環境適応能力に自信はあったが、従軍というイレギュラーにもほどがある状況は人知れず己を蝕んでいたようだった。
 無数の蹄と足跡を残して雪景色に消えた奥州軍を思い浮かべながら、は細く息を吐く。

 (あんなこと、言うつもりなかったのに)

 零れ落ちた糾弾。はっきり傷ついた顔をした政宗を思い出し、乾燥で荒れた下唇を噛んだ。
 普段のなら、絶対に言わないことだった。
 気付いても、思っていても、あの類の指摘は標的の神経を逆撫でする。往々にしてそれは真実だから、指摘されたものは余計に怒りを覚えるだろう。
 保身と快楽を是とするクラウンは、風刺劇でもないかぎりそんなものを口走るべきではない。
 俺もまだまだだね、とは思う。

 ストレスが溜まっているのだと思う。不安で、怖くて、不満だから。
 とっとと奥州を出ていれば良かったが、後悔は先にできないから後悔というのだ。仕方がない、と諦める。

 「おーい、どこにいんのさー?! 白湯飲もうぜ、寒いからー!」
 「すぐ行くー!」

 居残り組としてぶすくれていた成実が陣幕の中からかけた誘いに叫び返して、はぱっと身を翻す。

 ドッ

 「………え?」

 ひゅん、と聞こえた風切音。本能的に避けた次の矢はまさにが立っていた虚空を貫き、竹に雀の伊達家紋を射抜いた。
 転がるように陣幕の中に逃げ込む。外では気付いた者から悲鳴と怒声が上がり、異変を察知した幕内の空気が熱気を帯びた刃に変わる。
 白湯の器を放り出した成実は、武者の顔をしていた。

 「はここにいろ!」

 抜き身の刀を引っさげ、成実は陣幕から飛び出していく。殿は奇襲なんか無いって言ってたのにと毒づきながらも、その横顔に狂気めいた興奮が滲んでいる。
 彼も戦を生業とするものなのだ。

 は震える手で鞄を漁り、目的のものを引っ張り出した。ジャグナイフ。トルコやらロシアやらで買い集めたそれらは、名品ではないが真剣だ。
 ずしりと手に伝わる冷たい重み。
 歯の根も合わないほどの青白い恐怖が浅い呼吸と共に高まっていく。真白い恐怖。湧水のように溢れ出て、津波のように全ての感情を押し流す、絶対の恐怖。
 鞘を払って立ちあがった。日光を弾く刀身に蒼褪めた己が映り込む。

 (こわい、こわい、こわい!)

 陣幕を出るつもりなどさらさらなかった。怖かった。悲鳴が耳に滑り込む、血臭が鼻をつく、殺し殺される興奮が肌にまとわりつく。
 凄惨なBGMに囲まれて、陣幕の中は平穏だった。成実が放り出していった器から白湯が垂れている。ぽたり、ぽたり。
 感覚が異様なまでに研ぎ澄まされていた。は全身で周囲を探る。
 震えは止まっていた。心は既に凪いでいた。震えていたら生き延びられない、生き延びたかったら集中しろ。

 「………ッ!」

 飛びのくと同時にナイフを投げた。キンッと場違いに澄んだ音をたて、血濡れた長槍がナイフを弾く。
 白装束の男が、仮面に覆われた顔をあげた。


 『守ってやるよ』


 でも、お前は絶対来てくれない。










 1 / 2 のクラウン! Quarantadue : 口約束 U









 「殺すんじゃねぇ! 一人たりとも殺すな!」

 喉を嗄らして叫びながら刀を振るう。矛盾している、と政宗は思う。
 粗末な野良着に鍬を振りかざした農民兵を薙ぎ払いあるいは蹴り飛ばし、政宗は悲鳴と怒声と呻き声の中を闊歩した。
 分厚く積もった雪を無数の脚が踏み固める。ところどころに倒れ伏す痩せた男たち。
 雪もさすがに戦の狂騒を吸収しきれるわけではないらしかった。

 「政宗様!」

 緊迫した声と共に、小十郎が駆けてきた。一揆勢の最奥に突進し、首謀者がいるであろうそこまであと僅かというところまで迫っていた政宗は、獣のように興奮した息を吐きだしながら「何だ」と問う。
 既に周囲に農民兵はいない。政宗をはじめ、手勢として率いていた精鋭たちによって地面に叩き伏せられている。
 常に無く厳しい顔をした小十郎は、一礼をしてその知らせを主の耳に入れた。

 「本陣が、奇襲を受けました」

 一瞬、周囲の狂騒が消えたかと思った。
 しかし政宗はすぐに驚きから覚め、「それで」と低く先を促す。踏み荒らされた雪の上に面影が映る。『マサムネ』、外国語なまりの、それがために丁寧に綴られる音。無力を、諦めることを知っている少年。無慈悲で残酷で、ひとりぼっちの子供。
 薄っぺらい笑顔が政宗を糾弾する。守ると約束した政宗を。

 「急使の報告によると、一揆勢ではないようです。現在成実率いる守備隊と交戦中」
 「戦況は」
 「五分、とのことですが、成実がいるからには大丈夫でしょう。念のため、鬼庭殿を救援として送ります」

 それは上策に思えた。
 正体不明の軍とはいえ、数は多くなさそうであるし、成実・鬼庭ならば大抵の者は凌げるだろう。
 まして政宗は、一揆勢の中心に迫ろうとしている。
 後々問題を起こさないためにも、本陣のことは部下に任せるべきだ。

 頭では分かっていた。
 この戦は、政宗たちが攻勢に出る戦である。本陣は確かに大事だが、本来なら成実ほどの武将を守備に残すほどのものでもない。
 どうやら長期戦にはならないようだし、食糧や武器は守らねばならないとしても、力を傾けるべきは一揆勢の攻略であって本陣の守備ではない。
 それなのに成実を本陣に残したのは、無理矢理連れてきた道化師の乾いた言葉が原因だった。

 『どうだか』

 守ってやると言った政宗に、は諦めと不信をもって答えた。
 は政宗の庇護など期待してはいなかった。政宗の立場を理解した上で、「無意味な守備に手勢を割くわけがない、仮に割いても戦況によって見捨てるだろう」と指摘したのである。
 怒りも悲しみも抱かずにただ、淡々と。
 だから政宗は、その言葉に反発するように警護を厚くした。
 ここまでしたら大丈夫だろうと、それは皮肉のつもりだった。
 それなのに。


 救援は鬼庭で十分だと理性は判断していた。
 政宗が優先すべきは、一刻も早い一揆勢の鎮圧だった。

 「政宗様?」

 じっと黙りこくったままの政宗に、小十郎が不審げな声をかける。
 悩むところなどないはずだ。政宗はすぐ頷くだろうと思っていた小十郎は困惑した。
 まるで葛藤しているような彼の表情。

 『守ってやる』

 政宗は、差し伸べられた手を信じない子供に約束したのだ。
 はその約束を信じないままで、何者かに襲われている。恐らく、とてつもない恐怖の中で。

 (約束した。……俺は、約束したんだ。そうだろう?)

 怖がりで、猜疑心の強い子供。守ると約束したのは政宗自身だ。
 けれども今、政宗は約束と戦況を天秤にかけている。の言葉が蘇る。『どうだか』、まるで予言のような、諦めきったその言葉。

 「『守ってやるよ』……か」
 「は?」

 呟いた。政宗は少し笑った。

 (約束した。なら、守らないといけない)

 それだけのこと。
 それだけのことを決めるのに、天秤と葛藤を経て、言い訳を探した。

 「小十郎、ここはお前に任せる。俺が戻るまでpartyを始めるな。首謀者を逃がしもするな」
 「まっ…政宗様ッ?!」
 「一時中断だ。招かれざる客を追い出してやる」
 「政宗様、お待ちを!」

 小十郎の制止を振り切り、政宗は辿ってきた道を駆け下りた。供はいらない。小十郎は政宗の指示に従って采配を振るうだろう。
 政宗自身が救援に向かったことで戦況を悪化させるほど、小十郎は愚鈍ではない。

 (俺は、何やってんだろうな)

 スピードがのるままに雪道を走る己を、政宗は頭の片隅で嘲笑う。救援よりも攻撃をとるべきなのは明らかだったのに。
 どうだか、そう拒絶したへの反発が渦巻いて、ありうるべきでない行動をとってしまっている。
 約束したから守らなければならないなんて、陳腐な言い訳まで用意して。

 「Shit!」

 舌打ちした目線の先に本陣が見えてきた。
 見慣れない兵士たち、旗印は無い。
 白装束の長槍使いを相手取っていた成実が、真白い丘の向こうから現れた青い影を認めて「えっ、梵?!」とすっとんきょうな声を上げた。

 六爪を抜き、明らかに殺す意図を持って鍔競り合う狂乱の中に飛び込む。
 上段に振りかぶって近づいてきた兵を斬り伏せ辺りを見回す。雪の匂いと、血の臭い。
 踏み固められた白に倒れ伏すのは人間で、その体から流れ出した命が雪を溶かしていた。
 酸鼻な光景。見慣れた光景。
 政宗はその中に、戦場など不似合いな少年を見つけようとして眉をしかめる。
 赤い斑点が飛んだ陣幕が、外の喧噪など知らぬげにその内側を覆い隠していた。しかしその中に渦巻く熱気を、政宗の中で荒ぶる竜が捕らえる。
 ひとまず成実に白装束を任せ、神経を尖らせながら陣幕の内へと進んだ。

 「………ッ!」
 「……、……!」

 一枚、一枚陣幕を捲ると、守られているはずの中心で繰り広げられる戦いの余波が明らかになった。
 二人分の足音。呼吸と金属のぶつかる音しかしない。
 斬り裂かれた最後の陣幕の隙間から、鋭く突きだされた槍が見えた。
 そしてあがる悲鳴。聞き慣れた少年の声。

 「っ、ッ!」

 六爪で陣幕を裂き、戦闘の渦中に飛び込んだ。
 怒鳴り声にぱっと振り向いた二対の瞳は政宗の乱入に見開かれる。
 政宗は一呼吸で距離を詰めると、ナイフに穂先を逸らされていた長槍を更に斬り上げた。冬の弱光に煌めきながら穂は空中で弧を描く。
 その軌跡が途絶える前に、政宗は槍遣いの胴を狙ったが、その攻撃は槍の柄によって防がれた。
 敵もなかなかやるようだ。幸村には劣るが。
 政宗がそう評価をつけ、獰猛な笑みを唇にのぼらせた時、背後から呆気にとられたような呟きが上がった。

 「……なんで、お前、いんの?」

 政宗の背に庇われながら、あちこちに傷を負ったは呆然と目の前の奇妙な光景を凝視する。
 なんで政宗がいるんだよ。お前、一揆衆を攻めに行ったんじゃないのか。
 ここにいるはずのない背中。それを喜ぶよりも、驚きだけが先に立つ。だって政宗自らが助けに来る理由なんかないのだ。
 政宗は白装束の敵と睨みあいながら小馬鹿にしたような答えをよこした。

 「守るっつったろ」

 絶対に来ないとか思ってたんだろざまあ見さらせ、政宗はそんな気分だった。
 この斜に構えた少年の意表をつけたことが爽快だった。
 実際部下に任せて政宗自身は攻撃を続けようとしていただけに、それを見越していたかのようなを否定できたことが嬉しかった。彼への反発だけで戻ってきた政宗である。
 そういえばこれを聞くのを忘れていた、と政宗は肩越しのを見下ろす。ニヤリと笑った。

 「Are you ok?」
 「……Y, yes」
 「Good!」

 政宗はそれでとの会話を畳むと、独眼竜と称される男として敵と向き合った。

 「さァて……奇襲たァ、舐めた真似してくれたじゃねぇか」

 お仕置きが必要だな。
 政宗の昂りを受けて構えた刀が帯電を始める。青白く輝く凶器はまるで政宗という人間の凶暴性を表すようだった。
 禍々しい美しさに照らされた政宗はゆっくりと刀を構え、―――そして急激な加速を見せる。

 ギィン!

 荒々しくぶつかり合う刀と槍。火花が散った。双方の筋肉が負荷に震え、政宗が捕食者の笑みを深くする。
 片腕が絡みつく蛇のようにしなり、三本の爪が白装束の胴を強襲した。意図に気付いた白装束が慌てて政宗を振り払うが遅い、

 「ぐっ…!」
 「Hahha――! これで終わりか?」

 爪にえぐられた血と肉が舞う。乱れ小紋の刀身に赤色の雫が絡んで落ちた。

 「逃がさねぇよ…アンタがどこの誰か、わかるまではな」

 白装束の腹を血で染めて、荒い息をつく敵の額に刀を構えた。
 逃げ場はない。逃げさせない。戦いの勝者は政宗であると、双方が思ったその瞬間。

 「マサムネッ!」

 一閃。
 悲鳴にも似た警告が終息しかけた緊張感を乱暴に引き戻し、政宗は反射的に刀を防御の形にまわす、

 ガッ!

 「ぁぐ…ッ!」

 右目に強烈な衝撃を受けてたたらを踏んだ。まるで頭蓋骨まで突き抜けるような激痛が走り、一瞬目の前が白くなる。
 槍で突かれたのか。視界の端に映る、もう一人の白装束。成実が相手をしていた奴だ。肩が赤く染まっている。

 地面に叩きつけられながらも、刀を手放さなかったのは僥倖だった。
 追い詰められていた白装束が滑る指で握り直した槍を振るう。

 「死ねェェい!」
 「くッ」

 倒れたままの体勢で、上から振り下ろされた槍を防ぐ。ギヂリ、刃が奏でる不吉な音。
 不利な体勢だった。ましてやあと一人いるのだ。政宗は歯を食いしばり、渾身の力で押し返す。
 流石に腹の出血が効いたのか、白装束はよろけながら距離をとった。荒い息で体勢を立て直す政宗の腹に、白装束の流した血が斑を描いている。
 もう一人はどこだ、と視線を動かした瞬間、政宗の頬を何かが掠めた。背後で鋭い絶叫があがる。
 視認すら許さぬ速度で閃いたそれは、まるで吸い込まれるように政宗の背を狙っていた白装束の右目を突いた。
 右目を押さえた手の間から、溢れるように血が流れ出している。そして、玩具のような小さな矢。
 血染めのそれに見覚えがあった。

 『マサムネもやってみる?』

 そう言って渡された道化師の矢。殺すためでも、傷つけるためでもなく、楽しむためのダーツ。
 政宗が視線を巡らせた先に、ジャグナイフを構え、ダーツを投げた姿勢のままのがいた。
 たった今人間の片目を潰したというのに、緊張に満ちた怜悧な表情を崩しもせず。生き残ろうとする意思を両目にみなぎらせて。

 「ちッ!」

 腹を斬られた白装束が苦しそうに顔を歪め、右目を押さえて喘ぐ白装束に合図を送った。
 何をする気かと政宗は刀を構えたが、彼らは素早く身を翻すと、どこにそんな力が残っていたのか高く跳躍して陣幕を越えた。

 「っ、待ちやがれ!」

 叫び、陣幕をまくりあげたがそこにはもはや彼らの姿は無く、倒れ伏した敵味方の屍や傷を押さえて呻く怪我人たちがいるばかり。
 奥州兵の被害が少ないことに僅かな安堵を覚えながらも、政宗は敵の消えた雪原をきつく睨み据えた。

 ばさりと陣幕を戻すと、背後で大きな溜息が聞こえた。
 振り向くと、ジャグナイフを握りしめたままではあるがが脱力してしゃがみこんでいる。
 大きな傷はないようだが、あちこちに血が滲んでいる。
 どうやらその中には返り血もあるようだった。政宗が来るまで一人で戦っていたのだろう。
 人を殺すためではない商売道具を握りしめ、恐怖で折れそうな心を奮い立たせて。
 政宗は刀を収め、の近くにしゃがんだ。
 接近に気づいて顔をあげたの頭を、子供にするように撫でてやる。
 間抜け面をさらすにひどく安堵した。

 「I’m glad that you are alive.(無事で良かった)」

 返り血の飛んだの顔、そこに埋め込まれた両目はただまっすぐに黒かった。
 生き延びたのだ。この少年は。
 心の底から良かったと思う。守るという約束を信じなかった。彼が生き延びていたから、政宗は約束を破らずに済んだ。
 助けに行くかどうかを迷った。迷った末に約束を守ろうとして、その約束は果たされた。
 理屈に照らせば不合理なのに、政宗には何故だかとても誇らしく思えた。


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 何だかんだで、私政宗大好きです
 080822 J

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