一通り曲芸を見せた後は、歌か物語をすることにしている。 文化背景の異なるの話は千代にとってこれ以上なく新鮮で、刺激的なものだからだ。 エンターテイナーとして磨かれた語り口も、の話を更に魅力的にしていた。 まるで寝物語のように、フィガロの結婚を日本版にアレンジして語るは、ふと裾を引っ張られるのを感じて口を噤む。 見ると、聞き入っていた千代が黒々とした目に好奇心を浮かべて裾を引っ張っていた。 「なぁに、おチヨちゃん」 「あの、キリエさんは」 「ん?」 青白い頬に僅かに赤味が差している。興奮しているのだろう。 千代の言葉の続きが予想できたは、かわいいなあと和んだ。 「キリエさん、も、その……恋とか」 「なにー? 聞こえない」 「え、ええっと……キリエさんは、風太郎とご家老様のどっちが好きですかっ?」 言いよどんで、千代は登場人物を槍玉に挙げた。ちなみに風太郎=フィガロ、ご家老=伯爵である。 それだけでも彼女は「言ってしまった」とばかりに布団を頭まで引き上げる。 ろくろく他人と関わることなく生きてきた彼女にとって、恋愛関係の話題は抗い難い魅力を持ちつつも話しにくい話題なのだろう。 しかし、触れてみたい話題ではあるわけで。 女の子だなあ、とは思う。 「うーん、そうだねぇ……わたしは、かわいくて優しくて、でも芯が通ってる人が好きなんだ。だからおスマとか…おチヨちゃんみたいな子が一番だね」 ちなみにお須磨とはフィガロの婚約者・スザンナのことである。 ちゃっかり口説いたに、千代は布団から少しだけ顔を出し「それ答えじゃないですよ…」ともごもご抗議した。 「あはは、ごめんねー。でも、考えたことないからさー」 男の好みなんぞあろうものか。は心中絶叫する。阿部さんのオトモダチにはなりたくない! 「そういうおチヨちゃんは?」 「え、ぅ、わた、私ですかっ?!」 ニヤニヤと話を振ってやれば、初心な少女は気の毒なくらい赤くなった。 蚊が鳴くような声で「わかりません…」ああもうかわいいなあ! 「今わたし、男じゃないことを心底後悔したよ。男だったら、おチヨちゃんに選んでもらえたかもしれないのに!」 「き、キリエさんのことは大好きですよぅ…!」 「おチヨちゃん…」 うっかり白百合的な世界の扉が5センチ開く。中からはみ出ているのはワカメのごとき手ではなくて芳しい香り、ただし嗅いだら戻れない気がするのは何故だ。 本能的な危機を覚えたは頭を振り、芳しくない空気を求めて部屋の障子窓を開ける。 桟に腰かければ、格子越しの空がよく見えた。 「綺麗な、」 空だね、そう続けようとしたの言葉は、ついに発せられることはなかった。 突然格子の向こう側から伸びてきた手がの手首を鷲掴む。 (!?) ぎょっとして手を引こうにも力が強すぎて振りほどけない。くそ、人通りが多いからって油断した! 敵を見る目で睨みつける直前、耳に滑り込んだ声、 「Hey girl! We’ve not seen for a long time.(久しぶりだな)」 1 / 2 のクラウン! Trentanove : 狐と狸 〜Catch me if you can〜 それが誰の声か認識した次の瞬間、勢いをつけて障子を閉めた。 暴力? 何を言うか正当防衛だ。自分の身は自分で守らなければならない、何せ時は戦国時代。ヒロインがヒーローになる時代である。実力主義万歳。 「やってくれんじゃねぇか…!」 「ヒィ! 来るな、おチヨちゃん逃げて助けて逃げてー!」 手首に強烈な一撃をくらった政宗は涙を押し殺して細く開いた障子の向こうを睨みつける。ここで泣いちゃいけない、だって政宗男の子。 見れば見るほどによく似た、むしろをもう少しだけ女性らしく繊細な面立ちにしただけのようなキリエは、部屋の奥に向かって何か叫んでいる。 何を失礼な事をと政宗は思う。性質の悪いストーカーにしか見えない事実は棚上げである。自分を客観的に見ることは難しい。 「今度は何をしようって言うのさ…! ○○○か、××××か?!」 「嫁入り前の娘がそんな口きくんじゃねぇよ!」 「じゃあお前何しに来たの!」 「たまたま通りがかっただけだ、アンタは挨拶もろくにできねぇのか?!」 「胸揉みやがった変質者にくれてやる愛想はない!」 「大声で誤解招くことを言うんじゃねぇよ!」 「誰か助けて犯されるゥゥ―――!」 「Shut up, 違う誤解! 誤解だ誤解!」 うっかり淫行魔の汚名を着せられそうになった政宗は必死である。 一方、千代の前だというのに教育上よろしくない発言をしてしまったも、それなりに必死であった。 (何でマサムネがここにいるんだよ!) 戦前の緊張漲るこの時期に、中心人物の政宗が城下街に紛れこんでいるなど言語道断だ。 一体こいつは何を考えているのか。城中では小十郎が火を吹いているに違いない、そしてそれは真実であった。 (ヘタに怪我でもしてみろ、俺にも迷惑が及ぶかもしれないのに! 何やってるんだよこいつ!) 『として』城下に降りたはずの彼が、『キリエとして』活動しているのが知れたら、それこそどんな疑いをかけられるかわかったものではない。 ようやく疑いが晴れたとはいえ、は徹頭徹尾異邦人だ。詐称がばれたら、それこそどんな疑いをかけられるか。 異邦人は真っ先に疑われるものなのだ。はそのデメリットを認識したうえで常に異邦人であろうとしているが、厄介事はできるなら避けたい。 「あ、あの…キリエさん」 「なぁにー?」 障子を挟んで鬼気迫る睨みあいを繰り広げていたは、それでも千代の呼びかけには律儀に答えた。 ギリギリギリ、障子を閉めようとするの渾身の力と対抗する政宗の力が拮抗し(腹立たしいことだが、政宗は間違いなく手加減している。なにしろの腕力と政宗の腕力は比較にならない)、障子がみしりと不吉な音を立てる。 千代はその音におののいた。おののいたが、ここで勇気を出さなければ障子が壊れる。 頑張れ千代。 「その、その方は…?」 「おチヨちゃんは見ちゃ駄目だよ、こいつ稀に見る変態だから」 「テメェいい度胸だ!」 ドスのきいた声に体の震えが止まらない。キリエは先ほど千代には理解できない物騒なことも叫んでいたし、ひょっとしたらこの男の人は本当に悪者でキリエは迷惑をしている、いやいやそれどころじゃなくて本当に危険にさらされているのかも、 「あのっ」 「わ、おチヨちゃん駄目だって! さがってな!」 駄目だ、そんなの駄目だ。 だってキリエは初めて千代の友達になってくれた素敵な人だ。そんな人をいじめるなんて絶対に駄目だ。許せない。 キリエを守るように、障子と彼女の間に割り込んだ千代は、格子の向こう側からキリエの手を掴んでいた男を睨みつける。整った顔をしているがその右目を覆うのは刀の鍔でできた眼帯、吊りあがった目と相まって凶暴性漂うその容貌に泣きそうになりながら、それでも必死で言い募る。 「き、キリエさんをいじめないでくだ、くださいっ!」 「……Ah?」 怖い、怖い、怖い。 大事に育てられてきた千代はそもそも若い男自体をあまり見たことがない。喧嘩なんてもっての他だ。それでも負けるわけにはいかなかった。 庇おうとするキリエの片腕を肩に感じながら、それでも頑として動かない。キリエの片手はこの男に拘束されている。私が守らなくちゃ、だってキリエさんは私の憧れ。 こんな男に、絶対あげない。 興奮のためか不自然に荒くなっていく呼吸、そのための苦痛が荒れ狂っているのだろう、ぼろぼろ涙を零しながらもギッと睨みつけてくる少女に、政宗は僅かに眉を寄せる。それが余計に脅しているような表情を作り、少女がひくっと息を呑む。 だが、政宗は一瞬の沈黙の後に破顔した。 「Don’t mind, いじめちゃいねぇよ。Calm down, baby.(落ち着け)」 「ホン、と、ですか…?」 「ああ、本当だ」 捕まえていたキリエの手を離し、少女の頭をくしゃりと優しく撫でてやる。常温より明らかに高い体温に一瞬眉を寄せかけたが、安心させるためにすぐ表情を和らげる。 まだ信じ切ってはいないようだが警戒を解いた少女は、緊張の糸が切れたのかへたり込んだ。背後にいたキリエが彼女を支える。 「おチヨちゃん…! 無理しないで、こいつくらいわたし一人であしらえるからさ」 「随分な言い草じゃねぇか。大体お前が紛らわしいこと言うから悪いんだろ」 「名前も知らない男に捕まったら警戒しない方が嘘だと思わないの?」 「Ah……」 そういや名乗ってなかったか。 記憶を辿れば、確かに名乗った記憶は無い。考えれば考えるほど自身の無礼が際立っていく。キリエ=のように思っていたので(今も疑い続けている)、てっきり名乗ったものと思いこんでいた。 「藤次郎、だ」 キリエが白状しないなら、こっちも真実を言う必要はない。身分を隠す時よく使う名前を名乗れば、「トージロー、ね」 まるで初めて名前を知ったような反応。あくまで騙し合いを続けるつもりか。 そっちがその気ならと政宗は獰猛に唇を吊り上げる。 「それで、トージローはわたしに何の用なのさ」 「Something.(別に) 見かけたから、声をかけただけだ」 「平和的に言ってるけど、アレはそんな友好的な挨拶だった?」 「Of course! 親愛を込めてただろう?」 「わけのわからん言葉で話しかけることが? ああいうのはなれなれしいって言うんだよ」 けんもほろろな会話をかわしながら、政宗はキリエが大事そうに千代を床へ戻すのを見ていた。 彼がこのくそ忙しい時期にお忍びを敢行したのは、いわば世論調査のためである。 政宗は、以前から街の声を聞きたがった。 領国から上がってくる声は途中でいくつもの検閲を受ける。それならばせめて街の声だけでも生で聞きたかったのだ。 実際、町衆の要望、不安、噂話は政治にとても役に立つ。 そのため、農民一揆鎮圧の出兵を控えた今回も、政宗は城下へと降りてきたのである。 格子窓の向こうにキリエを見かけたのは偶然だったのだが、 (Luckyだったな) 政宗は布団の中へと戻った千代に感心を込めた視線を遣る。 恐らく長く病んでいるのだろう、萎えた手足にこけた頬。少女はこれでもかというほど不健康な容姿だったが、政宗を睨みつけた眼光は驚くほどに強かった。 によく似た、つまりはどこか人の輪から浮いた雰囲気のキリエを庇った少女。 賑やかなのに気がつけばどこかへ去ってしまいそうなキリエのために、震える体を割りこませ、こともあろうに政宗と相対しようとした少女が領国内にいたことに、政宗は純粋な感動を覚えていた。 こんな娘がいてくれたとは、殿様冥利に尽きる。 「鼻の下伸ばしてんじゃないよ。おチヨちゃんを見るな」 「Ah? 嫉妬か?」 「うぬぼれやめ。おチヨちゃんが穢れる!」 「ナメた口利いてんじゃねぇぞ!」 「だからわたしキリエだってば! 一歩も歩かずに忘れたか!」 「テメェの言えたことか、俺の名前漢字で書いてみろアイツみたいな発音しやがって!」 「くっ、ふふふ…っ」 留まるところを知らない言い合いに、小さな笑い声が紛れ込んだ。 格子を挟んで掴みかからんばかりの舌戦をしていた二人が振り返れば、布団の中で千代が身をよじっている。 「What’s matter?(どうしたんだ?)」 「日本語を喋れない奴は黙れ。どうしたのおチヨちゃん?」 「す、すみませ…」 なんだか、おかしくて。 眼尻に涙を溜め、千代は言う。 「仲、良いんですね」 「「どこが?!」」 「………ふふっ」 「「………」」 論より証拠。 喧嘩など見たこともなかった千代だが、まるでじゃれあいのような二人に本格的におかしくなった。 キリエの物語に出てきた夫婦のような。こういうのを何て言うんだっけ、そうだ「喧嘩するほど仲が良い」 「No way! 冗談だろ?」 「考えただけで鳥肌が立つよ…! やめておチヨちゃん」 「あ、あれ? 私言っちゃってました?」 「言ってた。ばっちし」 「す、すみませ…! でも、本当に仲が良さそうだから…あの、ひょっとして、」 千代が何を考えているのか、察しの良すぎるは細部まで的確に理解した。 折しも恋愛話をしていたのだ、彼女の狭い世界の中では、と政宗にそういう色付けがされたらしい。 幼さ故の短絡的好奇心と知りつつも、冗談じゃないと思う。 こいつは男で俺も男。しかもよりにもよって政宗と。 こんな面倒くさい男、仕事でもない限り誰が好き好んで。 「違うよー。それだけは、絶対にない」 軽い口調で答えたが、声は思ったよりも空虚になった。 何か感づいたのか政宗が小さく身じろいだ。まだまだ経験がたりない千代は物足りないのか少し引きずったが、最終的には口八丁で丸め込む。 (面倒事はごめんだ) 火遊びならばともかくも、本気の恋ほど面倒なことはない。 幸い政宗にその気は無いようなので安心だが。 は、追及を止めながらも好奇心を消し去れなかった千代を見る。 強固な人間関係が築かれても面倒だし、やっぱり早いとこ奥州を出ようかなと頭の片隅で思った。 |
千代を書けて楽しかったです 政宗の口調がわからない…orz 080816 J |
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