいのか答えが出ない。どうして責めれらなければならないのだ、まるで自分が悪いみたいに。
 反発だけが大きく膨らんでいく。

 「戦う、戦わなきゃならねぇ、だってそれが皆のためなんだ!」

 ああでも、皆はもう仲間ではない。
 いつきが一人で暴走すれば、刀を取らなかった者まで責めを負うかもしれない。
 どうしたらいい。いつきは既に手詰まりだ。
 諦めるしかないのか。この憎悪を、熾き火のように眠らせて。
 の手がぽんぽんと頭を撫でた。

 「あんまり無理しちゃ駄目だよ。苦しんでるイツキちゃんを見てと俺まで辛くなる」
 「兄ちゃん…」

 言葉は優しかったが、それはどこか空虚な気遣いだった。直感でそう感じた。
 人が良さそうに笑うが怖くてたまらない。まるでオオカミが羊の皮を被っているような錯覚を覚える。

 唐突に理解した。彼はいつきのことなんかどうでもいいのだ。

 いや、いつきだけではないだろう。彼は自分と他者との間に明確な線引きをして、誰にもその線をまたがせないしまたがない。
 彼は誰とも理解しあおうとしていない。
 それを優しい言葉で誤魔化しているから、こんなにも怖いのだ。

 いつきは立ちあがり、じりじりと後ずさった。
 本当に信じられないのは、侍ではなくこの嘘つきだ。
 けれど、いつきの小さな胸を刺した彼の言葉は。これ以上ないほど的確に、いつきと仲間の乖離を指摘したあの言葉は、嘘つきの口からでた真実。

 は不思議そうにいつきの動向を見守っている。追おうとも、攻撃しようともしない。
 当然だ。いつきは彼の線の外にいる。仲間でも何でもなく、ただ偶然出会っただけのどうでもいい相手なのだ。
 いつきの目からぼろりと涙が零れおちる。頬を伝う前に駆けだした。
 冷たい空気に濡れた頬を刺されながら、いつきはがむしゃらに村を走り抜けた。

 (オラは、どうしたらいいんだ……?)

 打ち棄てられた一揆の旗、あちこちから聞こえる陽気な声。

 (オラは、もう、いらないんだか……ッ?)

 今は白銀に覆われた田畑の間を駆けた。
 風に乗って届くのは賑やかな声ばかりで、それはいつきの世界を壊す声だった。



 ―――敵が、見えない。


 難産でした
 、松永さんじゃないかと思った
 いつきちゃんの反発は、理論と言うより
 感情的な反発のように思えます
 080919 J

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