殺した。
 殺した。
 侍が、また農民を殺した。
 雪に染みた赤色がぐるぐる頭を回っている。青い侍の腹に散った血痕、あれは殺された農民の血、仲間の血。
 いつきは咆哮しながらハンマーを振り下ろした。子供の力で操られているとは思えないほどの衝撃で雪が飛び、地面がへこむ。
 咄嗟にステップを踏んだ侍はその一撃を避けた。いつきはぎっとその独眼を睨みつける。

 「侍なんて…人死にしか作れねえくせに……!」

 この青い侍も悪者だ。
 戦の上手い侍はみんな悪者だ。
 呟きと共に第二撃、しかし今度は完全に見切られていたようで、青い侍は最小限の動きでそれを避ける。

 からぶった攻撃の余波に髪を泳がせ、政宗は目を細めた。急がなきゃならねぇな、声には出さない呟きを心中に落とし、大きな瞳に敵意をみなぎらせた少女を見つめる。
 あの小さな手は、戦うことなど知る必要がなかったのに。
 その道を選んだのが彼女自身だとしても、彼女が決起せざるをえない状況を作り出した咎に後悔が湧く。

 「おい小娘! 政宗様をその辺の奴と一緒にするんじゃねぇ!」
 「筆頭はそんな男じゃねえ! 信じてくれよ!」
 「信じられねぇ! お侍は……お侍は、オラたちを虫みたいに殺すんだ!」
 「それは違う! 政宗様は、お前たちを殺すなとまで言ったんだ!」
 「じゃあその血は何だべ!?」

 侍は嘘つきだ。侍は人殺しだ。
 いつきは勢いをつけてハンマーを手放す。ハンマーは一直線に侍たちを押し倒した。眼前の侍たちはこの期に及んで抜刀しようとしない。

 「大寒波ぁ!」
 「ぐぁ…っ」

 侍たちが凍った。それを好機とし、いつきはハンマーを手に渾身の一撃を加えようとした。憎い敵の頭を狙って。成敗とそれだけを思って、急所に振り下ろす衝撃が、
 ―――途中でハンマーの負荷が消え、勢いを殺せずにもんどりうった。

 「ぁう!」

 尻もちをついたいつきは、見事に切断され柄のみを残すハンマーを見た。
 鈍器は少し離れた場所に落ちており、転がる様は何とも物悲しい。いつきは呆然とそれを見る。ひたひたと絶望が彼女を浸した。
 牙は、折れた。

 「あ……オ、オラの…!」

 武器が無い。こんなにも大勢の侍たちを前にして、戦うための力が無い。
 かちかちと歯を震わせるいつきの上に影がさした。見上げると、抜き身の刀を手にした政宗が一つきりの目で自分を見下ろしている。
 尻で這って距離をとる。けれども政宗は動かない。まるでいつでも殺せるのだとそう言っているようで、それは紛れもない真実だ。
 武器も持たない農民など、あっけないほど容易く殺されてしまう。

 「ぅ、ああ…! なんで…なんで、オラたちをいじめるだか…? いじめられて当然なんだか…?」

 政宗は眉をしかめ、ざり、と一歩を踏み出した。
 己の命の尊厳について自問するいつきが記憶を刺激する。己の命なんてホコリみたいなものだと言った道化師を思い出す。最下層の命であることを疑いもしない少年。
 しあわせなのだと嘯いたに言い聞かせ、言ってもらいたかった言葉を、いつきが血を吐くように叫ぶ。

 「オラたちだって……同じ人間だ……!」
 「Yes, you right.」

 顔を上げた。異国語なんてわからないが、肯定的な響きを捉えた。
 そこにあったのは、複雑に顔を歪め、それでもどこか嬉しそうな微笑み。
 政宗が刀を持ってない方の手を上げる。反射的に身を硬くしたが、手は優しく額に落ちた。
 目線を合わせるようにしゃがみ込み、一つきりの目に自分の姿が映り込む。

 「お前の言う通りだ。俺も、お前も、」

 あいつも、と続きそうになった言葉を飲みこむ。
 そういえばも、頭を撫でた手の下で間抜け面をさらしていた。いつきと同じような、子供の表情。
 あれが彼の本質であればいいのに。

 「同じ、人間だ」










 1 / 2 のクラウン! Quarantacinque : As adult









 また襲われたら怖いからと成実にくっついていたは、だからこそその知らせを聞くのも早かった。
 途中で転んだのか雪まみれになって駆け込んできた伝令は政宗の言葉を復唱する。
 曰く、一揆制圧完了、途中で気絶していたり怪我をしている一揆衆たちと共に、一揆勢の本拠まで来いとのことだった。には芸の準備をしてこいとの個別命令が下された。
 やっぱりなーとか案外早かったなーとか言い交わしながら、成実を中心とした守備勢は命令を実行しながら山を登る。
 揺り起こした途端怯えたり、逃げだそうとする一揆勢を(主にが)なだめすかして順調な行程だった。俺の仕事は保父さんじゃないのにと、何度も同じことを言わされるは憔悴気味だ。
 やっと頂上が見え、曇天に突き出した舞台のようなそこに少女の影を認めてはおやと思う。なんだろうあの子。一揆の参加者だろうか。

 少女は幽霊を見るような顔でたちを、正確には彼らと雪道を登ってきた仲間たちを凝視した。
 大きな目だな、と思ったその目に涙が溢れ、彼女は「みんなぁ!」と叫んだ。

 「いつきちゃーん!」
 「みんな…みんな、生きてただかぁ! 生きて、生き、て……!」

 ぺしゃりと座り込んで、少女は本格的に泣きだした。生足で冷たくないんだろうかと心配したの背後でうおおおお、と凄まじい雄叫びが上がった。
 (何!? 何!?) すわ暴動かと身構えたの期待を裏切り、少し前までしょぼくれていた一揆勢が口々にいつきちゃんいつきちゃんと叫び出す。特に凄いのが法被を着た連中だ。
 アイドルコンサート最前列のような彼らに、マスクやリーゼントたちは引き気味だ。ファンの熱意は時としてゾッキー侍を怯えさせるほどに熱烈である。

 感動の再会を呆気にとられて傍観していたは、「Hey」と声をかけられて正気付く。

 「無事だったんだ」
 「俺を誰だと思ってんだ? 成実から聞いたぜ、Thanks, 農民たちを誘導してくれて」
 「Don’t mention it.(どういたしまして)」

 それだけ言うと、政宗は感動の輪の方へ歩いて行ってしまった。に声をかけたのは道の途中だったからだろう。あっさりと離れていった背中を何を思うでもなく見ていると、政宗は農民たちに何かを告げ始めた。一瞬で緊張が走った農民たちの顔が徐々に驚きと喜びに彩られていく。
 大方今回の一揆の処置について話しているのだろう。

 普通、一揆を起こしたとなると厳しい処断が下される。
 しかし農民たちの表情の推移を見ていくと、どうやら彼らにとって喜ばしい処置がなされたようだ。
 にも漏れ聞こえてきた今回の一揆が起こった背景を考えるに、多分、減税とかだろう。
 甘いなあとは思う。いくら守るべき民だといっても、一度は政宗に弓矢を引いたのだ。それがお咎めなしならば他の農村に示しがつかない。一揆に屈した例として、後々の悪例となりかねないのだ。
 しかし、あの男のことだ、その辺りのバランスはちゃんととってあるのだろうなと思う。例えば減税と言いながら、実際は過分だった年貢を元に戻しただけ、とか。
 その証拠に、とは農民たちを見遣った。彼らは今はうってかわって神妙な顔をしている。それでも不平不満を出させないあたり流石というべきか。
 だが、と心に呟きを落とした。
 いくらうまく言いつくろっても、農民は生かさず殺さずが鉄則だ。それは政宗たち支配階級が非生産階級であり、搾取する側である限り付きまとう必然だ。
 農民の生活に心を砕いてやらなければならないが、豊かにしすぎることもできない。政宗は、彼らから一定の年貢を取らなければならない。

 (まあ、その辺は俺が気にすることじゃないか)

 難しいことはわからないしな、とは気楽に観察する。そろそろ話は終わりらしく、農民たちは負けたというのに喜色を浮かべている。
 しかしそんな中で、一人だけ不満を消し去れない顔がいた。

 ふぅん、気付いたのかなとその幼い顔を見る。
 けれども彼女の顔に浮かんだ表情は、不公平を嘆くというより怒られる子供のむくれたそれだった。ひょっとしたら負けてしまったのが不満かな? そう考えもしたが、それとは少し違う気がする。
 いけないなあと考える。彼女の煩悶自体はに関係ないのでどうでもいいが、女の子は笑顔であるべきだ。曇り顔など似合わない。
 あとで慰めてあげようと考えていたは、ふと人の接近に気付いて顔をあげる。成実が歩み寄ってきていた。
 心なしか少し元気が無い。野郎の悩みに興味は無いんだけどと密かに切り捨てたが、隣に立った成実は大きな溜息と共に喋り出した。俺聞くって一言も言ってないんですけど。

 「なあ……オレどうしたらいいんだろ」
 「…? 政宗に叱ってもらえば? ヒットォォシゲザネェェって」
 「甲斐じゃないんだからさ! ……ああでも、それで解決したら楽なのになあ」

 それで解決しないなら、俺に愚痴っても無駄だと思いますよ。鉄面皮の下に本音を閉じ込め、はばっちり聞き流し体制をとる。
 こういう相談は、大体において答えなぞ求めていないのだ。ただ、聞いてもらいたいだけだろう。

 「オレたちってさぁ……農民に嫌われてるのかな?」
 「そ、」

 んなの当たり前だと思うんだけど。
 上流階級への敵視は社会構造がピラミッドになっている限り発生することだ。
 だがまさか素直に言うわけにはいかない。は成実の話を促し、彼のぐるぐるとした話を我慢強く聞いてやった。
 予想通りそれだけで成実は満足したらしい。成実という男は、基本的に明朗な性格をしているのだ。農民たちの嘆きを忘れ去らず、考えていくだけの生真面目さも持ち合わせてはいるが、いつまでも暗く悩む性格はしていない。どこかの誰かは違うようだけど、と彼の従兄を思い出す。

 「……シゲザネたちはさ、傘みたいなもんなんだね」
 「傘?」

 思わず零れた言葉を訊き返され、は(あ、しまった口出しちゃった)と思ったがこうなればもう言ってしまうことにする。

 「傘って、雨の日は重宝するけど、晴れた普通の日は邪魔だもんね。毎日持ち歩いてたら嫌になっちゃう。侍とか軍隊も似たようなものかなと思って」

 平時には不要どころか邪魔でしかないが、いざとなれば必要不可欠。それは軍隊というものの在り様にとても似ているとは思う。
 農民たちとて、何者かから襲われて、それを侍たちが撃退したなら彼らをありがたいと思うだろう。しかし平時の侍は無用の長物だ。今がもしもの時でないならば、ただ反発だけが溜まっていく。
 つまりはそういうことだろう。

 成実はの話を真剣な面持ちで聞いていた。締められた思考を自分なりに噛み砕き、理解して、感心した目を向ける。
 学なんてないから難しいことはわからないと言っていたのに、なかなかどうしては頭がいい。

 「、お前、凄いな」
 「へへーありがとー。成実に褒められると照れるなあ」
 「まあ、殿には負けるけどなっ」

 政宗は成実の自慢の君主だ。政治センスは抜群で軍略にも長け、カリスマも絶大とあっては自慢しない理由はない。
 普段はちょっとアレだが、君主としての政宗は完璧すぎるほどに完璧だ。君主のお手本というのがいるならそれはきっと政宗だ。
 は唇を尖らせたが、それもすぐに「まあマサムネなら仕方ないけど」と朗らかに笑う。

 「マサムネは見事なまでにスターだもんね」
 「すたーって、えーと星だっけ。なんで殿が星なのさ」

 成実も英語わかるんだ、まああの異国好きの側にいるならある程度はわかるかと納得したは、「星じゃなくて花形って意味だよ。わかりやすい例えだと花町の太夫」「よくわかった。玉屋の月音太夫は最高だよなー。あの艶!」「俺は角屋の八夜太夫の方が好みだねー。あの人すごく奥深いもん」話が横滑りした。

 君主としての政宗は完全無欠のスーパーヒーローみたいなものだ。
 年に似合わぬ老成した手腕など目を見張るものがある。まだ彼が十代なのだという事実が不自然なほどに、政宗は君主として完成していた。
 守るべき民のためと言いながら、後ろ暗いこともできる政宗。そしてそれを気付かせない政宗。例えば幸村や長政に通じる若さゆえの潔癖さが彼には無い。

 「マサムネは人の輪の中心で抜きんでている。俺たちは奥州といえば当たり前のようにマサムネを連想する。奥州を代表する者として、無意識レベルであいつが頂点と認め、従ってるんだ」
 「ああ、うん。それは確かにあるかも」

 成実は心から納得した。

 「殿のためだったらオレ、いつだって死ねる」
 「……そういう風に思ってもらえるマサムネは、大輪の花と言えるだろうね」

 誇らしく笑った成実の心理は、には理解しがたいものがある。
 (誰かのために死ぬなんて、)考えられない。
 己をあいしてくれた母でさえ、のためでも父のためでもなく、己のために死んだ。彼女は父に会うことを切望していたから。
 そしては生に執着している。母の手を振り切って生還するほどに。

 「あの女の子も、花だったんだろうね」

 見ている限りの判断だが、どうやらあの少女が一揆の頭目らしい。
 あの年でこれだけの人数を率いるとは大したものだ。もっとも、彼女のカリスマは政宗とは少し違うのだろう。
 が見る限り、政宗は恐らく、(それが天性のものかは知らないが)己のカリスマを己で育て、カリスマたれと生きてきた。それがためにお手本のような君主となって、成実たち荒くれ揃いの伊達軍を率いているのだろう。
 しかしあの少女の場合、とは推測を掘り下げる。
 彼女にカリスマがあるのは本当だろう。しかしそれは自然と他者を従わせるものではなく、他者が彼女を祭りあげるものである。

 (根は良い子だろう。でも、あれじゃあ周りのイメージに影響されて、流されてしまうね)

 例え今は理想的な状態で周囲と合致していても、いつか彼女は周囲の抱く型に自分を嵌めようとしてしまう。子供なだけに彼女の可変性は高い。
 天性のカリスマをあまりにも早く表してしまった彼女には、政宗のようにカリスマを鍛えるだけの時間は無い。周囲に応えようと必死になっているうちに、彼女は自分を殺してしまう。


 政宗といつきはまるで逆だ。
 自発的にスターになった政宗と、他動的にスターにされたいつき。


 「マサムネは確かにスターだ。絶対に花道を逸れない。―――もう、染みついちゃってるんだろうねぇ」

 その言い方に、成実はぎくりと身をこわばらせた。虚ろな目で椿の向こう側を見ていた子供を思い出した。
 どうしたことか―――もう、あんな日々は去ったというのに。
 今の政宗は、見事なまでの奥州筆頭だというのに。だって、褒める意図の分析をしたのに!

 憐れむような言い方をしたは、その実少しも憐れんではいない。彼は政宗を『そういうもの』として分析しただけだ。
 ただ、と思考を引っ掻いた。

 (マサムネは君主として立派でも、仕事面以外がさっぱりわからない)

 それは政宗が線を引いているからだ。同じ穴の貉であるにはよくわかる。
 政宗は誰も寄せ付けない。信じていない。君主としての義務は果たしても、自ら誰かを守ろうとはしない。

 (俺を助けたの、も、)

 約束だったから助けにきてくれたんだろう。
 成実に任せて切り捨てなかったことはありがたいが、それは約束をしたからだ。
 自発的に動いたわけじゃなくて、君主として来たのだと、農民たちを構う後姿を見ながら、は口には出さず呟いた。


 まるでそうであってほしいと言い聞かせるような自分自身の呟きを、は聞かないふりをした。


 政宗を奉りたいわけではありませんが、
 仕事面では彼はカリスマだという設定
 精神面の話はのちほど

 いつきちゃんはいい子なだけに利用されそうだと思います
 080914 J

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