髪を乱した大きな手。は腑抜けた顔をさらす政宗を唖然と見上げた。 政宗がここにいる理由がわからない。 政宗が自分を構う理由がわからない。 守ってやる、そんな口約束無いも同然だと思っていたのに。 『守るっつったろ』 そんな、馬鹿な。 だって政宗は他人だ。他人は自分を助けてくれない。 にとって、自分を守ってくれるのは常に自分だけだった。母の手が握り締めたナイフの輝き、暗闇で小さな体を這った腕、灼けた甲斐の空に振りかぶられた血濡れの刀、それらを切り抜けてきたのは己が二本の腕で、彼を庇う背なんてどこにもなかった。ただ、後から差し伸べられる同情の手があるばかりで。 それは、傷つき乾いたクラウンの心が、静かにけれど確実に揺れた瞬間だった。 の頭を撫でていた政宗は、その瞬間小さく息を呑んだ。 なされるままだったからふと力が抜け、まるで安心しきったような、それでいてどこか涙の気配を含んだ微笑が浮かぶ。 ほんの一瞬だったけれども、は確かに幼子の表情を浮かべ、縋るように政宗の手を受け入れた。 「お前、」 「梵!」 第三者の声が本陣を鋭く貫き、の微笑が霧散する。代わりに浮きあがる普段の飄々とした顔。 それを惜しく思ったが、政宗はすぐさま我に返った。惜しいって何がだ。一体何を言うつもりだったんだ俺は! 頭を抱えた政宗からあっさり視線を離したが、奇行に走る政宗とは対照的に真剣な空気をまとった成実に声をかける。血刀を持った成実はさっと顔色を変えた。 「シゲザネ、一体どうしたの?」 「、無事だったんだ…って、今はそれどころじゃなくて!」 梵、もう一度叫んで成実は政宗に走り寄った。途中、何かを拾う。 成実は近くに跪くと、の視線を避けながら政宗の手に小さな金属板を握りこませる。 それが何か理解した瞬間、政宗の手が弾かれたように右目を覆う。訝しげなを振りむいた政宗の目には焦燥と疑念が強く浮かんでおり、その根底に怯えがこびりついていた。 暗い視線の的にされて戸惑ったに、ひび割れた声が問いかける。 「見た、か?」 「見たって」 何をだろう。は首を傾げる。政宗は左目を大きく見開いて、いっそ敵視とさえ呼べそうな視線を注いでいる。 は思い返す。今政宗が必死に隠している右目には、変なものなど何も無かった。 ただ、醜く引き攣ったできものと窪んだ瞼があるだけで。 「俺が見たのは、」 「!」 咎めるように鋭く叫ばれ、鞭のように成実の手が首めがけて伸びてくる。間一髪で避けたが、怯えるに敵意を載せた視線が突き刺さる。 鬼のような形相で、成実は低く唸った。 「それ以上何も言うんじゃねぇ…!」 「シ、シゲザネ…?!」 ひくりと震え、は政宗と成実の間で視線を彷徨わせる。 途方に暮れた道化師を見て、政宗は重く息を吐いた。悲しみを隠した能面で、平坦な声音の命令が紡がれる。 「Stop, 成実。もういい」 「梵、でも…!」 「俺がいいと言ってる。―――それより、外で何かあったのか」 「え、いや……兵が引いて行ったから、梵…殿とは大丈夫かと思って」 「Don’t worry, この通りだ」 言いつつ政宗は立ちあがる。決してを見ようとせず、政宗は二人の視線を避けて兜を脱ぐと、手渡された眼帯をつけなおした。 そのまま本陣の外に出ようとする政宗の陣羽織を、は慌てて掴んだ。 予想外の抵抗を受けて政宗は立ち止まる。羽織を握る右手に、政宗も成実も驚いた。はもっと驚いた。 まじまじと己の右手を見つめ、「ぅあ!」ぎょっとして離す。心底困惑しきって右手をぐーぱーしている。 居た堪れなくなり、政宗は観察に見切りをつけた。再び出ていこうとする背中に、あ、と小さく声が飛び、 「マ、マサムネ!」 「Ah?」 顔は陣幕に向けたまま、歩みも止めないまま。 の顔を見るのが怖かった。どんな表情が浮かんでいるのか、見てしまうのが怖かった。 成実でさえ、眼帯を外した政宗から気まずく目を逸らすのだ。 それはしょうがないことだと理解している。慣れたと己に言い聞かせ、とうの昔に諦めている。 それでも、できるなら見たくはない。 憐れみも同情も蔑みも、そんなもの。まるで自分は不幸なのだと知らしめるような視線、欲しくない。 出ていこうとする背中には一瞬ためらいを挟んだが、政宗が陣幕に手をかけたので覚悟を決めたのか続きを叫ぶ。 「そ、その! ありが、とう」 語尾を震えさせながら、は必死に綴った。 礼なんて言い慣れているはずなのに、ともすれば舌を噛みそうだった。 予想外の言葉に政宗の足が止まる。弾かれたように振り返った先で、ひたむきに言葉を続ける子供と出会う。 「助けて、くれて…ありがとう。怪我、すんなよ」 「………Of course.」 半ば無意識に呟いた返事に、は小さく笑った。 それは常の完璧な笑顔からすればとても笑顔とは呼べたもんじゃない、不器用でひきつった微笑みだったが、自然に浮んだ本来の彼の片鱗のような気がして、政宗は反射的に顔を逸らした。 じわりと溶けだすように、胸の奥が温かかった。 1 / 2 のクラウン! Quarantatre´ : 或る微笑 政宗を追うようにして出て行った成実を見送り、は荒れに荒れた本陣に取り残された。 外では喧噪が続いていたが、たった一人隔絶された空間で、は政宗の手が載っていた箇所を撫でてみる。 籠手に覆われた、いかつい手が撫でた髪。自分でてしてし触っていると、照れくさいような温かいような気持ちがわいてくる。 (うれし、かった?) 一体何年振りだろう。こんな風に、ただ柔らかく目を細めて撫でてもらったのは。 少なくとも母が死んでからは一度も無かった。育て親の団長は善良な人だったけれども、善良だったが故に同情と無縁になることはできなかった。そしては同情に酷く敏感で、それを嫌う。 我知らず微笑みを浮かべていたは、ふと気配を感じて振りかえった。 どこか気落ちした成実が、陣幕をめくって入ってくる。 「あれ、シゲザネはマサムネと一緒に行かなかったの?」 「あー、まあね。元々オレは本陣の守備を言いつかってるし」 「そうなんだ」 「うん……あのさぁ、」 成実は、机に腰かけたの隣まで来ると、勢いよく頭を下げた。 「ごめん! オレ、白装束が二人もいるとは思わなくて。相手してた奴が本陣に飛び込んでった時も、数だけはいた新手に手一杯になっちゃって……本当にごめん!」 「え、いいよいいよ。気にしないで。結果的に俺生きてるし」 「でも怪我してんじゃん! すぐに医者…は嫌いなんだったよな、薬持ってくるから」 医者と言った瞬間が物凄い顔をしたので、成実はとっさに言い換える。 見た限りではかすり傷ばかりだが、彼の護衛を仰せつかっていた身としては申し訳ないばかりである。 本当にごめん、と再度頭を下げると、は心底居心地悪そうに身じろいだ。 「あのさ、シゲザネ。俺、気にしてないからもう勘弁してくれないかな」 「でも、オレが不甲斐ねぇばっかりに」 「うわー、それもうやめて! Ti prego!(頼むから!)俺、そういうシリアスなの嫌い」 そう訴えると、成実はまだ納得していないようではあったが一応区切りをつけたらしい。成実と幸村って意外と似てるけど、成実の方が大人だねと心の中で評価を付ける。 成実は一度本陣を出たが、薬と包帯を持って帰ってきた。 は治療、成実は片付けをしながら雑談に花を咲かす。 「そういやさー、俺マサムネが戦ってるとこ初めて見たよ。結構強いんだねアイツ!」 「そりゃ殿だもん。当たり前さ!」 「シゲザネ嬉しそうに言うなあ。マサムネのこと、すき?」 「当然! だってオレたちの殿だぜ?」 ふと、成実が言葉を切った。 「は、さ。殿の…」 問うていいものか否か言いよどんだ。眼帯を外した政宗を思い出す。 成実には、痛ましい病の跡を直視することはできない。彼は知っているのだ。失明した政宗、絶望の淵に立った政宗、そして右目に短刀を突き立てた政宗の叫びを。 『もう、いやだ!』 幼い喉が誰にともなく吐き散らす怨嗟を、成実はその場で聞いていた。 金縛りに遭ったように動けずに、小十郎が主の手足を押さえ右目を抉るのを、何もできずにただ見ていた。 暗い部屋に濃い血臭。凝った闇と底無しの絶望。虚ろな右目から溢れた血はまるで涙のようだった。椿の向こうには、母子の穏やかな日常があったというのに。 それを知っているから、成実は政宗から目を逸らしてしまう。どんな顔をすればいいかわからない。彼が同情を嫌うことを知っているから尚更。 しかし、その行動が政宗を傷つけてしまうのも事実で。 だから、醜い右目に怯えも恐れもしなかったに興味が湧いた。 けれどもそれを問うことは、政宗の禁域に触れることになってしまう。 成実はそれを躊躇った。しかし、察しの良すぎるは成実の言いたいことを正確に理解し、政宗の過去を知らないが故に言葉にした。 「特に何も、思わなかった」 器用に包帯を巻きながら、彼は淡々と告げる。 「眼帯してるから、見えないんだろうなとは思ってたし。できものだって、そんなに驚くようなもんじゃない」 もっと酷い体なら俺見たことあるよと言う。その平坦さから、彼が特に何の感慨も持っていないことが見てとれた。 成実は知らないが、は腐敗した母の肉を食べている。政宗程度、比べる気にもならないだろう。 「俺に言えるのはこれだけ。身体的なことなら俺は驚かない。身体的なことしか俺には言えない」 見透かされた。は絶対に、成実の望む答えは言えない。 彼は成実と同じ位置には立てないのだ。成実の知る政宗の過去をは知らないし、知るつもりもないのだから。 成実に「何故そんなことを聞くのか」と追及しないことで不干渉を宣言したは、余った薬と包帯を投げて返す。 「マサムネがどんな見た目でも、助けてくれて嬉しかった。俺にはそれだけだ」 「……それだけ、」 「Si. なんか文句あるか」 「いや……無い。なんも無い」 不思議と唇が持ちあがり、成実は笑いだしたくなった。それと同じくらい泣きだしたい。 それだけだ、がそう言った「それだけのこと」が成実にはどうしてもできない。小十郎も無理だろう。 ずっと政宗と一緒にいて、小さな背中が大きくなって、長く深い時間を過ごしてきたから、彼らにはのようにはなれない。 「なあ。オレたち、殿が大好きなんだ」 大好きだ。憧れ、熱狂し、支え続けると誓った存在。この命を捧げても構わないほどに大好きだから、その優しさが逆に政宗を傷つける。 政宗が傷つかないように過去に蓋をしてきた。それが逆に彼を傷つける、そうわかっていても蓋を開けることはできない。開けるには成実たちは政宗を知りすぎている。 どこか生ぬるい優しさと食い違いの中で、彼らは痛みから目を逸らして生きてきた。 「……難しいな」 誰かを大事にする方法に思いを巡らせ、成実は小さくため息をついた。まるで泣き笑いのような微笑を浮かべながら。 |
やっと雪解け開始? 成実好きです 080906 J |
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