軍旗を巻いた風は白銀色に光って見えた。
 遠く宇宙の底まで吸い込まれそうな錯覚さえ起こす空は澄みわたり、息をするのさえ憚られた。吐きだす息は、気泡のように美しくはなかったから。
 馬と金物の匂いに取り囲まれ、はそうっと呟いた。

 「おかあさん、」
 (守ってね)

 けれどは知っている。
 父も母もどこにもいない。祈る意味はどこにもない。
 死人は彼を守ってくれない。自分を守るのは、結局自分しかいない。

 『守ってやるよ』

 口約束は、掻き消した。










 1 / 2 のクラウン! Quarantuno : 口約束 T









 進むにつれて視界は白くけぶっていった。音を吸収する雪に囲まれ、ろくに目印もない道を征く行軍はどこか非現実染みた感じがする。
 とはいえこれが奥州の毎年の風景だ。幼い頃の政宗も、父に率いられて幾多の雪原を軍馬で駆けた。

 父・輝宗は、一廉の武将であったが、勇猛と言うよりはどうにも優しい人であったように思う。
 祖父が当時敵対していた最上氏から嫁という名の人質を取った時も、名実共に正室として扱った。
 父は母を愛していたと、幼い政宗にも簡単に理解できたほど、輝宗は母を大事にしていた。
 彼の愛情は我が子たる政宗にも同等に注がれ、政宗の弟・小次郎にも注がれた。
 けれども、政宗が右目を患って以来彼に見向きもしなくなった母を諌めたかと言えば、そうでもなくて。

 当然のこと、政宗は我が子の不幸になんのリアクションもとらない父を詰り恨んだ。
 両親から見捨てられたのだと、そう信じた彼を誰が否定できようか。
 豹変した母、以前と何も変わってくれない父に絶望した夜は長く、明けないままに続くものだと思った。
 季節がいくら巡っても終わらない夜。左目を閉じれば途端に訪れた暗闇。似合いじゃないか、いっそずっと夜であればいい。そう思い、死ぬつもりで右目を突いた。幸い近習だった小十郎に発見され、右目を刳り抜くかわりに命だけは拾ったが。

 命拾いした政宗を、小十郎は叱り飛ばした。
 一つしかない命を何だとお思いかと、縊り殺されそうな勢いだった。

 そうして、やがて政宗は両親から距離を置く。
 後継ぎという立場上輝宗の近くに控えてはいたが、政宗を支えていたのは既に父ではなくて小十郎だった。
 輝宗はわかっているのかいないのか、何も言わずに大名として為すべきことを学ばせた。
 元服したての政宗はそんな父に反発を抱き、内心早く代を譲ってくれないものかと思っていた。

 それが間違いだと気付いたのは、凍てつくように寒い、数年前の冬のこと。
 こんなふうに、真白く埋め尽くされた日のことだった。

 『政宗、撃てッ!』

 同盟に来た地方領主が、寸前になって裏切った。輝宗を人質に、目に痛いほどの白の中を刀を抜いて駆けていた。
 政宗は軍馬に乗り、手には弓、放った矢は正確に父の胸を射ぬき敵を射ぬいた。
 あの時自分は何を思っていただろう。
 父を殺した悲しみか。跡を継いだ喜びか。全ては白に塗りつぶされて、気がつけば冷たい父の前に血まみれで座り込んでいた。

 輝宗はもう動かなかった。幼いころ、政宗を抱きあげた時のように微笑んで、一撃のもとに殺されていた。
 雪を穿ったのが涙か血かはわからない。どちらでもいいことだ。一滴だけ落ちた熱は、小さな穴となっただけだから。

 触れた手は昔のように大きくなかった。
 いくつもの刀傷ができたその掌に、瞑目するように頭を垂れた。



 輝宗の真情を知ったのはその後である。
 残された事後処理でしゃしゃり出てきた母の実家。政宗を廃嫡し、小次郎を擁立しようとしていた一派だ。
 その先鋒に立っているのが自分の母だと知ってはいたが、そのことに感慨なんて湧かなかった。
 母に認められようとしていたのは昔のことだ。
 今となっては、母は敵である。

 その勢力は政宗が疎まれ始めた時から台頭してきていたのだが、その噴出をギリギリのところで抑えていたのが輝宗だった。
 母の実家であり、それなりの勢いを持つ最上氏を抑えるための父の苦労を初めて知った。
 冷たくしていたわけでなく、手を差し伸べようにも差し伸べられない父の立場を初めて知った。
 思えばあの頃は子供だった。与えられないと不満でいっぱいだった時代。絶大な愛情を与えられていたことも知らずに。


 全ては白の裡に消えた。もう、戻らない話である。
 政宗は懐古の情を断ち切るように目を瞑り、力強く見開いた。

 「Hey, 小十郎。今どのあたりだ」
 「は……一揆勢の拠点まで、あと僅かかと」
 「OK. 本陣を張る準備をしとけ」
 「はっ。……政宗様、一つよろしいでしょうか」
 「なんだ?」
 「は、いかがなさるのです」

 小十郎は後方で成実と談笑しているらしいを視線だけで振り返る。
 幸い馬には乗れるとのことだったので、成実に見張りと護衛を兼ねさせて好きに従軍させている。
 しかし、は兵士として連れてこられたわけではない。
 そもそも彼は道化師だ。上田城が襲われた時敵兵を撃退していたと言うからには人を殺すこともできようが、訓練されているわけではない。もっとも、戦争など要は殺し合いなのだから、生存本能と指揮官の指示を理解できる頭さえあれば兵士になれる。そしては両方の条件を満たしていた。
 満たしているからこそ、小十郎は不審に思う。
 なるほどは忍ではないかもしれない、しかし戦うために戦場につれてこられたわけではなく、そうであれば本陣に入れる理由もない。

 「忍の報告では戦闘は十分に可能な腕を持っているとのことですが…まさか、兵士としての利用をお考えで?」
 「No way! アイツは……そうだな、本陣に置いていく」
 「何故、とお伺いしてもよろしいか」
 「Ah-m…after careのため、だ」
 「と言いますと……?」
 「今回の戦は、侵略が目的じゃねぇ。一揆の鎮圧だ。鎮圧後の農民感情を慰撫するためにアイツを使う」

 それがあいつの本職だろう。小十郎にもっともらしい理由を並べたてながら、政宗は内心苦々しく舌を打つ。

 (俺も悪趣味なことだ)

 本陣の幕内ならば安全だ、しかし悲鳴は風に乗って届く。
 それをわざわざ聞かせようなど、悪趣味極まりない。

 「アイツは戦には参加させねぇ。本陣の警備には、いつもより人員を割いとけ」

 ま、農民相手だし大丈夫だとは思うけどな。










 いよいよ攻め入ろうという段になって、政宗は「農民を殺すな」と言いだした。
 どうやら理想主義を貫くつもりでいるらしい。軍議を一喝して陣幕の外に出てきた政宗を、は唖然として見上げた。
 たかだか布で作られた密室である。しかもあれだけ荒れた軍議なら筒抜けである。それだけ、政宗の命令には異論を唱える者が多かった。

 「どこの世界に、殺さない戦があるんだよ」
 「ここでするのさ」
 「よくやるね」
 「俺の民だからな」

 到底できっこないと思っているのが丸分かりのに宣言する。

 「農民たちは、飢えてどうしようもなくなって武器を取ったんだ。それを力で抑えつけんのは簡単だが、領主のあるべき姿じゃねぇ」
 「そうは言っても、武器を取った時点で敵じゃない?」
 「No. 俺の民だ」

 「俺が全力で守るべき者たちだ」

 甲斐の虎が言ってたな、と記憶を引っ掻かれるものがあって、政宗は続ける。
 今回の戦は奥州内部のことゆえ手出しはせんと言っていたが、注視しているに違いない。

 「“人は石垣、人は城”だったか」
 「なに、それ」
 「甲斐の虎が言ってたんだよ。うまいこと表してる」

 そうだろうか、とは思う。

 「オヤカタサマとマサムネじゃ、ちょっと違う感じがするけど」
 「What’s mean?(どういうことだ?)」
 「だって、お前は人を信じてないだろ」

 「守るべき、ってよく言うけど、守りたいとは言わないもんね」

 声はひやりと雪原に落ちた。
 容赦なく指摘された事実に政宗は一瞬斬りこまれたような錯覚を覚える。
 その通りだった。

 奥州を幸せな国にすると誓った。その気持ちに嘘は無い。
 しかし、それがまるで義務のような誓いであったことも事実。
 雪原に埋もれて微笑んでいた父に、椿の木の向こう側で小次郎をあやす母に、良き領主となった自分を見せなければと、そんな思いで過ぎた最初の数年間。
 今や誓いは願いになったと、そう言えるようになったはずなのに、建前を引っぺがすの糾弾に反論すべき言葉が無い。


 守らなければならないと思った。君主として。奥州筆頭として。
 こうであれと望まれるなら応えようと。


 「ごめん。言い過ぎた」

 の謝罪で我に返る。防寒対策に厚着した彼は政宗の横をすり抜け、寒いからそろそろ中に入ってもいいかと幕内に叫んで怒鳴り返される。
 残念そうに振りかえった彼は、明るい声で言った。

 「落ち込むなよ。俺はそれが悪いことだと思わないから」

 むしろ立派なんじゃない? そんなふうに励まされても、目を反らしていた事実に気づかされるだけだ。
 政宗は敵と味方を区別しながら生きてきた。なるべく味方を増やそうとし、かつ自分の弱点を秘匿してきただけに、聡いの言葉が却って自己内省を引き起こす。
 そうして見つけてしまうのだ。境界線の中にひとりぼっちだということを。

 敵と味方の中で生きてきた。相手を信じる前に篩にかけた。
 信じられるものと信じられないものを分けて尚、裏切られることを恐れた。頭の片隅で裏切られることを考えていれば、その瞬間が訪れても痛くないことを知った。

 境界線の中に、ひとりぼっちの王様。
 望まれるなら応えてきた。望まれる以上のことをこなし、カリスマたれと生きてきた。
 けれども、望んだものは何だった?


 (奥州筆頭でない、ただの伊達政宗は、一体何を望んでいた?)


 守らなければならないと思う。領民を。国を。
 彼らが平和に暮らすために、天下を取らなければならない。
 けれど、守りたいものは、欲しいものは。
 義務でなく欲しいものは、何があったというのだろう。

 「政宗様」
 「Ah……小十郎か」

 出撃準備が整いましたと控える右目の声を聞き流す。
 『信じてないだろ』、ああその通り。
 想像する。例えば小十郎が裏切ったら。
 自分は怒り狂うだろう。絶望し、失望するかもしれない。それでも、頭のどこかが冷静に回る確信がある。
 奥州筆頭として為すべきことをする。
 望まれるその姿が、何より重い鎖に思えた。


輝宗様ラブ
政宗は自身のカリスマに縛られてればいい

注意!
  史実では、輝宗様が殺されたのは政宗に家督を譲った後です
080822 J

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