結局うやむやのうちに料理対決は流れ解散となり、政宗とは無駄遣いと生命の尊さについて小十郎・元信のステレオスピーカーな説教を受けた。
 その間、正座を強制されたのはデフォルトである。

 足の感覚さえ消え果てた説教をなんとかやり過ごし、野菜のみの夕飯を涙がちょちょ切れそうになりながら終えた政宗は、何故だか屋根の上でと酒盛りをしている。

 「いーい月だなぁ」
 「満月だねー。モチ食べたいなぁ」
 「……かっぱらってくるか?」
 「…………行ってもいいけど、多分モトノブが気付くよ」
 「じゃあ、無理か……」
 「仕方ないね……」

 思わず寡黙になり、脳によぎる元信の笑顔を振りはらう。
 恐怖体験を共に味わった仲間には強い仲間意識が生まれるというが、どうやら例にもれず、彼らにも奇妙な友情が芽生えたようである。











 1 / 2 のクラウン! Ventotto : his mother









 藍で染め上げたような夜に、ぽっかりと陶磁の皿のような月が浮かんでいる。
 白光が薄ぼんやりと照らす景色は昼のそれとは違う。
 天守閣ではないものの城の屋根という高所から見る景色は、まるで夜の海のようにしんと凪いでいた。
 金色の稲穂は今は青浪と姿を変え、秋の夜風に揺れる様は銀の羽が震えるようだ。
 どこからか秋虫の鳴き交わす声が聞こえる。風情というなら、これに勝るものはあるまい。
 は政宗が持参した芳醇な酒を含み、うっとりと眼を細める。
 瓦の上に投げ出された脚は少し火照っているが、ほのかな金木犀の匂いを纏った風が優しく熱を奪っていく。
 その気持ちよさは政宗も感じているようで、少し離れた場所に座る彼は高く口笛を吹いた。

 「いーい夜だ。ちいとばかし、静かすぎるが」
 「昼間はあんなに騒がしかったのにねー」
 「Ha! ありゃあアンタのせいだろ」
 「否定はしないけど、全部が全部俺のせいでもないよ」

 そう言って、は昼間の残りを口に運んだ。例の野菜料理である。
 どういう仕掛けか動きあまつ喋ることさえしていたそれらは、今は沈静化していて、あの耳を覆いたくなるような悲鳴も上げない。
 人形か、あるいはただの料理であるかのようなその状態こそ料理本来の姿であるはずなのだが、どうしてもわりきれない部分があって政宗は食事中のから目を背けた。
 政宗も勧められたが、丁重かつ強硬にお断りさせて頂いた。
 その手に持つものがどれほど自然の理を無視したシロモノであるか自覚のないは残念がったが、すぐに気を取り直して貪り始めた。
 どうやら、小十郎の憤怒を買った彼は夕飯を抜かれたらしい。
 しかたがないので昼間の残りと携帯している保存食を、小十郎に見つからない場所で食べようとしているのを政宗が偶然見つけた次第である。

 「By the way(ところで)、アンタ本当に肉が食えねぇのか?」
 「Si…じゃなくてYes。魚は食べれるけど、肉汁一滴でもダメ。吐く」

 鉄の胃袋を持っていそうななら自分の料理を食べてくれるかもしれないと期待した政宗は、予想以上に強い否定に驚きと残念な気持ちを禁じ得ない。
 猫のように親指を嘗めて、道化師は眉を下げて微笑する。

 「そんなんだから、イタリアじゃ困ったよ。だって向こうは肉食文化だもん。食べれるものが少ない少ない。野菜はだいたい肉料理の添え物だからね。だから、渡ったばかりの頃は水とか果物とか、あとはお菓子しか食べれなくってさー、引き取ってくれた団長に随分心配かけちゃった」

 思い出す。
 きっともう会うことすらないであろう、義父のこと。
 陽気だが料理のできない人で、肉が食べられないに大層焦って料理上手な恋人(男)と料理本をめくっては唸っていた。
 彼は毎回ぶきっちょな手つきでサラダを作り、もう一品さりげなくハムを混ぜた料理を食卓に乗せた。
 の嗜好の改善を促すためだったのだろうが、は手をつけることすらしなかった。
 申し訳ないと思ったし何度か食べなくてはと思ったのだが、どうしてもフォークが空中で止まってしまう。団長と恋人はちらちらフォークの行方を気にしていたが、結局ハムを差すことなく下された食器に何度も失望していた。
 やがて無言の催促は食卓から消え、は一人だけ献立の違う食事を食べるようになった。
 それでもほぼ必ず同席し、慣れない環境や言語に気を配ってくれていた彼らの優しさが、応えられないには辛かったのだ。

 「Hm…体質的なもんか?」
 「No 違うよ」
 「Ah?」

 思いがけない否定に、政宗は鼻白んだ。

 「小さい頃は、普通に食べてたもん。食べられなくなったのは、おかあさんが死んでから」
 「Oh……まずかったか?」
 「No 俺、おかあさんすきだもん。話せるのはうれしい」

 一分の迷いも衒いもなく言い切ったの笑顔から、政宗は顔を背けて酒を呷った。
 やや辛めの液体が喉を通りぬけていく。喉を焼いた風味が心地よいものに感じられなくて、政宗は小さく舌打ちをした。
 政宗は、母親と折り合いが良くない。
 父輝宗が死に、出家して今は保春院と名乗っているが、最上の方と呼ばれていた時の彼女は病で右目を失った幼い政宗を突き放し、彼を亡きものとして家督を弟小次郎に継がせるため、毒を盛ることすらしてのけた。幸いにして命を拾った政宗であるが、そのようなことがあった母を慕い続けるのはどだい無理な話だった。
 だから、心底嬉しそうに母を語るに同調してやるなど到底不可能だ。

 しかし意外にも、はそれ以上母の話をすることはなかった。
 自身と比べてしまうため幸せな母子話など聞きたいわけではなかったが、これには政宗も拍子抜けである。

 「話さないのか?」
 「なんで?」
 「母親が好きなんだろう」

 ガキみてぇ。
 言外に嗤ってやると、敏感に察した少年は頬を膨らませた。

 「すきなんだからいいだろ! だって、いっぱいあいしてくれてしあわせだったんだから」
 「そうかよ」

 吐き捨てて、また酒を呷る。
 自分から振った話題だが、不愉快になるのは止めようがない。くそ、墓穴を掘った。
 しっかりばっちり惚気てくれたは、そんな政宗の様子に気を良くしたのかけたけたと笑い、

 「俺は母子家庭だったからねー。余計なんだよ」
 「Ha! 随分甘やかされてたんじゃねえか?」
 「まあね。おとうさんは六歳の時死んじゃったからよく覚えてないんだけど、らぶらぶだったらしくて、おかあさんはおとうさんがいた時そのまんまのしあわせを守ってくれたんだよ」

 はそう言って、満月の浮かんだ酒を飲み干した。
 酒の与える酩酊感と過去の幸福感を重ね合わせる。もうどこにもない、母の死と共に冥界へ去った家庭。
 この世にひとりぼっち残されてしまったのだと知った瞬間の絶望は暗い淵よりもなお深く、正直どうして後を追わなかったのか今でも不思議だ。母が永遠に去った日の記憶は無声映画のように現実感が無い。覚えているわずかな音声は今でも耳の底にこびりついている。
 そういえば、あの日もどこかの草むらで虫が鳴いていたっけ。

 母子二人だけの世界を聞かされてふてくされていた政宗は、ふと違和感を感じて自分の杯に並々とおかわりを注いでいる道化師を見た。
 その笑顔に悲しみは少しも混じっていない。ただ彼は在りし日の幸せを愛しんでいる。

 (そうだ)

 在りし日だ。
 結局が愛されていたといってもそれは過去のことであり、今現在の彼はたった一人で漂泊しているのだ。
 にかけられた忍の嫌疑は晴れていない。こうして共に酒を飲む政宗でさえ、いや政宗だからこそ、彼の素性を疑い続けている。
 何しろ彼は怪しすぎるのだ。

 信玄直々の要請とはいえ、そのお墨付きすら疑ってしまうほどには得体がしれない。
 家族にまつわる記憶はあるが場所にまつわる記憶はないから出身地不明。
 異国へ渡った方法は船と言っていたが(は飛行機を船と誤魔化した)詳しい船名、時期は不明。
 どんな生活を送っていたかについても、異国の生活なので判断材料に乏しく正確な判断を下せない。
 しかし異国にいたことは本当らしく政宗の異国語にも平然と対応する。

 人並み以上に聡いようだから、は己の置かれた位置もかけられる疑いも承知しているようである。
 そんな中でも笑うことのできる彼であるが、こうして語る過去に比べたらその幸せは月とスッポンだろう。

 しかし不思議なことに、

 (気のせい、か?)

 政宗は、うわ言のように再び「しあわせだったよ」と呟いた少年の横顔に、何かがよぎった気がした。
 それは彼の知っているものであるようで、知らないものであるようだった。
 その何かは捕まえようとした政宗の手をすり抜け、蒼闇の中に溶けてしまった。
 納得のできない不愉快さが腹の一点に生じる。

 (もしかしたら、この話は全部嘘か?)

 不可解は政宗の勘が捕らえた齟齬だ。それを吟味し、突き詰めることで身を守ってきた政宗は自身の勘にそれなりの信頼を置いていたので、すぐさまの言動を吟味し直す。
 しかし、何かひっかかりはあるものの彼の話は嘘であるとは思い難く、結局政宗は眉を寄せるだけで結論を保留した。

 「マサムネ?」
 「Ah?」
 「黙っちゃって、どうしたの?」
 「………アンタのガキっぽさに呆れてんだよ」
 「の?! ほっとけ!」

 おかあさんをあいすることがガキっぽいんだったらガキでいいやいとぶつくさ言うは本当にガキっぽい。
 彼の拗ねた表情を政宗は喉の奥で笑ったが、不意に笑いを収めて母親が好きな天涯孤独の少年に聞いた。

 「聞かねぇのか」
 「何をさ?!」
 「俺の、家族のこと」

 母親とは言えなかった。
 きょとんとした視線を受け止められず、政宗は苦々しい舌打ちと共に一つしかない眼を夜に放る。
 中天にかかった月が照らす田園が見えた。彼が治める地。母が奪おうとし、父から受け継いだ所領。

 (何を言ってんだ、俺は!)

 家族のことなど、言うつもりはなかったのだ。
 がそれを失っていようが、語ろうが、政宗が同じ話を返してやる必要はどこにもない。
 更に、政宗と母との確執は伊達家では有名な話であり、かつ公然の秘密でもあるので口にされることはほとんどなかった。
 それは問題であると同時に政宗の傷でもあり、彼にはわざわざ弱点を曝すなどという自虐趣味はないので、必要以外で自分から話題にしたこともないのだ。
 それとも、自分はこの一人ぼっちの少年と不幸比べでもするつもりなのか。
 お前は家族を失ったが、自分は己を産み落とした母にさえ拒絶されたとでも言うつもりか。
 傷比べなど、見苦しいだけだというのに!
 第一、それで勝ったとしてどうするつもりだ。勝利感でも得るつもりか。いじましい。

 政宗は臍を噛む思いだった。
 もし時間を遡れるなら、数秒前の自分をぶん殴ってでもあの発言をなかったことにしてしまいたい。
 はしばらく沈黙しており、その凝視と静寂に耐えられなくなった政宗が忘れろと口を開きかけた時、

 「だって聞くまでもないじゃん」
 (………?!)

 何を馬鹿なことをとでも言いたげに放たれた言葉に、政宗は体の内側がざわつくのを感じた。
 それは断じて良い感情ではなく、軽く言い捨てられた言葉へのがむしゃらな反発であり、憎悪にも似た衝動だった。
 しかし、一瞬で感情を沸騰させた政宗を正気付けるように、笑顔の孤児は言う。

 「マサムネ、あいされてるもの」
 「………What?」
 「コジューローとかシゲザネとかさ、モトノブも族っぽい兄さんたちも、皆これでもかってくらいマサムネがだいすきで、マサムネも皆がだいすきでしょ? あんなに笑ってたもんね」
 「…………Ahー」

 潮のように、怒りは引いて行った。
 代わりに拍子抜けしたような虚脱感が胸を占める。
 気の抜けた声で適当な返事を返した政宗は、怒りの燃えカスのようなやりきれない苦さと小さな安堵を味わって眉を寄せた。
 安堵は家族から微妙にそらされた答えであったことから来るもので、その女々しい己の反応を政宗は大いに嫌った。
 しかし、同時に芽生えた残念さに戸惑う。
 どういうことだ俺。あのまま家族に矛先を向けていて欲しかったといのか。冗談じゃない、そんな話俺はしたくないんだ!

 二律背反な己を滅殺しようとあがく政宗は、いらいらと八つ当たりの対象を探したが見つからず、苛立ち紛れに杯を投げて徳利を呷った。

 「ぎゃっ?! What are you doing?!」
 「っは、残念だな、もう残ってないぜ。You see?」
 「ずるい! ずるいずるいずるい!」
 「Ha! 何とでも言え、もともとこれは俺の酒だ!」
 「横暴―!」

 ひどく悔しそうなの表情に胸がせいせいして、政宗は破顔した。

 (酒のせいだ)

 そうだそうに違いない。
 ふと閃いた思いつきを軽口と不可解な心理の原因と断定して、政宗は精神安定を図る。
 逃避のための口実は、それ以外に目ぼしいものがなかったのだ。
 政宗の挑発に面白いように乗ってくるも、彼の逃避を促進した。

 「大体アンタ、そんなhoney faceで酒の味なんかわかんのか?!」
 「わかるよ! 伊達に海渡っちゃいないさ、絶対お前より強いもん!」
 「Ha! どうだかな!」
 「なにを?!」
 「やるか?!」
 「お二人とも、何をなさっておいでで……?」
 「「……………!!」」

 突如わりこんだ野太い声に、二人は音を立てて固まった。
 ぎりぎりぎり、油の切れたブリキ人形のように恐る恐る振り返るとそこには、

 「こっこここっこっこっこっ……!」
 「へ、Hey 小十郎、こ、こんな夜中にどうしたんだ?」
 「屋根の上が騒がしかったものですから、賊でも侵入したのかと思いましてね……。さて、政宗様、

 般若が笑った。
 政宗との背に冷たい汗が滝のように流れる。

 「その杯と徳利……たっぷり、説明していただかねェとならないようだな………!」
 「ひ、ヒィィィィ!」
 「逃げろ! 足元気ぃつけろよ!」
 「待てこの悪餓鬼どもォ!」

 秋の夜は、長く響く悲鳴など知ったこっちゃないとばかりに美しく、傾き始めた月は女の肌に似てどこまでも白い。


よし中学生度を上げていこう笑
政宗と夢主は喧嘩友達的な感覚アリ
080317 J

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