子供が雀を逐っている。楽しげな歓声が風に乗って響いてきた。
 空は夏の濃さを失い、高く高く澄んでいた。水底のようなそこへと吸い込まれていく太鼓や笛の微かな音。

 「マサムネ、コジューロー、モトノブ、お願い! 俺も行きたい祭り行きたい! Carnevale(謝肉祭)を逃すなんて一生のフゾクだ!」
 「それを言うなら一生の不覚ですよ、殿」










 1 / 2 のクラウン! Trenta : アンラッキー・デイ









 あの恐怖の料理対決から既に一月が過ぎていた。重たげに頭を垂れていた稲穂は刈り取られ、金色の絨毯のようだった豊麗な田畑には稲藁が積まれているだけだ。
 その間に、奇跡の鉄人料理伝説が生まれたり伊達家の食膳から肉類がきれいさっぱり消え失せたり、異国語の怒鳴り合いやら人間ブリザードやらが毎日のように繰り返された。学習能力の無いガキ二名についてはもはや拷問並の反省が課されるようになっている。亀甲縛りで拭き掃除とか。

 良くも悪くも奥州に馴染んだだったが、奥州側の警戒が解けたかというとそうでもなかった。
 最初の頃よりは解けたというべきだろう。
 しかし天井裏には常に忍がついていたし、政宗たちも常に帯刀していた。出かける時は連れと言う名の見張りがついた。
 もそれは承知で、こればかりは仕方ないと諦めている。
 何せ身の潔白を証明するに足る根拠がないのだ。

 しかし、本人が自覚せずともストレスとは着実に溜まっていくものらしく。
 はこの日、それをまざまざと思い知ることになる。



 「……仕方ありませんね」

 特大の溜息と共に零された元信の言葉に、は目を輝かせた。
 「おい、鈴木殿?!」「俺は仕事だってのにだけ許可を出すとはどういうことだ?! Ah?!」小十郎が非難の、政宗が不満たらたらの声を上げる。てめえマサムネ道連れにする気だったな?!
 喜んで抱きつくを引きはがして、元信はやれやれと説明する。

 「一応、殿は毎日殿の異国語の相手やら雑用やらを無償でしてくれましたからね。たまには休みをやらねばなりません」
 「しかし、そいつは……」

 顔はしかめているものの声を落とした小十郎の反対に、同じく元信も声を落として返す。は政宗と低レベルな舌戦中だ。

 「私も片倉殿も、ずっと彼を見張ってきました。確かに警戒は怠るべきではありませんが、何かを探るそぶりはありませんでした。忍をつけていれば祭りに行かせたとて問題ないでしょう」
 「だが……今まで無害だったからといって、演技でなかったと言いきれるか?」
 「彼は金の計算もできないのですよ」

 元信は自信満々に言った。

 「金勘定のできない忍など、存在するはずがありません」
 「………まあ、確かにそうだな」

 忍とは早い話傭兵である。価値基準もわからない傭兵などいるはずがない。
 妙な視点からであったが十分な説得力を持った返答は、小十郎の舌鋒を緩めさせた。
 小十郎が反対しないのを見てとった元信は、要約すると「お前だけ祭りに行けるなんてずるい」という旨のことをわめく主に言葉の槍を放つ。

 「殿に与えた休日は今日までの給与です。書類を溜めている殿に給与を要求する資格はありません」
 「元信……ッ!」
 「祭りに行きたいのなら仕事を片付けてからにしてください。殿、こっちへおいでなさい。お小遣いをあげます」
 「わーいTi amo(だいすき)モトノブ!」
 「てめっ、にばかり甘すぎやしないか元信?!」
 「言いがかりですよ殿。はい、殿。大事に使ってください、三文です
 「Grazie――!!」
 「「………え?」」

 にこにこ笑顔で三文を渡す元信と、無邪気に喜んで跳ねまわるを政宗と小十郎は思わず凝視する。本当に三文だ。団子も買えない金額である。

 「鬼だ」
 「…憐れな…っ!」

 政宗はひきつった顔で呟いた。
 小十郎は目頭を押さえて顔を逸らした。

 「失礼な。殿は本職の芸人です。路上で見世物でも始めて、小遣いくらい自分で稼ぎますよ。三文でももったいないくらいです」
 「まあねー。でも、もらえるのは嬉しいや。Grazie mille(どうもありがとう)、モトノブ!」
 「ふふふ、礼には及びません」
 ((そりゃ確かに及ぶまいよ))

 竜と右目が一つになった瞬間だった。










 結局は、連れ兼見張りの成実と並んで城下を歩いている。
 祭りに行けると聞いて喜んだ成実は、軍資金がたったの三文と聞いて微妙な顔をした。しかし城下に降りるや否やが見世物を始め、すぐに十分と思われる金を稼ぎだしたので機嫌は最高潮だ。物珍しい芸を見られたのもそれに拍車をかけている。
 は手品に使った鳩を頭に乗せて、華やかな他所行き顔の街を楽しんだ。

 「やっぱりっていうか、Carnevale(謝肉祭)とはちょっと違うね。でもこれはこれで面白いな!」
 「面白いだろ! 殿の代になって、前よりもクールになったんだ。ところでかーねばれってどんなの?」
 「飲めや歌えや踊れやの大騒ぎー! Maschera(仮面)を被って、誰だかわからない人たちと騒ぎ明かすんだ」
 「へえー。…でもそれって危なくない? 相手が誰かわからないんでしょ?」
 「それは相手も一緒さ。Mascheraを被ったら『俺』じゃない『誰か』になるんだ。それが醍醐味なんだよ」
 「なるほどね」

 屋台で買った稲荷寿司や酒に舌鼓を打ち、着飾った人々や煌びやかな花魁を見物していると、あっという間に日は暮れた。心なしか冷たくなってきた風が、酒で火照った頬を撫でる。
 ちびちびと飲んでいた成実は、勧められれば底なしに飲んでいるに呆れを通り越して恨みがましい視線を向けた。

 「、お前飲み過ぎじゃないか?」
 「そーお? おいしいよー」
 「……くっそ、オレも命令さえなければ……!」

 の見張りを仰せつかっている成実は、酔い潰れるまで気の赴くままに飲むなど言語道断だ。
 素直に祭りを楽しむことのできない悲しさである。

 ふと見れば、群青に沈んだ闇に松明がと燈る頃合となっていた。秋の夕暮れは釣瓶落とし。
 黒に近い青に、橙色が滲むように浮かんでいる。人の顔が判別できるのはその周辺のみで、その僅かな明かりがかえって家々の世古に闇を集めていた。
 成実は体の内にざわつくものを感じた。ああ、だから残念なんだ。赴くままに祭りができない。

 (まあいいか、今回は諦めよう。梵直々に頼まれたんだから)
 「シゲザネ?」
 「ぅお! な、何?!」

 考え事をしていたからか、の接近に気付かなかった。成実は心中舌打ちする。オレは伊達家の武人なのに、なんてことだ。
 はじっと成実を見つめる。見透かすような眼差しは、何故だか嬰児の瞳を思わせた。

 「シゲザネ、俺まだここで飲んでるから、行ってきたら?」
 「っ、どこに?」
 「シゲザネの行きたいところ」

 俺に付き合わせてごめんねと眉を下げて微笑んだ。
 まさかを一人で放り出してやることはできようはずもないが、成実は諦めた衝動を見透かされてドキリとした。
 内心、冷や汗がダラダラと流れる。非常に居心地が悪い。

 「や、べ、別に今日じゃなくてもいつだって行けるしできるしっ」
 「でも今日は祭りじゃないか。普段とはきっと雰囲気も違うよ」
 「そりゃそうだけど」
 (やばい本当に見透かされてる!!)

 成実は挙動不審気味におたおた両手を振りまわしたが、実はは、成実が何を考えていたかなんてこれっぽっちもわかっちゃいなかった。
 彼が感じ取ったのは、成実が何かをしたいと思っていて、でも自分を見張るためにそれを諦めたということだけだ。

 「行ってきなよ。俺のことなら心配しないで。酒の屋台のおっさんにでも言付けてけばいいじゃない。何か困ったことがあったら、俺もあの人に言うからさ。俺、大人しく待ってるよ」
 「う、う……そ、それでも行かない! おおお、オレ何か食い物買ってくる!」

 体を翻し、逃げるように成実は走り去った。
 「あれ、結局行くの?」呟いたに罪は無い。多分。

 さて、思いがけずは見張りの目を逃れたことになるのであるが、考えてみれば特にやりたいことはない。
 見世物……もうやった。
 飲食……もう十分。
 ナンパ……成実と一緒にさんざひっかけた。

 「うーん、なんてことだ」

 開放感味わおうにも目的がないなぁ…とは腕を組んだのであるが、不意にその肩に誰かの手が置かれた。

 「ん? ―――………ッ!」

 振り返ろうとしたの口を硬い掌が覆い、肩に置かれた手が着物ごと肉を掴んで強引な力を加える。
 咄嗟に振り払おうと動いた体をいくつもの手が掴み、あるいは抑え、は明かりの届かない世古へと引きずり込まれた。

 豊穣祭の夜は、始まったばかりである。










 (うわああああどうしようどうしようオレどうしよう、)

 成実はの前を逃げ出してから全力疾走し、どこかの民家の塀に手をついて俯いている。
 オレ最悪だ、と頭の中はそれだけが回っている。

 (まさかよりにもよってそりゃ豊穣祭は夜がオタノシミだけどでも仕事中にそりゃオレ健全な青少年だけどっ!)
 「ふふ……、軽蔑するかなあ……同情するかなあ………」

 いや彼は理解してくれていたじゃないか、きっとわかってくれるさ。左の耳で白成実が囁く。
 はん、どうだかな。何せ仕事中にソレに気を取られたんだ、きっと腹の中じゃ嘲ってるだろうよ。右の耳で黒成実が囁く。
 成実は両耳を押さえて頭を振った。そうだ青少年だここんとこご無沙汰だったよ溜まってるんだ悪いか畜生!


 古来、豊穣祭には二つの面がある。
 一方は厳かな儀式で、一年の実りを八百万の神々に感謝する。新嘗祭がこの例だ。
 そしてもう一方はといえば、まあ要するに子宝方面の祭りであって、つまりは男女のまぐわいとかそういうこと。
 一般に、後者は鄙に行けば行くほどその傾向が強い。農村という限定された空間ではどうしても血が濃くなってしまうので、周囲の集落から人が集まる祭りでは新しい血を入れるとか子種を貰うとか、そういうことが大っぴらに行われていたのである。
 このような乱痴気パーティーは洋の東西を問わず存在したのであるが、流石に現代では行われるものではない。裸だからという理由で祭のポスターの掲示を駅が断るご時世だ。

 さて、時代は戦国、場所は奥州米沢城下。
 派手好みのくせに意外と潔癖な政宗の統治のもと、祭りは派手になったがそういう古代的な側面は影へ影へと押し出されつつあった。
 別段禁止を命じたわけではないが(そんなことをしたら反感が高まるだけだ。なんだかんだ言って、それはオタノシミなのである)、主君の醸す雰囲気を敏感に察した民衆が「堂々行うもの」から「こっそり行うもの」へ意識をシフトさせたのだ。



 しかし現代人にとって、そんな事情は想像の外の外もいいところである。



 ( い や だ !! )

 乱暴に引き倒された体にいくつもの手が群がる。土の匂いが強い。それは口を覆う手からか、髪が弧を描く地面からか、恐らく両方からだろう。
 白熱した脳で恐怖がスパークする。ほんの何ヵ月か前、幸村に抱きしめられた時よりも切迫した絶望。もがく両手足を捕まえた硬い掌の主たちが振りほどけない負荷をかけている。
 腹の上に馬乗りになった男―――こいつが口を覆う手の持ち主だ―――が、空いている方の手で荒々しく着物を肌蹴る。平らな白い胸が夜気に触れた。羞恥と恐怖に身が熱くなる、しかし背筋は凍りついたように寒い。体の内側に馴染みの冷えた感覚が溜まっていく。冷静になれ。怖がるのは、生き延びた後。泣きだしそうな羞恥も身の凍るような恐怖も燃えるような屈辱も、全て呑み込んで男たちの隙を探る目が開いていく。
 何だこいつ男じゃないか―――今だ!
 あからさまな落胆が馬乗りになった男の口から吐き出されたその瞬間、は肉を食いちぎるほどの力で男の掌を噛んだ。一挙に口内に蔓延する鉄錆臭さ。脳天を突きぬけた生臭い既視感に気の遠くなるような吐き気を覚える。
 ぎゃあっと悲鳴が上がり、それに怯んで全員が一瞬力を抜いた。その刹那を逃さず、は足首を抑えつけていた男の手を振りほどく。
 みぎり。自由を取り戻すと同時に蹴りあげた爪先は喉に埋まった。果実が潰れるような音を発して、力の抜けた体が崩れ落ちる。すかさずその体を右脚で蹴りのける。脚の上に倒れられては、折角自由になった両脚が本の黙阿弥だ。
 手はタイミングが遅れ、右手しか自由にならなかった。だが十分だ。は素早く指を帯の間に突っ込み、そこから硬質の塊を引き抜く。流星のように銀色が瞬いた。細い細い花かんざし。ジャグナイフの他に、が持つ唯一の武器。かんざしは護身具の一種である。
 一瞬で尖端を向け、一切の容赦もなく太い腕に突き立てる。ぶつり。皮を破り肉に食い込んだ。悲鳴を上げて左手を押さえていた男が手を離した。勢いのままかんざしを引き抜く。手がぬめって顔に熱い飛沫が飛んだ。濃い血臭。頭がくらくらする。芯は冷えているのに、体中を駆け巡っていくアドレナリン。
 何事かを喚いて、馬乗りになっている男が拳を振り下ろす。ごっ、骨と骨のぶつかる音。脳みそを揺らす衝撃、でもまだまだだ。拳骨なら政宗の方が数倍痛い。
 男は拳を埋め続けた。しかし一瞬の隙をついては男の腎臓を狙う。血に濡れた凶器は鮮やかな軌道を描き、その切っ先を粗末な着物に滑り込ませ、男がくぐもった悲鳴を上げる。


ご め ん な さ い (スライディング土下座)
近世の祭りって本当にこういうことがあったらしいです
080324 J

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