「どういうおつもりですか」 声は夜のしじまを切り裂いて飛んだ。 諫言を受けた政宗は唯一残った左目をしかめる。散々追いかけまわし、に拳骨を、政宗に説教を垂れた小十郎はを部屋から追い出したあと第二ラウンドを開始するつもりらしい。 うんざりした表情を浮かべた政宗に、小十郎は膝を詰める。 「警戒を怠るのはお止めください」 の身元は未だ判然としない。 害意はないように思えるが、警戒は怠るべきではない。何かあってからでは遅いのだ。 ましてや政宗の双肩には奥州という国がかかっているのである。 「Ha! 警戒なんざ、言われるまでもなくしてる」 「そうでしょうか」 「何が言いたい?」 「警戒なさっている割には、酒なども共に楽しんでおられたようで」 軽率な行動だと思う。が忍であったらどうするつもりであったのか。 政宗は肩をすくめた。いやに軽い動作である。 「Sorry, だが小十郎、お前は一つ間違えてる」 眉を寄せた小十郎に、政宗は凄絶に笑う。 「俺ァ独眼竜だ。あんなガキにどうこうされるほど弱くはねぇ」 過剰な心配は無用なのだと言外に言う。 その自信は実力に裏打ちされたものだ。だからこそ、過保護は却って政宗の輿望を削ぐことに繋がってしまう。 猛々しく口唇を上げる主に、小十郎は謝罪と共に頭を下げた。 (だがしかし、奴が何か怪しい動きをしたら) 斬る。それが右目たる小十郎の役目。 無言の決意は固く、また政宗もそれを承知で制止するようなことはない。 頭に浮かべた少年を、小十郎はひどく冷静な目で眺める。 1 / 2 のクラウン! Ventinove : 彼はひとりぼっち 新しい日光が朝靄を打ち払って地を刺した。澄明さを増してきた空気は濃い秋の匂いがする。 秋ナスを収穫しながら、小十郎は昨夜の出来事を思い浮かべていた。 まるで友人同士のように酒を酌み交わし、 年相応の表情を浮かべた政宗は、小十郎にはちょっとした衝撃だった。 普段奥州の王として君臨する政宗も、実はまだたった十九歳なのだと思い知らされた。 政宗は、老獪な駆け引きも冷静な陣頭指揮もできる。そのカリスマが彼を竜たらしめているのであるが、十九歳という年齢が持ってしかるべき稚気や明るさを覆い隠してもいた。 それは仕方のないことだ、と小十郎は思う。 今は戦国乱世である。そんな中で稚気の抜けない領主など国にとって不幸以外の何物でもないし、政宗の手腕は彼の天下統一という悲願に必要不可欠であっても不要なものではない。 戦国大名として生まれたならば甘えは捨てなければならない。十九という年齢に縋るならそれは言い訳以外の何者でもなく、そんな大名は早晩滅ぼされてしまうだろう。 政宗は、生き抜くために早熟であらねばならないのだ。 だが、それは一抹の憐憫を誘う。 同情は政宗にとって不要の最たるものだが、幼いころからつき従ってきた小十郎は思わずにはいられない。 ―――政宗は、実母最上の方に疎まれている。 幼い政宗に背を向け、次男小次郎をあやす彼女を見つめる横顔を小十郎は今でも思い出せた。小さな唇が音のない言葉を綴っていた。ははうえ。 声に出さなかったのは政宗が自分の立場を良く知っていたからだ。 右目を失い、母とその後ろ盾最上氏の援助を失った政宗は、強くあらねば廃嫡の憂き目にあっていただろう。そうなれば行き着く先は知れている。生き延びるため、政宗は母の膝に縋る幼い己を殺したのだ。 小十郎はそれで正しかったと思っている。実際政宗は強大な竜となり、天下を窺うまでの器になった。 けれども声を殺して母を呼んだ幼子が、今憐憫の情と共に思い起こされてならない。 (いいや) 小十郎は頭を振って思考を消す。これは考えてはならないことだ。 ふと訪れる哀しみは、言葉を変えたところで政宗への憐れみに他ならない。それは主への侮辱となる。 小十郎は政宗の家臣だ。政宗の手に入れた強さは、彼自身が元々備えていたものだと信じなければならない。 それでも、昨夜の政宗はまるで普通の、竜でも王でもない青年のように楽しげで、 「Buona…じゃなかったGood morning コジューロー!」 が手を振っていた。大原女のようにざるを頭に乗せている。タスキで着物の袖をまくっていることから察するに、どうやら手伝いに来たようだ。 彼は豊麗に実った野菜に目を輝かせた。その表情は十七という年よりも幾分幼く見える。 政宗が稚気を去ったのだとすれば、は稚気を抜かないまま育ったに違いない。 「厨房のおねーさんに頼まれたんだ! 野菜ちょうだい! むしろ入っていい?!」 「やめろ入るな! それから野菜は俺が持っていく、お前は厨房に近寄るな!」 駆け寄ると、はものの見事に膨れた。理不尽だと目が言っている。 しかしこればかりは譲れない。みすみす大事な畑を荒らされてたまるか。 「いいじゃん入るくらい。コジューローの野菜おいしいのに、ケチー」 「毒でも盛られたらたまらんからな」 「そんなこと誰がするか!」 「敵ならするだろう」 あからさまに不信感をぶつけてやる。膨れ上がる威圧感には怯えた顔をした。 「勘違いするな。テメェは居候を許されただけで、信用されてはいねぇ」 怪しい行動をすれば即殺すと、小十郎の意図を正確に読み取ったは泣きそうになりながら弁明する。 「そんなのわかってるよ! けど、俺ただのクラウンだ。敵とか毒とか、わけわかんねぇ!」 「どこまで信じられたもんだか」 「そりゃ信じないだろうさ!」 叫ばれた言葉の意図をつかみ損ねた。小十郎は怪訝な表情を浮かべる。 は早口でまくし立てた。 「マサムネもコジューローも、俺を信じないのは当然だよ。だって俺怪しいもん、自分だってそう思う。けど俺本当にただのクラウンで、敵とか戦とか関係ないんだ。怪しい行動なんかしようがないだろ、俺はただ普通に過ごしてるだけだもん。コジューローはマサムネが大事でしょ? だから俺を疑ったって当たり前だ、俺を信じる必要なんて無いし信じないよ。でも俺本当に関係ないんだから脅さないでよ怖いから!」 「…………!」 小十郎はまじまじと少女めいた顔を見る。繊細で傷つきやすそうな顔はびくびく怯えていたが、口にした言葉は意外なほど淡白だった。 は、己が信じられないことを当然と言った。信じろではなく。 彼の中で疑いの目を向けられることは当たり前のこととなっている。向けられる疑惑を晴らすことなどできはしないのだという諦観は真実であったが、それは幼い精神の潔癖さが受け入れたものというよりは世間を知った大人が手に入れる割り切りである。子供っぽいの発言と認定するには、素直には受け入れがたい違和感があった。 「……信じてほしいとは、言わねぇのか?」 「言ったって無駄じゃん」 「じゃあテメェは、自分を殺すかもしれない相手に笑ってたっていうのか……?!」 はいつだって笑っていたのだ。宴会、日常、料理対決、そして昨日は政宗と酒を酌み交わし、友人同士のように笑ってさえいた。 能天気なのだとばかり思っていた道化師がそうではなかったことに、小十郎は少なからず衝撃を受けていた。 「何を言ってんの、コジューロー?」 心底不思議そうに言う。笑う。 「信じ合えなくても、笑い合えるよ」 政宗と笑い合っていた時そのままの笑顔で、威圧が消えたことを喜ぶに小十郎は愕然とした。 目の前の少年が憐れでならなかった。 佐助が抱いた危険という印象を少しも持たないのが不思議だ。小十郎は、あれほどを警戒していたというのに。 (憐れな……) 瞼に子供が浮かぶ。政宗。早熟な子供。 政宗を主と敬い、その年に似合わぬ老獪さを喜んでいても、結局のところ小十郎は政宗に年相応の幼さを望んでもいたのだ。だからこそ、佐助が幸村の変化を心配したように政宗の、ほんの少し相応の幼さが滲んだ表情を本気で詰るつもりはなく、認めるべきではないが歓迎してさえいた。 玉座に座る政宗には臣下はいても友はいない。 この乱世において、昨日笑い合った人間が今日刀を向けることは珍しくない。この世において猜疑は暗黙の美徳だ。人を信じ切れぬ世に小十郎たちは生きている。 一国の主たる政宗にとっては尚更そうで、そんな嘘と不審の中に凛と立つことが彼には求められている。 それは正に孤独といえた。 しかし王たるべき者はその孤独を呑みこんで進む強さを持たねばならず、政宗はそうして進んできた。 だからこそ小十郎は、自分でも気づかぬうちに利害の絡まぬを政宗の友人にしたく思っていたのかもしれない。 彼が本当に敵でなかったならば、政宗に十九歳の表情を浮かべさせられる純粋さは救いとなっただろうから。―――それが政宗にとっての救いなのか、小十郎の自己満足なのかは判然としないが。 小十郎は自身の深層心理に気づくことはなかったが、ひどい落胆を覚えた。 「コジューロー? どうかした?」 は幼い動作で首を傾げた。明るい瞳に影はない。それがより一層憐れだ。 彼の思考はあんなにも寂しいというのに。 子供の明るさと大人の諦めを併せ持つ少年に、小十郎はのろのろと首を振る。 「なんでもねぇ。……野菜が要るんだったな。行くぞ」 の持ってきたザルを受け取って収穫した野菜を入れ、小十郎は歩き出した。後ろを子鴨よろしくがついてくる。 彼はすっかりいつも通りの表情で、まるで何事もなかったかのようだ。 (そうだ、何も変わらねぇ) 小十郎は政宗の家臣で、今まで通り身命を賭して仕えていく。彼が捨てた幼い純粋さを時折惜しんでも、それを表に出すことはない。 またに対しても警戒を解くつもりはなかった。憐れみを感じようと無駄を予期しようと、いつでも抜刀できるようにしておかなければならない。 「ねえコジューロー」 「なんだ」 「コジューローは、」 マサムネがとても大事なんだねと微笑んだは、まるで年相応の少年のような顔をしている。 |
小十郎視点 それにしても亀のような進展… 080324 J |
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