悪い、と謝ったのは政宗の方からだった。
 千代の家を辞して、どこか不安を押し殺すように忙しげな街を眺めながらの謝罪である。
 は「うん」と一言で流した。何を謝っているのか、わからないほど野暮ではない。
 だが実際のところ、政宗に悪いところなんか一つも無かった。
 ただタイミングが悪かっただけで。
 あえて言うなら千代の幼さのせいだったが、それに目くじらを立てるほど子供ではない。

 「こっちこそごめんね。居心地悪かったでしょ」
 「まあ、な。だが、満更でもなかったぜ? アンタがイイ女なら文句無かったが」

 言外にではないかとの疑いを込めているが、全体として軽口と判断した。

 「大した甲斐性も無いくせに高望みするんじゃないよ。わたしも十分高嶺の花だっての」

 もっとも、この街にはわたしよりずっと素敵な女性がいっぱいいるから目が肥えるのもわかるけどね、なんてさらりと続けるものだから、やっぱりお前なんじゃないかと思ってしまう。だってなんだその女たらし。

 「Ha! この俺よりcoolな男なんざそうそういねぇよ」
 「クールって何さ? 頭くるくる?」
 「テメェ…納得顔で言ってんじゃねぇよ!」

 噛みつくと、キリエは笑いを含んだ悲鳴を上げて距離を取った。
 そのまま去っていく気配を感じ、呼び止めようとしたが先制攻撃、

 「じゃあね、トージロー。なんだかんだで楽しかったよ」

 なんだそのもう会えないみたいなさよなら。思わず追おうとした政宗だがキリエはうまく人ごみに紛れ、小さな体は視界から消えた。
 キリエからしたら、ただの挨拶のつもりだったのかもしれない。だがもしかしたら奥州を離れる予定が近づいているとか、

 (ありえない話じゃねぇな。何せ奴は芸人だ)

 北へ南へ、各地を回っているのだろう。冬ごもりを控え閑散としていく奥州を離れるのも頷ける。
 彼女は領民ではないのだ、と今更ながら気付いた。
 奥州にあるかぎり政宗の守るべき者ではあるが、彼女はあくまで異邦人。根付かず、渡り鳥のように現れては去っていく。
 ふと、脳裏によく知った道化師が浮かんだ。
 信玄に連れられて奥州へやってきた、キリエによく似た異邦人。
 自分の荷物を鞄一つに収め、いつでも出ていけるようにしているあの子供も、いつかは去っていくつもりなのかもしれない。

 「馬鹿らしい」

 それがどうしたというのだ。政宗は頭を振る。
 人が訪れるのも去るのも、いうなれば宿命のようなものである。人は生まれ、育ち、別れ、死んで、出会いと別れを繰り返すのだ。一人や二人の芸人の動向にセンチメンタルになる君主がいるものか。
 人は去る。それが仕事であれ、希望であれ、死であれ、―――裏切りであれ。
 そんなことはとっくに学んだはずだと、政宗は未練がましくキリエの去った方に向っていた踵を返す。
 擦れ違い、去っていく人々の間で自分の為すべきことを為すために、政宗は頭に残った残像を掻き消した。











 1 / 2 のクラウン! Quaranta : 異邦人の正論









 全体として、農民相手だからまず負けることはないだろうが、戦による徴収で生活が苦しくなることを心配する声が相次いだ。
 これをきっかけとした一揆の大規模化や頻発を懸念する声もあったが、概ね予想通りと言える。
 農民たちへの同情もあるにはあったが、いつの世も庶民の一番の心配ごとは自分の生活に関わることだ。
 同情は余裕があるからこそできるのである。

 米沢城下は政宗のお膝元ということで、恩恵を直接に感じやすかったこともあるだろう、農民たちへの同情は政宗の非難に転じるより、地方領主へと転じたようだ。
 それは民の満足度が高いことを示しているので、ありがたいことでもあるのだが。



 城へと帰還した政宗は、得た世論と自身の秤を斟酌して地方領主への量刑を考えながら執務室へと向かっていた。
 領民たちの信頼を裏切らないためにも、適切な刑を用いなければならない。それは一揆の首謀者にも言えることで、まだ見ぬ首謀者、蜂起した農民たちへの刑罰もしくはアフターケアを思案しなければならなかった。
 下手に厳罰を用いれば、領民を敵に回しかねない。
 何事も適度に行わなければならないのである。

 「……っと、」

 通り過ぎようとした庭で珍しいものを見つけた。
 忙しさに急かされながらも、好奇心を刺激されて覗きこむ。

 (帰ってたのか)

 見つけたのは、小さな道化師の後姿だった。
 政宗がひそかに自分以外着こなせまいと思っていた着物を着て(ただしおさがりだ。それでも大きいので女のようにおはしょりを作っている)、庭の端を睨みつけている。

 珍しい、と思った。
 は風の子を体現したようにいつも賑やかな奴だが、城下に遊びに行く時と曲芸の練習中以外は部屋に籠っている。本人曰く、寒さが苦手らしい。雪が降ったその日に裸足で庭を駆けずり回ったくせに。
 そういうわけで、やかましいが静かにしているだけでも珍しいのに、それが屋外ともあればなおさらだった。

 彼の視線は一点に集中して微動だにしない。しんとしたその目を受け止めるのは弓の練習に使われる的だ。
 しかし、の手には弓が無い。一体何をするつもりだと思っていると、武田の忍を連想させる最小限かつ最速の動作で、は右手を振りぬいた。指先から滑空した、一刹那の輝き。
 ろくろく音もたてずに的へ突き刺さったのは、苦無でもなければナイフですらない。

 「ぃよぅし、100点! マサムネもやってみる?」
 「Ah? 何だ、gameだったのか?」

 気配に聡いのは今更驚くことでもない。
 まじめに修練なんぞやってるから何事かと思えば、なんとものんきなことである。仮にも戦前だというのに。

 「だって、俺には関係のない戦だもん」

 ほい、ダーツだよと言いながら手のひらサイズの矢を渡し、はあっけらかんと言った。その言葉がどれだけ残酷かもわからないような顔をして。
 ぴたり、とダーツを転がしていた手が止まる。

 「……アンタ、この戦について何とも思わねぇのか?」
 「農民さんたちは気の毒だけど」

 やっぱり俺には関係ないから、コメントなんてできないよ。
 まるで他人事のような言い草にダーツが掌から零れる。雪に埋もれた小さな矢。
 こんな玩具ではなく、確実に殺傷力のある弓矢が用意されているというのに。

 「マサムネ、俺に何を期待してるの?」

 の目には何も無い。農民たちへの同情も、戦への嫌悪感も、政宗への批判も。疑問さえ、彼は自己消化してしまう。

 「流れ者のクラウンは、内戦に口を挟まないよ。挟めないもの」

 だって俺は余所者だものね。
 その一言を免罪符に、興味すら持たずにいる。

 「……確かに、テメェは流れ者だ」

 そう、彼は領民たちと同じではない。義務も権利も無い。守るものが無いから、自分のためだけに行動できるし去っていける。蜂起した農民たちに同情する意味も無い。キリエと同じく。
 けれども。

 「だが、それが全部を切り捨てて良い言い訳にはならねぇよ」

 お前が食っている米は誰が作った。誰がお前の着物を織った。

 「俺の民と同じに憂えろとは言わねぇ」

 と政宗では立場が違う。
 政宗の大事なものをにも大事に思えと押しつけることは傲慢だ。

 「知らない奴のために嘆けとも言わねぇ」

 会ったことすらない誰かの死を嘆くのは無理だ。憐れと思う事は出来ても、所詮は一時の同情だ。
 けれど、それすらしないこの少年は。

 「それでも、思考を停止させるな。できることが何も無くても、関係無ねぇと消えてく命を笑い飛ばすなんざ、」

 苛立たしい。政宗は強く強くを睨みつける。
 この少年の空虚が、絶対的に強固に引かれた他人と自分との境界線が、その強さゆえに彼をひとりぼっちにしていく。
 気付いたことがあった。この数ヵ月、は決して誰かを心のうちに招きいれようとしない。
 それが悪いこととは言わないが、その偏執的なまでの区別の峻烈さが彼の冷淡さを招く。

 「人間じゃねぇ」

 は傷つかない。確信していた。どんな言葉も、侮蔑も敬意も好意さえ、彼の内には響かない。
 彼は外界の全てから目を閉ざし、耳を塞いでいる。
 それが何故かはわからない。あの歪な幼少期がなにがしかの影響を与えているのは間違いないだろう、しかしここまで頑なになったのはの責任だ。悲劇はもう言い訳にならない。だって5年も経ったのだ。立ち直る機会はあっただろう、それを今まで変えずにきたのは非難されるべきであって免罪符には、

 (5年。―――たった5年?)

 許せないと思う。しかし政宗の中でふと疑問が頭をもたげる。
 5年は、あの幼少期を乗り越えるのに十分な時間か?



 『こんなもの、わたくしの子ではない』



 蘇る。変わらぬ冷たさをもって、鮮やかに。
 に抱いていたはずの怒りも凍りついた。ずっと幼い記憶から、這いずるように溢れ出した感情が胸を占める。
 やめろ。
 やめろ。
 もう、克服したはずだ。

 「………そこまで言われたのは、初めてだよ」

 静かな声が耳朶を叩き、政宗の意識は浮上する。
 今目覚めたばかりのような間抜け面に、はしょうがないなあと笑った。その笑顔に政宗が傷ついているとは知らず。
 やっぱり、届かなかった。

 「俺だって、人並みに同情はしてるんだけどなぁ」

 そう言って頭をかく、そんな仕草の端々に彼の「人並み」が壊れていることを知る。
 『俺、の、命は、ホコリみたいな、もんだ』そう言った秋の日をまざまざと思い出した。
 理解を求めない少年。いずれ去ることを前提に、関わろうとしない異邦人。
 いつか去っていく。キリエのさよならが蘇る。じゃあね。


 「――――アンタを、連れてく」

 零れ落ちた。嘆きも血も見ようとしない、快楽だけを求め信じ込んでいる道化師を見据えて、政宗はもう一度宣言する。

 「アンタを、戦に連れてく」
 「なっ…?! 何で?! 俺クラウンだよ、お前の兵士なんかじゃない!」
 「Shut up!」

 血相を変えたの顎を鷲掴む。反射的に、政宗に抵抗してはその手に爪をたてた。
 小さくて細い手。侍ではない、人を殺せる冷たい手。

 「I determined.(もう決めた)よく見ろ、血まみれの戦場で生きたがってる命を」
 「そんなのっ……お前の、エゴだ……!」
 「Egoism?―――Yes. 上等だ」

 政宗に、に戦場を見せつける権利など無い。そんなのはエゴだ。
 それでも、政宗はを連れて行く。
 理由なんて自分勝手で構わない。燃えるような、凍てつくような衝動に今は従おう。
 塵芥のような命と言い切った子供への。

 「トノサマ強権発動ってやつ?」

 の目から光が消えた。まるで忍の目だ。
 こいつはもう諦めた。命令を撤回できるだけの力が自分に無いことをよく知っているから、思考は危険地帯でいかに安全を確保するかに向いている。もちろん、逃げだすことを含めて。
 政宗は唇を吊り上げた。

 「Don’t worry. 守ってやるよ」

 奥州にいるかぎり、俺はお前を守る。奥州筆頭の名にかけて。
 政宗はとは違うのだ。義務もあれば権利もある。
 だから道化師一人の安全くらい造作もない。

 「どうだか」

 は期待せずに呟いた。政宗は奥州王、軍を率いる総大将だ。
 綺麗事を言ってもやることは戦争である。尊命を説いたその口が命を数字で数えるだろう。
 戦略によっては、切り捨てることだって。
 それを非難するつもりはない。それが戦争というだけのことだ。
 政宗ならば、こんなことわかりきっているだろうが。
 正義なんか今更だ、と政宗は言った。命を、一つしかない大事なものと呼んだ。豊穣祭の次の日。

 『奥州を幸福な国にする』と、そう言った。屍山血河の向こう側の理想、それを理解しているからこそ、政宗は血を被り肉を斬るとそう思う。
 もしが危険にさらされても、助けに来てくれるかどうか。
 何故なら、には戦略的な価値が無い。

 交わされた約束は、の中でひどく空虚に響いて消えた。


なんて面倒な奴らorz
思考回路を辿るのが大変です。制約一杯あるからなー
進展するどころか殺伐としている
080816 J

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