奥州筆頭という地位が自分にもたらすものを、政宗はよく理解していた。
 尊敬、畏怖、媚、憎悪、警戒……家督を継ぐ前、梵天丸であったころからそれらは向けられていたのだ。
 だから、それらの感情を察知する力は持っている。

 (変な男だ)

 奇しくもが彼に抱いた感想と同じことを思いながら、政宗は優越感とほんの少しの罪悪感をもって目の前で繰り広げられる愁嘆場を見た。
 世界の終わりみたいな表情を浮かべた幸村に、預かることを決めた道化師が別れを告げている。
 いくら幸村とはいえ友人との別離にしては大袈裟すぎる態度は、幸村にとって道化師が友達以上の情を注ぐ相手であることを如実に感じさせた。
 好敵手の意外な嗜好にはいささかショックを受けたが、こればかりは個人の嗜好なので口出しするところではない。
 対して道化師の方はといえば、聞く限りあからさまな「それ系」ワードてんこもりのくせに、幸村と同じ情を持っているわけではなさそうである。
 むしろ、幸村を退けようとする意図さえ感じられる。
 完全に縁を切ろうとしているわけではなく、むしろあいしてるだの何だの言っているくせに、それは奇妙なことだった。

 (媚、は、売っているようだが)

 芸人とは寄る辺のない職業である。
 政宗は、信玄の要請に重ねて自らを売り込んできたに、権力者の庇護を乞うしたたかさを見ている。
 それは真実その通りで、新しい主を政宗と決めた彼が旧い主を捨て、かつ完全には断ち切らないという見苦しさは政宗という権力にすり寄ってくる連中と何ら変わりない。
 それを不快と思う時期はもう過ぎた。
 彼らをうまく使うことが、国を経営するということだからだ。
 事実政宗はの語学と芸能に価値を見出して、彼らを採用するのと同じようにを採用したのだ。
 だが、と政宗は思う。

 (何かわからねぇが、変な感じだ)

 それはが忍かもしれないという疑念に沿うものではなく、ただ漠然と、と彼らを同列に叙すことへの異和感だけが付きまとう。
 その正体を政宗は掴むことができなかったが、何故だか知っているもののような気がしていた。











 1 / 2 のクラウン! Ventisei : 一に喧嘩二に喧嘩、三四は酒で、五に野菜









 惨憺たる死体置場の様相を呈した二日酔いの朝は過ぎ、信玄たちは、解剖用のカエルのようにヤケ酒で酔って伸びた幸村を連れて帰っていった。
 つわものどもが夢のあと。
 床に這いつくばったは夢の島のような空気の中でそう思う。宴会場となった広間はあれっきり閉め切られていて、酒やら料理やら野郎どもの体臭やらが醸造された物凄い臭いを醸している。翌日にでもさっさと掃除して空気を入れ替えればよかったのだが、は政宗に頼み込んでそこを封鎖してもらった。
 別に開かずの部屋を作りたかったわけではない。
 気が狂ったわけでもない。
 ましてや生ごみの山も裸足で逃げだす臭いが好きだとかそんな変態的な理由でもない。もしそんな奴がいるなら、真夏の野球部の靴下か水泳部の海パンでも集めて部屋に閉じ込めてやろうと思う。

 しかし、最初は断固掃除を主張していた女中たちが最早近寄ることさえせず、結局として広間が開かずの間と化したことは確かだった。
 悪いことをした、と思う。
 だがそれも今日までだ。カリッと床をひっかいて目的のものを剥がし取ると、は額の汗を拭う。
 目的さえ達すれば、悪臭は腕によりをかけて叩き出してやる。掃除をさせろと青筋を立てた案外綺麗好きな政宗と、ほんの二日で終わるそうしたら自分で掃除するからとの約束もある。

 「殿、調子はどうですか」
 「あと十枚くらいで終わり!」

 悪臭漂う部屋の外側から、玲瓏とした声がかけられた。

 「そうですか。どうやら期限に間に合いそうですね」
 「Si! モトノブのおかげだ!」
 「いいえ。私はあなたの心意気に感じ入っただけですよ。―――殿にも見習っていただきたいものです」

 ぼそっと低められた声は彼の本心だろう。

 勘定方鈴木元信。伊達軍の財布。

 彼は宴会が終わるごとに散財気味な政宗に説教することで有名だった。
 曰く、士気を高めたり戦功を称えたり親睦を図るのは結構なことだが、どうせ騒ぐだけなら何故わざわざ高い酒を集めてそれをあろうことか飲み比べなんぞに使うのか。そんなに肝臓を誇りたいなら切腹でもして取り出して大きさ比べでもしてしまえ、吸収効率を比べたいなら水でも飲んでいるがいい、毛ほども味わっていないのならば高い酒など無用、さあ水を飲めさあさあさあ。文句はこの帳簿を見てから言うがいい、何故宴会のためにわざわざ、わーざーわーざ工面した資金から足が出るかよく見てみろ。なんだこの追加欄は。読めん? ならば読んでやろう酒だ酒。さ・け。ただでさえ勃発する喧嘩で改修費用がかかるというのに、しかもその半数以上に殿が率先して絡むというのに! これ以上の支出をどうお考えですか逃げるなこの野郎その肝売って金に換えるぞ何大丈夫若いんだから。臓器の一つ二つなくなっても生きていけるさ若いんだから。いっそその肝臓半分売るというのはどうだそうしたら酒への出費が減るかもしれない。

 もはや脅しである。
 ともかくそんな元信だから、案の定足が出た先の宴会に関して苦言を呈しようと、二日酔いで唸る政宗のもとへ翌日早々に向かったのである。
 すると、そこで感動的な主張を聞いた。

 『あぁ?! 広間を掃除するなって? 臭いがこもるだろうが何言ってんだ!……ぉぇ、いづづづづづづ』
 『それはわかってるよ俺が掃除するから! お願い、あの部屋には演出に使った紙吹雪が落ちてるんだ! あれを回収させてくれ、使い捨てなんてもったいなくて俺にはできない!』
 『て、てめ大声出すな……! んなこと言ったって、物凄い枚数だろう。ちまちま拾うっていうのかよ』
 『Naturalmente(もちろん)! 拾う! 一枚一枚拾って、汚れたやつは仕方ないけど、使えるやつはリサイクルするんだ』
 『Are you sure? どんくらいかかると思ってるんだ?!』
 『私は彼に賛成ですぞ殿―――っ!!』
 『げっ! 元信!』
 『感動しました感激しました彼のもったいない精神こそ伊達軍に足りなかったものです反省しなさい!』
 『ほらほらマサムネこの、えーとモトノブ? もこう言ってることだしお願い!』
 『認めますよね? 認めますよね? 認めないと次の宴会資金はびた一文出しませんよ!』
 『て、てめぇらこの卑怯者―――!』

 こうして半泣きの政宗から許可をもぎ取り、は床に落ちたり挟まったりしている紙吹雪の回収を始めたのである。
 しかし元信が回収を手伝ったかというとそうでもなくて、作業はただひたすらに孤独なものだった。
 はそれを恨むでもなく鼻歌交じりに回収を続け、最後の一枚を剥がし取る。

 「Complimente(完了)! 終わったー!」
 「ご苦労様です。掃除用具は廊下に用意してありますよ」
 「Grazie(ありがとう)! ふっふー、結構リサイクル可能だったv」
 「………アンタ、うまいこと使われてねぇか?」
 「殿」
 「おー、マサムネいたの?」

 健気に悪臭を堰き止める襖の向こうで、政宗はいわく言い難い顔をした。
 に同調したくせに一切手伝おうとしない元信も元信だが、全く気にする様子もないである。
 取り入ろうとしているのだろうか、そんな考えが頭を掠めたが、この財布の紐は生半なことでは陥落しない男だ。そんな試みは徒労に近い。
 それをあの道化師が気付いているかどうかはともかくとして、政宗は元信の罪悪感など欠片もない笑顔を黙殺する。

 「俺は元信に用があんだよ」
 「私にですか? でしたら、わざわざお越しになられなくても参りましたのに」
 「ついでに道化師の様子を見に来たんだよ。おい、ちゃんと掃除はできるんだろうな?」
 「Si! 今換気してるよ。………あ、鳥が落ちた。カラスかな?」
 「…………なんでアンタは平気なんだ?」
 「ふっ」
 「いや『ふっ』じゃねーよ」
 「でも換気にはもっと風の通り道を作らないとねー。マサムネ、そっちの襖開けていい?」
 「No! Stop! 絶対開けるな!」

 政宗は思わず両手で襖を押さえた。
 一体どんな有毒ガスが発生しているというのか。
 やっぱり有無を言わさず掃除すればよかった。
 すぐに襖を開けようとする力が伝わってきて、全力をその阻止に傾注する。

 「わ、ちょっと何すんの!」
 「Shut up! 俺には奥州を守るduty(義務)がある!」
 「Me too! I promised you to clean this room up!(俺だってそうだ! 俺はこの部屋を掃除するってお前に約束したんだ!)」
 「I know that!(んなこたわかってる!)」
 「So why do you prevent me from cleaning ?! I have to ventilate this room and I need cleaning equipments!(じゃあなんで邪魔するんだよ?! 俺はこの部屋を換気しなきゃいけないの、掃除用具がいるの!)」
 「Make out with spirit!(気合で何とかしろ!)」
 「It’s impossible!(無理だってば!)」
 「殿、殿、怒鳴り合うのは構いませんがその襖壊さないでください。高いですよ」
 「「I’m sorry」」

 鶴の一声で同時に襖から手を離し、これまた同時に異口同音。
 マサムネってオトノサマなのにヒエラルキー低くないか? とは思った。

 「ところで殿、私に用とは…?」
 「Oh,忘れてたぜ。元信、これはどういう了見だ?」
 「これ…とは」

 薄っぺらい紙を突きつけ、政宗は凄んだ。
 対する元信は妙な顔をする。一体なぜこんな書類が突きつけられているのかわからない。
 書類には、事細かに書かれた近未来が載っている。
 具体的に言うとそれはこの先一ヶ月の内容で、一日一日午前と午後に分けて丁寧に書いてあった。
 一言で言うとそれは、

 「殿、何故勘定方の私が献立表を突きつけられねばならんのです」

 金勘定が趣味で死ぬ時は墓にソロバンを埋めてもらおうと決めている元信なので、きんぴらごぼうとか長ネギのみそ焼きとかを鼻に突き合わされるのは非常に不本意だ。
 伊達軍勘定方鈴木元信。自他共に認める守銭奴で、好物はくりきんとん。理由は金に似てるから。

 「嫌いなものでもありましたか? それなら賄い方へ行くべきです」
 「もう行った! それに好き嫌いで野菜を残せるか、小十郎に殺される!」
 「片倉殿は本当に忠臣ですね。あんな偏食のガキだった殿を好き嫌いしないように調教するなんて」
 (………やっぱりマサムネって扱い軽いなぁ………)

 襖一枚隔てたところで、はなんとなく伊達軍のヒエラルキーを感じ取る。
 ちなみに彼は極度の偏食で、魚か野菜しか食べない。好物は自作の保存食。
 おかげでイタリアでは苦労した。ヨーロッパは大体が肉食文化だ。

 「Shut up! いいか元信、俺が聞きたいのは、どうして野菜しかないのか、ってことだ! 肉も魚も無ぇじゃねぇか!」
 「煮豆と卵焼きが入ってるから大丈夫でしょう」
 「No! 畑の肉じゃ物足りねぇ、こちとら成長期の青少年だ! 動物性タンパク質をよこせ!」
 「……マサムネって何歳?」
 「十九だ!」
 「Are sure?!(マジで?!) 絶対嘘だ!」 
 「ァンだとてめぇ?! そういうお前はいくつだよ?!」
 「十七だ!」
 「Are sure?! そっちのが嘘じゃねぇのか?!」
 「嘘じゃねーよユキムラと比べてみろ!」
 「Ah……sorry, 俺が悪かった」
 「わかればいいよ」

 今は甲斐にいるであろう幸村に大変失礼な結論で、二人の舌戦はとりあえず収まった。

 「殿に更なる調教が必要なのはよくわかりました」
 「………俺よく知らないけど、エイヨウガク的には正しいんじゃない?」
 「Good job !」
 「お黙りなさい殿、殿がつけ上がりますよ。―――殿、何を泣いているのです情けない。正座」
 「うう…」
 (え?! マサムネ、本当に正座してるわけ?!)

 襖で隔てられたは、笑うべきか同情するべきか困惑した。
 仮にも一国の主が正座。

 「それで、殿は何故私に食事のことを詰め寄るのです」
 「……賄い方に文句言いに行ったら、元信が食費を切り詰めるよう指示したと聞いたんだ」
 「ああ、確かに指示しましたね」
 「っ、いくらなんでも、魚くらいは食わせてくれたっていいじゃねぇか?! 秋刀魚を楽しみにしてたんだぞ俺は!」
 「殿、立ち上がらない。いいじゃないですか、季節は秋。今年は豊作でしたし、山の味覚を楽しめば。キノコもありますよ。マツタケもありましたねぇ、近くの山に生えてましたから」
 「マツタケは楽しみだが! 秋刀魚! 牡丹鍋! 雁! Give me meat!(肉をくれ!)」
 「殿は野菜はお厭ですか?」
 「好きだが、俺は野菜より肉派だ! 俺は竜、兎じゃねぇ!」
 「「ちょっと待てコラァァァ!!」」

 どだだだだだ、がらっ!
 廊下を重く素早い足音が駆け、勢いよく襖が開けられる。

 「政宗様、好き嫌いは許しませんぞ!」
 「ベジ●タをなめるなマサムネー!」
 「げっ、小十郎…と襖を開けるなーっ! うごぇええええ、何だよこのbad smellはっ」

 思わず地に伏した政宗を囲むように、たくましい脚と細い脚が仁王立ちする。
 ふと見れば元信は安全圏に退避していた。
 風通しの関係で部屋の悪臭が漂ってこないところに悠々と立っている。なんだか見下されているように思えるのは気のせいか。
 元信は涼しい顔で言ってのける。

 「政宗様は言っても聞かないので、宴会資金による赤字分は食費から調達することにしました」
 「てめっ…! 兵糧は何よりも大事なんだぞ?!」
 「ええ、ですから兵糧には手をつけず、普段の食費を切り詰めることにしたのです」

 幸い奥州も片倉殿の畑も豊作で、おいしい野菜が肉より安く手に入りますから。
 でも、殿が野菜を食べたくないとは困りましたねぇ。偏食は治ってないようです。
 しゃあしゃあと述べ、わざとらしい溜息までついた元信に、政宗は顔を青くした。やめろこれ以上煽るな。
 案の定煽られまくった二人が背後に炎を背負って食ってかかる。

 「あれほどもったいないお化けが出ると脅したのに、まだたりませぬか!」
 「It’s enough!(もう十分だ!) それに恐怖はお化けじゃねぇよ、お前の刀だ!」
 「野菜は体にいいんだぞ。ビタミン、食物繊維、無機質、カロテン! 肉に健康が救えるか!」
 「I know already!(とっくに知ってる!)肉にだって栄養素はあるぞ!」
 「Stai zitto!(黙れ!)」
 「What mean it is?!(なんて意味だそりゃ?!)」
 「口応えは許しませんぞ、政宗様!」

 こんな調子である。
 と小十郎は散々説教を垂れ、政宗は正座して耐える。理不尽だ。
 政宗の脚から感覚が消え果てた頃、はふっと溜息をついた。

 「野菜料理はあんなにうまいのに、なんで肉の方がいいかなぁ」

 理解できないと嘆く。
 小十郎は同志を見る目で「ほう」と見直した声を上げたが、政宗は黙ってはいられない。

 「Ah? 肉の方がうまいだろう。口内に迸る肉汁、香ばしい匂い…!」
 「俺はそんなのより野菜の方が好きだ!」
 「Ha! かわいそうなこったな、肉のうまみがわからねぇなんて」
 「何おぅ?! マサムネこそ、野菜の真髄を知らねーなんてかわいそうだな」
 「やるか?!」
 「お前こそ!」

 二人の間に火花が散った。
 足が痺れて動けない政宗は、上半身だけを威勢よくひねり、

 「小十郎! 皆を集めろ!」
 「今度は何をなさるおつもりですか」

 乱入者にして当事者の一人であったくせに傍観を決め込んでいた小十郎の問いかけに、政宗は猛々しい竜の笑みを浮かべた。

 「Show timeだ。Cooking battleとしゃれこもうぜ!」
 「望むところだ!」

 あまりしゃれてはいなかったが、とにかくこうして悲劇の火蓋は切って落とされた。


全国の政宗ファンの皆様ごめんなさい
主人公は政宗と喋る時は英語使用(興奮するとイタリア語)
Are sure?はAre you sure?の若者仕様らしいです
080222 J

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