自由外出許可が出てからというもの、は二日とあけず城下町に繰り出した。 目的はたいてい見世物披露とナンパである。 近頃ではの気障なセリフを聞きにくるお姐様までいるほどだ。 ただし特筆すべきは、冗談半分であるのがわかりきっているので(は本気だと言い張るが)、色恋沙汰の珍騒動が巻き起こらないということ。 彼は男女両方から、「なんかガキっぽい面白い奴」と思われているのである。 ちなみに子供たちも彼を好意的に迎えた。 大人に分類されるはずなのにどこまでもガキっぽいから、同レベルと思われているらしい。 余談だが、が泥んこで帰ってきた日は子供たちと合戦ごっこをした日である。 そんなわけだから、はその日も街にいた。 冬に片足を突っ込んだ、ある曇りの日である。 1 / 2 のクラウン! Trentasette : 彼女はその手に遠く輝く夢を抱く 「ヒィィイイイイ!」 は甲高い悲鳴を上げて民家の軒下へ逃げ込んだ。 前髪からぽたりぽたりと雫が垂れている。浅く吐いた息が綿のように白く凝った。 通りを見れば、と同じように軒を求めて走る者や唐傘を広げた者が目についた。 夕立のように激しい雨ではなかった。 しかし初冬というだけあって雨は氷のごとしであり、冷たく澄んだ空気に刻々と体温は奪われていく。 は思わず身震いした。めちゃくちゃ寒い。 襟をかきよせる。 妙な変身体質のは、水に濡れると女の体へと変わるので、サイズの合わなくなった着物の隙間から寒風が吹きこんでくるのだ。 どうせ変身するならどうして仮面ライダーやら月光仮面やらなんとかレンジャーみたいなのに変身できないのか。 ああいうボディスーツならあったかいだろうに。 いや、ぴっちりしているから逆に寒いだろうか? だがセーラー●ーンやプリキ●アは却下だ。半袖生足なんて、見ている方はいいがこの季節にやったら頭がどうかしている。 タキシ●ド仮面なら温かいかもしれないが。 (あああタキシード着たい寒い長袖プリーズ!!) が実際に着たら七五三は免れまい。 しかしは本気だった。 「あの……」 その時、の右斜め45度上からか細い少女の声が降ってきた。 まだ幼さの残る声だ。 いくらなんでも少女に身長越されたらへこむ、と思いながらは満面の笑みで振り返る。 鉄則その一、女性には常に笑顔で。 「はいはーい何でしょうか?」 「あ、…えっと、道化師さん…です、よね」 細い肩の少女が、窓から顔を出していた。夏というものを知らないように白い肌色で、まさに雪国美人というべきだ。 こりゃ将来期待大だなと頭の裏の裏で考えながら、笑顔で応対する。 現段階で女でも、はしっかり男であった。 「そうですよー。道化に何をお求めですか、Segnorina?(お嬢さん?)」 「せにょ…?」 「ああごめんね、かわいいお嬢さん」 言い直された言葉に、少女はぱちくりと目を瞬かせた。 かわいいなあと思いながら見つめていると、やがて彼女は遠慮勝ちに頼みを唇にのせた。 「あの、私にあなたの芸を見せてください」 「かしこまりました! でも、ちょっと待ってもらえるかな。雨が上がらないことには、動きが制限されちゃう」 庇の下だけで行える芸は多くない。縦にも横にもスペースが限られているから、パントマイム程度しかできないのだ。 それまでおしゃべりでもしようと提案したに、少女はそれならと申し出る。 「右に行けば玄関だから、上がってください」 「え、いいの?」 「はい。千代に頼まれたって言ったら、お父さんかお母さんが案内してくれます」 男の方ならともかく女の方だから上げてくれるはず、と続けられた言葉には内心複雑だ。 うーん可愛い子の部屋に入れるのは嬉しいけども。 本来の性別を胸の奥深くに秘めて、は玄関へと回り、応対に出た父親に「おチヨちゃんに呼ばれました」と告げる。 品定めをするような視線を軽く受け流し、ずぶぬれだからと着替えまで与えてもらったは、絶対に千代を傷つけないことときつく言い含められて彼女の部屋に通された。 「来てくれてありがとうございます、道化師さん」 「気にしないで。むしろ呼んでくれてありがとう! 着替えまでくれるなんて、優しいご両親だね」 「はい。本当に」 千代の頬にふわりと温かな微笑が浮かぶ。見たところ彼女は十代前半だ。十二、三といったところだろう。 一般的にその年ごろといえば反抗期真っ盛りだろうが、千代にその気配は全くない。彼女の素直な頬笑みに、は宝石の原石を見る。 も、反抗期とは無縁だった人間だ。反抗が悪いこととは言わないが、親にいわれのない苛立ちではなく感謝を感じることができる千代には好印象を抱いた。 (いい子だね。こういう子は、きれいな人になるだろうな) その印象は恐らく間違いではあるまい。 惜しむらくは、 「私こそだらしない格好でごめんなさい…あの、今日は気分が良いんですけど……」 暖かそうな布団。羽織った分厚い半纏。枕元に置かれた、高そうないくつもの薬。 子供らしい円みのないこけた頬が、彼女が重い病にかかっていることを雄弁に物語っていた。 (細い手首。闘病生活、長いのかな。―――彼女はこの先、どれくらい生きられるのかな) サーカスにいた頃、何度かボランティア巡業を行ったことがある。病院は普通の病院だったり、老人ホームだったり、終末ケアの施設だったり、長期入院の子供たちのためだったりと様々だったが、そこで出会った人々と千代は、どうしようもなく重なった。 似ているのだ。痩せ衰えた細い手首や、体にこびりついた病の臭いなどといったものが。 はこの上なく愛された娘の、骨ばった細い手をとった。微笑んだ。 「そんなこと気にしないで。わたしは、おチヨちゃんに会えただけで嬉しいよ」 一緒に楽しい夢を見よう。辛い現実から目を逸らし。 巡業先で出会った人々の行く先をは知らない。来た方も、何の病なのかも知らない。ただ、笑顔だけを分けあった。 彼らの青白い顔に咲いた笑顔、はそれだけ知っていれば良い。彼らが、千代が、来ないかも知れない明日に抱く恐怖や不安を、が慮るのは余計なことだ。 何故ってはクラウンだ。クラウンは、笑顔のために笑う道化。同情も心配も余計なものだ。 きれいな笑顔を浮かべたは千代の中指に触れるだけのキスを落とす。驚いた千代が手を引けば、どんな手品かそこには紙の花が一輪。 目を見開いた千代に微笑みながら、はなめらかにこう言った。 「Buongiorno, piccolina! Allora divertiamoci!(こんにちは、可愛いお嬢さん! さあ、楽しみましょう!)」 まるで太陽のような女につられて笑い声をあげていたら、ふとした瞬間に心に冷たい風が吹いた。 風は昂揚していた千代を嘲笑するように吹きこみ、目の前の道化師を果てしなく遠い存在へと変える。 (あ…) 何を興奮しているのだ、と囁く声がする。 お前には手に入らないものを見て楽しいか、と嗤う声がする。 わかっている、そんなこと。 千代は幼いころから病と共に生きてきた。空は窓の格子越しで眺めるもの、季節は母が活ける花で知るもの。 のびやかな声で歌う道化師は太陽の下で踊れもするだろう、けれど千代の萎えた脚では走ることすら叶わない。美しい高音を紡ぐ彼女の喉さえ千代には望むべくも無い。声を張り上げれば喉は焼け、絡みつく痰で肺が破れそうなくらい咳きこんでしまう。 楽しかったのは本当だ。道化師は余計なことを何も聞かなかったから、千代はしばし現実を忘れて笑うことができた。 けれども、夢はあくまで夢だった。まるでおとぎ草子のような無言劇を繰り広げる道化師は、千代を夢へと連れて行くことは出来ても夢を現実にすることはできない。 (まだ、夢を見ていたいのに) どうして正気づいてしまったのだろう。道化師はまだ夢を紡いでいる。それに夢中になりたいのに、頭はとうに目覚めてしまった。意地悪な現実が夢を見るのを邪魔している、どうせあれは一時の夢。 そんなことわかっていた。夢で良かった。それなのに夢すら見れないなんて。 無意識が己と道化師を引き比べる。かぼそい手足と躍動する手足。青白い肌と輝く肌。病身の己と、健康な彼女。 みじめだった。 「おチヨちゃん?」 気付けば、道化師が演技を止めて首を傾げていた。不思議そうな双眸。動けない千代とは違い、多くのものを見、多くの思い出を積み重ねてきたであろう双眸。 (私はこの部屋の中しか知らないのに、) 一瞬にして溢れた嫉妬は口に出す前に呑みこんだ。千代は誤魔化すように笑う。うまく笑えていると思う。 ――――誤魔化すのは慣れている。例えば両親に喚き散らしたい衝動を感謝にすり替えてきたように。 「なんでもありません。ごめんなさい、ちょっとぼうっとしちゃった」 「そう? ……疲れちゃったのかな、今日はもうやめとこうか」 「え?! い、嫌です、もっと見たいのに…!」 どんな感情が湧こうとも、日々を布団の中で浪費していくだけの千代にとって、道化師はたまらなく魅力的だ。 けれども、彼女を諌めるように道化師は笑った。 「嬉しいこと言ってくれてありがとう。楽しんでくれたなら、わたしも嬉しい。けど、随分長居しちゃったからね。今日はこれくらいにして、また今度新技を見せるっていうのはどう?」 千代はぶんぶん頷いた。 また来てくれるの? 迷惑じゃないの? そんなことを思いながらあげた声は上擦っていた。 「来て下さい…っ! 絶対、絶対ですよっ」 「もちろん! おチヨちゃんが望むなら、明日にでも」 「望みます…望みますからっ」 ぎゅっと握りしめた冷たい手を、道化師は落ち着かせるように握った。 その手は柔らかく弾力があって。優しさが嬉しいのに、どうしようもないみじめさが千代を襲う。 (だめだ、私) こんな自分が嫌いだ。自分に無いものばかり数え上げて嫉妬している。 千代の葛藤には気付かず、道化師は千代を優しく撫で、まるで太陽のように明るく笑う。楽しさをそのまま形にしたような笑顔。 素敵だと思った。ずるいと思った。羨ましいと思った。みじめだと思った。 (あなたになりたい)(歌い、走り、踊りたい)(私が健康であったなら、) (あなたに、なりたい) 北で一揆が起きたと、知らされたのは雨がその勢いを緩めてきた頃だった。 これは雪になるかなと今年の雪害対策に思考を巡らせていた矢先のきな臭い話題に、政宗は報せを運んできた小十郎を振り返る。開け放たれた窓の向こう、灰色の雨空を背景にした政宗は、視線だけで続きを促す。 「度重なる戦と重税に耐えかねた農民が、ついに立ちあがったようです。既に最北端を治めていた小大名の手に負える範囲ではない、という書簡が参りました」 「……Shit!」 鋭く舌打ちを一つ、政宗は立ちあがった。 この時代、最も戦の被害を受けるのは農民だ。それは戦に巻き込まれるという直接的なものから、戦のための兵糧として重い年貢を課されるなどといった、間接的なものまで。 彼らは社会のヒエラルキーの底辺にいる。ヒエラルキーの頂点は、いうまでもなく政宗たち武士である。武士は殺し合うために農民から作物を徴収する。何より重視されるべきピラミッドの土台が、生産という視点においては無能な頂点に虐げられている。 経済の構造上、どうあがいても第一次生産者は大量かつ安価な労働ということになってしまう。第二次、第三次の労働は、第一次産業で生産されたものを加工し、少量かつ高価な品物を売るからだ。第一次産業は大事ではあるけれども、第二次、第三次と同量の労働ではありえない。 けれども、全ての基であることもまた事実。 ましてやそれを掘り崩しているのは、何も生み出さない武士たちだ。 あえて武士の意味を求めるならば、それは為政者という点につきよう。武士は政策を敷き、支配地域の治安を守る。農民たちが安心して耕作を行えるように、彼らが無事でいられるように。 言うならば、その関係が武士と農民のギブアンドテイクだ。それなのに一揆が起こったということは、その関係が崩れたということで。 「大方、地方領主どもが過分な年貢をとったんだろう。俺の失態だ」 奥州を束ねる政宗は、地方領主を監督する立場にある。彼らの失態はそれすなわち政宗の失態。奥州王の負う責任は重い。 小十郎が「そんなことは…」と言いかけたが、ぎゅっと眉を寄せた政宗は視線一つでそれを黙らせる。誰が許そうと政宗は奥州筆頭だ。その肩書は重く厳しい。政宗はそれを誰よりもわかっていた。 彼の、その心構えは、正に奥州筆頭の名にふさわしいものだった。 だから政宗は、若干19歳でその名を背負えるのだ。 それは、素晴らしいと、そう評価されるべきだろう。 けれども小十郎は、政宗を誇りに思うと同時に僅かな悲哀も覚えるのだ。 (貴方こそ、まさしく奥州筆頭。しかし、完璧すぎる―――) 政宗は完璧なまでに君主だった。年齢などを言い訳にしては国が滅ぶこの時代、それは歓迎すべきことだ。 けれどもこの歳で、完璧なまでに君主たるべき姿をなぞる政宗に危うさを感じるのも事実。彼は完璧すぎるのだ。 19歳なら、もっと振れ幅があっていい。そう思う小十郎は、きっと家臣として間違っている。 「……だが、一揆が起こっちまったんなら仕方ねぇ。小十郎、皆を集めろ」 軍議だ。 政宗はそう言って身を翻す。再び灰色の空を見た。 「Shit…降って来やがった」 寒風と戯れるように、粉雪が奥州の空を舞っている。初雪だ。 日ノ本の北方に位置する奥州において、雪は歓迎されるものではない。田畑は凍てつき、人々は分厚い雪に囲まれて息を潜めるように春を待つ。 正直、この時期に出兵したくはない。ましてや農民相手など。 (結局のところ、俺も武士というわけか) 米を消費して人を斬る。政宗は口元を苦く歪めると、今度こそその部屋を出ていった。 |
タイトルバーは裕子ちゃんの「隣人に.光が.差すとき.」より。 大幅な軌道修正です。でも千代は出す タイトルは、千代と(出てないけど)いつきを意識しました 080726(修正) J |
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