あ、マサムネにコジューローじゃん。Ciao―!
 布団で寝てろって? 冗談じゃないよ、もう俺平気だもん。ああ、早くサーカスの練習がしたいな。
 ………し、してないしてない! そりゃ、ちょっとくらい練習したいなーって思ってるけど、今は大人しくしてるってばコジューロー!

 うん、喉はもう大丈夫。ええっと、そのキセツはごめーわくオジギしました? あいたっ! 何で殴るのさ?!
 ―――え? 話が聞きたい?
 いいよ、何の話がいい? へへへ、ネタはいっぱいあるよ。色んな国回ったから……あれ、違うの?


 家族との、思い出?


 あはは、話したくなかったらいいだなんて、そんなわけないでしょー。
 さいあいの家族を話したくないはずがないじゃん。
 そのかわり、ノロケになっても許してね?
 義父になってくれた団長も、サーカスの仲間も、酒場のおねーさんたちも途中でもういいって言うんだから。

 じゃあ、何から話そっか……





 俺の一番古い記憶はね、お父さんとおかあさんと、どっかの公園に遊びに行ったこと。
 もう一つ、よく夢に出てくる記憶もあるよ。三人で庭で遊んでるんだ。
 どっちも三歳かそこらだと思うんだよね。まだお父さんが生きてたから。
 ああ、お父さんは六歳の時に死んじゃったんだ。事故で。

 お父さんが何の仕事してたかはよく知らないけど、海外関係じゃないかなあ。
 貿易か……うん、多分雑誌とか、娯楽系だったんだと思う。
 俺を引き取ってくれた団長は、お父さんと仕事で知り合ったって言ってたから。
 団長は男の人が好きな人でね、見た目はちょっと小十郎に似てるかな。
 ―――あれ、どうしたのコジューロー? 大丈夫、顔真っ青だよ?
 まあ、その団長曰くお父さんは凄くいい男だったんだって。
 かっこよくて、男気があってさ。
 まあ、おかあさんがあれだけあいしちゃってたくらいだから、当然だよ!
 団長も、前に酒でベロベロになった時実は俺のお父さんに惚れてたんだーって白状しちゃったから、恋人さんと喧嘩になって大変なことになってた。
 ん? ああ、恋人さんも男だよ。イタリアは結構多いんだ、そういう人。
 気にしないのかって? うん、男も女も関係ないんじゃない、あいって。俺は女の人の方がいいけどねー。


 お父さんはね、凄くかっこいい人だったんだ。
 でも、そのせいで死んじゃった。
 山道で事故に遭った人を助けようとして、崖崩れに巻き込まれたんだ。
 事故に遭ってた人は助かったんだけど、ね。



 そんなわけで、俺とおかあさんは二人ぼっちになっちゃった。
 おかあさんは言ったよ。、お父さんと築いたしあわせは私が守るからね。

 おかあさんは綺麗な人で、お父さんにベタぼれだった。お父さんもおかあさんをあいしてた。ラブラブな夫婦だったんだ。
 だから、そんな二人の間で育った俺は、あいされてしあわせだったよ。
 おかあさんがいたから、俺は寂しくなかった。あ、ウソ。お父さんが死んじゃって泣いたけど、おかあさんがいっぱい、お父さんの分まであいしてくれたから、俺はちょっと寂しかったけどしあわせだった。

 でも、おかあさんはさいあいのお父さんがいなくなって、寂しかったんだね。
 俺のいないところで、おかあさんは泣いてたよ。

 ある日の夜、目が覚めたんだ。リビングから明かりが漏れてた。
 おかあさんは、よくお父さんと見てた映画をつけて、二つのグラスにワインを注いで泣いてた。
 指輪にキスして、家族の写真を入れた写真立てをテーブルに置いて、泣いてた。
 俺はどうすれば良かったのかな。俺はおかあさんのあいで満たされたけど、おかあさんは俺のあいじゃ足りなかった。
 俺たちのしあわせを保つには、お父さんのあいが足りなかったんだ。

 けどね、おかあさんはできる限りしあわせを保とうとしてくれた。
 お父さんがいた時のまま、家は何にも変わらなかった。
 おかあさんは毎日おとうさんの分のご飯を作ったし、お父さんの服を洗濯した。
 季節が移り変わっても、年が改まっても、俺たちの家は三人だったころのままに動いてた。しあわせを閉じ込めたみたいにね。

 だけど、俺がそれを壊しちゃった。

 まず、靴のサイズが合わなくなった。
 ぼろぼろのスニーカー。お父さんに買ってもらったんだ。
 最初は大きかったのに、そのうち窮屈になってきた。無理矢理足を突っ込んでも、痛くてうまく走れない。そのうち入らなくなって、カカトを踏むようになった。
 次にね、服のサイズが合わなくなった。
 袖が短くなって、お腹が見えるようになって、脇が食い込むようになった。
 あれってけっこう痛いんだ。両手を動かしたらぎゅーって締め付けられるような感じでさ。


 新しいものを買って、って言った俺を、おかあさんは叱ったよ。
 どうしてしあわせを壊すの、って。


 おかあさんは、全てをしあわせだった頃のままに保とうとしてくれてたんだ。
 だから何も変えなかったし、変えたくなかったんだね。
 俺の背が伸びるたび、おかあさんは俺を叱ったよ。しあわせを壊さないで。
 その頃にはおかあさんが殴ったってあんまり痛いって思わなくなってたんだけど、ご飯を抜かれたのには困ったなあ。
 あ、ちゃんと三人分作ってくれてはいたんだよ。でも俺はお父さんがいたころの俺じゃなかったから、目の前にあるのに食べられないんだ。
 そりゃお腹はすくよ。残飯なんて、何度漁ったかわかんない。

 でもね、それは俺が悪いんだよ。
 だっておかあさんは、しあわせな家庭を守り続けようとしてたんだもの。

 それに、おかあさんは俺をちゃんとあいし続けてくれてたよ。
 たまに俺にご飯をくれたもの。頭を撫でてくれたもの。新しい靴も、服も買ってくれた。
 あいしてるわ、わたしたちのいとしいいとしい宝物って言ってくれた。


 俺が七歳になった日、おかあさんはケーキを買ってきた。イチゴと、生クリームと、板チョコの乗ったおいしそうなケーキ。蝋燭は七本。
 ごちそうを作って、俺に笑ってくれたんだ。
 俺たちは新しい服を着て、席に座った。ごちそうが湯気を立てていた。
 俺がいただきますって言おうとしたら、おかあさんはまだよ、って止めた。
 まだ駄目よ、。お父さんが帰ってから。
 俺はお父さんがもう帰ってこないことを知っていたけど、おかあさんはそうじゃなかった。
 棚にはお父さんの遺影が仕舞われてたけど、おかあさんはお父さんの帰りを待っていたんだ。
 だって、俺たちはお父さんのいたころのまま、しあわせな家庭を保ち続けていたから。
 お父さんが玄関を開けて、ただいまって言えば、何もかも元通りに動き出すくらいあの頃のままだったんだ。

 俺はお父さんが帰ってくればいいと思った。
 すぐにでも帰ってくるんじゃないかと思った。
 でも、お父さんは死んでた。
 ごちそうは冷え切って、生クリームは固まって、俺は座ったままの格好で目覚めた。
 いつのまにか朝になってたんだ。

 おかあさんは、それから毎日玄関に座りこむようになった。
 早く帰ってこないかしら、って、それが口癖になった。
 俺はケーキを捨てた。食べられないまま、腐ってた。
 本当は一口でも食べたかったけど、お腹壊したら大変だもんね。真冬に水風呂に入れられたことも、首を絞められたこともあったけど、俺は元気だったから生き延びられた。でも腹痛起こしてるところを蹴られたら、刺されたら、逃げられないかもしれない。

 俺が八歳になった日、おかあさんはケーキを買ってきた。イチゴと、生クリームと、板チョコの乗ったおいしそうなケーキ。蝋燭は七本。
 ごちそうを作って、おかあさんは玄関に座る。俺は部屋の隅に座ってた。
 早く帰ってこないかしら、おかあさんはずっとずっと呟いてた。



 そのうちね、俺の家の前をソーダンインっていうのがうろつくようになった。
 ソーダンインっていうのは、んー、何かなあ。
 市役所とか保健所の人でね、虐待してるんじゃないかって思われた家を回ってるんだ。子供を保護するんだよ。

 失礼な話だよね。
 俺たちは、とてもしあわせな家庭なのに。

 そういう人たちを呼ぶのは、学校の先生とか医者とか、近所の人なんだって。
 だから俺は言ってやったんだ。
 俺はしあわせだ、おかあさんは俺をあいしてくれてる、って。

 それでも連中、なかなか信じようとしないんだよ。
 それは嘘でしょ? なんて言うんだ。何が嘘なもんか!
 あいつらこそ嘘つきだ。
 おかあさんを虐待者に仕立て上げたいのさ。あんなにあいしてくれて、必死にしあわせを守ってくれてるのに!
 俺たちを不幸な家庭って決めつけて、俺とおかあさんを引き離したがってたんだ。
 ほんと嫌になるよね。不幸だ不幸だって騒ぎ立ててさ。俺たちはしあわせだっつーの!

 ソーダンインも、先生も、医者も、近所の人も、みんな嘘つきの敵だ。
 おかあさんは家を守ってくれてる。
 だから、敵と戦うのは俺の役目だ。あいつらは、大体俺を騙くらかすために俺に話しかけてくるから。



 俺とおかあさんは、二人でしあわせを守り続けた。
 おかあさんはお父さんを待ち続けて、そして俺が十二歳になった時、ついに待つのをやめた。
 お父さんに会いに行こう。
 おかあさんはぽつりと呟いて、本当に久しぶりに外に出た。
 その頃には、おかあさんの代わりに俺が買い物とか外の用事を済ませてたんだ。

 俺とおかあさんは、何時間も電車に乗った。知らない景色が窓の向こうで流れて、流れて、知らない場所についた。
 電車を降りても、おかあさんは迷うことなく進んでいった。
 きっとお父さんの居場所を知っていたんだね。
 踊り出しそうなくらい、楽しそうに歩いていた。

 長い長い間、歩いたよ。人家もまばらになって、森の奥へ奥へと入っていった。
 ジュカイ、っていうのかな?
 とにかく木がいっぱいで、むせかえるようだった。
 おかあさんは待ち切れないように笑って、駆けだした。俺は必死であとを追った。

 葉っぱの隙間から零れた光がまるで天国への道筋のように差し込んだ場所で、おかあさんは笑っていた。
 お父さんの名前を呼んで、嬉しそうに踊っていた。
 俺は悲しかったよ。だって、俺にだけお父さんは見えなかったんだ。
 俺のあいが足りなかったのかな。それとも、俺がしあわせを少し壊してしまったからかな。
 きっと、俺が作った綻びを必死で直そうとしたから、おかあさんにはお父さんが見えたんだね。

 行きましょう、とおかあさんは言った。その手に光を集めたような、銀色のテーブルナイフがあった。
 武器として作られたものじゃないよ。異国の人が、肉を食べるのに使う食器さ。
 おかあさんは、俺も連れて行ってくれようとしたんだね。
 でもどうしてかな。
 俺は、微笑んだおかあさんを見て、怖くて―――……

 ああ、やっぱり俺は悪い子だったね。

 テーブルナイフの先には、三人のしあわせな日々があったのに、俺は、嫌だって、

 まだ生きたいって、そう、思ってしまったんだ。



 どこかで虫が鳴いていたよ。
 他の音なんか聞こえなかったのに、鈴虫の声がいやに綺麗だった。
 俺は赤くぬめるテーブルナイフを持って、血まみれでそれを見下ろしていた。

 おかあさんだった肉塊。

 その間のことは何もかもがぐちゃぐちゃな順序でしか思い出せないけど、おかあさんを刺した時の感触はこの手にはっきり覚えてる。
 おかあさんは溜息のような最期の息を吐いて、あいしてる、って呟いた。
 最期の表情は、苦しみなんか全部溶けて消えたような笑顔。
 きっとおかあさんはお父さんに会えたんだね。
 でも俺は悪い子だから、怖くて、血の匂いが気持ち悪くて、手に持ったテーブルナイフが重くて、何か叫びながら逃げた。
 何を叫んだかは覚えてない。

 めちゃくちゃに走り回って、それで結局お腹がすいて動けなくなった頃、ふと元の場所に戻ってきてた。
 何日か経ってたらしくて、光に抱かれたおかあさんは、獣に食い荒らされて面影もなかった。
 骨が露出した肉に、蛆がわいていたよ。
 今になって考えたら、腐ってひどい臭いがしていたはずだ。
 でも、その時の俺には、甘い芳しい匂いだった。
 おかあさんの目はなくなって、顔も半分以上肉が無くなって骨が見えてた。
 けどどうしてかな、あいしてるって笑っているように見えた。唇なんかとっくに喰われてたのにね。
 俺は近くに落ちていたテーブルナイフを拾った。血脂がまいて、切りにくかったけど、俺は残った肉を丁寧に削いだ。

 おかあさんはね、どんなになっても、俺をあいしてくれていた。

 それからしばらくジュカイを彷徨うはめになったんだけど、お腹がすくたびおかあさんが助けてくれた。
 獣に襲われた時は逃げるか、おかあさんが残したテーブルナイフで新しい食材にした。
 でも、ジュカイを抜けて、助けられてからは一切肉を食べてない。
 吐いちゃうんだ。
 多分、俺は一生分の肉をあそこで食べちゃったんだね。


 俺の話はこれでおしまい。
 だって、俺はこのあと団長に引き取られたから。団長は仲間だけど、家族じゃない。
 俺の家族は、あのジュカイで終わっちゃった。もうどこにもない。
 ああ、でもこれだけは確かだよ―――……











 1 / 2 のクラウン! Trentatre` : しあわせなはなし









 「俺はあいされて、しあわせだったんだよ」


080325 J
080520 修正

32 ←  00  → 34