五人中三人が頭に血染めの手ぬぐいを巻いているという凄惨だか間抜けだかわからない状況で、自己紹介はやり直された。

 「Ah-ha? 異国から来た道化師ねぇ…」

 仲良く鼻血を浴びた仲間その1は、鼻血の発生源にして仲間その2の傍に座りこんでいる仲間その3をまじまじと見た。
 出血多量だが、普段から血の気が多いせいかさして顔色も悪くない幸村に時折視線を走らせるは、どうみても貧相な体つきの日本人である。
 彼の近くに信玄の巨体があるものだから余計にそう見えるが、それにしたって細い。幸村と比べても、その違いは一目瞭然だ。

 (かといって、忍の体つきをしているわけでもねぇ)

 異国を回っていたという経歴は確かに政宗の興味を引いた。
 試しに異国語で名前を聞いてみたら、政宗のよく知る言語を含めて五ヶ国語で答えたのだ。自在に使えるのは英語とイタリア語だけだと言っていたが、それにしても大したものだ。
 政宗に判別ができるのは英語のみだが、の返した言語はしっかりしていたので、恐らく異国にいたというのは本当だろうと判断する。

 (だが、だからといって武田の忍でない証はない)

 普通の忍ならばこうやって面と向って紹介はされまい。
 潜入させるために異国語を覚えさせるのも非効率的だ。
 しかし、時代は猜疑に満ちている。簡単に信用などできるはずがない。

 (忍でないとしたら、……色小姓か?)

 ナメられたものだ。
 確かにはそういう連中の好みそうな容顔をしている。
 女といっても通る白皙と細いが健康的な手足は、嗜好もあろうが男色家には垂涎ものだろう。
 しかし、政宗にはそんな趣味はない。
 むしろ、大名なら女の柔らかい体など望むままの地位にあるというのに、何故男色などに走るのか彼にはさっぱりわからなかった。
 もし信玄が政宗がその道を好むと思ってこの少年を献上したのなら、それは喧嘩を売っているようなものだと思う。

 だが双方にとって幸いなことに、信玄にそんな意図はこれっぽっちもない。
 言葉少なに、しかし含意をたっぷり持った説明を聞いて、政宗はその意図を知った。

 (要するに、この男を奥州で預かれってか)

 人質、とまではいかない。
 甲斐において、に人質になりうる価値がないのだ。
 信玄がの身柄を差し出すのは、単に彼の安全を願ってのこと。

 (甘ぇことだ)

 どうやらしばらく見ないうちに、虎は牙をなくしたらしい。
 政宗はそれを少し残念に思った。

 (まあいい、)
 「異国の芸人ってのは初めて見るな。どうだ、あんた、何か芸をやってみせてくれねぇか?」
 「Ho capito(わかりました)! 何かリクエスト、ある?」

 先ほどの大騒ぎで、の頭から敬語使用という項目が抜け落ちたらしい。
 政宗の傍らに控えていた小十郎が少し眉を寄せたが、どちらにしろここは伊達軍。厳格な上下関係は存在しないに等しい。
 むしろ肩肘の張らない口調を心地よく思いながら、政宗は「手の込んだやつ」と意地悪く答えた。
 本当に芸人なら、さぞかし見事なものが見れるだろう。
 芸人でないのなら、どんなものを見せるというのか。

 「明日の晩、諸将を集めて同盟祝いの宴席を設ける。それに一花添えてくれ」
 「今じゃなくていいの? 即興もできるけど」
 「I said already(もう言ったぜ) 異国の本気を見てぇんだよ」
 「……Va bene(OK)」
 「Ah?」
 「OKだよ」
 「Good!」

 政宗とは、それぞれに強気な笑みを浮かべた。
 どうやら政宗の言い草は道化師の意地に火をつけたらしい。

 「Hey you. Make me enjoy! (俺を楽しませてみな!)」
 「Naturalmente! (もちろん!)Ci penso io (まかしとけ)」
 「あの、お二人とも。日本語で喋っていただけますか」











 1 / 2 のクラウン! Ventiquattro : ひどい奴









 流石奥州筆頭の居城と言うべきか、宛がわれた客間は上田城とは比べものにならないほど広い。
 敷かれていた布団に歓声を上げてダイブした風呂上がりのは、まるで修学旅行に来た小学生のようだ。
 もっとも彼は奈良だの京都だので大仏を見上げる前に海を渡ったので、枕投げの試練も風呂覗きの試練もくぐったことはない。

 「ユキムラ、凄いぞこの布団! めっちゃ柔らかいしすべすべしてる」
 「おお、本当でござる! 絹のようでござるな……!」
 「ほーれスイムスイム! 平泳ぎじゃ!」
 「ぬっ、負けませぬぞ! 酔夢酔夢!」
 「旦那方…人間に戻っちゃくれませんかね」

 騒ぐ二匹の子猿を、佐助が呆れたように見ている。
 信玄は未だに風呂だ。どうやら相当熊と飲み交わせる奥州の秘湯が気に入ったらしい。

 「ほらほら、折角整えてくれた寝具がぐちゃぐちゃじゃないの。あーもう、枕投げなんか始めないの! 特にの旦那、あんた独眼竜の旦那と変な約束したんだから、さっさと寝て英気を養いなさい!」
 「えー、楽しいでござるよ?」
 「サスケもしよーぜ」
 「旦那方、そこの飾り壷きっと高いよ。割れたら弁償できるの?」
 「さあ寝ようかユキムラ! 早寝早起き三文の得!」
 「うむ! 健康のためでござるからな!」
 「………ユキムラがジジ臭い……」

 驚嘆すべき変わり身の速さで、お子様二人は布団を被った。
 とりあえず大人しくなったのを見て佐助は息をつく。ようやっと落ち着ける時間ができた。
 佐助はお子様たちの世話、改築された米沢城の偵察と、休む時間もなかったのだ。お母さんは大変なのである。

 「サスケは寝ないの?」
 「不健康でござるよー」
 「忍は夜が活動時間だってば。俺様まだ風呂入ってないから、今から堪能してくるよ。いい湯なんでしょ」
 「うむ…! まさにみちのく秘湯殺人事件というべきか、わざわざ城内に温泉を作っただけあって、染みわたるような湯であったぞ!」
 「効能は腰痛と疲労回復だってー」
 「………ごめん、俺様どんな反応返すべき?」



 頭痛を覚えたらしい佐助が風呂用品とあひるちゃんを持って出ていくと、夜のしんとしたしじまが聴覚を覆った。
 風の音に乗って、夜の禽獣たちの鳴き交わす声が微かに聞こえてくる。
 一つっきりの紙燭が生み出す光は頼りなく、逆に闇を濃く集めている。凝った闇は部屋のそこかしこで膝を抱えていて、そこに得体のしれない何かが潜んでいるような錯覚を与えた。

 「ユキムラ、起きてる?」
 「、起きております」

 隣の布団からかけられた声に一瞬の間を置いて返答する。
 の声は予想に反してそれ以上続かなかった。本当にただ呼びかけただけなのだろう。
 こんな静けさの中では、心細くなって当たり前だ。

 (心細い、)

 幸村は、ふと幽閉明けのと顔を合わせた時を思い出した。

 迎えに行ったはいいが、実を言うとあの時どんな顔をしたらいいのか、幸村には皆目見当がつかなかった。
 笑えばいいのだろうか。こんな気持ちを抱く前にそうしていたように。
 そんな顔をする資格なんてどこにもないというのに。
 ―――ああけれど、自分は以前どんな顔をしていただろう。
 答えが出ないまま迎えに行くと、馬場に連れられているはずのは異様な熱気に包まれた集団を率いていた。
 思わず気圧された幸村だったが、は頓着せず彼に再会の喜びを述べた。

 「Ciao! Ciao! 良かったー! お互い、生きてまた会えたな!」

 のもとには、戦の詳細はおろか将の生死すら届いていなかったらしい。
 孤児で、幸村以外頼るもののない彼がそんな中で生活するのは心細かったに違いないのに、再び巡り合った微笑みは最初に出会った時と寸分も変わっていなかった。
 すぐに目敏く怪我を見つけたは、心配顔と生存を喜ぶ笑顔を交互に浮かべて幸村には理解できない言語で何かをまくしたてた。多分、心配と安堵を告げていたのだろう。
 最後に外国育ちらしくきつく抱きしめられて、幸村はそれだけで鼻血を吹いたのだが、は晴れやかに笑っていた。
 その笑顔はどこまでも友人としてのもの。

 (殿、)

 泣き笑いのような表情で、幸村はただいまでござるとようよう告げた。
 あの瞬間彼を貫いた思いを言い表すのは難しい。
 出陣前、育つかに思われた感情の新芽は首を刎ねるかのように刈り取られた。
 だから幸村はもうと親しく言葉を交わすことなどできまいと思っていた。
 己の気持ちをどうすればいいのかもわからないし、何より迷惑な感情を向けられたが以前と同じように接してくれるとは思えなかったのだ。

 撃ち抜かれた右脚の回復を躑躅ヶ崎で待ちながら、幸村は抱き締めた体の細さを何度も思い出した。
 頼りなく細い体躯。けれどそれは女のような柔らかさを持たず、薄く鍛えられた筋肉と未発達ながらしっかりした男の骨格を持っていた。

 『抱きたいなら抱けよ』

 耳に生々しく残った言葉。
 佐助によって厳重に、汚れぬように細心の注意を払って育てられた幸村にとって、言い捨てられた言葉はひどく暴力的で、嫌悪感すら巻き起こす生臭いものだった。
 ましては男である。
 男女のことすら背徳感を覚えずにはいられないというのに、男が男を組み敷くという想像は倒錯どころか軽蔑にすら値するように思える。
 それを強いようとしていたのが己であることは、凄まじい自責を巻き起こした。

 (殿は、拙者を軽蔑しただろう)

 男に組み敷かれ、脚を広げさせられるというのは趣味のいい想像ではなかった。
 一度想像してみれば、屈辱感と憎悪が心を満たす。
 初心な幸村はそんなこと望む以前の段階だったのだが、にとっては気持ちの良いものではなかったはずだ。
 それなのに彼は軽蔑もせず、生きて帰った幸村を友人として遇してくれる。
 そのことに、幸村は言い表せぬほどの感謝と申し訳なさと、とどめを刺された恋情の悲嘆を感じたのである。

 (もはや考えるまい。考えてはならない)

 に恋情を向けることは、彼を貶めることだ。
 幸村が彼を恋うれば自分はそれに応えざるをえない立場にいるとは言った。男娼にその身を落とすと。
 その時の彼の目は真っ暗で、声は信じられないほど冷淡だった。
 彼は恐らく、幾度か男の褥をくぐっているのだろう。立場、上。

 それは煮えたぎるような憎悪を生んだ。
 しかし、を責めるのはお門違いというものだ。かといって彼にこれ以上屈辱を与えるわけにはいかない。
 進んで春を売るものなどいないのに、幸村がを求めれば彼は断れないのだ。
幸村はの上を過ぎ去った男たちと同じになり、の親愛を受けることもなくなる。は友人にさえ貶められる。
 だから、折角が作り直してくれた友人という椅子に座り続ける他ないのだ。
 それは少し物足りなく、それでもゆるりと暖かい。










 幸村が寝入ってしばらくして、湿った髪の忍が帰ってきた。

 「旦那は寝ちゃった?」
 「Si ……俺が起きてるって、よくわかったね」
 「そりゃーね。大将がまだ帰ってきてないから」

 自分に割り当てられた布団に座り、佐助は起き上がったを見つめた。
 月はとうに沈んで、紙燭の明かりも消えている。
 それでもお互い、相手の顔がよくわかった。

 「大将はのぼせちゃって、別の部屋で寝てるよ」
 「そっか。Stai bene?(大丈夫?)」
 「異国語はわからないんだけど」
 「オヤカタサマは大丈夫?」
 「平気だよ。頑丈な人だから」

 一息つき、佐助は楽しそうに語りかけた。

 「の旦那さぁ、起きてる誰かがそばにいると、眠れないでしょ」
 「よくわかったね」
 「そりゃあ、俺様たち忍もそうだから」

 隠す気もない二人は、幸村を起こさないよう無声音の会話を続ける。
 そのことが、更に道化師と忍を似通って見せた。

 「旦那は忍にそっくりだよ。優しそうで優しくないところも全部」
 「……? 俺は優しいよ」
 「どーだかねー」

 佐助はあえて追及しない。も佐助の意図を汲んで淡く微笑みを飾る。
 ―――佐助は、が幸村に打った釘を言っているのだ。
 一切の容赦もなく幸村の恋心を妨害する釘。
 純粋で良心が強い幸村だから、も容赦なく牽制を打ち込んだ。
 これが下手に汚れた相手であれば、自分を貶めてまで放つ牽制は逆効果だ。

 二人には幸村の心理が手に取るようにわかる。を思うが故、その優しさ故、幸村は二度と恋を行動に移すことはできない。

 それを見越して、は手酷く好意をはねつけ、友人のようにふるまいもする。
 全ては計算ずくだ。そのどこが、優しいと言えるのか。

 「それに俺は忍じゃない。クラウンだよ」
 「そういうけどね、どっかのくノ一よか、旦那はよっぽど忍の適性があると思うんだ」

 褒められたことではないが。
 忍というのは卑しいものだ。闇に紛れ、己の中の人間を殺し、他人の死を食い散らかす。
 目的のためには手段を選ばず、そこには美も道もあったもんじゃない。
 毒殺暗殺謀殺、なんでもありだ。同じように醜く躯を曝すことだって珍しいことじゃない。
 何せ忍は人間を捨て道具と化した、人ならざる奇怪な生き物。
 這いつくばり、闇から闇へ消えていくのが運命。

 「Non capisco(理解できない) 俺の天職はクラウンさ。これ以上素晴らしい職なんてあるもんか」
 「へえ? ―――そういえばさ、くらうんって大道芸人とどう違うの?」
 「大した変わりはないよ。クラウンっていえば脇役で、あとはいつも笑ってるくらいかな」
 「いつも? 何があっても?」
 「Si お客さんの前なら」
 「そりゃあ、」

 道理で忍に似るはずだと、佐助はひどく納得した。
 は何の疑問も抱いてないようだが、彼は笑い続けるために、彼の中の人間を殺しているのだ。
 悲惨な人生を辿ったであろう彼は、本当は声を上げて泣かなければいけないのに。
 それなのに笑おうとするから、自然不都合な部分は押し殺される。

 「旦那、忍に転職したくなったらいつでも言いなよ」

 お前はきっといい忍になるよ。
 その時にはもう、人間には戻れないだろうけど。

 人間でなくなった男は、人間でなくなりつつある男に微笑みかけた。
 月の去った夜は、どこまでも暗い。


絶対にクラウンはこういうものと思ってはいけません
フィクションどころかファンタジーなんだと思ってください
080216 J

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