真新しい雪。ウェディングドレスよりずっと白いカーペット。
 積もる傍から踏まれていくそれに足跡を残しながら、は慌ただしい城内を駆け抜けた。
 右腰で商売道具と全財産の入った鞄が跳ねる。
 ぱこぱこ跳ねるそれと同じリズムで走る彼に、「Hey」と声が掛けられた。
 それが誰かなんて、言うまでも無くわかっている。

 「Where will you go?(どこ行くんだ?)」
 「愛しいpiccolinaのところまでー!」

 帰りは深夜になるかもねーなんて言い捨てると、政宗は挑発的に鼻を鳴らした。
 馬鹿にすんな。脱いだら凄いんだぞ。
 しかし相手にする時間が惜しいので、は無視して城門へと向かう。うーん俺ってオトナだ。
 すれ違う人々に軽く挨拶、女中には投げキスも忘れずにつける。

 「よー、今日も元気だねぇ!」
 「Ciao, シゲザネ! だって大すきな娘に早く会いたいんだもん!」
 「こるァ! そこ走るな、触るな、近寄るんじゃねぇ!」
 「ギャーッ! ごごごめんなさいコジューロー、でももう走り抜けたから!」
 「食費がこれだけだから防寒費に回すのはこれくらい、しかしそれだと馬の餌代がこうなりますからブツブツブツブツブツ……」
 「え、えーと、Ciaoー、モトノブー……」

 慌ただしく行き過ぎる人々の合間を縫い、はようやく城門へと辿りついた。
 そこでは槍を構えた門番がおり、彼らに一声かけて城下に出るのがここ最近の決まりだ。
 以前はノーチェックで城下に出ていたのだが、いかんせん今は仕方ない。米沢城には、ピリピリした空気が満ちている。
 血の気の多い奥州の武士たちにとって、それは居心地のよいものらしいが、は笑顔の下で溜息をついた。

 「Ciao, ちょっと街でオシゴトしてきまーす」
 「おう、いつもの大道芸か。気合いいれてやってこいや!」
 「もちろん! 俺はいつだって本気だもん」

 馴染みの顔に手を振りながら、は潮時かなぁと考える。
 北の雄奥州。先の戦で北条を破り、甲斐さえ支配下に置いた政宗の国。

 大きくなり過ぎたこの国の更に北で、戦が起こる、らしい。











 1 / 2 のクラウン! Trentotto : 異邦人の打算









 物陰に入るや水を浴びた。
 晴天とはいえここは厳冬で鳴る奥州、感じるのはもはや寒さより痛みだ。
 元来暑さより寒さに弱いである。濡れたままの体を一刻も早く暖めたくて手早く拭き、大分手慣れてきた手つきで女物の着物を着る。

 (胸は無いけど、腰はあるもんね!)

 どことなく得意な気分で、やや皺を作りながら帯を巻く。基本的に、着物は凹凸のない体型で着るものなので、皺を無くすためには腰に手拭か何かを巻いてくびれを無くさなければならないのだが、にそんな知恵はない。
 元々が女ではない上、地域も時代さえ異なった場所にいたからある意味当然だが。
 女物の着付けも誰かに教わったわけではなく、見よう見まねの独学なのだから仕方がないといえば仕方がない。

 「でも本当に…慣れちゃったなぁ…」

 ため息交じりに見下ろすと、申し訳程度に着物を盛り上げる胸がある。
 自分でも 慣れてどうする 十七歳。
 思わず一句詠んでしまっただが、どうかこの気持ちを察してほしい。
 自分の体なのだから反応するなんてもってのほかだが、反応しなくなるのも年頃の青少年としてはどうかと思うのだ。
 着物越しに自分の胸を触ってみても、ただ手の感触がするばかりで興奮なんざこれっぽっちもしない。

 (まあ、しても困るけどさー…)

 思いながら物陰を出、は通い慣れた道を歩く。今日も千代のところへ行くのだ。
 ―――千代が、純粋に自分の演技を楽しんでいるわけではないことくらい気付いている。
 伊達に人の顔色をうかがってきたわけではない。けれども今回の場合自分に危害が及ぶことは無さそうで、純粋に千代の問題のようなので、としてはノータッチを決め込んでいる。
 笑ってほしい、と思うのは本当だ。
 けれども同時に、救えないことも知っている。
 所詮、に与えられるものは一時の娯楽だ。浅い付き合い、毒にも薬にもならない時間。
 それだけの関係だから、面倒なことは考えなくていい。
 むしろ、その関係を保つためには、そんなこと考えてはいけない。

 (いい娘だけどね)

 病で衰えた、それでも他人を気遣う微笑を思い描く。
 仮に奥州を離れたとして、再会はできるかなぁと思う。

 (奥州は住みやすい。さすがマサムネの領地なだけあって流通は活発、住人は陽気。……でも)

 大きくなり過ぎたね、と頭の中に日本地図を描く。
 学校なんてろくに行ってないので細かい地理はわからないが、大まかに言ってバナナ型をした列島をかき集めた情報に基づいて色分けしてみる。
 九州、四国はこの際無視するとして、問題は混迷極める本州だ。

 (動きが活発なのは、近畿地方のオダファミリー、トヨトミファミリー。あと、えーっとマツタケ?)

 「いや違うマツタケはキノコだ!」

 でも正しい名前が思い出せない!
 仕方がないのでマツタケのまま、は情報を整理する。

 (マエダ、アケビ、アサリがオダファミリー系なんだよね。このファミリーがすごく活発に動いてる。今は、バンバンジーとかいうお寺を攻撃中だっけ)

 だんだん美味しそうになってきた。の腹が鳴る。
 ふらふらと揚げ天屋に引き寄せられながら、は更に考えた。

 (この対立ファミリーが単独のトヨトミファミリー。今何してるんだっけ……そうそう、チューゴクのモリナガさんと冷戦中だ。でもモリナガさんは天下統一より自分ちの安全を図ってるみたいだから、戦争は勃発しないかもね。トヨトミがちょっかいかけない限り。あと本州の独立勢力って言えるのはウエスギさんとマツタケさんとトクナガさんとイマガワヤキさんかぁ。京都は誰かの支配地域ってわけじゃないし)

 タコ天を購入し、紅ショウガとタコの絶妙なハーモニーに満足しながら支配地域を列挙する。
 政宗は北方と関東と甲斐、ただし直接の支配地域と言えるのは奥州と小田原一帯。
 甲斐は信玄に代理統治させているし、最北端では一揆衆がのさばっている。

 (こうして考えると、奥州は危ないね)

 支配地域の拡大によってか、政宗の手が届き切っていない。一揆が勃発したのが良い証拠だ。
 油断をしていれば、征服地である小田原でも火の手が上がる。そうすれば信玄は政宗を見限るだろうし、家臣団も結束が乱れるかもしれない。

 もっとも、あの政宗ならばその心配はないであろうが。

 政宗は英明な君主だ。
 今回の一揆も、彼の瑕疵というよりは従属大名の失態である。
 しかしそれでも、北方が政宗の支配地域である限り、責任と対処は政宗の義務となる。
 今回の出兵はいわば尻ぬぐいだ。しかしそれにも気が抜けない。
 政宗の行動は、一挙動が国の明暗をわけるのだ。
 もしこの一揆鎮圧に手間取る、もしくは後の火種を残せば、それすなわち外敵が付け入る隙となる。

 特に危ないのが豊臣だろう。
 聞けば、豊臣には大層な軍師がいるらしい。そんなところに禍根を残してみろ、たちまちそれは美味しい餌となる。

 大きくなり過ぎた奥州を疎む勢力は多い。
 虎視眈眈と隙を狙う彼らを嚇し、欺き、かわすのが政宗の責務である。
 何せ、大国となったとはいえ最北端・小田原での支配力はまだ弱く、甲斐の軍事力はまだ往時まで立ち直っていない。
 奥州は、隙さえ見つかれば蟻のたかるお菓子に成り果てる。

 (奥州を出て、どこか別の地域に行くべきかな。南に向かうなら雪はなんとかなるかも……でも、交通の安全って概念自体ないよね、この時代)

 野盗山賊に限らず、落ち武者までうろついている昨今である。
 いやはや物騒なものだと揚げ天の最後のひとかけを頬張る。

 (トクナガ、イマガワは近々どこかに切り取られるだろう。これだけ軍事力で劣る状況を、えーっとタダカツ? だけでひっくり返すのは難しい)

 忠勝のいる徳川はどこかと同盟を結ぶこともできるだろうが、それにしたって随分と不利な条件を押し付けられるはずだ。
 今川にいたっては同盟する理由も無い。

 (為政者の近くは、物騒なんだけどなー)

 先の戦で、あらぬ疑いをかけられたである。
 自分の命を自分の手の届かないところで左右されるのは、正直二度と体験したい経験ではなかった。

 しかし、クラウンとしてのは為政者の近くでなければ生きていけない。
 この時代、娯楽に投資できるほど一般市民は余裕のある生活をしていない。一座に入っているわけでもないが快適な生活を送るには、富裕層か権力者にすりよる必要がある。
 そしてそこにいれば、少なくとも野盗山賊落ち武者の心配はない。
 命の危険が五分五分なら、快適な生活をしたいと思うのが人情である。

 (それにしたって、この時代ってデンジャラス)

 全くである。
 暫くは奥州が攻撃されることはないだろうし、その間に政宗は国力の増強を図るだろうから、逃げるならその隙かなあとぼんやり思う。
 しかし、例えば上杉領に逃げ込んだとして、越後はいつまで持ちこたえられるか。
 軍神と謳われる謙信であっても、例えば大国となった隣国奥州(が可能性としては一番高い)、織田、豊臣相手にどこまで剣を折らずにいられるか。
 例えば自治を謳歌する京都も、魔王や豊臣の前では大した抵抗などできまい。京都が自立を保っているのはその歴史的なスタンスからなるもので、そんなものを気に留めない輩の前ではたかが一都市にすぎない。
 九州にしても四国にしても、同じことである。
 最南端の薩摩は、その地理的な条件から大国は後回しにするかもしれないが、周辺の小競り合いに巻き込まれないとも限らない。
 統括すると、安全な国など無いのである。

 (やっぱ、奥州が一番マシ?)

 国力さえ充実すれば天下さえ狙える大国だ。大国は敵も多いが安全でもある。
 でもずっと居座るのはよくないね、と考えた。
 一所に留まると情がわく。情はこの身を縛り、自由に動けなくなっていく。

 そんなのは嫌だ、とは思う。
 留まることは、その地で生まれるしがらみに囚われることだ。悲しみにも憎しみにも関わらず、楽しさだけを紡いでいきたいにとって、それは致命的である。
 楽しい面だけを見ていくには、深く関わらないのが一番だ。
 関わらなければ、誰かが手を伸ばしてくることもない。
 おかあさんのような思いを、しなくてすむ。

 (重要なのは、タイミング。根を生やす前に、奥州を出なきゃ)

 異邦人として出会い、笑い、異邦人として去る。
 ずっと前から、はそう決めていた。


ごめんなさいこれ全然夢じゃない
もっと明解に物騒なの書けたらいいのになぁ(それもどうかと)
080816 J


37 ←  00  → 39