正直に白状しようと思う。


 泣きそうなくらい、怖かった。


 ただでさえ毛髪の危機でプレッシャーを感じていたのだ。
 一人っきりのサーカスは不便だし盛り上げるのも大変だった、それでも一応見れるものにはなっていたと思う。
 それを、最後の最後、軟体業+ジャグリングから繋げたパントマイムの最中に、物凄い勢いで人が突っ込んできたのだ。
 悲鳴を上げなかった自分を褒め称えたい。
 暴走族みたいな半裸の青年のタックルを見事避け、演技を続けられた功績は花丸だけじゃたりない。葉っぱも描いていいんじゃないか。

 だがまあ、青年が何を考えて突っ込んできたかは薄々理解できた。
 なので、お礼のつもりで頬にキス。は役になりきっていた。
 ついでに彼の行動を演技に組み込ませてもらう。

 結果として単独公演は大成功を収めたわけだが、背後で上がった絶叫にが鼓膜をやられたのは言うまでもない。










 1 / 2 のクラウン! Tre : Piacere ! (初めまして!)〜 そして始まる誤解 〜









 本来嬉しいはずの拍手喝采の中心では悶えていた。
 両手で両耳を塞ぎ、ぬおおぉと呻く。
 閾値を5倍はぶっとんだ適刺激は強烈だった。
 蹲った視界に賽銭よろしく見物料がちゃりんちゃりんと投げられる。
 見ようによっては、亀のように防御の体勢を取ったに小銭を投げつけているようだ。
 もしくは、この状態で這い蹲って代金を拾えとでもいうのか。


 なんだそれは。新手のいじめか。

 の精神は見事に荒んでいた。


 精神荒廃の原因になった青年は背後でまだ何か叫んでいる。
 いい加減耳とか頭に響くからやめてほしい。

 なんとなくうさんくさい笑顔の茶髪が半裸の青年をなだめているようだ。
 しかし悲しいかなその人が一言話すたびに半裸が三言返すので、一向に騒音は鳴り止まない。
 あんまりだ。殴りたい。

 やがて半裸の騒音との耳鳴りが収まってきた頃には拍手も人だかりも消えていた。
 気の毒そうに、そのくせ面白そうに見物料をはずんでくれたおっちゃんたちは「強く生きろよ」と励ましてくれたので、どうやら髪は剃らなくていいらしい。
 まだ少しくらくらする頭を抱えて集めた貨幣は結構な量があったので、の一石二鳥の大博打は成功したと言っていいだろう。
 心底安堵していると、背後から遠慮がちな声がかかった。
 振り返ると例の半裸である。まだいたのか、声には出さずそう思う。

 「何ですか?」
 「申し訳ござらぬ!!」
 半裸は物凄い勢いで頭を地面に擦り付けた。
 え、なんだこれ、もしかしてこれが土下座ってやつ?!
 ステロタイプに土下座なんてする人間を始めて見たはぽかんと半裸を見つめた。

 「せ、拙者なんとお詫びしたらよいのか……! 芸の邪魔をして、あまつ、あまつ……うわあああ破廉恥でござるお館さむああぁああああ!」
 「ちょっと旦那落ち着いて!」
 「ぎゃあああにーさんその半裸黙らせて俺のか弱い鼓膜が破れるうぅ!」

 大音量のバックミュージック鳴り響くサーカスで育ったの鼓膜が軟弱なはずがない。
 けれども、信じがたいことにこの半裸は、その声帯一つで、いくつものスピーカーを超えてみせた。
 叫び続ける半裸を平然と押さえ込める茶髪は、実は凄いんじゃないだろうか。
 全く羨ましいとは思わないけれども。





 ようやく落ち着いた半裸は暴走族の特攻隊長のような格好をしているくせに、やけに礼儀正しかった。

 「拙者は真田幸村と申す者でござる。こっちは猿飛佐助と申す。先ほどの芸、見事でござった!」
 「どもー」
 「Piacere(はじめまして)、です。毎度ごひいきに!」
 「ぴあ…? 殿は異国語を話すのでござるか?」
 「異国…そりゃまた古い言い回しを……イタリア語ですよー」
 「いたりあ……?」
 「の旦那の故郷? 聞いたことないな、どの辺りにあるの?」

 本気で首を傾げる幸村と佐助には打ちひしがれた。

 そりゃあアメリカやら中国やらと比べたら知名度は低いかもしんないけど!
 まさか聞いたことがないとまで言われるとは思わなかった!

 第二の故郷のように思っていた国の意外な認知度の低さに愕然とする。
 イタリアっていえばパスタで! ピザで! ヴェネツィアで! ローマで! ヘタレで! ママン!

 「Mamma mia……!!(なんてこと……!!)」
 「まんま…?」
 「ほら幼児語なんて話してないで。あんた大人でしょ」
 「その“まんま”じゃない……! イタリアはヨーロッパの一国だよ、アドリア海の真珠さ。飛ぶ豚の国だ!」
 「ぶ、豚が飛ぶのでござるか?!」
 「そうだよ豚だってやればできるんだ、なんせ飛ばない豚はただの豚だもん!」
 「ただの豚って、それ以外に豚がいるもんかね」
 「いるんだよ、煙草スーパッパでワイン一気飲みする伊達男が!」


 その瞬間、幸村と佐助の目が僅かに眇められた。


 「………殿は、奥州の出身でござるか?」
 「オウシュウ? ……ああ、欧州か。うん、12歳からだけど、故郷のように思ってる」
 「の旦那はその故郷、イタリアだっけ、そこ好き?」
 「あったりきよー! 長短色々あるけど、それひっくるめてあいしてる!」

 は輝くような笑顔で全肯定した。
 幸村は彼の郷土愛に共感するものを感じたが、佐助と小声で相談する。
 奥州の独眼竜は宿敵なのだ。
 …………日本語とは、かくもややこしいものである。

 (旦那、どうする? 捕まえよっか?)
 (いや…、まだ伊達の忍と決まったわけではあるまい)
 (確かに忍にしてはあけすけすぎるけどね。でも、あの身のこなしは常人じゃないよ?)
 (奥州の芸人とは考えられんか)
 (ただの芸人が旦那の突進を避ける?)
 (むむっ。……しかし佐助、拙者には殿が忍とは思えんのだ)
 (俺様もそう思うけど……。でも、忍だったら放っておけないよねぇ)
 (だが、確証もないのに捕まえるわけにもいくまい。ここはお館様の国、拙者がお館様の顔に泥を塗るわけにはいかん)
 (……はあ。しかたないなあ。俺様が見張ればいいんでしょ)
 (おお! そうしてくれるか、佐助!)
 (………旦那、いやに嬉しそうだね。ひょっとしてまた曲芸が見たいの?)
 (いや、その、は、破廉恥でござる!)
 (………………)

 「どしたの、2人とも?」
 「破廉恥!」
 「あ?」
 「何でもないよの旦那。ほら旦那、しっかりしてよ。頭大丈夫?」
 「ぬぅ…。ところで殿、この後はどうなされるのか?」
 「ああ、お金ももらったし、宿でも探そっかな」
 「の旦那、やっぱり旅芸人なんだ?」

 佐助はにわからないように幸村の脇腹を突いた。
 熱血のあとにバカがつく男だが、彼の頭は血の巡りが悪い方ではない。
 幸村は、嘘をつくのは下手だ。
 だが、「嘘ではない」話ならばきちんとできる。………ここまで来るのに多大な苦労を払ったが。主に佐助が。

 「殿、それならば拙者の館に泊まってくださらんか? 拙者、また殿の曲芸を見たいのだ」
 「え、ユキムラってひょっとしていいとこの坊ちゃん? パパ候補?」
 「ぱぱが何かは知らないけど、旦那は武田の武将だよ。金持ちもいいとこ」
 「うおぅ! じゃ、俺ってばオファーされてる? 雇い主?」
 「雇用などではなく、拙者に招かれてほしいでござる」
 「うぇ〜、残念……! でも、招くって…泊まらせてくれるのはありがたいけど」
 「それじゃあ躊躇うことないじゃん、おいでよの旦那」

 熱心な誘いを受けては考え込んだ。
 幸村の申し出はありがたいことこの上ない。しかし、芸人一匹、生計は己が腕にかかっているのだ。
 うっかりまずい契約を結んでしまってはえらいことだ。
 招待ならば、飯はつくのかつかぬのか、報酬は、仕事は、期間は、その他束縛は。

 の細々とした質問に幸村はどんぶりで答えた。

 「佐助にまかせた!」
 「俺様?!」

 がくりと肩を落とした佐助はそれでも気丈に好条件を掲示し、ならばとはその招待を受けることにした。

 「やあ、サスケは中々のエチゴヤだな!」
 「上杉に降った覚えは無いよ」










 機嫌のいい幸村とどことなくうさんくさい笑顔の佐助に挟まれて、は現代日本とは思えないカントリーロードを歩いていた。
 思わず耳をすませてみるが猫の声は聞こえない。
 代わりに聞こえてきたのは「よう田吾作どん」「いい日じゃったのう権兵衛どん」などという郷愁を誘う和やかトークである。
 カールの親父を連想したのは内緒だ。

 「しっかし、奥州の竜を豚とは凄い例えをしたもんだね」

 佐助の脳裏にやたら派手な青男が浮かぶ。
 顔が青いのならまだ可愛げもあるが、奴の顔は青いどころか悪人面だ。可愛げもへったくれもない。
 だが、豚とまで放言したのは佐助の知る限り初めてだ。
 は故郷の奥州を愛していると宣言したが、それならばその筆頭をここまで悪し様に罵るのはいかがなものか。
 もし彼が忍であるならば尚更である。
 …………誤解とはえてして広がっていくものだ。

 「んん? だって豚は豚じゃん。色男で女泣かせのマルコ! 見事なイタリア男だよ」
 「「(まるこ……?)」」

 この瞬間、一人と二人の思考には恐ろしいほどの距離ができた。
 それは、後の更なる絶望的誤解への第一歩だったのだ。主に奥州の独眼竜にとって。


 そのときの頭に浮かんだのは、おかっぱ頭と赤いスカートがトレードマークの、某国民的人気アニメの主人公である。
 ぴーひゃらぴーひゃら、テーマソングも賑やかに愉快な仲間たちが踊る。まるでサーカスのようだ。
 はそのまま、煌びやかなスカートを翻す艶やかなダンサー姐さんたちを連想した。
 弧を描いた口紅も、なまめかしい脚も刺激的な記憶である。


 そのとき幸村と佐助の頭に浮かんだのは、幸か不幸かおまるである。
 豚=独眼竜と思い込んでいる二人の頭に、おまるに乗ったガラの悪い青男が浮かぶ。「Are you ready?」。………むしろそっちが大丈夫か。
 幸村は吐き気を覚えて口を押さえた。彼はその独眼竜の好敵手なのだ。
 この時ほどその肩書きを返上したかったことはないと、彼は後に語った。
 佐助の唇はつりあがったまま痙攣した。彼の場合偵察で奥州へ行く機会も多い。
 竜の旦那がおまるに跨っている瞬間を見てしまったらどうしよう。佐助の思いは切実だった。

 本人が知ったら怒髪天を突くだろう想像は、想像だけでも十分な破壊力があった。



 顔面蒼白になった二人の耳に更なる呟きが飛び込んでくる。
 言うまでもなく、脚の記憶に浸ったの独り言だ。

 「スカートってなんであんなに魅力的なんだろう……」

 だってただでさえ女性は綺麗なのに、スカートなんて履いたら魅力三割り増しだ。
 長さや柄で雰囲気さえ変わる理屈を誰か説明してほしい。

 うっとりした呟き。
 おまるショックで気力が削がれてはいたが、聞き流すわけにもいかない佐助が質問する。
 何しろはスパイ容疑者だ。
 そうでなくても、情報源だ。
 …………おまるは聞きたくなかったが。

 「あのさ、スカートって何?」
 「そんな永遠の謎を聞かれたって俺照れちゃう……!」

 ロングかミニかでいえばミニの方が好きだけど、見えそうで見えない丈も好きだが、膝小僧がチラ見できる丈が一番お気に入りだけれどもっ。
 心の中で絶叫するが、そんなこと口が裂けても言えやしない。
 幸村じゃないが破廉恥だ。
 いくら思っていても口に出したらオヤジか変態かエロだ。
 …………、日本生まれイタリア育ち。
 青春真っ只中の17歳だった。
 

 は頬を真っ赤にして、そのくせひくひくと唇がつりあがっていた。
 非常に気持ち悪い笑顔だ。
 しかし恥じ入っているのは本当だった。
 実際のところ言いたくて語りたくて仕方がないのだが、若い羞恥が歯止めをかけているのだ。
 これがあと二、三年もすればストッパーなど消えてなくなる。晴れて大人の仲間入りだ。

 と同年の幸村はおまるショックからまだ立ち直れずにいたが、大人であるところの佐助はの反応を観察し、心の帳面に墨痕鮮やかに書き込んだ。


 ・奥州筆頭伊達政宗
  人様に言えない恥ずかしい趣味があるらしい。



 合掌。


政宗(not妄想)の登場はまだずっと先です
世の中広しといえども、政宗をおまるに跨らせたのはウチだけだろうな笑
080124 J

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