城に帰ったを一目見るなり、小十郎は顔色を変えて駆け寄ってきた。
 何か言おうと口を開閉させる、けれども言葉が見つからず結局黙ってを風呂場へと連れて行った。
 その背中を追いながら、はぼんやりと思う。

 (駄目じゃん、コジューロー)

 俺を警戒してるんじゃなかったの?
 斬るとまで言ったのに、そんな甘くてどうするつもりだろう。
 は心底不思議に思う。





 「shit…!」

 ズタボロの濡れ鼠を見送って、政宗は吐き捨てるように呟いた。
 の言葉が耳にこびりついている。「俺はね、楽しい祭りだったと、思うよ」。
 そんなはずがあってたまるか!

 成実に囁いた言葉に下心があるのは見てとれた。短い期間しか知らないが、は保身を第一に考える。
 しかし、よりにもよって強姦された後(未遂かもしれないが)でさえ、そのような冷静な思考が働くだろうか。
 はこともあろうか男に犯されかけたのである。
 怯えるか泣くかして当然なのに、彼の表情に暗さはない。あまつ「楽しかった」などと、異常でしかない。

 皮肉だったのならそれでもいい。
 何せ政宗は奥州の国主だ。奥州で起きたことは、彼の責任である。政宗を責めるならそれも道理だ。

 (いや、皮肉であってくれ)

 あんな顔で笑うが、本当に楽しかったのだなんて、思いたくもない。

 『しあわせだ』

 成実に囁かれた言葉を思い出す。弧を描いた紫色の唇。和らいだ目の奥に潜ませた策略と、どうしても見通せない違和感。
 その違和感は酒盛りをした日にも感じたもので、あの時と同じように政宗の手をすり抜けた。
 自分はそれを、知っているような気がするのに。











 1 / 2 のクラウン! Trentadue : 奪う者・与える者









 目覚めたら、布団の中のはずなのに寒かった。
 全身がだるい。昨日作った傷が発熱したように痛む。ちなみに昨日、傷の手当をしようと医者が来たのだが散々暴れたので拳骨の後小十郎が手当をしてくれた。いい人だ。

 「ぅ、え……っ」

 気持ち悪い気持ち悪い。体勢を変えようとして咳きこんだ、喉が焼ける。
 (おかあさん、)霞がかかったような頭で縋るように唱える。おかあさんおかあさん。
 けれども母はとっくの昔に鬼籍に入ってしまった人で、夢を訪れるだけで彼の額に優しい手を載せてくれることもない。

 「おか、あ、さ…」
 「Good morning……ってわけじゃなさそうだな」

 障子が開けられ、小十郎を従えた政宗が入ってくる。
 「風邪だな、やっぱり」「疲労もあったのでしょう」大して意外そうでもないやりとりだ。

 「いや、むしろ真っ当な反応で安心した」
 「何、がだ、よ……!」

 咳きこみながらも意地で起き上がる。小十郎が止めようとしたが無視だ。
 他人がいるところで寝転ぶのは落ち着かない。

 とはいえだるい上に寒いので、は身震いして布団を引き寄せた。
 体育座りをして布団を被る。首だけが出ている格好だ。

 「無理するなぁ」
 「無理、させて、んの、誰、だ、よ。用事、あるんだ、ろ」
 「ああ、それだが―――やっぱいい。今のアンタには酷だ」

 座ろうともしない政宗を、はぱちぱちと見上げる。
 これってば気遣い? なんで俺に気なんか遣ってるんだこいつ。

 全くもって自慢できることじゃないが、は政宗が自分を信用していないことを知っている。
 恐らく家臣の誰よりもこの男は猜疑心が強いだろう。それはが新参者だからではなく、裏切られることに慣れているからだ。
 きっと政宗は、最後の一線で人を信じ切れない。
 小十郎や成実はどう思っているか知らないが、の見た政宗はそういう男だった。
 99%の信頼を預けても、最後の1%を巧妙に隠しておく。裏切られた時、痛くないように。
 は知らないことだが、それは母親に見放された故の自衛策だった。幼い子供が絶対の愛情というものを信じられなくなった、その結果だった。

 が政宗の性質に気付けたのは、彼も同じ穴のムジナだからに他ならない。

 「俺は、平気、だ」
 「馬鹿なことを言うな、熱まで出してるじゃねえか」

 用事というのは昨日の強姦未遂事件のことだろう。はぼんやりした頭で考える。

 (どうして俺の体調なんか気遣うんだ? 思い出すのが辛いとでも、思ってるのかな?)

 熱が思考を侵食している。頭の奥に疼痛があった。
 ああ、思考が霞む。

 「Non capisco(わからないなあ), 熱なん、て、関係ない、よ。どう、して、喋らそ、としない、の?」
 「それは、」
 「ど、して、普通の人間、みたい、に、扱う、かな」

 寒い、だるい、痛いよおかあさん。記憶の果ての母に縋るは子供に返っている。
 思考回路はぐにゃぐにゃで、言うべきことと言わざるべきことの区別がつかない。

 政宗は左目をしかめた。

 「……んだと? What do you want to say?(何が言いたい?)」
 「だ、て、お前、俺を疑、てるくせ、に」

 スパイとか忍なんてものは人間扱いされない。
 彼らは道具だ。雇い主の思うままに動く武器。
 忍と思われているなら、を人間扱いなんてしなくていいのだ。まして政宗は殿様では一般庶民の道化師である。
 命の価値が違う、とは思う。

 「俺、の、命は、ホコリみたいな、もんだ」
 「てめえ……俺がそんなこと考える下衆だと思うのか?!」
 「政宗様!」

 犬歯を剥きだしにした政宗は布団ごとを掴みあげる。熱で潤んだ瞳は擦りガラスのようにぼんやりたゆたっていたが、その目は荒い息を吐く唇よりも雄弁に「何故政宗が怒っているのかわからない」と語っていた。
 疑うこともなく自身の無価値を信じ込んでいるを睨みつける。

 「怪しかろうが聖人君子だろうが命は命だ。身分なんざ関係ねえ、一つっきゃない何より大事なシロモンだよ!」
 「け、ど…」
 「Shut up! その頭に刻み込んどけ、命に軽いも汚いもねえんだ! ああてめぇは怪しいさ、信玄公のお墨付きだろうが疑っちまうくらいには忍の特徴を持ちすぎてる。けどな、それでもてめえは人間なんだよ。忍もそうだ。こんな殺し合いの世の中だ、害があるなら殺すが、それはこっちの命を守るためでてめえの命が軽いからじゃねえ! 正義なんざ今更だが、道具を潰すように人間を殺してたまるか!」

 命に価値なんかつけられない、と政宗は思う。
 どんなことがあったって人が死んでいい理由などない。
 戦国大名の政宗がそんなことを語るなんてお笑い草だが、彼は心底そう思っている。
 政宗には天下への野心がある。その天下は屍山血河の向こうにあるから、命を尊ぶこととは並立しない。
 政宗の手は夥しい血で汚れている。そのことについて言い訳はしないし、しようとも思わない。
 けれども、この世で何よりも尊いのは命だと、政宗はそう思っている。

 だがの目は、ぼんやりとしたままで。

 「わか、ない」
 「てめえ……!」
 「だ、て、俺はクラウン、だ」

 咳きこみ、舌っ足らずな声で途切れ途切れに言う。

 俺はクラウンだ。
 クラウンは愚かな動作で人の笑いを誘うんだ。馬鹿なことして、軽蔑されて、笑われるのが仕事さ。
 クラウンは絶対に花形にはなれないんだ。何故って、何よりも軽い役どころだから。
 そんな俺が、お前たちと対等なはずないじゃないか。

 ねじれ、歪んだ認識を救いがたいことには信じ込んでいた。
 彼の意識には、恐らく少年期に頻繁な強姦に遭ったことも関係しているのだろう。
 おもちゃのように扱われるのを耐え忍ぶうち、彼は幼いプライドを傷つけられ、自己防衛のためにプライドをすり減らしていったのだ。
 悔しさがなければ、怒りがなければ、プライドがなければ、傷つくことも絶望することも無いから。
 その結果、の中で自分の価値は恐ろしく低い。

 そんなだから、自分を貶めることも笑い続けることも、平気なのだ。

 「それが、幸せかよ……!」
 「しあわ、せ、だ」

 だって笑っていられるもの。みんなも笑って俺も笑って。
 笑っていられるのは、しあわせでしょう?

 政宗は歯を食いしばる。は幸福を形にしたように微笑した。
 には話が通じない。まるで彼岸の人のように。

 「……っ」

 政宗はを布団の上に放った。「政宗様!」小十郎が咎めたし、無様に手足を投げだして荒い息を繰り返すに罪悪感が芽生えたが、どうしようもない苛立ちが腹の底で滾っている。
 政宗は間違っていないはずだ。
 どんな状況でも人形のように笑い続けることを、幸せと呼ぶはずがないのだから。

 「………俺がアンタに昨日のことを聞こうと思ったのは、俺がこの奥州の主だからだ」
 「………?」
 「俺にはこの国に責任がある。守る責任、より良い国にしていく責任。ああいう祭りは昔っから行われてきたものだったからな、民の感情もあるし廃止しようとは思っていなかったが、アンタみたいな事態が起こるんなら考えなきゃならねぇ」

 ああいう祭りでは、無理強いされることだってあったのだろう。
 民のことを考えながら、民の汚さを知っていたわけでなかった自分に、の全身の傷や熱が現実をまざまざと教える。
 苦々しさを噛みしめる。自分は愚かだった。

 「俺はこの国を幸福な国にする。民の全てが幸福でいられる国だ」

 政宗の宣言を聞いたは、ゆっくりと笑った。素敵だね。
 きっと彼は青臭いと思っているのだろう。政宗とてそう思う。
 けれど、願わずにはいられない。幸せでいたいと。幸せであれと。

 だが、この道化師の幸せとは、似て異なるものに違いなかった。










 その直後医者が来ると、の表情は一変した。
 何かが欠落したような笑顔は消え失せ、怯えと敵意の入り混じった手負いの獣の形相となり、喉をやられているのも構わず叫ぶ。

 「いらない! 俺、俺、は、何にも、ない、ないったら!」
 「おい、?」

 あまりの変わり身に驚いた政宗の手を弾き、熱があるというのに寝巻き一枚で部屋の隅に張り付く。
 体がぶるぶる震えていて、包帯から血が滲んでいた。
 それなのに寒さも痛みも無いように、青ざめた顔で、咳きこみながら悲鳴に似た声を上げる。
 敵意に満ちた目が潤んでいた。意識が朦朧としているのか、ひゅうひゅうという呼吸音の間に政宗の知らない名前が並ぶ。

 「早川、さんが、言ったの……?! 佐々木、さん…?! 違う、あの人たち、の、言う、ことなんか、信じなぃ、で! 俺、は、しあわせ、で、おかあ、さんと、しあわ、せ、に、暮らし、て、るだけなん、だからぁ……!」

 激烈な変化に戸惑いながらも、どう見ても医者に引き渡すべき状態だと判断した小十郎が近寄った。
 それでもは萎えた手足で抵抗し、捕まるまいと小十郎の手に噛みつく。ぷつ、と皮が破れて赤い血の玉が浮く。
 一切の力加減もなかった。力が入らない今の状態でなければ、肉が食いちぎられていたかもしれない。

 「おかあ、さん……おかあさん、おかあさん、おかあさん! 俺、俺はここにいるよ、どこへ、も、いかない、よ! 俺は、俺はしあわせなん、だ、から!」
 「Hey 、落ち着け! アンタの母親はもう死んだだろう!」
 「うあああああっ」
 「shit,聞いちゃいねえ! おい小十郎、早く医者を呼んで来い! 俺が押さえてる!」
 「しかし…!」
 「Hurry up!(急げ!)」

 政宗は逃げようとするの背後に回り、はがい締めにして動きを封じる。
 喉を潰しそうな絶叫を上げ、は嫌だ嫌だと暴れた。しあわせだから、俺のしあわせを壊さないで、そんなことを繰り返す。
 連れてこられた医者を見て更に抵抗したを政宗が気絶させるまで、彼のうわ言のような悲鳴は続いた。


タイトルどうしようかと思った;;
夢主の思想、現代じゃないw 封建時代的ww
政宗に影響されていったらいいな。これじゃあまりにもw
080325 J

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