翌日、は朝っぱらから忙しかった。 まず乾布摩擦を強行しようとする信玄と幸村の魔手から逃れ、朝食の時間になるまで修練に付き合わされないよう天井裏に潜む。いくつか罠が襲ってきたが、辛くも悲鳴を呑みこんでからくり仕掛けを撃滅したのは我ながら偉業だと思う。 やたらうまい野菜中心の朝食を平らげると、伊達家に仕える楽人たちを探し出して打ち合わせ。 その合間を縫って、幽閉中に手慰みで作っていた本番衣装の仕上げをする。まさか使う日が来るとは思っていなかったので、嬉しくて針が進んだ。 maschera(仮面)は無いので、化粧で凌ぐことにする。 ダンサーのお姐様方に鍛えられたメイクの腕があるので、これには大して心配はいらない。化粧品も、ずっと持ち歩いていた鞄に入っている。 しかし、本来なら数週間から数ヵ月かけてやることを半日でするのだ。忙しいことこの上ない。 それでもなんとか夕方までには打ち合わせから舞台設定まで全ての準備を完了し、すきっ腹に幸村のおやつを強奪して流し込んだ。 さあ、いよいよ舞台だ。 気合を入れてから、これがステージデビューになることにはやっと気がついた。 1 / 2 のクラウン! Venticinque : 道化師という没個性 やたらガラの悪い連中が、無礼講という言葉そのままに飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしている。 大騒ぎは嫌いではないものの、武田のピシリとした諸将に慣れている幸村はどこか所在なさを感じた。 半裸で騒ぐ彼らはれっきとした伊達軍の武将であり、ひとたび戦場に出れば一騎当千の兵だ。 しかし、髪を逆立てあるいは腹踊りを披露して、飲み比べの果てに乱闘を始めさらにそれを囃し立てる姿を見ると、ここは本当に伊達軍の宴会場なのかと思えてくる。どこかの族のようだ。 先頭に立って乱闘に加わっていた政宗が小十郎の拳骨を食らい、涙目で乱闘の終了を告げる。 「OK お前ら、盛り上がってるか?!」 「YEAH―――っ!!」 「腹は膨れたか、酒は呑めども呑まれてねぇか?!」 「YEAH―――っ!!」 「らいじょうぶれすぜひっとぉ――!!」 「まらまらいけます―――っ」 「てめぇら、あれほど泥酔はするなと政宗様の達しがあっただろうが!」 「小十郎、構わねえよ。おいお前ら、これから今日のmain dishだ。武田のオッサンが異国の芸人を連れてきたから、そいつの演技を鑑賞するとしようぜ」 ニヤリと肉食獣の笑みを浮かべて、政宗は指を鳴らした。気障な男である。 すると隅に控えていた楽人たちが各々の楽器を奏で始めた。奇妙な旋律だ。 馴染みのない音楽は異国のそれで、好奇心を刺激された武将たちが釣り込まれるように耳を傾ける。 どこか予感めいたものを孕んだ玄妙な音楽を聞くうちに、彼らは奇妙なことに気づいた。 笑い声がする。 それは男とも女ともつかない怪しげなもので、どこか一方向から響いてくるというより耳の中で反響するようだ。 あまりの怪しさに将たちは各々武器を引き寄せて辺りを見回した。 やがて突然、 「Buonasera!(こんばんは!)」 目の前に花が降った。 やはり性別のわからない声が、彼らが普段耳にするものとは違う不思議な響きの異国語を綴る。 大量の花と思ったのは色とりどりの紙吹雪で、それと共に広間の中央に出現した(まさにそれは出現というべきだった)人間の格好に彼らは度肝を抜かれた。 「も、もののけ?!」 が出てくるはずだと知っていた幸村が思わず叫んだ言葉こそ、諸将の心を代弁するものだった。 独眼竜や幸村をはじめ、奇抜な格好をしたいわゆるバサラ者は各地に多い。 けれど、さすがにこんな格好をした人間など古今東西どこにもおるまい。 彼らが見たのは、着物とは根本的な裁断自体が違うとしか思えない奇妙な衣装をまとった生き物だった。 むだにひらひらした裾にはいくつもスパンコールやビーズが縫いとられていて、そんなもの見たこともない彼らにはまるで光を乱反射させて仕立てたように見える。 男らしさも女らしさもあったもんじゃないひたすら派手な布が包むのはこれまた男か女かそもそも性別の存在自体を疑う細っこい体で、片手で掴めそうな首の上に乗っているのはこれまた彼らの常識をすがすがしい笑顔で足蹴にするようなもの。 能面のように色を失くし、目と唇を強調するような化粧が施されているその顔から男女の別を見分けることはできない。 歌舞伎役者のようなそれではなく、細かい幾何学模様が描かれた目元は娘の華やかさを持っているのに、ふとした瞬間の鋭さが少年のようでもある。 今まで見たどんな人間よりも鮮烈に、曖昧に、その道化師はその存在を誇示していた。 それなのにどこか滑稽さを感じるのが不思議といえば不思議だった。 「Amazing(驚いた)……」 登場だけで場の空気を支配した道化師は、小さく笑うとその本領を発揮した。 一体どういう仕掛けになっているのか、惜しげもなく披露される奇術。こちらが悲鳴をあげたくなるほど体を柔軟に操り繰り出される体技。巨大な球の上に差した傘に乗ってナイフ投げを始めた時には、思わず身を引いたほどだ。 いつの間にか、政宗は異国の芸に夢中になっていた。 それは誰しも同じようで、どいつもこいつも、信玄から見慣れているはずの幸村まで固唾をのんで見入っている。宴席を辞退したはずの忍連中が、佐助や黒脛巾さえ隅っこで拍手を送っていた。 広間が感嘆と歓声で埋め尽くされた後、道化師は突然表情を改めて崩れ落ちた。 次は何を披露するのかと目を輝かせて待っていた観客は思わぬ事態に一瞬間抜けな顔を曝し、ついで何が起こったのかと心配顔で席を立とうとする。 しかし、それよりも早く道化師が顔をあげた。 娘の顔だった。 「『ああ、この胸に宿る甘い疼きをなんと伝えたらよいものか!』」 娘の声だった。 「…………?! おいおいおい、あいつ女だったのか?!」 「さ、佐助ぇえ! あれは誰だ、殿か、本当に殿なのか?!」 「落ち着いて旦那、の旦那以外にあんな格好する奴はいないよ! ……それにしても見事な変わり身だね……」 朗々と、大袈裟なほどの動作でソプラノボイスと恋愛真っ只中の娘を演じる道化師は、格好こそあの奇妙奇天烈なものに変わりはなくその目の不思議な隈取さえそのままだというのに、どこからどう見ても可憐な少女以外の何物でもなかった。 雰囲気だけでここまで変わることができるとは、と一応変装名人を自称する佐助は舌を巻いた。 ここにハンカチがあったらぎりぎりくいしばりたい気分である。 ………佐助に女装趣味はない。念のため。 「『おお、我が愛しの明けの明星。そなたの白磁の頬に薔薇の花を咲かせておくれ。春色の頬笑みを、哀れな私に与えておくれ!』」 身を翻し、尻がむず痒くなるようなセリフを大真面目に謳う。 今度はそこまで低音ではないもののはっきりとした男の声音で、中性的な表情は青年のそれに様変わりしている。 衣装も何も変わっていないのに、性別さえ超えた一人劇を始めた道化師は雰囲気を操ることで見事に演じ分けをした。 「…………?!」 「さ、さ、佐助ぇぇえ?!」 「うわー……すごい不思議生物」 口にした瞬間身の置き所がなくなるようなセリフを高らかに謳いあげる道化師。 その演技はとてもうまい、うまいのだけど、そのうまさと真面目さが逆に滑稽で笑えてくる。 そういえばくらうんは客を笑わせることが仕事だと彼は言っていたような。 なるほどそういうことならば、彼の目論見は大成功といえる。 初めこそ唖然としていた観衆は、そこかしこに撒かれた笑いの種に見事にひっかかり、笑いを堪え切れずにいる。 上座の政宗は少し前から断末魔の虫みたいに痙攣し続けているし、信玄などあまりに笑い声が大きすぎてセリフを掻き消しそうになってしまっている。ちらりと見れば、あの小十郎さえ肩を震わせていた。 それもそのはず、演技の類はは得意中の得意なのだ。 普段の観察眼を活かして、喜劇やオペラをパロディ化した筋書きの中にさりげないオマージュまで組み込んでみせる。 どことなく信玄を思わせる登場人物や、真田主従らしき二人組が出てきたのがいい証拠だ。 それは決して本人を馬鹿にするものではなく、その悪魔的な手腕には舌を巻くしかない。 しかも基本的に大仰に演じられているので滑稽さを逃すことはない。 喜劇を楽しんでいた佐助は、ふと幸村の笑い声が聞こえないのに気付いて首を巡らせた。 「旦那……?」 誰も彼もが笑っている中で、幸村は悲しそうに眉を下げていた。 この喜劇のどこに悲しむ要素があるのかわからなくて、佐助は彼の傍に寄った。 「旦那は楽しくないの?」 「……面白い。だが佐助、あそこには殿がおらぬ」 幸村は目を瞬かせた。泣くのをこらえているのかもしれない。 視線の先には様々な雰囲気を、もともとその人間だったかのように演じ分ける道化師がいる。 その、仮面のように千の人間を思わせる表情をじっと見つめた。 ささいな変化をつけることで、別人になりきって見せる顔。 奇抜な化粧は幸村の知るの面影をこそぎとり、知らない誰かに化けることを可能としている。 「拙者には、殿が見えぬのだ。拙者の知る殿がどんな顔をしているのかさえわからぬ。あそこにいるのは、誰か別の―――」 仮面に埋もれて素顔が見えない。 呟いて俯いた幸村の瞳から、大粒の涙が一滴落ちて弾けた。 (こんなに大切な人なのに、拙者には殿が見つけられぬ) それが悔しくて悲しくて仕方なかった。 佐助はかける言葉が見つけられずに立ち尽くす。 幸村が持った印象は間違っていない。はまるで擬態のように自らを隠している。 それは演技している今も、幸村の前で友達として振舞っているときも、佐助と語り合っているときもそうだ。 唯一その仮面が剥がれ、彼本来の顔が覗いたのはあの血塗れの城下町においてのみ。 あの、貪欲なまでに生に執着した獣こそが僅かに発露した彼の真実であると、佐助は気付いていた。 (仕方ないよ) は幸村とは違う。どちらかというと佐助に近い。 だからこそ、佐助は彼の仮面を知ることができるのだ。 「ねえ旦那、」 (旦那はそれに気付いたんだね)(気付かなければよかったのに)(気付けるようになってしまったのか) 思わぬ幸村の成長に心を乱しながらも、それを押し隠して佐助は道化師を指差した。 「今は、何も考えずに楽しんであげなよ。の旦那は、人に笑ってほしくて演じてるんだから」 それこそが彼の歪みの一つであると、佐助はよく知っている。 見事だった、と政宗は手放しで褒めた。 一仕事終えたは汗だくで、どれほど集中していたのかがよくわかる。 伊達軍の諸将に手荒い賞賛を受けながら、は化粧を施した顔で笑った。 舞台でも思ったがその顔は昨夜の彼の造作を完璧に消し去っており、名前も知らない誰かと話しているような錯覚を与える。 「La ringrazio molto(お褒めに預かり恐悦至極)」 「俺のわかる言葉で話せ」 「日本語と英語のどっちがいい?」 平然と異国語を選択肢にいれてくるあたりこいつも食えない。 信玄が彼の保護を要請しているのを承知で、自分を売り込んでいるのだ。 自分を手元におけば、異国語の練習も新しい知識も手に入ると。 (忍の線が消えたわけじゃないが、確かに面白い芸人だ) 政宗は唇を釣り上げた。それは好奇心をそそられた子供の顔そのままだ。 「Hey you, 奥州に留まるつもりはないか?」 「なっ…! 政宗殿、殿は拙者の友人でござる!」 「友人ってことは、どこに行こうと構わねぇだろ?」 「ぐ……っ」 の刺した釘のせいで、幸村は雇用関係を口にのせることに躊躇いがある。 「っそれでも! 殿だって慣れない奥州より甲斐の方が落ち着くはずでござる!」 「じゃあアンタが決めな、。どっちにいたい?」 「殿…!」 答えを確信して、政宗は意地悪な問いかけをした。 片目だけだというのに強すぎる視線を真っ向から受けたは一度視線をそらし、幸村の縋るような顔を掠め見た。 幸村はそれをが甲斐に留まりたく思っている印と受け取ったが、そうではない。 彼の表情を確かめたは、その瞬間に奥州へ行くことを決めた。 (釘を打ってさえユキムラの気持ちは強い) そんなものはいらない。重いから。 重すぎて、いつかきっと潰れてしまう。そうなる前に去ってしまいたい。 ―――安全に、流れ続けていくために。 「奥州へ行くよ」 「殿……?!」 裏切られた、とでも表わすべき表情が幸村の幼い顔に広がる。 信じられない。そう大きく書かれた悲哀に染まる前の顔に言ってやる。 いつか再会したとき、恨まれたりしないように。 の思考はどこまでも安全を求め、残酷なまでに自己本位だ。 「Ciao(またな)ユキムラ、次会うときはもっと芸を磨いておくよ」 「殿……! そんな、拙者たちは友達では…」 「友達だよ。いつまでも」 綺麗に笑う。幸村の顔が強張った。 きっと彼は、自分の行動を鑑みて勝手に自省と納得をしてくれることだろう。 が理由を説明する必要はない。 ただ、友達と囁いてやればいい。 それだけで絆は保たれる。幸村が負い目を負う形で。 「俺はね、ユキムラのことをあいしてるよ。サスケもオヤカタサマも、マサムネもあいしてる。だからさユキムラ、笑ってて。覚えておいてよ、俺はお前と友達になれてしあわせだから、お前に笑っていてほしいってこと」 「殿……!」 「ほら笑って。Mi amico(俺の友達)」 そう囁く笑顔は、出会った時から何も変わらないもの。 幸村は唐突に気付いた。 ああ、彼は常に笑っていたと。 舞台の上で着けた仮面とこの笑顔に、何の違いもないのだと。 それは柔らかくしかし決定的に幸村の手を拒み、ただ暖かい席を用意する。 「承知、いたした……っ!」 他に言いようなどない。 今更気付いたって、もう何もかも遅いのだから。 |
一番悩んだのは演技 さーて次からは中学生日記だ 080217 J |
24 ← 00 → 26 |